たまたまうさぎうまの わが に近づきぬ。偶驢に騎りたる一群の過ぐるあり。我友はこれを見て、いたくめでたがりたり・ をさなご ちぶさふく ( あたり ) 紅の上衣を頂より被りて、一人の穉兒には乳房を啣ませ、一人の稍年たけたる子をば、腰の邊 いちろ おば なる籠の中に睡らせたる女あり。又一家族を擧げて一驢の背に托したりと覺しく、眞中には男騎 ひちかう・〈 ひざ 〔はさ〕 りて、背後なる妻は臂と頭とを夫の肩に倚せて眠り、子は父の膝の間に介まれて策を手まさぐり 居たるあり。いづれも。ヒニエルリが風俗晝の拔け出でたるかと怪まるるばかりなり。 空氣は鼠色にて雨少し降れり。ヱズヰガの山もカプリの島も見えず。葡萄の柳ひ付きたる高き果 はこやなぎ ら 樹と白楊との間には、麥の露けく綠なるあり。夫人我等を顧みて、見給へ、此野はさながらに饗 なし もはや 應のむしろなり、麪包あり、葡萄酒あり、果あり、最早わが樂しき市と美しき海との見ゆるに程 あらじといひぬ。 ゅふペナポ ちまた よこた タに拿破里に着きぬ。トレドの街の壯觀は我前に横はりぬ。 ( 原註。羅馬及ミラノにては大街を ガラス いろど コルソオと日ひ、パレルモにてはカッサロと日ひ、拿破里にてはトレドと日ふ。 ) 硝子燈と彩りた とうろう あひ つくゑかうじ ちじく うづたか かたへ ぎよらふ 人る燈籠とを點じたる店相並びて、卓には柑子無花果など堆く積み上げたり。道の傍には又魚を の焚き列ねて、見渡す限、火の海かとあやまたる。兩邊の高き家には、窓ごとに床張りしたるが、 〔カルネワレ〕 男女の群のその上に立ち現れたるさまは、ここは今も謝肉祭の最中にやとおもはるる程なり。馬 なめらか 車あまた火山の坑より熔け出でし石を敷きたる街を地せ交ひて、間馬のその石面の滑なるがた 〔こ〕 うしろ むれ ねむ あな と ひとむら よ くだもの あ まち ぶだうまと この 〔むち〕 もて
くわんく たちま 〔あか〕 になりたる小灌木、半ば枯れたる草の莖もあらずなりぬ。夜はいと明けれど、強く寒き風は忽ち 〔さかり〕 そら らんべき 起りぬ。將に沒せんとする日は熾なる火の如く、天をば黄金色ならしめ、海をば藍碧色ならしめ、 むらが たうしょ まことこ 海の上なる群れる島嶼をば淡靑なる雲にまがはせたり。眞に是れ一の夢幻界なり。灣に沿へる ぼしよくびばう 拿破里の市は次第に暮色微茫の中に沒せり。眸を放ちて遠く望めば、雪を戴けるアルビイの山脈 氷もて削り成せるが如し。 もくせふ きた 紅なる熔巖の流は、今や目睫に迫り來りぬ。道絶ゆるところに、黑き熔巖もて掩はれたる廣き面 うさぎうまひづめ しか あり。驢馬は蹄を下すごとに、先づ探りて而る後に踏めり。既にして一の隆起したる處に逢ふ。 さまあらたこの その ようしゆっ た まばら その状新に此熔巖の海に涌出せる孤島の如し。されど其草木は只だ丈低き灌木の疎に生ぜるを見 〔やまびと〕〔こや〕 るのみ。この處に山人の草寮あり。兵卒數人火を圍みて聖涙酒を呑めり。 ( 「ラクリメエ・クリス ら チイ」とて萄葡酒の名なり。 ) こは遊覽の客を護りて賊を防ぐものなりとそ。われ等を望み見て身 き まっ ほのほ はげ なび わろか を起し、松明を點じて導かんとす。劇しき風に陷は横さまに吹き靡けられ、減えんと欲して僅に いはほ ほそち かたまりひづめ 燃ゅ。博士は疲れたりとて草寮に留まりぬ。我等の往手は巖の間なる細徑にて、熔巖の塊の蹄に けは たに 觸るるもの多し。處々道の險しき谿に臨めるを見る。 〔かちだち〕 既にして黒き灰もて盛り成したる山上の山ありて、我等の前に横はりぬ。我等は皆徒立となりて、 うさぎうま わらべ かざ くるぶし 驢をばロとりの童にあづけおきぬ。兵卒は松明振り翳して斜に道取りて進めり。灰は踝を沒し ナポリ まさ まち め ゆくて こがね るる よこた たけ いただ おほ
