端の坊は京都六條邊に在りし寺で、室町中期頃より記録に見えるが、共後如 何になりしか詳かでない。この端の坊所藏の古寫本は近年大谷大學に數本蒐集 され、その中に斯鈔が一一本ある。このうち一本は粘葉綴の最後の綴目に「永正 十六ウノトシ十二月十三日」と書寫年代が見られる。而してこれは附録と蓮如 の跋をそなへ、大體蓮如本と同一體我のものの如くである。他の一本は附録も 跋文もなく、文體も極めて不備で、書寫年代も不旧 ) なるも永正本より後のもの なること明らかである。 以上二本の外、古寫本として注意すべきは慧察本 ( 大谷大學所藏 ) であらう。慧 室 ( 正保五年生、享保六年寂 ) は眞宗大谷派の宗學者で、元祿から享保にわたって 著述に講義に、宗學の興隆に貢獻するところ大なりし人である。彼の藏せる寫本の 聖敎の叢書中に斯鈔が一本ある ) これは恐らくは坊本を集め、内睿に重きをおいて 校訂せるものらしく、行間に所々異本を擧げてゐる 0
本 原型的と思はる、二本のうち、蓮如本はいまだ不幸にして拜見の榮をえない。併 し蓮如本をそのま、拜寫せりといふ梅原眞隆氏の『歎異鈔の意譯と解詭』の本文に より窺ふに、蓮如本と永正本との間には大分差異が存する。永正本は蓮如の跋文を そなへ、而して永正十六年は蓮如減後僅々二十年にすぎぬ。しかし兩本の相違點は 單なる誤寫程度のものではない。これらを詳細に調べるとき、永正本は蓮如本とは 版本としては元祿頃からしば / 、上梓され、現在でも多數存してゐるやうであ る。一二管見に人ったもの、及び慧室本などより推察するに、種々雜多ではあるが 徐り注目すべき程のものは存せぬゃうである。けだし時代はおくれるが、西本願寺 の開版になる眞宗法要中の一本と、東本願寺開版の假名聖敎中の一本とは却って整 ったもののやうである。
い る こ ゝ で 私 え・し ら の に 感 の 思 を 表 し ま た 園 の 功 を 記 し て 置 き な を め そ ネし の 先 の 見 を ね て く ら れ た の で こ 本 が 出 來 た 次 第 で あ 本 異 諸 が 諸 園 學 た し は 熕 を 君 諸 の 園 學 法 fH1 に 特 ーよ て 就 に 成 編 の 、本 本 親 し ま れ ん こ と を む こ と で あ る く に 力、 に 釋 の こ き . 重 に り 徐 は 者 淑 ば れ さ い な は で の も る せ 盡 思 分 そ れ 唯 た 何 人 に も 理 解 し . 易 か ら し た い と い ふ : 老 婆 過 ぎ な い の で 勿 論 註 解 は 特 に 解 は る 國 及 佛 敎 の 専 に 附 せ る こ と る が 原 本 で は と こ ろ 漢 に 假 て ゐ る が は イ恥 用 な れ た
35 斯鈔には古寫本・古版本ともに數本づゝ存し、しかもいづれも皆な幾分づ、相違 してゐるやうである。しかしこれらは總べて助詞や假名遣の上の差異にとゞまり、 文意に相違を來たすやうなものは、ほとんど見當らぬゃうに思ふ。 これら異本中、特に原型的なるものとして左の二本を擧げねばならぬ。 一蓮如本 ( 西本願寺所藏 ) 蓮如 ( 願永二十二年生、明應七年寂 ) の書寫になるといはれ、卷末に蓮如の 跋文あり、現存するもののうち最古のものと稱せらる。 二端の坊永正本 ( 大谷大學所藏 ) 異本
別系統に屬し、しかも一脣原型的なものといはねばならぬもののやうに思はれる曾 まづ全體として、蓮如本はよく整は、ほとんど不備が見當らぬに對し、永正本は 俥寫中の誤寫落と思はれる所や、不適當な用語など數個所存してゐる。しかし史 月・第計筆に於て注目すべき差異を示し ー・ = にれー歩照するとき、兩本は段名造 てゐる。まづ假名遣では、一般に平安末期から鎌倉時代は非常に假名遣の紊亂しな 時代であり、この紊亂は室町時代に到って徐々に統一されて行ったやうである。從 って兩本共に假名遣は、親鸞のものなどに比しては非常に整ってゐる。しかし兩本 相五を比較するとき、永正本の方が甚しく亂れてゐることが知られる。一例を擧ぐ れば「オ」と「フ」の混亂である ) この混亂は如本では僅か三四に止まるに對 し、永正本では非常に多く、しかもその多くは「オ」を「フ」で表記せるものでわ る。一般にこの紊亂の時代には「オ」と「フ」はほとんど區別されすに用びられ、 面してそこでは多く「ヲ」の字が用びられたやうである。また候は永正本は「さふ、 抄 異
