子 - みる会図書館


検索対象: 吾輩は猫である
508件見つかりました。

1. 吾輩は猫である

ますよ」と注意する。「少しいつけるほうが薬ですよ、奥さん」「しかし顔の讒訴などをなさるのは ' 1 、 ( まり下等ですわ、だれた 0 て好んであんな鼻を持 0 てるわけでもありませんから , ー・それに相手 が婦人ですからね、あんまりひどいわ , と鼻子の鼻を弁護すると、同時に自分の容も間接に弁護 しておく。「なにひどいものか、あんなのは婦人じゃない、愚人た、ねえ迷亭君」「愚人かもしれん がなかなかえら者だ、ド ) 、ぶ引っかかれたじゃよ、 オしか」「ぜんたい教師をなんと心得ているんた ろう」「裏の車屋ぐらいに心得ているのさ。ああいう人物に尊敬されるには博士になるに限るよ、 い 0 たい博士にな 0 ておかんのが君の不了見さ、ねえ奥さん、そうでしよう」と迷亭は笑いながら 細君を顧みる。「博士なんてとうていだめですよ」と主人は細君にまで見離される。「これでも今に なるかもしれん、軽蔑するな。貴様なそは知るまいが昔アイソクラチスという人は九十四歳で大著 . 述をした。ソフォクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、ほとんど百歳の高齢た 0 た。シモ = ディスは八十で妙詩を作 0 た。おれた 0 て = ・ = ・」「ばかばかしいわ、あなたのような胃病でそんな に長く生きられるものですか」と細君はちゃんと主人の寿命を予算している。「失敬な、 , ー・甘本 さん〈行 0 て聞いてみろ , ーー元来お前がこんなしわくちゃな黒もめんの羽織や、つぎだらけの着物 を着せておくから、あんな女にばかにされるんだ。あしたから迷亭の着ているようなやつを着るか ら出しておけ」「出しておけ 0 て、あんな立派なお召はござんせんわ。金田の奥さんが迷亭さんに 丁寧にな 0 たのは、伯父さんの名前を聞いてからですよ。着物の咎じやございません」と細君うま く責任をのがれる。 主人は伯父さんという言葉を聞いて急に思い出したように「君に伯父があるということは、きょ うはじめて聞いた。今までついにうわさをしたことがないじゃよ、 オしか、ほんとうにあるのかい」と

2. 吾輩は猫である

とうざん る。虎蔵君と並んで立っているのは二十五、六の背の高い いなせな唐桟すくめの男である。妙な ことにこの男は主人と同じくふところ手をしたまま、無言で突っ立っている。なんたか見たような このあいた深夜御来訪になって山 顏だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。 どろまうくん の芋を持ってゆかれた泥棒君である。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。 「おいこのかたは刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろというんで、わ ざわざおいでになったんだよ」 主人はようやく刑事が踏み込んた理由がわかったとみえて、頭をさげて泥棒の方を向いて丁寧に はやがてん おじぎをした。泥棒のほうが虎蔵君より男ぶりがいいので、こっちが刑事だと早合点をしたのたろ う。泥棒も驚いたに相違ないが、まさかわたしが泥棒ですよと断わるわけにもゆかなかったとみえ て、すまして立っている。やはりふところ手のままである。もっとも手錠をはめているのだから、 出そうといっても出る気づかいはない。通例の者ならこの様子でたいていはわかるはすだが、この 主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。お上の御成光となる と非常に恐ろしいものと心得ている。もっとも理論上からいうと、巡査なぞは自分たちが金を出し あて番人に雇っておくのだぐらいのことは心得ているのだが、宴際に臨むといやにへえへえする。主 なぬし 1 で 人のおやじはその昔場末の名主であったから、上の者にびよこびよこ頭を下げて暮らした習慣が、 物因果となってかように子に酬ったのかもしれない。まことに気の毒な至りである。 巡査はおかしかったとみえて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに日本堤の分署ま で来てください。 ー ! 盗難品はなんとなんでしたかね」 「盗難品は : : : 」と言いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは多々 かみ にはんつつ