たちま しんもく ひつぎ きたう すみれ オザの祈薦の聲を聞き、マリアの菫花もて飾れる棺は明かに心目の前にあらはれぬ。忽ち我は病〕 ふしど た わがそばあ の既に去りてカの既に復せるを感じ、蹶体として臥床より起ち、人の我側に在らざるに乘じて、 ぐわいた ) まと 壁に懸けたる外套を纏ひ、岸邊なる小舟を招きて、「ディ・フラアリイ」の寺に往かんことを命 かつひと ボデスタるゐせい じつ。こは市長が累世の墓ある處にして、われは曾て一たび其窟墓を窺ひしことありき。夜は暗 とびら くして、「アヱマリア」の鐘と共に閉されたる門の前には人影早や絶えたり。われは扉をほと じどう ほとと敲きしに、寺僮は我が爲めに門を開きつ。そは曾てわが市長に伴はれて來ぬる時、我に じどう 〔はかソ ゅびさ チャノとカノワとの墓を指し敎へしことあれば、猶我面を見知り居たりしなり。寺僮は我心を計 き にヘづくゑ り得て、君はを見に來給ひしならん、今は猶贄卓の前に置かれたれど、あすは龕に藏めらる、 しよくとも 〔かぎ〕 べしとて、燭を點して我を導き、鑰匙取り出でて側なる小き戸を開きつ。寺僮と我との足音は、 ゅびさ ひつぎ ぎゅうりゅう〔あひた〕さび 穹窿の間に寂しき反響を喚起せり。寺僮の柩はかしこにと指して、立ち留まるがままに、我は せきじんおぼろげ、 マドゾナみえい かす ひとり長廊を進めり。聖母の御影の前に、一燈微かに燃え、カノワが棺のめぐりなる石人は朧氣 ともしび すみれ りんくわくゑが 身なる輪廓を晝けり。贄卓に近づけば、卓前に三つの燈の點ぜられたるを見る。菫花のかをり高き わが うち うづ かばね 〔たけ〕 うづたか 〔ほとリ〕おほ 疾 邊、覆はざる柩の裏に、堆き花瓣の紫に埋もれたる屍こそあれ。長なる黑髮を額に綰ねて、これ わむび「あひだ〕 めいもく にも一東の菫花を拇めり。是れ瞑目せるマリアなりき。我が夢寐の間に忘るることなかりしララ そそ ちすち なりき。われは一聲、ララ、など我を棄てて去れると叫び、千行の涙を屍の上に灑ぎ、又聲ふり・ たた こ こ け なほ そのくつぼ ひつぎ き 〔がん〕をさ
152 わづか さいはひ 纔に口を開き、さるにても我が再び面をあはせざりしは、せめてもの幸なりきといひぬ。姫。さ のたま その は宣給へど、今其人に逢ひ給はばいかに。定めて喜ばしと思ひ給ふならん。われ。否、われは悲 ゅゑ しと思ふべし。そを何故といふに、わが昔崇拜せしアヌンチャタは今亡せたり、昔の理想の影は せんか 今消えぬ、わがこれを思ふは泉下の人を思ふ如し、さるを若しそのアヌンチャタならぬアヌンチ ひややか ころ きずま ャタ又出でて、冷なる眼もて我を見ば、捶えなんとする心の創は復た綻びて、却りてわれに限な き苦痛を感ぜしむるなるべし。 〔さうれい〕もと いと暑き日の午後、われは共同の廣間に出でしに、綠なる蔓草の纏ひ付きたる窓櫺の下に、姫の ほはささ せんしゅ ( うたたね〕 たはふれ 假寢し給へるに會ひぬ。纖手もて頬を支へて眠りたるさま、卿だ戲に目を閉ちたるやうに見え たちまほゑみ わむりさ たり。胸の波打つは夢見るにゃあらん。忽ち微笑の影浮びて、姫の眠は醒めぬ。アントニオそこ にありや。われは料らずも眠りて、料らずも夢見たり。おん身はわが夢に見えしは何人の上なり とかおもふ。われ。ララにはあらずや。この答はわが姫の目を閉ちたるを見し時、心に浮びし人 「さ〕 あた ひぎゃう を指して言へるのみなりしに、期せずして中りしなり。姫。さなり。われはララと共に飛行して、 らなは いただき いっ〔しまやま〕 大海の上を渡りゆきぬ。海の中には一の島山ありき。その山の巓はいと高きに、われ等は猶おん きょ おももち 身の物思はしげなる面持して石に踞して坐し給ふを見ることを得つ。ララは翼を振ひて上らんと 〔はたたき〕 〔おく〕 す。われはこれに從はんとして、羽搖するごとに後れ、その距離千尋なるべく覺ゆるとき、忽ち つる ちひろ たにびと
