子 - みる会図書館


検索対象: 吾輩は猫である
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1. 吾輩は猫である

のだそうだ。少々たちが悪いようだ。考えるとたちが悪いようたがこんな一、とは世間に行々あるこ とだと思う。銀行家などは毎日人の金をあっかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見 えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委託した代理人 のようなものだ。ところが委任された権力を笠に着て毎日事務を処理していると、これは自分が所 くちばし 有している権力で、人民などはこれについてなんらの喙を容るる理由がないものだなどと狂 0 てく る。こんな人が世の中に充満している以上は長火鉢事件をも 0 て主人に泥棒根性があると断定する わけにはゆかぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。 長火鉢のそばに陣取 0 て、食卓を前に控えたる主人の三面には、さ 0 きぞうきんで顏を洗「た坊 ばと、お茶の味の学校へ行くとん子と、お粉びんに指を突ぎ込んたすん子が、すでに勢ぞろい をして朝飯を食 0 ている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は蛩鉄の刀 おもかけ の鍔のような輪郭を有している。すん子も妹たけに多少姉の面影を存して琉球りの盆くらいな 資格はある。ただ坊ばに至 0 てはひとり異彩を放 0 て、面長にできあが 0 ている。ただし縦に長い のなら既間にその例も少なくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化しやすく 0 た 0 て、描に長い顔がはやることはなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考えることがあ る。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長のすみやかなることは禅 寺の筍が若竹に変化する勢いで大きくなる。主人はまた大きくな 0 たなと思うたんびに、後ろから 追 0 手にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空なる主人でもこの三令嬢が女である くらいはら得ている。女である以上はどうにか片づけなくてはならんくらいも承知している。承知 しているだけで片づける手腕のないことも自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余し

2. 吾輩は猫である

。「 . いという形容である。鼻だけはむやみに大きい。人の鼻を盗んで来て顏のまん中へすえつけたよ しようこんしゃ 1 しどうらう うにみえる。三坪ほどの小庭へ招魂社の石燈籠を移した時のごとく、ひとりで幅をきかしているが かぎばな なんとなく落ち付かない。その鼻はいわゆる鉤鼻で、ひとたびはせいいつばい高くな「一てみたが、 けんそん これではあんまりだと中途から謙新して、先の方へゆくと、初めの勢いにすたネかかって、 あるくちびるをのぞき込んでいる。かく著しい鼻たから、この女が物を言うときはロが物を言うと いわんより、鼻が口をきいているとしか思われない。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、 . 以来はこの女を称して子々々と呼ぶつもりである。鼻子はまず初対面の拶を終わ「て「どうも 結構なお住まいですこと」と座敷じゅプをにらめ回す。主人は「うそをつけ」と腹の中で言 0 たま てんによう - あまも ま、。ふかぶか煙草をふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありや雨漏りか、板の木ー ーか妙な模様 が出ているぜ」と暗に主人を促す。「むろん雨の漏りさ」と主人が答えると「結構だなあ」と迷亭 がすまして言う。鼻子は社交を知らぬ人たちだと腹の中で憤る。しばらくは三人鼎座のまま無言で ある。 「ちと伺いたいことがあって、参ったんですが」と鼻子は再び話のロをきる。「はあ」と主人が きわめて冷に受ける。これではならぬと鼻子は「じつは私はつい御近所でーー・「あの向一、う横丁の かどやしぎ かねた 角屋敷なんですが」「ちの大きな西洋館の倉のあるうちですか、道理であすこには金田という標札 が出ていますな」と主人はようやく金田の西洋館と、金田の倉を認識したようだが金田夫人に対す る尊敬の度合は前と同様である。・「じつは宿が出まして、お話を伺うんですが会社のほうがたいへ んにしいもんですから」と今度は少しきいたろうという目つきをする。主人はいっこう動じない。 鼻子のさ 0 きからの言葉づかいが初対面の女としてはあまりぞんざい過ぎるのですでに不平なので