3. 吾輩は猫である

「それがイギリス趣味ですか」これは寒月君の質間であった。 「ぼくはこんな話を聞いた」と主人があとをつける。「やはり英国のある兵営で連隊の士官がお おぜいして一人の下士官をごちそうしたことがある。ごちそうがすんで手を洗う水をガラス鉢へ入 れて出したら、この下士官は宴会になれんとみえて、ガラス鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んで しまった。すると連隊長が突然下士官の健康を祝すと言いなぶら、やはりフィンガー・ポールの水 みすかすき を一息に飲み干したそうだ。そこで並みいる士官も我劣らじと水杯をあげて下士官の健康を祝した というぜ」 「カーライルがはじめて女皇 「こんな話もあるよ」と黙ってることのきらいな迷亭君が言った。 えっ へんふつ に謁した時、宮廷の礼にならわぬ変物のことたから、先生突然どうですと言いながら、どさりと橇 子へ腰をおろした。ところが女皇の後ろに立っていたおおぜいの侍従や官女がみんなくすくす笑い だしたのではない、だそうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、ちょっと何か合凶 めんまく をしたら、おおぜいの侍従官女がいつのまにかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面印を失わ なかったというんだがずいぶん御念の入った親切もあったもんた」 あ 「カーライルのことなら、みんなが立ってても平気だったかもしれませんよ」と寒月君が短評を で 猫試みた。 疆「親刧のほうの自覚心はまあいいがね」と独仙君は進行する。「自覚心があるたけ親切をするに も骨が折れるわけになる。気の毒なことさ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人 の交際がおだやかになるなどと普通いうが大間違いさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておた やかになれるものか。なるほどちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、お互いの間は非常に

4. 吾輩は猫である

する。猫であろうがあるまいがこうなったひにやおかまうものか、なんでも餅の臟が落ちるまで やるべしという意気込みで無茶苦茶にじゅう引っかき回す。前足の遐動が猛烈なのでややともす ると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびにあと足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所 にいるわけにもゆかんので、台所じゅうあちら、一、ちらと飛んで回る。我ながらよくこんなに用 に立っていられたものたと思う。第三の真理が暮地に現前する。「危うきに臨めば平常なしあたわ てんゅう ざるところのものをなしあとう。これを天祐という」幸いに天祐を ~ 学けたる吾輩が一生懸命餅の魘 と戦っていると、なんだか足膏がしてより人が来るような気合である。ここで人に来られてはた いへんたと思って、いよいよやっきとなって台所をかけ回る。足音はだんたん近づいてくる。ああ 残念だが天祐が少し足りない。 とうとう子供に見つけられた。「あら猫がお雑煮を食べて踊りを踊 っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのがおさんである。羽根も羽子板もうち ちりめん やって手から「あらまあ」と飛び込んで来る。細君は縮緬の紋付きで「いやな猫ねえ」と仰せら れる。主人さえ書斎から出て来て「このばかやろうーと言った。おもしろいおもしろいと言うのは 子供ばかりである。そうしてみんな申し合わせたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくは ある、踊りはやめるわけにゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の きようらんをとう 子が「おかあ様、猫もすいぶんね , と言ったので狂瀾を既倒になんとかするという勢いでまたたい へん笑われた。人間の同情に乏しい実行もたいぶ見聞したが、この時ほど恨めしく感じたことはな、 しろくろ かった。ついに天祐もどっかへ消えうせて、在来のとおり四つばいになって、目を白黒するの醜態 を演するまでに閉ロした。さすが見殺しにするのも気の毒とみえて「まあ餅をとってやれ」と主人 がおさんに命する。おさんはもっと踊らせようじゃありませんかという目つきで細君を見る℃細君 .

