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検索対象: 即興詩人 下巻
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1. 即興詩人 下巻

夢幻境 111 わが しゆっ ややくわいふく 〔ちゃ , めい〕 ひややか 我疲勞の稍恢復すると共に、我意識は稍鬯明なりき。我身は冷にして堅き物の上に在り。こ んかうべ しかう このいはは そび へきしよくかう。き は一の巨巖の頭なるべし。而して此巖は高く天半に聳えたるものの如く、彼の光ある碧色の氣 さま 〔さき〕 そらへききゅうりゅう えんする のこれを繞れる状は、前に見しと殊なることなし。天は碧穹窿をなして我を覆ひ、怪しき圓錐形 〔あを〕 あたりせき の雲ありてこれに浮べり。雲の色は天と同じく碧かりき。四邊寂として音響なく、天地皆墓穴の もた しづ 靜けさを現ず。われは寒氣の骨に徹するを覺えたり。われは徐かに頭を擡げたり。我衣は靑き火 しろかね むなし 〔じっ〕 あきらか の如く、我手は磨ける銀の如し。されどこの怪しき身の虚き影にあらずして、實なる形なるは明 むち し まこと なりき。我は疲れたる腦髓に鞭うちて、強ひて思議せしめんとしたり。われは眞に既に死したる あるひなは へきき か、又或は猶生けるか。われは手を展べて身下の碧氣を探りしに、こは冷なる波なりき。されど 〔ひばな〕 そば その我手に觸れて火花を散らす状は、酒精の火に殊ならず。我側には怪しき大圓柱あり。その形 たつまき 〔さき〕 あを きゃうふげん は小なれども、略・ほ前に見つる龍雀に似て、碧き光眼を射たり。こはわが未だ除かざる驚怖の幻 かたみ〔けけん〕 しば 出する所なるか、た未だ減えざる記念の化現する所なるか。暫しありて、われは手をもてこれ を模することを敢てしたるに、その堅くして冷なること石の如くなりき。模して後邊に至れば、 なのらか あんべき 手は堅く滑なる大擘に觸る。その色は暗碧なること夜の天色の如し。 そもそもわれは何處にか在る。前に身下に積氣ありとおもひしは、燃ゆれども熱からざる水なり がんべき き。我四圍を照すものは、彼燃ゆる水なるか、さらずば彼穹窿と巖壁と皆自ら光を放つものな ほ き かの てつ の おは ぎぬ

2. 即興詩人 下巻

228 ま めと わが しぼりて、逝け、わが心の妻よ、われは誓ひて復た此世の女子を娶らじと呼び、我指にめたり わぬ かばね かうべふ 〔そのとき〕 し環を抽きて、そを屍の指に遷し、頭を俯して屍の額に接吻しつ。爾時我血は氷の如く冷えて、 〔うつつ〕わ 〔ま〕 くちびるしづ 五體戦ひをののき、夢とも現とも分かぬ間に、屍の指はしかと我手を握り屍の脣は徐かに開きっ 9 〔さかしま〕た つくゑひつぎ 〔こま〕 たちま〔とこやみ〕 われは毛髮倒に竪ちて、卓と柩との皆獨樂の如く旋轉するを覺え、身邊忽ち常闇となりて、頭 た〔く〕 〔たへ〕 の内には只だ奇しく妙なる音樂の響きを聞きつ。 ま あたたかたなぞこ ともしびあきら 忽ち温なる掌の我額を摩するを覺えて、再び目を開きしに、燈は明かに小き卓の上を照し、われ まくらペ は我枕邊の椅子に坐し、手を我頭に加へたるもののロオザなるを認め得たり。又一人の我臥床の うづく おほ ひとさじ すす 下に蹲まりて、もろ手もて顏を掩へるあり。ロオザの我に一匙の薬水を薦めつつ熱は去れりと云 しづ へや ふ時、蹲れる人は徐かに起ちて室を聞でんとす。われ。ララよ、暫し待ち給へ。われは夢におん あら 身の死せしを見き。ロオザ。そは熱のなしし夢なるべし。われ。否、我夢は夢にして夢に非ず。 若しこれをしも夢といはば、人世はやがて夢なるべし。マリアよ。われはおん身のララなるを知 さいはひ る。昔はおん身とベスッムに相見、カ。フリに相見き。今この短き生涯にありて、幸にまた相見な 〔なの〕 や をは がら、爭でか名告りあはで止むべき。我はおん身を愛す。語り畢りて手をさし伸ばせば、マリア ひざまづ しゅよい は跪きて我手を握り、我手皆に接吻したり。 かうじ かぐは でまど をとめしゃうしゃう 數日の後、我はマリアと柑子の花香しき出窓の前に對坐して、この可憐なる少女の淸淨なるロの、 〔ふる〕 〔あひみ〕 じんせい この せんてん 〔によし〕 しば しゃうがい かれん ふしど

