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検索対象: 即興詩人 下巻
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1. 即興詩人 下巻

するたふ 翌晦われはポッジ = と = ネチア屈指の富人某の家に會せり。こはわが出納の事を托したる銀行 あひし の主人なり。會するものはいと多かりしかど、席上一の我が相識れる婦人なく、又一の我が相識 らんことを欲する婦人なかりき。 きえん させう ぎゅ 5 ・ばふ ふなびとわうし 會話は昨夜の暴風の事に及べり。ポッジ = は舟人の橫死と遺族の窮乏とを語りて、些少なる棄捐 せ 5 ・し のいかに大いなる功德をなすべきかを諷し試みたれども、人々は只だその笑止なることなるかな よそ まじめ とて、肩を聳かして相視たるのみにて、眞面目にこれに應ふるものなく、會話は餘所の題目に移 りぬ。 〔ふなうた〕 くして甯は遊褻を竸ふところとなり、ポッジ = は得意の舟歌 ( ルカルオラ ) を歌〈り。われは ひりんあざけ 友の笑を帶びたる容の背後に、暗に富貴なる人々の卑吝を嘲る色を藏したるかを疑ひぬ。舟歌 ひと 躙りしとき、主婦は我に對ひて、君は歌ひ給はずやと問ひぬ。われ、さらば印興の詩一つ試みば むれ やと答〈ぬ。四邊には渠は印興詩人なりと耳語く聲す。婦人の群は優しき目もて我を促し、男子 おく 動等は我をして請〈り。われは「キタルラ」の琴を抱きて人々に題を求めつ。忽ち一少女の臆す いくたり る色なく目を我面に注ぎてヱネチアと呼ぶあり。男子幾人か之に匯じて = ネチア、ヱネチアと反 わうこ 復せり。そはかの少女の頗る美なるが爲めなり。われは絃を理めて、先づ = ネチア往古の豪華を 説きたり。人《は歴史と空想とを編み交ぜたる我詞章に耳を傾け 0 0 、過去の影をもて此現在 それ こた いとをさ たちま この

2. 即興詩人 下巻

落飾 暑き二箇月の間は、館の人々チヲリに遊び給ひぬ。わがその群に入ることを得つるは、恐らくは オリワ アベ・チッサ〔くわんけふ〕よ 小尼公の緩頬に由れるなるべし。橄欖の茂き林、石走る瀧津瀬など、自然の豐かに美しき景色の かっ わが 我心を動すことは、嘗てテルラチナに來て始て海を觀つる時と殊なることなかりき。この山のた ま ロオマちり・ たずまひ、この風の清く涼しきに、我は復たナポリの夢を喚び起すことを得たり。我は羅馬の塵 ちまたこ ごけい 多き衢、焦げたるカム。 ( ニアの野、汗流るる午景を背にせしを喜びて、人々の我を伴ひ給ひしを 謝したり。 うさぎうまの 飾小尼公の侍女と共に驢に騎りてチヲリの谷間に遊び給ふときは、我はこれに隨ひ行くことを許 くわうば / 、 ちと すこふ されたり。姫は頗る自然を愛する情に富みて、我に些の寫生を試みしめ給ひぬ。荒漠たるカムパ ぶだう 〔はたけ〕 〔サン・ビエトロ〕 ようしゆっ ニアの野の盡くるところに、聖彼得寺の塔の涌出したる、橄欖の林、葡萄の圃の綠いろ濃く山 、よほ あつま たきすぢみなぎお Ⅷ腹を覆ひたる、瀑布幾條か漲り墮つるの上にチヲリの人家の簇りたるなど、皆かつがっ我筆に アベイッサしたし わが小尼公に親む心は日にけに増さり行きぬ。われは世の人の皆我敵にして、唯た小尼公のみ味 方なるを覺えき。 おほ たち ま 〔いははし〕 み よ むれ わが た

