あひ てより後、年あまた經ぬればと云ひつつ、我に手をさし伸べたり。われ、一たび相見しことある おんかた わがはらからくすし 御方とは知れど、何時低處にての事ともおもひ定め難しといふに、老婦人、我同胞は醫師にて のたま とぶら ナポリ 拿破里に居たり、君はポルゲエゼ家の公子と共に弟を訪ひ給ひぬといふ。われ。まことに宣給ふ 如し。ここにて逢ひまつらんとは思ひ掛けざりしなり。老婦人。拿破里の弟は妻なかりし故、わ よ れに家政をとりまかなはせしに、四とせ前にみまかりぬ。今はここなる兄の許に住めり。我姪は その性人と殊なれば、一たび家に歸らんといひ出でては、思ひ留まるべくもあらず、又こそ御目 にかからめとて、老婦人は出で去りぬ。ポッジョは再び我にささやくやう。かへすがヘすも幸あ さうしき ボデスタ る友よ。市長の妹の君が相識にて、君と再會を約せしは願ひてもなき事ならずや。ヱネチアの少 〔むね〕〔て〕 うらや 年紳士にして君を羨まぬものはあらじ。人々は遠距離にありてだに心に傷を負へるを、君は敵の 陣地に入ることなれば、注意して自ら護り給へといふ。市長の姪の去りしには、座客氣付きぬれ たた ど、皆その心の優しきこと姿の美しきにかはらずとて、讚め稱へて已まざりき。 〔うちあは〕 くわうみやう 動善行は心に光明を與ふ。われは久しぶりに心の中の快活を感じて、ポッジョと杯を磁せ、此よ ねむりつ り兄弟の如くならんことを誓ひぬ。家に歸りしは夜生なりき。直ちに眠に就くべき心地ならねば、 むげんかい わ た きょすゐ 窓に坐して淸風明月に對せり。渠水波なく、古宮空しく聳ゆる處、我が爲めには訷話中の夢幻界 ぎたう がっしゃう を現じ來れり。我は兒童の如く合掌して祈薦したり。父よ、我諸惡を免せ。我に氣力を賦して善 187 〔さが〕 そび ほ ナポリ や ゆる ひと ここち ふ さち これ めひ
めに躓くを見る。小なる雙輪車あり。五六人これに乘りて、背後には襤褸着たる小兄をさへ載せ、 〔ラツツアロオネ〕 又この重荷の小づけには、網床めくものを結び付けたる中に半ば裸なる賤夫のいと心安げにう 〔かけあし〕 たきび まいしたるあり。挽くものは唯だ一馬なるが、その足は驅歩なり。一軒の角屋敷の前には、焚火 〔およぎばかま〕タン 〔チョキ〕 〔むか〕〔ゐ〕〔カルタ〕もてあそ ふうきん して、泅袴に扣鈕一つ掛けし中單着たる男二人、對ひ居て骨牌を弄べり。風琴、「オルガノ」 ひびぎかしま をなご トルコ の響喧しく、女子のこれに和して歌ふあり。兵士、希臘人、土耳格人、あらゆる外國人の打ち ねったうざったふさま これ きせうどば 雜りて、且叫び且走る、その熱鬧雜沓の状、げに南國中の南國は是なるべし。この嬉笑怒罵の天 戸オマなはいうこく ばでん ナポリ 地に比ぶれば、羅馬は病幽谷のみ、墓田のみ。夫人は手を拍ち鳴して、拿破里々々々と呼べり。 その 車はラルゴ・デル・カステルロに曲り入りぬ。 ( 原註。拿破里大街の一にして其末は海岸に達す。 ) ら てんいっ けんがう のきとうろうか 同じ聞溢、同じ喧囂は我等を迎へたり劇場あり。軒燈籠懸け列ねて、彩色せる繪看板を掲げた かるわざ さしき むれ り。輕技の家あり。その群の一家族高き棚の上に立ちて客を招けり。婦は叫び、夫は喇叭吹き、 あしもと とも やちゃう 子は背後より長き鞭を揮ひて爺孃を亂打し、その脚下には小き馬の後脚にて立ちて、前に開ける ぼさっ まね 簿册を讀む眞似したるあり。一人あり。水夫の環坐せる中央に立ちて、兩臂を振りて歌へり。是 おきな れ印興詩人なり。一翁あり。卷を開いて高く誦すれば、聽衆手を拍ちて賞讚す。是れ「オランド オフリオゾ」を讀めるなり。 ( 譯者「ム。わが太平記よみの類なるべし。讀む所はアリオストオ の詩なり。 ) つまづ なちふる さう た ギリシア たぐひ , しろ つら よめ つづれ ひち かど ラツ・ハ
