アント - みる会図書館


検索対象: 即興詩人 下巻
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1. 即興詩人 下巻

をりまゐらせそら か知らねど、牢く信じ居參候。生死の境に浮沈し居る此身の、一杯の淸き水を求むべき手は、 あ ぞんし その人の手ならではと存參候。さらばさらば、アント = オの君よ。私の此土に在りての最終の さち 祈疇、彼土に往きての最初の祈疇は、君が御上と、私のらに願ひてえ聚さず、その人の幸あ かいらうちぎり りて成し遂げ給ふなる、君が偕老の契の上とに在るのみなることを、御承知下され度存參候。 そのゆゑ らふたりひと さふら 今更繰言めき候へども、聖母の我等二人を一つにし給はざりしは、其故なからずやは。私は世 めと をりさふら 人にもてはやされ讚め稱へられて、慢心を增長し居候ひぬれば、君にして當時私を娶り給ひな まった しゃうがいあるひ ば、君の生涯は或は幸輻を完うし給ふこと能はざりしにはあらずやと存參候。さらばさらば、 アント = オの君よ。過ぎ去りしは苦痛、現然せるは安樂にして末期は今と存參候。アント = オ の君よ。又マリアの君よ。私の爲めに祈し給へかし。 アヌンチャタ。 ばうぜん 悲歎の橋には聲なく涙なし。我は茫然として涙に濡れたる遺書を瞠親すること久しかりき。暫し ゅ 路ありて、封中より落ち散りたりし一ひら二ひらの紙を取り上げ見れば、一はわが拿破里に往く あと としるして、フルヰアのおうなに渡しし筆の蹟なり。又一はベルナルドオがアヌンチャタに與へ のぞみた ねん・ころ とこふ し文にして、負傷の爲めに床に臥したりし程の、懇なる看護の恩を謝し、今はよしなき望を絶ち あひ もはやロオマ て餘所の軍役に服せんとおもへば、最早羅馬にて相見ることはあらじと書せり。鳴呼、おもひの たた マドンナ この まつご どうし ど ナポリ

2. 即興詩人 下巻

〔けいぼう〕 しづ 何故ともなく馳せし、荊莽の上を踏みしだきつつ徐かに歩める人々を追ひ越し行きぬ。 はるか〔うしろ〕 うさぎ アント = オ、アント = オと呼ぶ公子の聲迥なる後に聞えて、我は始て我にかへりぬ。兎をや獵せ 〔さら〕 〔しゃうちょう〕 んとする、否ずば天馬空を行くとかいふ詩想の象徴をや示さんとすゑと公子語を繼いで云へば、 ら〔きに〕〔なや〕 かれよ ひぎや , 〔さいしよう〕 ジ = ンナロ、否、われ等の跿歩に蹇める處を、渠は能く飛行すと誇るなるべし、いざ我が濟勝の あかし わがかたへ 〔しりへ〕 そなたら 具の渠に劣らぬを證せんとて、我傍に引き傍うて走り聞しぬ。公子後より、汝等は我が夫人の手 たはふれ 〔もと〕 とど ただち を拉きて同じ戲をなすことを要むるにやといふとき、ジェンナロは直に歩を駐めたり。 なほ 酒店に歸り着きし後は、瞽女は影だに見えざりき。その叫びし聲の猶絶間なく耳に聞ゆるを、怪 〔てう〕 ああいやし しとおもひてつくづく聽けば、そは我心跳のかく聞做さるるにそありける。嗚呼卑むべきは我心 をとめ 〔えいげん〕 しゃうがい つひ にもあるかな。少女が胸中の苦を永言して、これをして深く生涯の不幸を感ぜしめ、終にはその 額に接吻して驚かしたるは何事そゃ。そが上にかの接吻は我が婦女に與へたる第一の接吻なり。 かつあへ 少女の貧しきを侮り、その目しひたるを奇貨として、我は我が未た嘗て敢てせざりしところのも けいてう またかく のを敢てしたり。我はベルナルドオを輕佻なりとせり。而るに我が爲すところも亦此の如し。現 たれざいごふ 〔ゆる〕 に塵の世に生れたる人、誰か罪業なきことを得ん。いかなれば我は自ら待っことの寬くして、人 も ひざまづ を責むることの酷なりしそ。われ若し再び腎女に逢はば唯た地上に跪いてこれに謝せん。 ひとたび 一行は車に上りてサレルノに歸らんとす。我は心に今一度瞽女を見んことを願ひしが、人に間ふ ちり ゅゑ れ あなど - ちょ こ