3. 吾輩は猫である

346 べたい」と言「て泣きたした。元禄が冷たくてはたい〈んたから、おさんが台所から飛び出して来 て、ぞうきんを取り上けて着物をふいてやる。この騒動中比較的静かであ 0 たのは、次女のすん子 嬢である。すん子嬢は向こうむきにな 0 て棚の上からころがり落ちた、お白のびんをあけて、し きりにお化粧を施している。第一に突 0 込んた指をも 0 て鼻の頭をキーとなでたから縦に一本白 い筋が通て、鼻のありかがいささか分明にな「てきた。次に塗りつけた指を転じての上を摩擦 したから、そこ〈も 0 てきて、これまた白いかたまりができあが 0 た。これだけ装飾が整 0 たとこ ろ〈、下女がはい 0 て来て坊ばの着物をふいたついでに、すん子の顔もふいてしま 0 た。すん子は 少々不満のいに見えた。 吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来てもう起きたかとひそかに様子をうか が 0 てみると、主人のがどこにも見えない。そのかわり十文半の甲の高い足が、夜具のすそから 一本はみ出している。頭が出ていて起こされる時に迷惑たと思 0 て、かくもぐり込んたのであろう。 の子のような男である。ところ〈書斎の掃除をしてしま 0 た細君がまた箒とはたきをかついでや って来る。最前のように襖の入り口から 「またお起きにならないのですか」と声をかけたまま、しばらく立 0 て、百の出ない夜具を見つ めていた。今度も返事がない。細君は入り口から二足ばかり進んで、箒をとんと突きながら「また なんですか、あなた , と重ねて返事を承る。この時主人はすでに目がさめている。さめているから、 細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立てこも 0 たのである。 ~ 目さえ出さ なければ、見のがしてくれることもあろうと、つまらないことを頼みにして寝ていたところ、なか なか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少なくとも一間の間があ 0 たから、ます

4. 吾輩は猫である

ま「用り . ま」」こ : ↓ナいが、殺してまで見る気はないので黙っている。「とってやらんとんでしまう、早・ くとってやれ」と主人は再び下女を顧みる。おさんはごちそうを半分食べかげて夢から起こされた 時のように、気のない顏をして餅をつかんでぐいと引く。寒月君じゃないが前歯がみんな折れるか と思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情け容もなく引っぱ るのたからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからす」という第四の真理を 経験して、けろけろとあたりを見回した時には、家人はすでに奥座敷へはいってしまっておった。 こんな失敗をした時には内にいておさんなん ( てに顔を見られるのもなんとなくばつが悪い。、 第 : 」みけこ そのこと気をかえて新道の二弦琴のお師匠さんの所の三毛子でも訪間しようと台所から裏へ出た。 ~ 5 一な - つか 三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている。 はうゆう うちで主人の苦い顔を見たり、おさんのけんつくを食って気分がすぐれん時は必す一、の異性の朋友 のもとを訪間していろいろな話をする。すると、 いつのまにか心がせいせいして今までの心新も苦 労も何もかも忘れて、生まれ変わったような心持ちになる。女性の影響というものはじつに莫大な すきかンさ ものだ。杉垣のすきから、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして る行儀よく縁側にすわっている。その背中の丸さかげんがいうにいわれんほど美しい。曲線の美を尽 でくしている。しつぼの曲がりかげん、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振るけしきなども とうてい形容ができん。ことによく日の当たる所に暖かそうに、品よく控えているものだから、か 五〔らたは静粛端正の態度を有するにもかかわらず、ビロ 1 ドを欺くほどのなめらかな満身の毛は春の こうこっ 光を反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚としてながめて 、たが「やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」と言いながら前足で招いた。 ものう っ

5. 吾輩は猫である

355 たのには驚いた。それから頬っぺたにかかる。ここにはだいぶ群をなして数にしたら、両方を合わ せて約二十粒もあったろう。姉はたんねんに一粒すっ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の 顔じゅうにあるやつを一つ残らず食ってしまった。この時たた今まではおとなしくたくあんをかし っていたすん子が、急に盛りたての味噌汁の中からさつま芋のくすれたのをしやくい出して、勢い よく口の内へほうり込んだ。諸君も御承知であろうが、汁にしたさつま芋の熱したのほどロの中に こたえるものはない。おとなですら注意しないと焼けどをしたような心持ちがする。ましてすん子 のごとき、さつま芋に経験の乏しい 者はむろん狼狽するわけである。す ん子はワッと言いながらロ中の芋を 食卓の上へ吐き出した。その二、三 片がどういう拍子か、坊ばの前まで しいかけん すべ ? て来て、ちょうど、 な距離でとまる。坊ばはもとよりさ つま芋が大好きである。大好きなさ つま芋が目の前へ飛んで来たのたか ら、さっそく箸をほうり出して、手 づかみにしてむしやむしや食ってし まった 0 さっきからこのていたらくを目撃