〔てんじゃう〕 に燃えあがりて、烟は岫を出づる雲の如く、騰りて黑みたる仰塵に至り、更に又出口を求めて室 あるじかげ あさげしたく 内をさまよへり。主人の蔭多き大柳樹の下にありて、誂へし朝餉の支度する間に、我等はこの烟 し ゐた けいしん 煤の窟を逍れ、古祠を見に往くこととしたり。委它たる細徑は荊榛の間に通ぜり。公子とジェン ナロとは手を組み合せて、フランチェスカはこれに腰掛けつつ舁かれ行く。 そぞろあるぎ〕 漫歩には似つかはしからぬ恐ろしき道かな、と夫人笑みつつ云へば、案内者の一人、さのたま までこのまた いばらふさ やしろ うづたか へど三とせの前迄は此道全く棘に塞がれたりき、又己れが幼き頃社の圓柱のめぐりに、砂土堆 〔おぼ〕を こと ! あかし しりへ く積もり居しを記え居り候ふと答ふ。案内者は皆この詞誤らざるを證せり。一行の後には、さ かたゐむれなほ も ら〔うちまも〕 きの乞丐の群隨ひ來り、皆目を崢りて我等を打目守れり。若しわれ等にしてふとその一人の面 たちまたまもの を見ることあるときは、その手は忽ち賜を受くるがために伸べられ、そのロは忽ち「ミゼラビレ あはれみこ こちょ をとめ ひと ( 憐を乞ふ語 ) を唱へ躡すなり。瞽女はいづち往きけん見えず。われはあはれなる少女の、獨り あたりうづくま いかなる道の邊に蹲り居るかを思ひ遣りぬ。 女我等は一の劇場と一の平和禪祠との迹なる斷礎の上を登り行きぬ。ジ = ンナロ人々を顧みて、あ ともがら はれ平和と演劇との二つのもの、いかなればかく迄相親むことを得たるぞと云ふ。 ( 劇場の徒の しっし 〔ポセイドン〕 多く相嫉視するを諷するにや。 ) 我等は海神祠の前に立てり。世にはこれを気ジリカ」とそいふ。 かの あん さま 近き頃、彼ポムペイの古市と同じく、闇黑の裡より聞でて人の遺忘を喚び醒したるものは、此祠 くつのが けふり〔しう〕 さふら みは のぼ あひしたし おの あつら ほこら えん
うきよく きゅうりゅう ッス」の間を通ずる迂曲せる小みちあり。これを行けば、幾もあらぬに、穹窿の如く茂りあへる ら ぶだうばたけ 葡萄の下にづ。我等は濺を覺えぬれば、葡萄匝のあなたに白き屋壁の綠樹の間より見ゆるを心 あてに歩をそなたへ向けたり。輕暖の空氣の中には草木の香みちみちて、美しき甲蟲あまた我等・ の身邊を飛びめぐれり。 〔こきょ〕 到り着きて見れば、この小家のさまの畫趣多きこと言はんかたなし。壁には近き故墟より掘り そり したる石柱頭と石臂石脚とを塗り籠めて飾とせり。屋上に土を盛りて園とし、柑子の樹又はくさ びろおど ぐさの蔓草類を栽ゑたるが、その枝その蔓四方に垂れ下りて、綠の天鵞絨もて掩へる如し、戸前 さま さうびそ ) ほとん むなな には薔薇叢ありて花盛に開けるが、殆ど野生の状をなせり。六つ七つばかりの美しき小娘二人そ このや たはふ 〔ひときは〕 かどぐち かたへ 〔たまき〕 の傍に遊び戲れ、花を摘みて環となす。されどそれより一際美きは、此家の門口に立ち迎へたる 〔したい〕〔しな をなご 〔まなざし〕〔なさけ〕 〔まっげ〕 〔あさぬの〕 女子なり。