3. 即興詩人 下巻

盡むとしたり。 圏点の句が鵰外の加筆である。まことに言い得て妙なるものがあり、おかみさんとでもいうのが ふさわしい女どうしの立ち話の様子が生き生きと浮んでくる。また、下巻の二〇六ページの、ア ヌンチャタの遺書の書き出し 「文して戀しく懷かしきアント = オの君に申上參候」これに相当する句はテキストに見当らな い。外の創作である。この遺書の主アヌンチャタは、この一句でさながら古典的な深窓の姫君 を思わせる。あるいは、上巻四七ページの 「モンツアノ・アル・ポミドロという旨きものに」「モンツアノ」は「モンガアノ」の誤りで あり、これは子牛のトマト煮であるが、「という旨きもの」の一句によって、少くとも料理の名 称であることはわかるし、ここではそれだけわかれば一応充分である。当時の日本人の知識の程 度を察した上での加筆であろう。も 0 とも、あるいは鴟外も料理の名称という以上に見当がっき かねたのかもしれない。 説省略、圧縮ーーー特に各章の最後の一節ないし数節を省略し、あるいは要約して圧縮する例が 解よく見られる。まず「わが最初の境界」の末尾の「果おほく熟すべしとのたまひき」 ( 上卷二三 。〈 1 ジ ) の次にある原文の一段が省略されている。この例は「美小鬟、印興詩人」「旅の貴婦人」 「もゆる河」「旧覊靭 , 「苦言」「古祠、瞽女」「水の都」「感動、「末路」「流離」の章に見られる。

4. 即興詩人 下巻

CO 舊羈杓 〔と〕 アント = オならすやと呼ぶ聲あり。我に迫りて手を摎れり。初はわれベルナルドオの己れを認め 得たるならんとおもひしが、その面を親るに及びて、そのフアビア = 公子なるを知りぬ。公子は わが昔の恩人の壻にして、フランチ = スカの君の夫なり。我を以て不義の人となし、我に訣絶の 〔うから〕 書を贈れる人の族なり。公子。ここにて逢はんとは思ひ掛けざりき。夫人に語らば定めて喜ぶこ 〔はや〕〔われら〕〔たづ〕 とならん。されどいかなれば夙く我們を訪ねんとはせざりし。カステラマレに來てより既に八日 〔きみたち〕 〔すこ〕 しこう になりぬ。われ。君達のここに在すべしとは、毫しも思ひ掛けざりき。そが上わが伺候を許し給 はんや否やだに知らねば。公子。現にさることありき。おん身は昔にかはる男となりて、婦人の ために人と決鬪し、脱走したりとの事なりき。そは我とても好しとは思はす。をち君のことば短 〔あらまし〕 なる物語にて、その概略を知りし時は、我等もいたく驚きたり。おん身はをち君の書を獲たるな 〔きづな〕 らん。その書は優しき書にはあらざりしならんといふ。我はこれを聞きつつも、むかしの羈杓の 〔かこ〕 再び我身に纏るるを覺えて、只だ恩人に見放されたる不幸なる身の上を佗ちぬ。公子は我を慰め がほに、又詞をいで云ふやう。否々、おん身を見放さんはをち君の志にあらず。我車に上りて ふみ わが まつは ことば 〔きうぎてき〕 むこ おの