6. 吾輩は猫である

三毛子は「あら先生 , と縁をおりる。赤い ~ 目輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になっ たら鈴までつけたな、どうもいい音たと感心している間に、吾輩のそばに来て「あら先生、おめで とう」と尾を左へ振る。われら猫属間でお互いに挨拶をする時には尾を棒のごとく立てて、それを 左へぐるりと回すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩・ うち は前回断わったとおりまた名はないのであるが、教師の家にいるものたから三毛子だけは尊敬して 先生々々と言ってくれる。吾輩も先生と言われてまんざら悪い心持ちもしないから、はいはいと爆 けしよう 事をしている。「やあおめでとう、たいそう立派にお化粧ができましたね」「ええ去年の暮れお師匠 いでしよう」とちゃらちゃら鳴らしてみせる。「なるほどいい音で さんに買っていたたいたの、 すな、吾輩などは生まれてから、そんな立派なものは見たことがないですよー「あらいやた、みんな あたしうれしいわ」とちゃらち・ ぶらさげるのよーとまたちゃらちゃら鳴らす。「いし 、音でしよう、 やらちゃらちゃらつづけざまに鳴らす。「あなたのうちのお師匠さんはたいへんあなたをかあいか あんきんせん っているとみえますね」とわが身に引きくらべて暗に欣まの意をもらす。三毛子は無邪気なもので ある。「ほんとよ、まるで自分の子供のようよ」とあどけなく笑う。猫たって笑わないとは限らな 人間は自分よりほかに笑える者がないように田 5 っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻 のどまとけ のあなを三角にして咽喉仏を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはすである。「いったいあ なたのとこの御主人 . はなんですか」「あら御主人たって、妙なのね。お師匠さんたわ。二弦琴のお 師匠さんよー「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔は立派なかた なんでしような」「ええ一 ひめこまっ 君を待っ間の姫小松 : あいさっ

7. 吾輩は猫である

へ回る。「なあに、そんなにたいへんなこともないんです、登場の人物はお客と、船頭と、花魁と けんばん 仲居とやり手と見番だけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名を聞いてち よっと苦い顔をしたが、仲居、やり手、見番という術語について明瞭の知識がなかったとみえてま しようか ず質間を呈出した。「仲居というのは娼家の下婢にあたるものですかな」「またよく研究はしてみま おんなべや せんが仲居は茶屋の下女で、やり手というのが女部屋の助役みたようなものだろうと思います」東 こわいら 風子はさっき、その人物が出て来るように声色を使うと言ったくせにやり手や仲居の性格をよく解 しておらんらしい。 「なるほど仲居は茶屋に隷属する者で、やり手は娼家に起臥する者ですね。大 に見番というのは人間ですかまたは一定の場所をさすのですか、もし人間とすれば男ですか女です つかさ か。「見番はなんでも男の人間たと思います , 「何を司どっているんですかな。「さあそこまではま だ調べが届いておりません。そのうち調べてみましようこれで掛け合いをやったひにはとんちん かんなものができるだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外まじめである。「そ れで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士の くちひけ 君でしたが、ロ髯をはやして、女の甘ったるいせりふを使うのですからちょっと妙でした。それに るその花魁が癪を起こすところがあるので : : : 」「朗読でもを起こさなくっちゃ、いけないんです かーと主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情がたいじですから」と東風子はどこまでも文 芸家の気でいる。「うまく癪が起こりましたか」と主人は警句を吐く。「績たけは第一回には、ちと 吾無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君はなんの役割でした」と主人が聞く。「私は船頭」 「へー、君が船頭」君にして船頭が務まるものならぼくにも見番ぐらいはやれるといったような語 気をもらす。やがて「船頭は無理でしたか」とお世辞のないところを打ち明ける。東風子はべった