3. 即興詩人 下巻

100 そのことば たちまこわだか 何事をか戸外にて言ふ如くなれど、其詞は我が居るところには聞えず。新婦は忽ち聲高く呼べり はべ 檀那は何とて期く遲くここに來給ひしそ。何の用のおはすにか。うしろめたき事には侍らずやと いふ。戸外の人は又何やらん言ひたり。新婦。さなりさなり。おん詞はまことなり。おん身は手 ふもと 帳を忘れ置き給へり。さきに妹に持せて、麓なる宿屋まで遣りたれど、かしこにてはさる檀那は 宿り給はずといひぬ。定めて山の上に宿り給ふならん。っとめて又持たせ遣らんとこそ思ひ侍り ひきだし あ 〔げん〕 しなれ。手帳は現にここに在り。期く云ひて、新婦は抽箱よりさきの手帳を取出せり。戸外の人 かうべふ 門のロをばえひらき侍らず、おん身のここに來給 は何やらん言へり。新婦は首を掉りて、否々、 よろ た はんは宜しからずと云ひ、起ちてかなたの窓を開きつ。手帳をわたさんとして差し伸べたる新婦 かうべ おに の手をば、外より握りたりと覺しく、手帳ははたと音して窓の外に落ちたり。ジェンナロの頭は このひびき あらは あきらか 此響と共に窓の内に顯れたり。新婦は走りてこなたの窓のほとりに來つ。これより後我は明に一一 ことば 人の詞を辨ずることを得るに至りぬ。 ジェンナロ。さらば君はわが感謝のために君の手に接吻するをだに許し給はぬにや。物落しし人 ぬし ならひ の拾ひ主に謝するは世の習ならずや。そが上に走りてここに來つれば、喉乾きて堪へ難し。我に たれ あ 一杯の酒を飲ませ給ふとも、誰かはそを惡しき事といはん。何故に君は我がそこに入らんとする 〔うしろめた〕 ( と〕 を拒み給ふそ。新婦。否、かく夜ふけておん身と物言ひ交すだに影護き事なり。疾くおん身の手 〔かど〕 を や のどかわ 0

4. 即興詩人 下巻

その たちまかたち 〈リコの政客たる生活の其詩に及・ほしし影響を説き聞しつ。マリアは忽ち容を改めて、「ア・ ( テ」 げつたん すこし の君と呼び掛けたり。その聲調は、始て我をしてさきよりの月旦評の毫もマリアが耳に入らざり さと ひんし しを悟らしめき。「ア・ハテ」の君、我はおん身に語るべきことあり、此會談は我が瀕死の人と結 びし約東の履行なり、日ごろ疎からぬおん身に聞かせまつることながら、これを語る苦しさをば くちびるうちふる 察し給へといふ。その面は色を失ひて、脣は打顫へり。我が、あな、何事のおはせしそと驚き間 ことま ふみ〔とうで〕 ふ時、マリアは兜兒の中より、一封の書を取出て、さて語を續けて云ふやう。不可思議なる訷の みて〕 , 」や、第ノいし 御手は、我を延きておん身の生涯の祕密の裡に立ち入らしめ給ひぬ。されど心安くおもひ給へ。 われは沈默を死者に誓ひしが故に、ロオザにだに何事をも語らざりき。祕何物なるかは、此 あきらか わが 封を開かば明ならん。これを我手に受けてより、はや二日を過ぎぬ。今おん身にわたしまゐらせ て、我は約を果し侍りぬといふ。われ、その死者とは何人そ、此書は何人の手よりでしそと間 ふに、マリア、そは御身の祕密なるものをとて、起ちて一間を出でぬ。 ひら ま 路家に歸りて封を啓けば、内より先づ一一三枚の紙出でたり。先づ取上げたる一枚は我手して鉛筆も 〔インク〕 くわく てしるせる詩句なりき。紙の下端には墨汁もて十字三つを調したるさま、何とやらん碑銘にまぎ 末 さじき らはしくお・ほゅ。此詩句は、わが初めてアヌンチャタを見つるとき、觀棚より舞臺に投げしもの 加なり。さては此一封をマリアに托しきといふはアヌンチャタなりしか。死せしはアヌンチャタな 〔かくし〕 はべ うち た なにびと ひとま この ひとひら