ナポリ ん。今はおん身情強きも、よも再び拿破里に住みて、ベルナルドオと面をあはせんとは云はぬな ら ロオマ もちろん かっ〔あやまち〕 らん。公子。そは勿論なるべし。われ等は只だ羅馬に伴ひ歸りて、曾て過ありしアントニオは地 〔かは〕 もくづ 中海の底の藻屑となりぬ、今ここに來たるはその昔幼く可哀ゆかりしアントニオなりと云はん。 すぐ〔なさけ〕 〔びん〕 夫人。さるにても便なきはジェンナロなり。才も人に優れ情も深かりしものを、いかなれば訷は のたま なほ 末遠き此人の命を助けんとはし給はざりけん。惜みても餘あることならずやなど宣給へり。 くすししばしばびやうしゃう 醫師は暖よ病牀をおとづれて、數時間を我室に送れり。この人は拿破里に住みて、いまは用事 また〔もと〕〔かへ〕 ありて、此カプリに來居たるなりといふ。第三日に至りて、醫師は我を診して健康の全く故に復 おの りたるを告け、己れも我等の一行と共に歸途に就きぬ。醫師の我を健全なりといふは、形體上よ り言へるにて、若し精神上より言はば、われは自ら我心の健全ならざるを覺えき。わが少壯の心 ぎゃうがい 〔さき〕 〔ねむりぐさ〕 は、かの含羞草といふものの葉と同じく萎み卷きて、曩に一たび死の境界に臨みてよりこのかた、 あと あきら 死の天使の接吻の痕は、明かに我額の上に存せり。公子夫婦の我と醫師とを引き連れて舟に上 おも たちまさきのひ 途り給ふとき、我は澄み渡れる海水を見下して、忽ち前日の事を憶ひ起し、激しく心を動したり。 今日影のうららかに此積水の綠を照すを見るにつけても、我は永く此底に眠るべき身の、なく あた て又此天日の光に浴するを思ひ、涙の頬に流るるを禁ずること能はざりき。人々は皆優しく我を たた 慰めたり。フランチェスカの君は我才を稱へ、我を呼びて詩人となし、醫師に我が拿破里の劇場 てんじっ この 〔こは〕 〔きゐ〕 〔みおろ〕 ほは 〔し・ほ〕 わがへや
152 わづか さいはひ 纔に口を開き、さるにても我が再び面をあはせざりしは、せめてもの幸なりきといひぬ。姫。さ のたま その は宣給へど、今其人に逢ひ給はばいかに。定めて喜ばしと思ひ給ふならん。われ。否、われは悲 ゅゑ しと思ふべし。そを何故といふに、わが昔崇拜せしアヌンチャタは今亡せたり、昔の理想の影は せんか 今消えぬ、わがこれを思ふは泉下の人を思ふ如し、さるを若しそのアヌンチャタならぬアヌンチ ひややか ころ きずま ャタ又出でて、冷なる眼もて我を見ば、捶えなんとする心の創は復た綻びて、却りてわれに限な き苦痛を感ぜしむるなるべし。 〔さうれい〕もと いと暑き日の午後、われは共同の廣間に出でしに、綠なる蔓草の纏ひ付きたる窓櫺の下に、姫の ほはささ せんしゅ ( うたたね〕 たはふれ 假寢し給へるに會ひぬ。纖手もて頬を支へて眠りたるさま、卿だ戲に目を閉ちたるやうに見え たちまほゑみ わむりさ たり。胸の波打つは夢見るにゃあらん。忽ち微笑の影浮びて、姫の眠は醒めぬ。アントニオそこ にありや。われは料らずも眠りて、料らずも夢見たり。おん身はわが夢に見えしは何人の上なり とかおもふ。われ。ララにはあらずや。この答はわが姫の目を閉ちたるを見し時、心に浮びし人 「さ〕 あた ひぎゃう を指して言へるのみなりしに、期せずして中りしなり。姫。さなり。われはララと共に飛行して、 らなは いただき いっ〔しまやま〕 大海の上を渡りゆきぬ。海の中には一の島山ありき。その山の巓はいと高きに、われ等は猶おん きょ おももち 身の物思はしげなる面持して石に踞して坐し給ふを見ることを得つ。ララは翼を振ひて上らんと 〔はたたき〕 〔おく〕 す。われはこれに從はんとして、羽搖するごとに後れ、その距離千尋なるべく覺ゆるとき、忽ち つる ちひろ たにびと