3. 即興詩人 下巻

「即興詩人」は、アンデルセンのあこがれの国イタリアを舞台にしてくりひろげられる恋の物 語である。一八三三、四年、アンデルセンの最初のイタリア旅行の感激から生れた。イタリアは ヨーロツ。 ( 文化のふるさとであり、とりわけ北欧の人々にとってはあこがれの南欧である。かれ のイタリアへの熱情も終生変らなかった。 物語は、ローマっ子アントニオの不幸な生い立ちに始まって、花やかなカーニヴァルが縁にな った薄命のオペラ女優アヌンチャタとの悲恋、数奇な運命の果てに、かれは即興詩人として名声 を得、ヴ = ネッィア第一の美女マリアと結ばれてめでたく終る。その間に親友の豪放な青年貴族 説ベルナルドオ、美貌の小尼公フラミニア姫、情熱の人妻サンタ等の美男美女、あるいはまた聖母 解のごとき慈愛の老婆ドメニカ、ふしぎな魔女のようなフルキア等を配しつつ、舞台はローマ、ナ ポリ、ヴ = ネッィアにわたるのである。 瞬若い芸術家の青春、かれの悲恋と世に出るまでの物語が、ローマ、ナポリ、ヴ = ネッィアを舞 解説

4. 即興詩人 下巻

136 ゅゑ のたま て、中にもかかる味なき事を可笑しとするは何故ならんなどいふ人さへあり。われ。しか宣給へ とじんし ひとくちばなし ど、今語りしは近頃流行の一口話にて、都人士のをかしとするところなるを奈何せん。夫人。否、 〔かけことば〕たぐひ もてあそ おん身の話は掛詞の類のいと卑しきをさげとせり。人の腦髓のかくまで淺はかなる事を弄ぶこと かく を嫌はざるは、げに怪しき限ならずや。嗚呼、我とても爭でかことさらに此の如き事のために、 我腦髓を役せんや。我は唯だ世の人の多く語るところにして、我が爲めにもをかしとおもはるる まで いっさん たね ものなるからに、人々の一粲を博する料にもとおもひし迄なり。 とっくにびと けんせき 日暮れて客あり。數人の外國人さへ雜りたり。われは晝間の譴責に懲りて、室の片隅に隱れ避け、 つど 一語をだに出ださざりき。人々は圈の形をなして、ペリイニイといふもののめぐりに集へり。こ とんち よはひは さはや 〔いと〕たくみ の人は齢略ぼ我と同じくして、その家は貴族なり。心爽かにして頓智あり、會話も甚巧なれば、 いっせい 人皆その言ふところを樂み聽けり。忽ち人々の一齊に笑ふ聲して、老公の聲の特さらに高く聞え ければ、われは何事ならんとおもひつつ、少しく歩み近づきたり。外るに我は何事をか聞きし。 とが 晝間我が語りて人々の咎に逢ひし、彼一口話は今ペリイニイのロより出でて人々に喝采せらるる くちふり 〔ちと〕 なりき。ペリイニイは一句を添へず又一句を削らず、そのロ吻態度些の我に殊なることなくして、 たなぞこぶ そば 人々は此の如く笑ひしなり。語り畢る時、老公は掌を撫して、側に立ちて笑ひ居たる姫に向ひ、 〔びる〕 いかにをかしき話ならずやと宣給へり。姫、まことに仰せの如くに侍り、けふ午の食卓にて、ア トが たのしき た 〔わ〕 をは たちま の た し へや 〔こと〕 すみ かっさい