5. 即興詩人 下巻

なにかうべ〔もた〕 つかれ ( わた〕 遞與しつ。この時われは堪へ難き疲を覺えて、そのまま地上に僵れ臥したり。われは独首を擡げ かの おきな〔てばや〕 て、翁が手快くララを彼帆船に抱き上け、わが摘みし花東をも移し載せて、自らこれに乘りうつ あた 〔とも〕 り、小舟を艫に結び付けて、帆を揚げて去るを見たり。されど我は身を起すこと能はず、又聲を さ がむね〕 すこと能はずして、徒らに身を悶え手を振るのみ。我は死の我心に迫りて、心の裂けんと欲す るを覺えたり。 そ 蘇生 ことば 〔おそれ〕 かくては性命の虞はあらじとは、始て我耳に入りし詞なりき。われは眠を開いてフアビアニ公子 まじめ かの と夫人フランチェスカとを見たり。されど彼語をししは、我手を握りて、眞面目なる思慮あり くわうくわっ 〔しゃうめい〕 げなる目を我面に注ぎたる未知の男なりき。我は廣濶にして敞明なる一室に臥せり。時は白晝な いろれ た〔ねっ〕みやくらく 生りき。われは身の何の處にあるを知らずして、只だ熱の脈絡の内に發りたるを覺えき。わがいか つまびらか にして救はれ、いかにしてここに來しを審にすることを得しは、時を經ての後なりき。 きのふジェンナロとわれとの歸り來ざりしとき、人々はいたく心を苦め給ひぬ。我等を載せて出 たつまき でし舟人を尋ぬるに、こも行方知れずとの事なりき。さて島の南岸に沿ひて、龍卷ありしを聞き ふなびと いたづ こ わが っ たふふ 〔おこ〕 ら まひる

6. 即興詩人 下巻

104 たつまき 〔こぎて〕たり うすぎぬき 曾堂を辭し去る朝、大空は灰色の紗を被せたる如くなりき。岸には腕たしかなる漕手幾人か待ち ともづな 受け居て、一行を舟に上らしめたり。纜を解きてカプリに向ふ程に、天を覆ひたりし紗は次第に とほ 斷れて輕雲となり、大氣は見渡す限澄み透りて、水面には一波の起るをだに認めず。美しきアマ さうび いはほ 〔しりへ〕 ルフイイは巖のあなたに隱れぬ。ジェンナロは後を指ざして、かしこにてはわれ薔薇を摘み得た ぎずつ 〔きゃうがん〕 うなづ りと云ふ。われは頷きて、心の中にはこの男の強顏なることよ、まことは刺に觸れて自ら傷けし ものをとおもひぬ。 アフりカ え , う 、 0 ー ) 力し 舟のゆくては杳たる蒼海にして、その抵る所はシチリアの島なり、あらず、亞弗利加の岸なり。 どうん イタりア はらあな かた きつりつ ゅん手の方は巖石屹立したる伊太利の西岸にして、所々に大なる洞穴あり。洞前に小村落あるも さら のは、其幾個の人家、わざと洞中より這ひ出でて、背を日に曝すものの如く、洞の直ちに水に臨 ととの 〔チャソ〕 めるものの前には漁人の火を焚き食を調へ又は小舟に蔘兄を塗れるあり。 あを げんか 舷下の水は碧くして油の如し。試みに手をもて探れば、手も亦水と共に碧し。舟の影の水に落ち きはめ たるは極て濃き靑色にして、艪の影は濃淡の紋理ある靑蛇を畫けり。われは聲を放ちて叫びぬ。 〔ちぎ〕 その あした ぎよじん た 〔いた〕 あやめ おほい また ゑが 〔はり〕 おほ っ