208 きすなごり おんうへ あ ぎづかひゐ 日ガ・が痍は名殘なく癒え候ひぬ。彼人も君の御上をは ・、いたく氣遣居たれば必ず惡しき人と御 な そろ わが 思ひ做しなさるまじく候。ベルナルドオは痍の痊えし後、我身を愛する由聞え候ひしかど、私 いつはり 〔さと〕 さふら ロオマ はその僞ならぬを覺りながら、君をおもふ心よりうべなひ候はざりき。ベルナルドオは羅馬を ナポリ たびだち にはか 去り候ひぬ。私は直ちに拿破里をさして旅立候ひしに、君も知らせ給ひし友なるおうなの俄に た 病み臥しし爲め、モラ・ヂ・ガエタに留まること一月ばかりに候ひき。かくて拿破里に着きて 聞けば、私の着せし前日の夜、チェンチイといふ少年の印興詩人ありて、舞臺に出でたりと まうすうはさ たださふら 申噂に候。こは必ず君なるべしとおもひて、人に問ひ糺し候へば、果してまがふかたなき我 戀人にておはしましき。友なるおうなは消息して君を招き候ひぬ。こなたの名をばわざとしる すゐ さで、旅店の名をのみしるししは、情ある君の何人の文なるをば推し給ふべしと信じ居たるが つかひ 故に候ひき。おうなは再び文をおくり候ひぬ。されど君は來給はざりき、使の人の文をば讀み あまっさ にはか かへ 給ひぬといふに、君は來給はざりき。剩へ君は遽に物におそるる如きさまして、羅馬に還り給 さふら ひぬと聞き候ひぬ。當時君が振舞をば、何とか判じ候ふべき。私は君の誠ありげなる戀のいち けうまん 早くさめ果てしに驚き候ひしのみ。私とても、世の人のめでくつがヘるが儘に、多少驕慢の心 ひと をも生じ居たる事とて、思ひ切られぬ君を思ひ切りて、獨り胸をのみ傷め候ひぬ。さる程に友 はらから けいえいあひてう なるおうなみまかり、その同胞も續きてあらずなり、私は形影相弔すとも申すべき身となり候 ふ さふら ふるまひ かの なにびとふみ
れとて、指もて我頬を彈きたり。 かへ 旅店に還りて獨り思ふに、サンタの我を評する言は、昔ベルナルドオの我を評せし言と同じ。此 頃又フェデリゴの話を聞きしに、その羅馬にありし日の經歴には、我の夢にだに知らざるやうな ちろか ることもありて、賤しきマリウチアさへその事に與れりといふ。世の人はわが厭ひおそるるとこ よろこたのし ろのものを悅び樂むにや。アヌンチャタの我を棄ててベルナルドオを取りしなどは、現にもこれ あかし を證して餘あるが如くなり。果して然らばアスンチャタは我感情を愛して我意志を嫌ひしにゃあ こころもと おぼっか らん。あらず、わが意志の闕乏を嫌ひしにゃあらん、いと覺東なく心許なき事にこそ。 絶交書 っ ひとつぎ 拿破里に來てより既に一月を經ぬ。さるにアヌンチャタとベルナルドオとの上に就きては、何の・ あるゆふペ たより 書聞くところもあらず。或タ一封の書は到りぬ。何人のいかなる便するにかと、打ち返してこれを・ 見るに、印はポルゲエゼ家の印にして、筆は主公の筆なり。われは心に聖母を祈りつつ、開いて これを讀みたり。其文にく。 つかまつりそろもせっしゃ はかりそろ いたすべくこころをきめそろせつ 四御書状拜讀仕候。素と拙者の貴君の御世話可致と決心候節、貴君の爲めに謀候は、當地 ナリ ひと わがほは はし けつにふ ふみ ロオマ マドノナ 〔げ〕 こ 0