らふ」とあり、蓮如本では「さふらう」とある ) 候は「さふらふ」が原型で、鎌倉 時代は大體「さふらふ」が用ひられてゐるといはれる。次に用語では先づ歎異鈔の 鈔の字である。「歎鈔」なる語は表題と後序の「名けて歎異鈔といふべし」との二 個所に出てゐるが、蓮如本は全部鈔の字を、永正本は全部抄の字を用ひてゐる。元 來鈔と抄は意味上は何等區別されぬ文字で、親鸞の『唯信鈔文意』などに見るも兩 者は全く區別なく竝用されてゐる。而して注意すべきことは、これら聖敎類も比較 的後代に出來た寫本及び版本に於ては抄はほとんど鈔に改められてゐる。これは後 代に到って兩文字の意味を區別し、は單なる抄出とし、鈔には摘要の意味を附與 して特にこれを重視せることに起因する。この外、永正本には内容上不適當と思は れる用語が二三見える。・この點、蓮如本はよく整ってゐる。しかし兩本の相違點と して最も口につくものは助詞の相違である。助詞はそれ自身としては文章の主要部 をなすものではない。しかし一個の助詞は文章を生命づけ、感情のデリケ】
み依夛之 , 竊ラ 以有ゥ 之親う 見 : 知チ 有粗ー 後勘彦 ⅱ莪 に た ィ簔之 , れ ィ懿疑ギ とⅱ いイく ふ弘 彌顯 陀の の略 願イく は顱 弘と くも ム ー 1 ルヾ ノし 假 名ー 本 正 本 ー 1 聊→ ' 爲 : 偏 ! 聖を之 , 人う 御ま ロロリ 者趣他 : 不フ所 : 之ノ 覺自 悟見 の 名悟 、自 永己 本正流 オくの 永見 正覺解 自 魯ク者 パ匠ゴ カ ! 道い とふ易 いに行 ふ對 し自 てカ 他 カー百 淨の 土敎 のを 敎難 た行 易道 爭彑 亂を入帚績 : す一 1 る知 師識 を善 . い知 ふ識 の 佛 道 教 小 当 1. 信 : 田を オ苫 易。之 , 歎そ = オ 名 正 本 オ 予 異 ー 1 ダ ノレ コ ト ダ ル ト 假 名
抄異 こらの念佛は、みなことる、く如來大悲の恩を報じ、徳 を謝すとおもふべきなり。念佛まうさんごとに、つみを ほろぼさんと信ぜんは、すにわれとつみをけして、往「ゼン《履名本、永正本「ゼ・ 0 生せんとはげむにてこそさふらふなれ。もししからば、 一生のあびだ、おもひとおもふこと、みな生死のきづな にあらざることなければ、いのちつきんまで念佛轉せ すして往生すべし。たゞし業報かぎりあることなれば、 いかなる不思議のことにもあひ、また病惱苦痛をせめて、 正念に住せすしてをはらんに、念佛まうすことかたし。 そのあびだのつみは、いかゞして滅すべきや。つみきえ ざれば往生はかなふべからざるか。攝取不捨の願をたの 「不義のこと」不慮の出來事 「苦騰あせめて、」法要本「苦痛せ あて」 「ランこ法要本、永正本「ラン」
則きを生き / 、と表現して、文章の迫力をすものである ) それ故、助詞の效果的な 使用は單なる技巧上の間題ではなく、直ちにその裏に然か書かしめた感情の存在を 示すものである。永正本こよ寺こカ可。、 ーー牛ーⅡ言力效果的に使用さかくして斯鈔特有の深 い宗敎感情が一脣豐かにっ鏡く表現されてゐることに注意せしめられる。 以上の諸點を總合して大體次の如く結論しうると思ふ。永正本は書寫年代も新し 歎 蓮如の跋も存するが、兩本は明らかに系統を異にし、永正本は蓮如本より一歩 原型に近いものと思ふ。勿論、原型に近いといふのは單に比較上のことで、いまな 妙鎌倉時代の作と思はれる原本とは餘程の距離を殘すものと思はなければならぬ。た だ現在最も原型的と考へられてわる蓮如本に比して、さらに一歩だけ原型に近づけ るものといひうるにすぎたい )
捗 異 歎 い か べ 白 み さ と て か の び け . ふ き 里 り さ ら こ な る と ら ふ す つ ら の を や と る び ら さ い ・ヘ し へ ろ ら ふ り さ し ふ る 佛 を ひ も ふ る ら と ま も い ら カゝ こ ふ ま て い 0 そ う は づ そ や も な 長 か 佛 す れ に こ し 大 た ら れ 短 に は に と の 念 化 な 方 安 こ 大 か ん 方 0 に 佛 ら 便 養 圓 小 は、 の こ も の 報 力、 こ は を の と 大 か 身 土 分 條 み な の つ は 佛 を は た に た の の 佛 ま り を 不 を か 敎 て を ち た な み ま も さ 可 主 に た に 檀 て も だ 説 ん ち の つ も 波 ど 小 あ な め る 力、 御 羅 り 身 な ん に 念 ら り と 大 0 0 い 小 に と 様 の は は ふ を 法 を 師 行 し 小 円 性 と こ さ び 佛 る 匠 と た と の か む 赤 に も の き を はれれ亶 じは つに、波 つし ぶ六生羅 けひ さ種死密 るき にるの はし很波 かけ 檀く岸 っ端 那はに密 、十度は け引 布種る到 る懸 施を菩彼 のと 意書 の分岸 義つのと に、行譯 0 0 0 「々」燾空本、永正本「々々」 「比興」他のことに引きかけて面 白くいひなすこと 「べカラズサアラノ」假名本、永 正本「・ヘカ一ンズサフラフヤ」