髮をば白き棠布もて東ねたり。その瞻親の情ありげなる、睫毛の長く黒き、肢體の品 ! うし あた うやうや ほどこ 高くすなほなる、我等をして覺えず恭しく幗を脱し禮を施さざること能はざらしめたり。 ところ〔たぐひ〕 ジェンナロ進み近づきて、さては此家のあるじこそは、土地に匹儔なき美人なりしなれ、疲れた 〔のみもの〕 やす 、と易き程の御事なり、戸外に持ち出でてま る旅人二人に、一杯の飮を惠み給はんやと云へば、し くちびる ましろ た〔ひとくさ〕 ゐらせん。されど酒は只だ一種ならでは貯〈侍らずと笑ひつつ答ふ。その眞白なる齒に、脣の紅 はいよいよ美さを增すを覺えき。ジェンナロ。酒はいかなる酒にもあれ、君の酌みて給はらんに 1 ぶだラ つるくさ こ たくははペ た おほ
わづかすしやく にはかや し井なれ。穿っこと僅に數尺にして石人現れければ、その工事は遽に止められき。これより人の この 手を此井に觸れざること三十年。西班牙王カルロス此に來て猶深く掘らせしに、見給へ、かしこ まち 〔のぞ〕 の奧に見ゆる石階に掘り當てたりと云ふ。われ等はその井をさし覗くに、日光はエルコラノの市 しよくとも おのおの なる大劇場の石階の隅を照せり。案内者は燭を點して、われ等をして各、ゝこれを手にせしめつ。 たれよ 降りて石階の上に立てば、誰か能く懷舊の情の胸間に叢り起るを覺えざらん。是れ千七百載の昔、 ありさまこら かっさいくわんこ 羅馬の民の集ひ來て、齊しく眸を舞臺の光景に凝し、共に笑ひ共に感動し共に喝尖歡呼せし處な 〔ォルへストラ〕 るにあらずや。側なる低く小き戸を過ぐれば、濶き廊あり。われ等は舞庭に下りぬ。 ( 舞臺と さじき その くわうさう わが 觀棚との間に在り。 ) 樂人房、衣房、舞臺などを見めぐるに、其結構の宏壯なるは、深く我心を感 ともしび おほい ・カルロ」座に ぜしめき。燭光の照すところは數歩の外に出でざれども、われはその大さ「サン あたり いうあんせきれう 踰ゅべしと想ひぬ。われ等の四邊は空虚幽暗寂宴にして、われ等の頭上には別に一箇の世界 まじは あるなり。世には既に死したる人のわれ等の間に迷ひ來て相交ることありとおもへるものあり。 いにしへ われは今これに反して、獨り泉下に入りて身を古の羅馬人の精靈の間に寘きたりとおもひぬ。わ 市 れは人々を促して梯を登りぬ。 一にノかう′ 右に轉じて一小巷に入れば、古市の一小部の發掘せられたるあり。數條の徑、小房多き數軒の家 まちてんじっ あり。その壁には丹靑の色殘れり。エルコラノの市の天日に觸るる處は唯だこれのみなりといへ ゐど 〔つど〕 はしご ひと ひろ ら 〔むらが〕 こみち
〔たて〕なら まろが かたまり 又膝を沒す。石片又は熔巖の塊ありて、ルごとに滾り落つるが故に、縱に列びて登るに由なし。 さ 5 きや ~ 、 我等は雙脚に錯を懸けたる如く、一歩を進みては又一歩を退き、只だ一つところに在るやうに覺 み びといぎそろ えたり。兵卒は、巓近し、今一息に候と叫びて、我等を勵したり。されど仰ぎ親れば山の高き ただちきびす ひとときばかり わづか こと始に殊ならず。一時許にして僅に巓に到りぬ。われは奇を好む心に驅られて、直に踵を兵卒 この に接したれば、先づ足を此山の巓に着けたり。 さくらく ゑんすゐ みちょこたは 巓は大なる平地にして、大小いろいろなる熔巖の塊錯落として途に横る。平地の中央に圓錐形の のぼ 灰の丘あり。是れ火坑の堤なり。火球の如き月は早く昇りて、此丘の上に懸れり。我等の來路に えんふ たちま さへぎ 此月を見ざりしは、山のために遮られぬればなり。