さふら ぞんじまゐらせそろ な 故なき人の上に施し給ひしには候はずと存參候。君の此文を見給はん時は、私は世に亡き人 ま , しあけさふら さふら なるべければ、今は憚ることなく申上候はん。君は我戀人にておはしまし候ひぬ。我戀人は、昔 たえ はか 世の人にもてはやされし日より、今またく世の人に棄て果てられたる日まで、君より外には絶 ひと げんせ て無かりしを、聖母は、現世にて君と我との一つにならんを許し給はで、二人を遠ざけ給ひし そる ゅふべたま きすっ にて候。君の我身を愛し給ふをば、彼の不幸なる日のタに、彈丸のベルナルドオを傷けし時、君 あ さとを が打明け給ひしに先だちて、私は疾く曉り居り候ひぬ。さるを君と我とを遠ざくべき大いなる たちま 不幸の、忽ち目前に現れたるを見て、我胸は塞がり我舌は結・ほれ、私は面を手負の衣に懸しし そのち 隙に、君は見えずなり給ひぬ。ベルナルドオの痍は命を隕すに及ばざりしかば、私は其治不治 しゅゅ おも そば 生不生の君が身の上なるべきをおもひて、須臾もベルナルドオの側を離れ候はざりき。億ふに、・ さふら 此時のわが振舞は君に疑はれまゐらせしことのもとにや候ふべき。私は久しく君の行方を知ら ひと ず、人に間へども能く答ふるもの候はざりき。數日の後、怪しきおうな尋ね來て、一ひらの紙 ナポリ したた しゅせき 路を我手にわたすを見れば、まがふ方なき君の手跡にて、拿破里に往くと認めあり、御名をさへ 書添へ給へれば、おうなの云ふに任せて、旅行券と路用の金とをわたし候ひぬ。旅行券はべ 末 セナトオレ ナルドオに仔細を語りて、をちなる議官に求めさせしものに候。ベルナルドオは事のむづかし おもむき 」」とば きを知りながら、我言を納れて、強ひてをち君を設き動しし趣に候。幾もあらぬに、ベルナル 207 ゅゑ ひま この ふるまひ にどこ マドンナ よ と かた し ふさ きす わが この おと ておひきぬ おは
39 古市 くわいるゐ らあな くわんく は漸く登りて、今暗黑なる燼餘の灰壘を打ち拔きたる洞穴の前に立てり。洞穴の周圍には灌木、 わた さび ちと 草綿など少しく生ひ出でて、この寂しき景に些の生色あらせんと勉むるものの如し。われ等は番 まち 兵の前を過ぎて、ポムペイの市のロに入りぬ。 いにしへ 博士マレッチイは我等を顧みて、君等は古のタチッスをもプリニウスをも讀み給ひしならん、凡 これ ふみ そ此等の書の最も好き註脚は此市なりと云ひたり。われ等の進み入りたる道を墳墓街と名づく。 てうる あまたせきけっ 〔ゅぎかへり〕 許多の石碣並び立てり。二碑の前に彫鏤したる榻あり。是れポムペイの士女の郊外に往反すると きしばらくひし處なるべし。想ふに當時この榻に坐するものは、碑碣のあなたなる林木郊野を わうらい さうい ) 見、往來織るが如き街道を見、又波靜なる入江を見たるならん、今は唯た窓膈ある石屋の處々に おぼ あまたさうこん 立てるを望むのみ。屋は地震の初に受けたりと覺しき許多の創痕を留めて、その形枯髑髏の如く、 搴んさう ふしん 窓は空しき眼寞かと疑はる。間當時普請の半ばなりし家ありて、彫りさしたる大理石塊、素燒 かたへよこたは の模型などその儚に橫れり。 いしだん 〔さじき〕 われ等は漸くにして市の外垣に到りぬ。これに登るに幅廣き石級あり。古劇場の觀棚の如し。當 ひとすちちまた 面には細長き一條の街ありて通ず。熔巖の板を敷けること拿破里の街価と異なることなし。し かのキリスト この板は遠く彼基督紀元七十九年の前にありて噴火せし時の遺物なるべし、今その面を見るに、 かんばんのこ 深く車轍を印したればなり。家壁には時に戸主の姓氏を刻めるを見る。又招牌の遺れるあり。 わだちお お よ じんよ この はじめ こしかけ 〔ナポリ〕おはち っと ひけっ た されかうべ おほよ