5. 吾輩は猫である

文学美術が好きなものですから = = = 」「結構で」と油をさす。「同志たけがよりましてせんた 0 てか まいげつ ら朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、 すでに第一回は去年の暮れに開いたくらいであります」「ちょ 0 と伺 0 ておきますが、期読会とい うと何か節奏でもつけて、詩歌文章の類を読むように聞こえますが、い 0 たいどんなふうにやるん です」「まあ初めは古人の作から始めて、おいおいは同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の ふそんしゅんぶうばていきよく 作というと楽天の琵琶行のようなものででもあるんですか」「いい え」「蕪村の春風馬堤曲の種類 ですか」「いい え」「それじゃ、どんなものをや 0 たんです」「せんた 0 ては近松の心中物をやりま した」「近松 ? あの浄瑠璃の近松ですか , 近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松にきま 0 ている。それを聞き直す主人はよほど愚だと思 0 ていると、主人はなんにもわからずに吾輩の頭 を丁寧になでている。ゃ。ふにらみからほれられたと自認している人間もある世の中たからこのくら いの誤謬はけ 0 して驚くに足らんとなでらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子は ' 主人の顔色をうかがう。「それじや一人で朗読するのですか、または役割をきめてやるんですか」 「役をきめて掛け合いでや 0 てみました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持 0 てその性格 を発揮するのを第一として、それに手まねや身ぶりを添えます。せりふはなるべくその時代の人を 写し出すのが主で、お嬢さんでも丁稚でも、その人物が出て来たようにやるんです」「じゃ、まあ之 居みたようなものじゃありませんか」「ええ衣装と書割がないくらいなものですな」「失礼ながらう まくゆきますか」「まあ第一回としては成功したほうだと思います」「それでこの前や 0 たとお 0 し やる心中物というと」「その、船頭がお客を乗せて芳原〈行くとこなんで」「たい〈んな冪をやりま したな」と教師たけにちょ 0 と ~ 目を傾ける。鼻から吹き出した日の出の煙が耳をかすめて顏の横手

6. 吾輩は猫である

それからドイツ人のほうではかっこうな通弁を得たつもりでしきりに聞くそうだ」「何を ? 」「それ がさ、なんだかわかるくらいなら心配はないんだが、早ロでむやみに間いかけるものだから少しも とびぐち 要領を得ないのさ。たまにわかるかと思うと鳶ロや掛け矢のことを聞かれる。西洋の鳶ロや掛け矢 は先生なんと翻訳していいのか習ったことがないんたから弱らあね」「もっともだ」と主人は教師 の身の上にひきくらべて同情を表する。「ところへひま人が物珍しそうにぼつぼっ集まって来る。 しまいには東風とドイツ人を四方から取り巻いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初 めの勢いに引きかえて先生大弱りのていさ」「結局どうなったんだい」「しまいに東風が我慢できな くなったとみえてさいならと日木語で言ってぐんぐん帰って来たそうた、さいならは少し変た君の 国ではさよならをさいならと言うかって聞いてみたらなにやつばりさよならですが相手が西洋人た から調和を計るために、さいならにしたんだって、東風子は苦しい時でも調和を忘れない男たと感 なうぜん 心した」「さいならはいいが西洋人はどうした」「西洋人はあっけにとられて茫然と見ていたそうた , , ( ( おもしろいじゃないか」「べったんおもしろいこともないようだ、それをわざわざ知らせ に来る君のほうがよっぽどおもしろいせ」と主人は巻煙草の灰を火桶の中へはたき落とす。おりか る あ ら格子戸のベルが飛び上がるほど鳴って「御免なさい」と鋭い女の声がする。迷亭と主人は思わす 顔を見合わせて沈黙する。 主人のうちへ女客は稀有だなと見ていると、かの鋭い声の所有主は縮緬の二枚重ねを畳へすりつ 輩 吾、けながらはい 0 て来る。年は四十の上を少し越したくらいだろう。抜け上が 0 たえぎわから前髪 が堤防工事のように高くそびえて、少なくとも顔の長さの二分の一たけ天に向かってせり出してい こうば、 くじら る。目が切り通しの坂ぐらいな勾配で、直線につるし上げられて左右に対立する。直線とは鯨より こうしど ちりめん