5. 即興詩人 下巻

かつけっっふみたま つも、我は心の内に名状し難き咸物の迫り來るを覺えき。我は今曾て訣絶の書を賜ひし舊恩人を ま もてなし 拜せざるべからず。その待遇は果していかなるべきか。我はここに至りて、復たこれを避けんと たと ( あがき〕なほはなは 欲することなく、却りて二馬の足掻の太だ遲きを恨みき。譬へば死の宣告を受けたるものの、 早く苦痛の境を過ぎて彼岸に達せんことを願ふが如くなるべし。 とど いざな 車はポルゲエゼの館の前に駐まりぬ。僮僕は我を誘ひて、館の最高層に登り、相接せる二小房を ゅびさ わがかうり 指して、我行李を卸さしめき。 〔しばし〕 少選ありて食卓に呼ばれぬ。われは舊恩人たる老公の前にでて、身を僂めて拜せしに、アント のたま ニオが席をば我とフランチェスカとの間に設けよと宣給ふ。是れ我が久し振にて耳にせし最初の 一語なりき。 せきじつあやまち おもんばか 會話の調子は輕快なりき。われは物語の昔日の過に及ばんことを慮りしに、この御館を遠ざか 〔もてな〕 りたりしことだに言ひ出づる人なく、老公は優しさ舊に倍して我を歇待し給ひぬ。されどわれは ま じよ ゅゑん 途此一家の復た我に厚きを喜ぶと共に、人の我を恕するは我を輕んずる所以なるを思ふことを禁じ 得ざりき。 125 この たち おろ ひがん しもペ かろ 〔かが〕 ぶり 〔みたち」

6. 即興詩人 下巻

280 ストの誤りの踏襲もの例であろう。その他⑧⑤の類は巻末の注に一応示したので、ここでは④ の例を一つあげてみる。下巻一一三二ページ 舟は石穴のロに到りぬ。 : われ等は身を舟中に横へしに、ララは屏息して緊しく我手を握り 圏点の箇所は鴟外の書き換えで、このあたりの数行だけでみればまことに結構である。しかし前 のページに「舟はおのおの二客を舳と艫とに載せて、漕手は中央に坐せり。」とある。この「お のおの二客を : : : 」は前と後に二人ずつ ( とすれば一そうに四人の客 ) の意味ではなく、前と後 に一人ずつ ( 一そうに二人の客 ) の意であろう。 ( 原文は Jed 窃 Boo ニら ( e nu 「 zwei pe 「 sonen. an 」 edem Ende saß eine und de 「 Rude 「 e 「 in de 「 Mitte. ) とすれま、 ( いくら小舟でも、漕手を間にし て前と後に離れているのでは、ララがアント = オの手を握るのは無理ではあるまいか。凝り過ぎ たための思わぬミスである。 「即興詩人ーの文章は、国語と漢文、雅言と俚辞の調和融合を意図したという ( 第十三版題言 ) 。 すなわち王朝文学のスタイル、伝統的な雅文雅語は優美ではあるが、力強さ、直接性等に乏しい その欠点を漢語漢文の簡潔な力強さ、俗語の直接性によって補い、西洋文学の訳出に堪え得る文 章を作ろうとしたのである。その意図は一応成功し、擬古文として優雅華麗に洗練をきわめつつ しかもよく西洋の香りをただよわせ、かっ力強くリズミカルであり、朗読によく暗誦によい文章

