りて、念怫まうしさムらふびとを、わが弟子とまうすこときはめたる荒凉のこと」 であるからである。加ち眞宗の信心は、人間の計ひによりて傅はるのではない。先 きに法を聞けるものは、後ちに法を聞くものの縁となるのみである。その後ちに法 を聞くものも、先きに法を聞けるものの願生心を深むる縁となれば先後といふこと すらも假の名に過ぎぬであらう。 こ、に吾等は眞宗の敎法の傅はることは、明かに知識が傅はることと同一でない ことを知る。種々の學間・技藝の知識は、先覺者によりて後覺者へと傳はる。そこ 抄には後覺者を誘導して淳々として俺まざる先覺者の敎授がある。さればそこには當 絜弟の關係があり、隨てわが弟子ひとの弟子といふ別もあることである。狒敎に 於ても、その學道を本とし修行を要とする宗旨にありては、この師弟關係は特に深 かるべきものであらうか。されど「ひとへに彌陀の御もよほしにあづかりて念邯す る」眞宗は、かゝる方法によりて傅へらるゝものではない。それと同時に眞宗の敎 歎
抄異歎 て彼のシごフィエルマツへルが宗教の哲學的理解と道德的信仰とに對して、絶對依 憑の感情を高調せるにも類比すべきであらう。されは唯圓の歎異も單に唯鬩の時代 に止まるものではなく、それは宗敎の常に陷り易き術執に對して、眞實の道を語る ものであらねばならぬ。 專修賢善計は、明かに道徳の立場に拘はって、宗敎の領域を知らざるより生する ものである。若し道徳の立場を以て改惡修善にありとすれは、宗敎の冂指すところ は一應拔苦與樂にありといって善いであらう。道德は人生の規範である。それ故に 人は人生生活を爲す限り、惡を捨てて善に就かれはならぬ。道徳を無視しては社會 は成立せす、その人は人であることは出來ぬのである。それだけ深く善惡の思想は 人間を支配してゐるのである。されば吾等はこの世にある限り、惡人は貶せられ善 人は稱せらる & ことを當然とせねばならぬであらう。併し宗敎の領域にありては、 その「惡」人たると「善」人たるとを間はす、たゞその「人」が間題となるのであ
そこに吾等は親鷺その人の面冂を見るのである。 併し親鸞の自證よりいへば、それは親鷺自身の選べる態度ではなくして、如來の 敎法そのものが親鸞をしてこの態度を取らしむるのである。換言すれば眞宗の敎法 は、何人にも自ら師を以て居ることを許さざるものである。印ち師を以て居らざる ことは親鷺の「人」徳にあらすして、眞宗の「法」德である 9 十方衆生を救はんと の大悲の心は、常に十方衆生を代表して聞くべく、また常に十方衆生の中に自己 を見出して聞こゆるものであらう。そこには特に無邊の熕海に目覺めたるものの 態度があるのである。印ち親鸞の同朋感は、特に人生の現實を見るところから生ぜ るのである。それは眞宗の敎法は、特に地上の救であることを顯はすものである朝 親鸞は弟子一人も有たない。「そのゆへは、わがはからひにて、びとに念佛をまう させさふらはゞこそ、弟子にてもさふらはめ、びとへに彌陀の御もよほしにあづか
端の坊は京都六條邊に在りし寺で、室町中期頃より記録に見えるが、共後如 何になりしか詳かでない。この端の坊所藏の古寫本は近年大谷大學に數本蒐集 され、その中に斯鈔が一一本ある。このうち一本は粘葉綴の最後の綴目に「永正 十六ウノトシ十二月十三日」と書寫年代が見られる。而してこれは附録と蓮如 の跋をそなへ、大體蓮如本と同一體我のものの如くである。他の一本は附録も 跋文もなく、文體も極めて不備で、書寫年代も不旧 ) なるも永正本より後のもの なること明らかである。 以上二本の外、古寫本として注意すべきは慧察本 ( 大谷大學所藏 ) であらう。慧 室 ( 正保五年生、享保六年寂 ) は眞宗大谷派の宗學者で、元祿から享保にわたって 著述に講義に、宗學の興隆に貢獻するところ大なりし人である。彼の藏せる寫本の 聖敎の叢書中に斯鈔が一本ある ) これは恐らくは坊本を集め、内睿に重きをおいて 校訂せるものらしく、行間に所々異本を擧げてゐる 0