5. 即興詩人 下巻

ねられたるかを見ずやと云ひ、語學の師はその會話の妙をたたへ、舞の師はその擧止のけだかさ を讚む。彼の我師と稱するものは、このエ匠等に異ならず。されどわれ若し憚ることなくして、 人々よ、我も一々の美を見ざるにあらねど、我を動かすものは彼に在らずしてその全體の美に在 〔あらは〕 り、是れ我職分なりと日はば、人々は必ず陽に、げにげに我等の敎ふるところは汝詩人の目の説 〔ひそか〕 るところより低かるべしと日ひつつ、陰に我愚を笑ふなるべし。 けた 天地の間に生物多しと雖、その最も殘忍なるものは蓋し人なるべし。われ若し富人ならば、われ たちま そうめい 若し人の廡下に寄るものならずば、人々の旗色は忽ちにして變ずべきならん。人々の聰明ぶり博 しよくかく 識ぶりて、自ら處世の才に長けたりげに振舞ふは、皆我が食客たるをもてにあらずや。我は泣か つばき かたぶ らふか まほしきに笑ひ、唾せんと欲して却りて屈し、耳を傾けて俗士婦女の蝋を嚼むが如き話説を いはゆる ふくま、 よくうつ 聽かざるべからず。所謂敎育は果して我に何物をか與へし。面從腹響抑鬱不平、自暴自棄など きざ ろうしふ にか の惡癖陋習の、我心の底に萌ししより外、又何の效果も無かりしなり。 ゅびさ くわうみやう 育十の指は我があらゆる暗黒面を指し、却りて我をして我に一光明面なしや否やを思はしめ、我 もと おのれ てら かの しかう をして自ら己の長を覓め、自ら己の能を衒はしめたり。而して彼指は又この影を顧みて自ら喜ぶ 情を指して、更に一の暗黒面を得たりとせり。 〔がけん〕 人々はわが我見の強くして固きを難・せり。政治家のわが我見を責むるは、われ心を政況に委ねざ 〔せいぶつ〕 わが た かへ ふるま ら なんち きよし

6. 即興詩人 下巻

へうせつ 「いえっ〕 〔そうちゃう〕 人某の集より剽竊せるかと疑へり。嗚呼、初め我が人をして聳聽せしむべく、怡悅せしむべき旬 きようまた そとおもひしものは、今は人々の一顧にだに價せざらんとす。我は第二折の末に到りて、興全く ま わが 盡きぬれば、人々に謝して讀むことを止めたり。此に至りて、自ら我手中の詩篇を顧みれば、復 〔かの〕 〔さき〕しやくやく た前の綽約たる姿なくして、彼三王日の前夜フィレンチェ市を擔ひ行くなる「べフアアナーとい ガラス 〔にんぎゃう〕 ふ偶人の、面色極めて奇醜にして、目には硝子球を嵌めたるにも譬へつべきものとなりぬ。是れ 聽衆の口々よりきたる毒氣のわが美の影圖をして此の如く變化せしめしにそありける。 おん身のダヰットは市井の俗人をたに殺すことなからん、とはハイハス・ダアダアが總評なりき・ のたま 人々は又評して宣給ふやう。篇中往々好き處なきにあらず。そは情深きと無邪氣なるとの二つに かうべた ここち 本づけりとなり。我は頭を低れて口に一語を聞さず、罪囚の刑の宣告を受くるやうなる心地にて、 ぎようりつ 人々の前に凝立せり。 ハイハス・ダアダアは再びホラチウスの敎を忘れ給ふなと繰返しつつも、 なほいんぎん へやひとすみ 猶慇懃に我手を握りて、詩人よ、懋めよやと云ひぬ。我は室の一隅に退きたりしが、しありて こわだか 公 同じハッパス・ダアダアが、耳疎き人の癖とて、聲高くフアビアニ公子にささやくを聞きつ。そ かっ 尼づざん は杜撰彼篇の如きは己れの未た嘗て見ざるところそとの事なりき。 あた 人々は我詩を解せざらんとせり。又我を解せざらんとせり。こは我が忍ぶこと能はざるところな た 〔カムミノ〕 しかうと Ⅷり。室の隣には、開爐に炭火を焚きたる廣間あり。われはこれに退き入り、手に詩稾を把りて、 それ おの 〔っと〕 よ にな せつ ′、れノ ~ へ