7. 即興詩人 下巻

みなんとす。 むとせ この六年の歴史はわが受けし精神上敎育の歴史なり。この敎育は人の師たるを好むもののことさ らに設けたる所にして、不便なる我はこれを身に受けざること能はざりしなり。人々は我を善人 きそ とし、我に棄て難き機根ありとして、競ひて自ら敎育の任を負へり。恩人はその恩を以て我に臨 みて我師たり。恩人ならぬ人はわが人好きに乘じて借して我師となれり。我は忍びて無量の苦を 受けたり。そは敎育といふを以ての故なり。 主公はわが學の膚淺なるを責め給へり。我はいかに自ら勵まんも、わが一書を讀みたる後、何物 そのくわんさつうち か我胸中に殘れると問はば、そはただ其卷册の裡より我心に適へるものを抽き聞し得たりといふ と のみにて、譬へば蜂の百花の上に翼を休めて、唯だ一味の蜜を採らんが如くなるべし。こは老保 まら ) ど の喜び給ふところにあらざりしなり。家の常の賓客、その他われを愛すといふ人々には、おの 〔がふりさう〕 おのその理想ありて、われを測るにその合理想の尺度をもてす。人々いかでかわが成績に甘んず 育ることを得ん。數學者はアントニオあまりに空想に富みて、冷靜の資なしと云ひ、儒者はアント 〔ちうじん〕 工オの拉甸語に精しからざることよと云ひ、政治家は稠人の前にありて、ことさらに我に間ふに くるし わが知らざるところの政治上の事をもてし、われを苦めて自ら得たりとし、遊戲をもて性命とせ る貴公子は、また我と馬相を論じて、わが馬を愛することの己れの身を愛するごとくならざるを わが たと 〔ふびん〕 〔ひとよ〕 〔せん〕 かな おの あた

8. 即興詩人 下巻

132 しかう ナ」學士會院 ( アカデミア・チベリナ ) の演壇の、我が上りて詩稾を讀み、又印興詩を吟ずること ぎんしよう を許ししがためなり。されどフランチェスカの君は、會院の吟誦には喝采を得ざるものなしとい ふをもて、わが自負の心を抑へ給へり ハッパス・ダアダアは會院中の最も名高き人なり。その名の最も高きは、その演説し著述するこ けふろ ) との最も多きがためなり。院内の人々は一人としてハツ・ハス・ダアダアの陋陋にして友を排し、 おきな あやま は 5 ・ヘん 褒貶並に過てるを知らざるものなし。されど人々は独この翁の籍を會院に掲ぐるを甘んじ允せり。 けみ ひたすら ( イ ( ス・ダアダアは、、意を得て、只管書きに書き説きに説けり。ある日我詩稾を閲し、評し かっ さうはうが て水彩畫となし、ポルゲエゼ家の人々に謂ふやう。アント = オに才藻の萌芽ありしをば、嘗て我 かたは その 生徒たりしとき認め得たりしに、惜いかな、共芽は枯れて、今の作り出すところは畸形の詩のみ。 あるひ アントニオは古の名家の少時の作を世に公にせしものあるを見て、或はおのれのをも梓行せんと くはだて あざけり することあらんか。そは世の嘲を招くに過ぎず。願はくは人々彼を諫めて、さる無謀の企を思ひ 留まらしめ給へとそいひける。 アヌンチャタが上はっゅばかりも聞えざりき。アスンチャタは我が爲めには隔世の人たり。され ひややか どこの女子は死に臨みて、その冷なる手もて我胸を壓し、これをして事ごとに物ごとに苦痛を感 ずることよの常ならざらしめしなり。ナポリの旅と當時の記憶とは、なっかしく美しきものなが をなご いにしへ おさ 0 なほ た かっさい カカ わが 〔ゆる〕