「彌陀の五劫思惟の願をよく / 、案すれば、びとへに親鷺一人がためなりけり。さ ればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめ [ たちける本 願のかたじけなさよ」といふものである。こゝでも如來の本願を、「たすけんとおぼ しめしたちける」といふ原始の相で顯はしてある 9 眞宗の信仰を求むる人は、兎も 解すれば「必すたすけたまふ本願の力」を要求する。併し本願の彜さは「たすけんと おぼしめしたちける」ところにあるのではないであらうか。たすくる力も外にある のではない、たすけんとのむにしめしの内にあるのである。かくして親鸞は行信の 題現はれたるものや、その結果に執 ( られすして、常に行信そのものの原始的な相に 歸らんとせるのである。而してそれこそは眞に現實動亂の人生に於ける宗敎的行信 の意義に契ふものではないであらうか。 人は法を所有せざれども、法は人を所有する。それ故に人「法」を私せざれば '
異 経株をよみ學すといへども、聖敎の本意をこゝろえざる 「ゆくぢ」行く路、筋道のこと 條、もとも不便のことなり。一文不通にして經釋のゆく ぢもしらざらんひとの、となへやすからんための名號に おはしますゅへに、易行といふ。學間をむれとするは聖 道門なり。難行となづく。あやまて學間して名聞利養の おもびに仕するひと、順次の往生いかゞあらんすらんと いふ證文もさふらふぞかし。、 専修念佛のびとと聖フカシ」法要本、永正本「ベキ 「法論」假名本、永正本「訂論」 道門のひと、法論をくはだてて、わが宗こそすぐれたれ、 ひとの宗はをとりなりといふほどに、法敵もいできたり 謗法もをこる。これしかしながら、みづからわが法を破 謗するにあらすや。たとひ諸門こぞりて、念佛はかびな 「利養」名利供養
と誓はせらる、ことに於て、心貧しき吾等のものとなるのである。宗敎の領域は超 道徳的であるとはいへ、敢て人生を超えたる高みにあるのではない、却て無善無德 を悲しむものの心ろ近くに現はれるのである 9
法は郵てその「人」となる。されば人は本願の行信を執することなければ、本願の 行信は却てその人を攝取して捨てぬであらう。誠にこゝにこそ宗敎的なる「人」が あるのである。 宗敎的の「人ーが斯かる意味のものであることを、最も善く現はすものは、斯鈔 歎第七章の「念佛者は無の一道なり」といふ言葉である。こゝでは念佛者が道であ るのである。若し人と法を別っ立場からいへば、念佛は無の一道であっても、念 , 佛者を無礙の一道といふことはいへぬであらう。併し念佛と念佛者とを別つが如き 抄よ準に彳」 ー当 ) 抽象的な思想に過ぎない。「念佛中さんと思び立っこ & ろ」が如實の念佛であ れば、その念佛の外に念佛者はないのである。その念佛者の外に念佛はないのであ る。それ故に念佛は無礙の一道であるといふよりは、念佛者は無礙の一道でわると いふことは、一脣直接なる言び現はしであるといふべきであらう。或はこの念佛者 の者字は、「は」を漢字で書けるもののあったところから重複して「者は」となった
きびとのためなり、その宗あさしいやしといふとも、さ らにあらそはすして、われらがごとく、下根の凡夫、一 文不通のものの、信すればたすかるよし、うけたまはり て信じさふらへば、さらに上根のびとのためにはいやし くとも、われらがためには最上の法にてまします、たと 異び自徐の敎法はすぐれたりとも、みづからがためには、 器量をよばざればっとめがたし、われもびとも生死をは なれんことこそ、諸佛の行一意にておはしませば、御さ またげあるべからすとて、にくひ氣せすば、たれのびと「にくひ氣」い綛 かありてあだをなすべきや。かつは諍論のところには、 もろ / 、の煩惱をこる、者遠離すべきよしの證文さふ
異 さふらふぞとこそ、故聖人のなほせにはさふらびしか。 ト六 一信心の行者、自然にはらをもたて、あしざまたる ことをもおかし、同朋同侶にもあびて、口論をもしては かならす廻心すべしといふこと、この條、斷惡修善のこ こちか。一向専修のびとにをいては、廻心といふこと、 たゞびとたびあるべし。その廻心は、冂ごろ本願他カ眞 宗をしらざるひと、彌陀の智慧をたまはりて、日ごろの こ、ろにては、往生かなふべからすとおもびて、もとの こゝろをびきかへて、本願をたのみまいらするをこそ、 廻心とはまうしさふらへ。一切の事に、あしたゆふべに 廻心して、往生をとげさふらふべくば、びとのいのち