7. 即興詩人 下巻

め〕 禮げなるをさへ忘れんとす。われ。ここに一の奇術あり。そは人々皆詩人となりて、能く詩人の 〔むくい〕 快さを體驗することなり。われは此術を善くすれども、かかる術の常として、報なくては演すべ そばた きにあらず。わが此詞に果して坐客をして耳を敬てしめ、人々は爭び進みて、願はくはその奇術 〔かたがた〕 〔むくい〕 を見ることを得んと云へり。我は側なる卓を指ざして、報せんと思ふ方々は、金錢にもせよ珠玉 たはぶれ たぐひ 首飾の類にもせよ、 . 此上に出し給へと云ひぬ。婦人の一人は戲に、さらば我はこの黄金の鎖を置 〔かるた〕た かんと云ひて、言ふところの品を卓上にてり。一男子は笑ひつつ、さらば我は骨牌の爲めに帶 わがことばざれごと せにいれなげう び來れる此金殘らずを置かんと云ひて、その嚢を擲てり。われ。人々よ、我詞は戲言にあらず、 その 人々は再び其品を得給ふまじといふに、滿座の客は、さもあらばあれ君が奇術こそ見まほしけれ も たぐひうづたか と、金銀、指環、鎖の類を堆く卓上に積みたり。軍服着たる一老人、若しその奇術奇ならざる ときは、われは我が「ヅ力アチイ」二個 ( 約三圓一二十八錢 ) を取り返すことを得んかといひしに、 〔なかま〕 ポッジョは我に代りて、若し疑はしとおもひ給はば、夥件に入り給はでもあるべきにと答へぬ。 〔ま〕ゐ 〔ひたすら〕 動人々はこれを聞きて打笑ひ、只管我が演じいだす所のいかなるべきを俟ち居たり。 まさ くわっみやう われは將に口を開かんとするに臨みて、神の我に光明を與へ給ふを覺えたり。先づュネチアの配 ぎよしゃ 偶なる、威力ある海を敍し、それより海の兒孫なる航海者に及び、性命を一葦に托する漁者に及 せんせき ぐふう げ・ , ばう べり。次に前タの目撃せしところに就きて颶風を敍し、岸に臨みて翹望せる婦幼に及び、十字架 185 この っ いちる お

8. 即興詩人 下巻

126 敎育 ポルゲエゼ家の宮殿は今わが居處となりぬ。人々の我をもてなし給ふさまは、昔に比ぶれば優し ことイ - あなど 〔おこなひ〕 く又親しかりき。時として我を輕んずるやうなる詞、我を侮るやうなる行なきにしもあらねど、 そはわが爲め好かれとて言ひもし行ひもし給ふなれば、憎むべきにはあらざるなるべし。 〔よそ〕うつ ひと たいか 夏は人々暑さを避けんとて餘所に遷り給へば、われ獨り留まりて大厦の中にあり。涼しき風吹き 〔そ〕 初むれば人々歸り給ふ。かくて我は漸く又此境遇に安んずることとなりぬ。 もはや 〔わらは〕 ことま 我は最早カム。 ( ニアの野の童にはあらず、最早當時の如く人の詞どいふ詞を信ずること、宗敎に あた 志篤き人の信條を奉ずると同じきこと能はず。我は最早「ジェスヰタ」派學校の生徒にはあらず ? そくばく うら なは 最早敎育の名をもてするあらゆる東縛を甘んじ受くること能はず。さるを憾むらくは人々、独我 をることカムパニアの野の童、「ジェスヰタ」派學校の生徒たる日と異ならざりき。此間に處 はらんそうでふ して、我は六とせを經たり。今よりしてその生活を顧みれば、波瀾層疊たる海面を望むが如し。 まいぼつをは 好くも我はその測濤の底に埋沒し畢らざりしことよ。讀者よ、わが物語を聞くことを辭まざる讀 者よ。願はくは一氣に此一段の文字を讀み去れ。われは唯だ省筆を用ゐて、その大概を斂して已 あっ み た かろ この この