7. 即興詩人 下巻

〔はうきんへんけん〕 をとめ この少女は少し群を離れて立てり。褐色なるカ巾偏肩より垂れたるが、巾を纏はざる方の胸と臂 さう こと′」と とは悉く現はれたり。脚には何物をも着けざりき。かくはかなき身と生れても、流石に粧ひ飾 た すみれさ たひらゆ る心をば持ちたるにや、髮平かに結ひ上げて、一東の菫花を插せるが、額の上に垂れ掛れり。わ しかう しうざん かたちうかが れその容を窺ふに、羞慙あり、慧巧あり。而して別に一種言ふべからざる憂愁の色を帶びたる如 ぼうつね くなりき。唯たその雙眸は恆に地上に注ぎて、人の面を見んことを恐るるものの如し。 ひとこと 口々に物乞ふ中に、この少女のみは一言をだに發せざりき。ジェンナロ先づ進み寄りてこれに銭 さ このむれ おとがひ を與へ、手を頤の下に掛けて、此群には惜しき佳き兄そといふ。公子夫婦もまことに然なりとい 〔めしひ〕 ひぬ。われは少女の面の紅を潮するをみたり。少女は目を開けり。而してわれ始てその普なるを 知りぬ。 かたゐ われは同じくこれに物を贈らんと欲して敢てせざりき。既にして人々は乞丐の群に窘められて、 〔さと〕ならひ 酒店の軒に避けたれば、獨り立ち戻りて、盾銀一つ握らせたり。盲人の敏き習として、少女はそ くちびるわがしゅはい の常の錢ならぬを知りたるなるべし、顏は燃ゆる如くなりて、その健かに美しき脣は我手背に觸」 ここち こんしん 〔し〕 あわただ れたり。われはその接吻の渾身の血に浸み渡る心地して、遽しく我手を引き退け、酒店の軒に紲 せ入りぬ。 たきぎ かまどほとん 酒店は只た一室ありて、大いなる竈殆どその全幅を占めたり。惜しげもなく投げ入れたる薪は盛 おは 〔かちいろ〕 〔たてぎん〕 〔よ〕 し あ 〔すこや〕 きぬ の さすがよそほ 〔かた〕 ひ第

8. 即興詩人 下巻

帳を取りて歸り給へ、我は窓を鎖すべきに。ジェンナロ。我はおん身の手を握らでは歸らず。お ん身のけふ我に惜みて、彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取り返さでは歸らず。新婦は周章の間に一 ゑみもら 聲の笑を洩せり。否々。君は人の與へざる所のものを奪はんとし給ふにや。君張ひて奪はんとし あは 給はば、われまた誓ひて與へざるべしといふ。ジェンナロは哀れげなる聲していふやう。我等の あひ 相見るはこれを限なるを思ひ給へ。われは再び此地に來るものにあらず。さるを君は我が手を握 らんといふをだに聽き納れたまはず。我胸には君に言ふべき事さはなれど、君が手を握らんの願 あへ あひ の外は、われ敢て口に出さじ。聖母は我等に何とか敎へ給ふそ。人は兄弟姉妹の如く相愛せよと 〔のたま〕 こがね あで わか こそ宣給へ。われはおん身の兄弟なり。我黄金をおん身と分ちて、おん身の艷やかなる姿を飾 たふと る料となさんとこそ願へ。貴き飾を身に着け給はば、おん身の美しさ幾倍なるべきそ。おん身の うらや 友どちは皆おん身を羨むべし。されど我とおんみとの中をば世に一人として知るものなからん。 期く云ひも果てず、ジェンナロは一躍して窓より入りぬ。新婦は高く聖母の名を呻べり。 ガラス そのとびら 襲われは表の窓に走り寄りて、力を極めて其扉を打ちたり。硝子はからからと鳴りたり。我は目に 〔えもの〕 〔かた 0 ふだうたな 見えぬ威力に驅らるるものの如く、走りて裏口に至り、得物もがなと見廻す傍の、葡萄架の横木 夜 〔つくり・こゑ〕 引きちぎりつ。女はニコオロにやと叫べり。さなり、我なりと、われは假聲して答へたり。室内 ともしび をど ぐわいたう の燈消ゆると共に、ジ〒ンナロは窓より跳り出で、いち足出して逃げて行く。其外套は風に翻 たね かの さ マドンナ きは わが ら この し ら