122 えんむ うち 翌朝われは先づヱズキオの山を仰ぎ見て別を告げたり。嶺は深く烟霧の裏に隱れて、われに送 おも ど 5 くっ 別の意を表せんともせざる如し。是日海原はいと靜にして、又我をして洞窟と瞽女との夢を想は 〔をは〕 このナポり まち しむ。鳴呼、此拿破里の市も、今よりは同じ夢中の物となり了るならん。 ひら 房奴はけふの拿破里日報 ( ヂアリオヂナポリ ) を持ち來りぬ。披きて見れば我假名あり。さき せは の日の初舞臺の批評なりき。いかなる事を書けるにかと、心忙しく讀みもて行くに、先づ空想の たた ( ゆたか〕 贍にして、章句の美しかりしを稱へ、恐らくは是れパンジェッチイの流を酌めるものにて、模 ややはなはた 倣の稍甚しきを嫌ふと斷ぜり。パンジェッチイといふ人はわれ夢にだに見しことあらず。わ おも かり れは唯だ我天賦の情に本づきて歌ひしなり。想ふに彼批評家といふものは、おのれ常に模擬の筆 かた またしか を用ゐるより、人の藝術も亦然ならんと思へるにゃあらん。末の方には例に依りて、奬勵の語を のぞみ つひ 添へたり。いはく。此人終に名を成すべき望なきにあらず、今の見る所を以てするも、猶非凡な さいの ) る材能たることを失はざるべし、空想感情靈應の諸性具備したりと見ゆればなりとあり。此評は かっさい 惡しき方にはあらねど、當日の公衆の喝采に比ぶるときは、その冷かなること著しとおもはる。 さうぐうこと・こと あかし をさ カうり われは此新聞紙を疊みて、行李の中に藏めたり。そは他年わが拿破里の遭遇の悉く夢ならぬを證 はうくわう せん料にもとてなり。鳴呼、われ拿破里を見たり、拿破里の市を彷徨せり。わが得しところそ も幾何そ、わが失ひしところはたそも幾何そ。知らず、フルヰアの預言は既に實現し盡せりや否 カメリエリ あくるあした たね てんふ たた このひうなばら わかれ みね ひやや 〔わがけみよう〕 こちょ なは
ナつまき 105 〔くら〕 も〔ひさう〕おほ げに美しきは海なる哉。若し彼蒼の大いなるを除かば、何物か能く之と美をぶべき。我は幼か すなは りし時、地に仰臥して天を觀つるを思ひ聞でぬ。今見る所の海は印ち當時見し所の天にして、譬 へば夢の一變して現となれるが如し。 しょ かたへ いはほ 舟はイ・ガルリといふ巖より成れる三小嶼の傍を過ぎぬ。そのさま海底より石塔を築き上げて、 その上に更に石塔を僵し掛けたる如し。靑き波は綠なる石を洗へり。想ふに風雨一たび到らば、 * 〔くわい〕〔すみか〕 〔なると〕 このわたりは群狗吠ゅてふ鳴門 ( スキルラ ) の怪の栖なるべし。 によくわい うしほ みさき 、こしへ妙音の女怪の住めりき 不毛にして石多きミネルワの岬は、眠るが如き潮これを繞れり。し冫 * おごり しかう いにしへチベリウス帝が奢をき といふはここなり。而して力。フリの風流天地はこれと相對せり。 はしいまま はめ情を縱にし、灣頭より眸を放ちて拿破里の岸を望みきといふはここなり。 ゃうや ふなびと 舟人は帆を揚げたり。我等は風と波とに送られて、漸くなフリの島邊に近づきぬ。水のまことの ふなばたよ 淸さ、まことの明さを知らんと欲せば、この海を見ざるべからず。舷に倚りて水を望めば、一塊 れいろうと , てつ の石、一叢の藻、歴々として數ふべく、睛れたる日の空氣といへども、恐らくはこの玲瓏透徹な こからんとぞおもはるる。 だんがい カプリの島は唯だ一面の近づくべきあるのみ。その他は皆削り成せる斷崖にして、その地勢拿破 おほ ふだうばたけぎつゆオリワ だん 里に向ひて級を下るが如く、葡萄圃と橘柚橄欖の林とは交る交るこれを覆へり。岸に沿へる處に 〔うつつ〕 たふ 〔ナポリ〕 おも ひと たと