7. 吾輩は猫である

迷亭に聞く。迷亭は待 0 てたといわぬばかりに「うんその伯父さ、その伯父がばかに頑物でねえー ーやはりその十九世紀から連綿と今日まで生ぎ延びているんだがね」と主人夫婦を半《に見る。 「オホホホホホおもしろいことばかりお 0 しゃ 0 て、どこに生きていら 0 しやるんです」「静岡に 生きてますがね、それがたた生きてるんじゃないです。頭にち = ん髷をいて生きてるんたから恐 縮しまさあ。帽子をかぶれ 0 てえと、おれはこの年になるが、また帽子をかぶるほど寒さを感じた ことはないといば 0 てるんですー、ーいから、も 0 と寝ていら 0 しゃいと言うと、人間は四時間寝 れば十分だ、四時間以上寝るのはせいたくの沙汰た 0 て朝暗いうちから起きてくるんです。それで ね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、長年修業をしたもんた、若いうちはどうしても眠たく ていかなんだが、近ごろに至 0 てはじめて随処任意の蔗境に入 0 てはなはたうれしいと自するん です。六十七にな 0 て寝られなくなるなああたりまえでさあ。修業も〈ちまもい 0 たものじゃない のに当人は全く克己のカで成功したと思 0 てるんですからね。それで外出する時には、き 0 と鉄扇 、、こ三持って出るんたね。 を持 0 て出るんですがね」「何にするんたい」「何にするんたかわからなしナ・ , まあステ「 - キの代わりぐらいに考えてるかもしれんよ。ところがせんだ 0 て妙なことがありまして あね、と今度は細君のほう〈話しかける。「〈え、卩と細君が差し合いのない返事をする。「ことしの 猫春突然手紙をよ一」して山高帽子と , 。「ク = ートを至急送れというんです。ち = 0 と驚いたから、 郵便で間い返したところが老人自身が着るという返事が来ました。二十三日に静岡で祝捷会がある からそれまでに間に合うように、至急調達しろという命令なんです。ところがおかしいのは命令中 巾しいいかげんな大きさのを買 0 てくれ、洋服も寸法を見計ら 0 て大丸〈注 7 にこうあるんです。「目子よ 文してくれ = ・ = ・」「近ごろは大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白木屋と間違えたん がんふつ

8. 吾輩は猫である

まじめであんなうそがつけますねえ。あなたもよっぽど法螺がお上手でいらっしやること」と細君 うわて は非常に感心する 0 「ぼくより、あの女のほうが上手でさあ」「あなたたってお負けなさる気づかい はありません」「しかし奥さん、ぼくの法螺はたんなる法螺ですよ。あの女のは、みんな魂胆があっ さるちえ て、日くつきのうそですぜ。たちが悪いです。猿知恵から割り出した術数と、天来の滑物迅味と混 同されちゃ、コメディ ーの神様も活眼の士なきを嘆ぜざるをえざるわけに立ち至りますからな」主 人はふし目になって「どうだか」と言う。細君は笑いながら「同じことですわ」と言う。 かど、ー」ぎ 吾輩は今まで向こう横丁へ足を踏み込んだことはない。角屋敷の金田とは、どんな構えか見たこ とはむろんない。聞いたことさえ今がはじめてである。主人の家で生一業家が話に上ったことは一 。へんもないので、 . 主人の飯を食う吾までがこの方面にはたんに無関係なるのみならす、はなはだ 冷淡であった。しかるに先刻はからすも鼻子の訪間を受けて、よそながらその談話を拝聴し、その えんび ふうき 令嬢の艶美を想像し、またその富貴、権勢を思い浮かべてみると、猫ながら安閑として縁側に寝こ ろんでいられなくなった。しかのみならす吾輩は寒月君に対してはなはだ同情の至りにたえん。先 てんしよういん 方では博士の奥さんやら、車屋のかみさんやら、二弦琴の天璋院まで買収して知らぬ間に、前歯の たんてい 欠けたのさえ探偵しているのに、寒月君のほうではたた = ャ = ャして羽織のひもばかり気にしてい 物るのは、 いか・に卒業したての理学士にせよ、あまり能がなさすぎる。といって、ああいう偉大な鼻 を顏の中に安置している女のことだから、めったな者では寄りつけるわけのものではない。 むとんじゃく う事件に関しては主人はむしろ無頓着でかつあまりに銭がなさすぎる。迷亭は銭に不自由はしない 2 が、あんな偶然童子たから、寒月に援けを与える便宜はすくなかろう。してみるとかあいそうなの は百くくりの力学を演説する先生ばかりとなる。吾輩でも奮発して、敵城へ乗り込んでその動静を じようす