8. 吾輩は猫である

100 いくずれる。鼻子ばかりは少しあてがはすれて、この際笑うのははなはた失礼だと両人をにらみつ おっしやるとおりだ、ねえ苦沙弥君、全く ける。「あれがお嬢さんですか、なるほど一、りやい 寒月はお嬢さんを恋ってるに相違ないね : : : もう隠したってしようがないから白状しようじゃな、 か」「ウフン」と主人は言ったままである。「ほんとうにおしなさってもいけませんよ、ちゃんと 種は上がってるんですからね。と鼻子はまた得意になる。「こうなりやしかたがない。なんでも寒 月君に関する事実は御参考のために、陳述するさ、おい苦沙弘君、君が主人たのに、そう、にやにや 笑っていてはらちがあかんじゃないか、じつに秘密というものは恐ろしいものたねえ。いくら隠し 、しかし不思議といえば不思議ですねえ、金田の奥さん、ど ても、どこからか露見するからな。 うしてこの秘密を御探知になったんです。じつに驚きますな」と迷亭は一人でしゃべる。「わたし のほうたって、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり歿をする。「あんまり、ぬかりがなさす ぎるようですぜ。いったいだれにお聞きになったんです」「じきこの裏にいる車屋のかみさんから です、「あの黒猫のいる車屋ですか」と主人は目を丸くする。「ええ、寒月さんのことじゃ、よっぽ ど使いましたよ。寒月さんが、ここへ来るたびに、どんな話をするかと思って車屋のかみさんを頼 んで一々知らせてもらうんです」「そりやひどい」と主人は大きな声を出す。「なあに、あなたが何 をなさろうとおっしやろうと、それにかまってるんじゃないんです。寒月さんのことたけですよ」 「寒月のことたって、だれのことたってーー - ーせんたいあの車屋のかみさんは気にくわんやった」と かきね 主人は一人お一、り出す。「しかしあなたの垣根の外へ来て立っているのは向こうのかってじゃあり ませんか話が聞こえて悪けりやもっと小さい声でなさるか、もっと大きなうちへおはいんなさる ーんみちにけん 「車屋ばかりじゃありません。新道の二弦 力いいでしよう」と轟子は少しも赤面した様子がない。

9. 吾輩は猫である

354 の中へ受納した。打ちもらされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬っぺたとあごとへ、や っと掛け声をして飛びついた。飛びつぎ損じて畳の上へこぼれたものは打算の限りでない。すいぶ ん無分別な飯の食い方である。吾輩はつつしんで有名なる金田君および天下の勢力家に忠告する。 公らの他をあっかうこと、坊ばの茶わんと箸をあっかうがごとくんば、公らのロへ飛び込む米は きわめて僅少のものである。必然の勢いをもって飛び込なにあらす、とまどいをして飛び込むので ある。どうか御再考をわすらわしたい。世故にたけた敏腕家にも似合わしからぬことだ。 姉のとん子は、自分の箸と茶わんを坊ばに略奪されて、不相応に小さなやつを持ってさっきから 我慢していたが、もともと小さ過ぎるのたから、 いつばいにもったつもりでも、あんとあけると三 ひんばん ロほどで食ってしまう。したがって頻繁にお櫃の方へ手が出る。もう四膳かえて、今度は五杯目で ある。とん子はお櫃のふたをあけて大きなしやもじを取り上げて、しばらくながめていた。これを 食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものとみえて、焦げのなさそうな 所を見計らってひとしやくいしやもじの上へ乗せたまでは無難であったが、それを裏返して、ぐい と茶わんの上をこいたら、茶わんにはいりきらん飯はかたまったまま畳の上へころがり出した。と ん子は驚くけしきもなく、こぼれた飯を丁寧に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんな お櫃の中へ人れてしまった。少しきたないようた。 坊ばが一大活躍を試みて箸をはね上げた時は、ちょうどとん子が飯をにそいおわった時である。 さすがに姉は姉たけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、たいへんよ、 そうじ 顔がごぜん粒だらけよ」と言いながら、さっそく坊ばの顔の掃除にとりかかる。第一に鼻のあたま すぐ自分のロの中へ人れてしまっ に寄寓していたのを取り払う。取り払って捨てると思いのほか、

10. 吾輩は猫である

174 「奥さん。よか天気でござります」と唐津なまりかなんかで細君の前にズボンのまま立てひざを 「おや多々良さん」 「先生はどこぞ出なすったか」 いえ書斎にいます」 「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」 「わたしに言ってもためたから、あなたが先生にそうおっしや、 「そればってんが : と言いかけた三平君は座敷じゅうを見回して「きようはお嬢さんも見え んな」と半分細君に聞いているや否や次の間からとん子とすん子が駆け出して来る。 「多々良さん、きようはお寿司を持って来て ? 」と姉のとん子は先日の約東を覚えていて、三平 君の顏を見るや否や催促する。多々良君は頭をかきながら 「よう覚えておるのう、この次はきっと持って来ます。きようは忘れた」と白状する。 「いやーた」と姉が言うと妹もすぐまねをして「いやーだ」とつける。細君はようやくごきげん えがお が直って少々笑顏になる。 「寿司は持って来んが、山の芋はあけたろう。お嬢さん食べなさったかー 「山の芋ってなあに ? 」と姉が聞くと妹が今度もまたまねをして「山の芋ってなあに ? 」と三平 君に尋ねる。 「また食いなさらんか、早くおかあさんに煮ておもらい。唐津の山の芋は東京のとは違ってうま かあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気がついて