9. 即興詩人 下巻

おももち しばわが ジ = ンナロは驚きたる面持して、暫し我顏を打ち守りつつ、何とかいふ、おん身の詞に解し難し をなど と問ひ返しつ。われ重ねて、おん身の女子にもてはやされ給ふべきをば、われ露ばかりも疑はね かのゆふペ ど、彼タはわれふと同じ處に落ち合ひてまことのさまを目撃したり、さればわれは始よりおん身 ざれ・こと の詞の戲言なるべきを知りぬといふ。ジェンナロは猶訝しげに我顏を見て一語をも聞さざりき。 〔ほゑ〕 くちぶり〔まね〕 われ微笑みつつジ = ンナロが前夜のロ吻を眞似て、おん身のけふ我に惜みて彼馬鹿者に與へ給ひ またう し接吻を取返さでは歸らずといひたり。ジ = ンナロの面は血色全く失せて、さてはおん身は立聞 そっきはめひややか せしか、おん身は我を辱めたり、我と決鬪せよといふ。其聲極て冷に、極てあららかなりき。わ まこと しづ が實を述べたる一語の、此の如く渠を激せんことは、わが預期せざる所なりき。われは徐かに、 ジェンナロよ、そはよも眞面目なる詞にはあらじといひて、其手を握りしに、ジェンナロは手を そむ ふなびとくが かたこぎて 引き面を背け、舟人に陸に着けよと命ぜり。老いたる方の漕手答へて、舟を停むべきところは、 ほかたえ さきに漕ぎ出でしところの外絶て無ければ、是非とも島を一周せでは叶はずといひつつ、艫を搖 しんべき がんくっ す手を急にしたり。舟は深碧の水もて繞されたる高き岩窟に近づきぬ。ジ = ンナロは杖を揮ひて ふなばた かたへ 〔まも〕 そのときわか 舷側の水を打てり。われは且怒り且悲みて、傍より其面を打ち目守りぬ。爾時年少き漕手はいと ( あわた〕 たつまき 〔みつめ〕 慌だしく、龍卷 ( ウナトロム・ ( ) と叫べり。その瞠規たる方を見れば、ミネルワの岬より起りて、 ななめ じゅりつ だ , 斜に空に向ひて竪立せる一道の黒雲あり。形は圓柱の如く、色は濃墨の如し。その四邊の水、恰 はづかし まじめ かれ 〔まも〕 なほいふか かな とど

10. 即興詩人 下巻

110 むげんきゃう 夢幻境 ありさま あ わが再び眼を開きし時の光景は、今角目に在ること、壯大なる火山の活畫の如く、又彼沈痛な わが かたみ へきしよく〔かうき〕 ふぎゃう るアヌンチャタの別離の記念の如し。我身を繞れるものは、八面皆碧色なる瀕氣にして、俯仰の かん ひちあ 間物として此色を帶びざるはなかりき。試みに臂を擧ぐれば、忽ち無數の流星の身邊に飛ぶを見 まさのぼ る。われは身の既に死して無際空間の氣海に漂へるを覺えたり。我身は將に昇りて天に在せる父 もとゆ ざいしゃう の許に往かんとす。然るに一物の重く我頭上を壓するあり。是れ我罪障なるべし。此物はわが しかうひややか 昇天を妨げ、我身を引いて地に向へり。而して冷なること海水の如き瀕氣は我顱頂の上に注げ 〔も〕 われは心ともなく手を伸べて身邊を模し、何物とも知られぬながら、堅き物の手に觸るるを覺え て、しかとこれに取り付きたり。我疲勞は甚しく、我身には復た血なく、我骨には復たなき 〔わがかばね〕 よこたは わづか に似たり。我魂は天上の法廷に招かれ、我骸は海底に橫れるにゃあらん。われは纔にアヌンチャ タと呼びて、又我眼を閉ちたり。 われはこの人事不省の境にあること久しかりしならん。既にしてわれは己れの又呼吸するを覺え、・ 0 この たま なな たちま おの ろちゃ ,