9. 吾輩は猫である

114 つらがま 面構えですよ、いやに髭なんかはやして」「けしからんやった」髭をはやしてけしからなければ猫な 「それにあの迷亭とか、ヘべれけとかいうやつは、まあなん どは一たってけしかりようがない。 とんきよう てえ、頓狂なはね 0 返りなんでしよう、伯父の牧山男爵たなんて、あんな顏に男爵の伯父なんざ、 ちをはすがないと思 0 たんですもの」「お前がどこの馬の骨だかわからんものの言うことを真に受 るのも悪い」「悪いって、あんまり人をばかにし過ぎるじゃありませんか」とたいへん残念そうで のる。不田〔議なことには寒月君のことは一言半句も出ない。吾輩の忍んで来る前に評判記はすんた けねん のか、またはすでに落第と事がぎまって念頭にないものか、そのへんは懸念もあるがしかたがな しばらくたたすんでいると廊下を隔てて向こうの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か 事、ある。おくれぬ先に、とその方角へ歩を向ける。 来てみると女がひとりで何か大声で話している。その声が鼻子とよく似ているところをもって推 じゅすい 「・と、一、れがすなわち当家の令嬢寒月君をして未遂入水をあえてせしめたる代物たろう。惜しいか な障子越しで玉のおん姿を拝することができない。したが 0 て顔のまん中に大きな鼻を祭り込んで いるか、どうたか受け合えない。しかし談話の模様から鼻息の荒いところなどを総合して考えてみ ししばな ると、まんざら人の注意をひかぬ獅鼻とも思われない。女はしきりにしゃべっているが相手の声が 「お前は大和かい。あしたね、行 少しも聞こえないのは、うわさにきく電話というものであろう うすら 2 なにわからない ? しいかえー 1 ーわかったかい くんたからね、鶉の三を取っておいておくれ、 取る なんたって、 , ーー取れない ? 取れないはすはな、、 おやいやだ。鶉の三を取るんたよ。 いやに人をおひやらかすよ。せ んたよーーへへへへへ御冗談をたって , ーー何が御冗談なんたよ ちょうきち んたいお前はたれだい。長吉た ? 長吉なんそしやわけがわからない。おかみさんに電話ロへ出ろ 0 やまと 1 しろもの お

10. 吾輩は猫である

の天秤をくらう恐れがある。理はこっちにあるが権力は向こうにあるという場合に、理を曲げて 一も二もなく屈従するか、または権力の目をかすめてわが理を貫ぬくかといえば、吾輩はむろん後 者をえらぶのである。天秤棒は避けざるべからざるがゆえに、忍ばざるべからす。人の邸内へはは いり込んでさしつかえなきゅえ込まざるをえす。このゆえに吾輩は金田邸へ忍び込むのである。 忍び込む度が重なるにつけ、探偵をする気はないが自然金田君一家の事情が見たくもない吾輩の 目に峡じて覚えたくもない吾輩の脳裏に印象をとどむるに至るのはやむをえない。鼻子夫人が顔を あべかわもち 1 洗うたんびに念を入れて鼻だけふくことや、富子令嬢が阿倍川餅をむやみに召し上がらるる一、とや、 それから金円君自身が 今円君は細君に似合わず鼻の低い男である。たんに鼻のみではない、顔 全体が低い。子供の時分けんかをして、餓曳大将のために ~ 目筋をつらまえられて、うんと精いつば いに土塀へおしつけられた時の顏が四十年後の今日まで、因果をなしておりはせぬかと怪しまるる へいたん くらい平坦な顔である。し ) 、く穏やかで危険のない顔には相違ないが、なんとなく変化に乏しい。 まぐろ いくらおこっても平らかな顔である。 その金田君が鮪のさし身を食って自分で自分のはげ頭を びちゃびちやたたくことや、それから顔が低いばかりでなく背が低いので、むやみに高い帽子と高 、めい下駄をはくことや、それを車夫がおかしがって書生に話すことや、書生がなるほど君の観察は機 で 敏たと感心することや、 一々数え切れない。 つきやま 近ごろは勝手口の横を庭へ通り抜けて、築山の陰から向こうを見渡して障子が立て刧って物静か であるなと見きわめがつくと、そろそろ上がり込む。もし人声がにぎやかであるか、座敷から見透 かさるる恐れがあると思えば池を東へ回って雪礬の横から知らぬ間に縁の下へ出る。悪いことをし た覚えはないから何も隠れることも、恐れることもないのたが、そこが人間という無法者に会って てんびんぼう