9. 即興詩人 下巻

223 わがそば さまもなく、我側に歩み寄りて我胸を抱き、めづらしきかな、アント = オ、われ等の相別れしタは 賑やかなりき、われ等は祝靤をさへ放ちたり、されど想ふに我等の友情は舊の如くなるべしとい はだへあは ここち わづか びぬ。我は肌の粟を生ずる心地しつつ、纔に口を開きて、さてはベルナルドオなりしよ、らざ イタリア ふ、と りき、おん身と伊太利の北のはてなる、アル。ヒイ山の麓にて相見んとはと答へつ。 ら * あたりゆ まち〔くるわ〕 我等は共に歩みて新劇場の邊に往き、轉じて市の廓に入りぬ。ベルナルドオは道すがら語りてい そなたこの ふもと ふやう。汝は此地を指してアル。ヒイ山の麓といへり。われはまことのアルピイの巓に登りて世界 〔よものはて〕 さきナポリ スキス の四極を見たり。曩に拿破里に在りし時、獨逸の士官等の、瑞西の山水を説くを聞き、一たび律 ゃうや いて観んことを願ふこと漸く切なるに、汽船もて達し易きジ = ノワを距ること遠くもあらぬを知 れば、意を決して往くこととしつ。シャム = イの谿をも渡りぬ。モン・フランの頂にも、 = ングフ ラウの頂にも登りぬ。現に = ングフラウは「ベルララガッツア、 ( 美少女 ) なれど、かくまで冷 かなる女子は復た有るべからず。これよりはジ = ノワに往きて、約東せし妻とその父母とを訪は まじめ 離んとす。もはや眞面目なる一家のあるじとならんも遠からぬ程なるべし。汝若し我が昔日の生涯 な を語らず、彼の馴るる小鳥の事、愛らしき歌妓の事などを祕せんと誓はば、われは汝を伴ひてジ ほっそく 〔あす〕 エノワに往くべし。 いかに、三日の後に我と共に發足せずやといひぬ。われ。否々、我は明日此 いづく 地を立たんとす。ベルナルドオ。そは何處へ往くにか。われ。ヱネチアに往くなり。ベルナルド をなご か たに やす

10. 即興詩人 下巻

もたら 免すべき筋の事もなし。けふは何の新しき事を齎し給ふ。佛蘭西新聞には何の記事かありし。昨 さふら 夜はいづくにてか時を過し給ひしと問ひぬ。ジェンナロ。新聞には珍らしき事も候はず。昨夜は 〔とこや〕わづかまっせつ 劇場にまゐりぬ。セヰルラの剃手の僅に末齣を餘したる頃なりき。ジョゼフイインはまことに天 なは ひと 使の如く歌ひしが、一たびアヌンチャタを聞きし耳には、独飽かぬ節のみそ多かりし。さはいへ かの 我が往きしは彼曲のためにはあらず。印興詩を聞かんとてなりき。夫人。その印興詩人は君の心 もろひと に協ひしか。ジ = ンナロ。わが期する所の上にでたり。否、衆人の期せし所の上に出でたり。 ら けいちょ 5 ・ ( つら 我は諛はんことを欲せず。又藝術は我等の批評もて輕重すべきものにあらず。されど我は夫人に おうしゃ 告げんとす。夫人よ、渠の印興詩をいかなる者とか思ひ給ふ。謳者の人物はその詩中に活動して、 なんら 滿場の客はこれが爲めに魅せらるる如くなりき。何等の情そ。何等の空想そ。題にはタッソオあ お カタコン ( んべん り、サッフォオあり、地下窟ありき。篇々皆書に印して、不朽に垂るとも可なるやう思ひ候ひ ぬ。夫人。そは珍らしき才ある人なるべし。きのふ往きて聽かざりしこそ口惜しけれ。ジェンナ こよひ その 司。 ( 我方を見て ) 夫人は共詩人の今宵の客なるをば、まだ知らでやおはせし。夫人。さては刀 トニオなりとか。舞臺にまで上りて、印興詩を歌ひしとか。ジェンナロ。然なり。その歌は舞臺 しばしば ぎりゃう 【ふる〕 の上にも珍らしき出來なりき。されど夫人は舊く相識り給ふことなれば、定めて屡その伎倆を 〔わらペ〕 試み給ひしならん。夫人。 ( ほほ笑みつつ ) まことに、、聞きたり。まだ童なりし頃より、アント 〔ゆる〕 わがかた かれ し フランス た 〔さ〕 さふら