9. 即興詩人 下巻

132 しかう ナ」學士會院 ( アカデミア・チベリナ ) の演壇の、我が上りて詩稾を讀み、又印興詩を吟ずること ぎんしよう を許ししがためなり。されどフランチェスカの君は、會院の吟誦には喝采を得ざるものなしとい ふをもて、わが自負の心を抑へ給へり ハッパス・ダアダアは會院中の最も名高き人なり。その名の最も高きは、その演説し著述するこ けふろ ) との最も多きがためなり。院内の人々は一人としてハツ・ハス・ダアダアの陋陋にして友を排し、 おきな あやま は 5 ・ヘん 褒貶並に過てるを知らざるものなし。されど人々は独この翁の籍を會院に掲ぐるを甘んじ允せり。 けみ ひたすら ( イ ( ス・ダアダアは、、意を得て、只管書きに書き説きに説けり。ある日我詩稾を閲し、評し かっ さうはうが て水彩畫となし、ポルゲエゼ家の人々に謂ふやう。アント = オに才藻の萌芽ありしをば、嘗て我 かたは その 生徒たりしとき認め得たりしに、惜いかな、共芽は枯れて、今の作り出すところは畸形の詩のみ。 あるひ アントニオは古の名家の少時の作を世に公にせしものあるを見て、或はおのれのをも梓行せんと くはだて あざけり することあらんか。そは世の嘲を招くに過ぎず。願はくは人々彼を諫めて、さる無謀の企を思ひ 留まらしめ給へとそいひける。 アヌンチャタが上はっゅばかりも聞えざりき。アスンチャタは我が爲めには隔世の人たり。され ひややか どこの女子は死に臨みて、その冷なる手もて我胸を壓し、これをして事ごとに物ごとに苦痛を感 ずることよの常ならざらしめしなり。ナポリの旅と當時の記憶とは、なっかしく美しきものなが をなご いにしへ おさ 0 なほ た かっさい カカ わが 〔ゆる〕

10. 即興詩人 下巻

小尼公 135 〔はちゅう〕 しつ。その聲のアヌンチャタが聲にいと好く似たりければ、把住し難き我空想は忽ちはかなき 舊歡の影をおもひ浮べて、彼ポルゲエゼ家の少女の事を忘れぬ。 こ一 〔のたま〕 次の月曜日にはフラミニアこそ歸り來べけれと、老公宣給ひぬ。この詞にあやしく我情を動して、 ろうちゅう おも アベヂッサまた その人と成りしさまの見まほしさはよの常ならざりき。想ふに小尼公も亦我と同じき籠中の鳥な か・こ 【かうしゃう〕 り。こたび家に歸り給ふは、譬へば先づ絲もてその足を結びおき、暫し籠より出だして翔せし 〔きはみ〕 むるが如くなるべし。傷ましきことの極ならずや。 〔ひるけ〕 わが姫の面を見しは午餐の時なりき。げに人傳に聞きつる如くおとなびて見え給へど、世の人の ややあを 〔たぐひ〕すがたかたち 美しとてもてはやす類の姿貌にはあらざるべし。面の色は稍蒼かりき。唯だ惠深く情厚きさ びもく まの、さながらに眉目の間に現れたるがめでたく覺えられぬ。 たれ 食卓に就きたるは近親の人々のみなり。されど一人の姫に我の誰なるを告ぐるものなく、姫も又 我面を認め得ざるが如くなりき。さてわれは姫に對ひてかたばかりの詞を掛けしに、その答いと みうち この〔みたち〕 〔けんち〕 優しく、他の親族の人々と我との間に、何の軒輊するところもなき如し。こは此御館に來てより、 〔もてなし〕 始ての款待ともいひつべし。 きょ , 人々は打解けてくさぐさの物語などし、は笑ひ給ふ。われは覺えず興に乘じて、その頃羅馬に ひとくちばなし か 行はれたりし一口話を語りぬ。姫はこれをも可笑しとて笑ひ給ふに、外の人々は遽かに色を正し たと よ ひとづて をとめ 〔むか〕 わが た たちま ロオマ