忽ちにして坑ロ黑烟を噴き、四邊闇夜の如く、 よ ふる あやふ 〔かくしん〕おぼ 山の核心と覺しき處に不斷の雷聲を聞く。地震ひ足危ければ、人々相倚りて支持す。忽ち又千百 ほとばし だう きょはう の巨贓を放てる如き聲あり。一道の火柱直上して天を衝き、迸りでたる熱石は「ルビン」を嵌 ある これ めたる如き觀をなせり。されど此等の石は或は再び坑中に沒し、或は灰の丘に沿ひて顛り下り、 へいそく むねのうち 山 復た我等の頭上に落つることなし。われは心裡に神を念じて、屏息してこれを見たり。 〔さしまね〕 まらうど きげんよ 兵卒は、客人逹は山の機嫌好き日に來あはせ給ひぬとて、我等を揮きて進ましめたり。われは初 めその低處に導くべきかを知らざりき。火を噴ける坑ロは今近づくべきにあらねばなり。導者は みのたけ ゆくて 灰の丘を左にして進まんとす。忽ち見る。我等の往手に火の海の横れるありて、身幹數丈なる怪 ひざ おほい 〔をか〕 いただき まろが あんや
228 ま めと わが しぼりて、逝け、わが心の妻よ、われは誓ひて復た此世の女子を娶らじと呼び、我指にめたり わぬ かばね かうべふ 〔そのとき〕 し環を抽きて、そを屍の指に遷し、頭を俯して屍の額に接吻しつ。爾時我血は氷の如く冷えて、 〔うつつ〕わ 〔ま〕 くちびるしづ 五體戦ひをののき、夢とも現とも分かぬ間に、屍の指はしかと我手を握り屍の脣は徐かに開きっ 9 〔さかしま〕た つくゑひつぎ 〔こま〕 たちま〔とこやみ〕 われは毛髮倒に竪ちて、卓と柩との皆獨樂の如く旋轉するを覺え、身邊忽ち常闇となりて、頭 た〔く〕 〔たへ〕 の内には只だ奇しく妙なる音樂の響きを聞きつ。 ま あたたかたなぞこ ともしびあきら 忽ち温なる掌の我額を摩するを覺えて、再び目を開きしに、燈は明かに小き卓の上を照し、われ まくらペ は我枕邊の椅子に坐し、手を我頭に加へたるもののロオザなるを認め得たり。又一人の我臥床の うづく おほ ひとさじ すす 下に蹲まりて、もろ手もて顏を掩へるあり。ロオザの我に一匙の薬水を薦めつつ熱は去れりと云 しづ へや ふ時、蹲れる人は徐かに起ちて室を聞でんとす。われ。ララよ、暫し待ち給へ。われは夢におん あら 身の死せしを見き。ロオザ。そは熱のなしし夢なるべし。われ。否、我夢は夢にして夢に非ず。 若しこれをしも夢といはば、人世はやがて夢なるべし。マリアよ。われはおん身のララなるを知 さいはひ る。昔はおん身とベスッムに相見、カ。フリに相見き。今この短き生涯にありて、幸にまた相見な 〔なの〕 や をは がら、爭でか名告りあはで止むべき。我はおん身を愛す。語り畢りて手をさし伸ばせば、マリア ひざまづ しゅよい は跪きて我手を握り、我手皆に接吻したり。 かうじ かぐは でまど をとめしゃうしゃう 數日の後、我はマリアと柑子の花香しき出窓の前に對坐して、この可憐なる少女の淸淨なるロの、 〔ふる〕 〔あひみ〕 じんせい この せんてん 〔によし〕 しば しゃうがい かれん ふしど
〔あす〕 我が「サン・カルロ」の劇場に登るべき日は明日となりぬ。これを待っ疑懼の情と、さきの夜 かたき きゃうがくおもひ しばら マドンナその の敵に出逢ひたる驚愕の念とは我をして暫くも安んずること能はざらしむ。わが聖母其他の諸聖 この ゅ を祈る心の切なりしこと此時に過ぐるはなかりき。われは寺院に往きて、彼の救世者流血の身に ぎ しゃうじゃう かうきゃう 擬したる麪包を乞ひ受け、その奇しき力の我を淸淨にし我を康強にせんことをりぬ。奪き麪包 あんど は果して我に多少の安堵を與へぬ。されどここに最も心にかかる一事あり。そはアヌンチャタの 此地にあるにはあらずや、ベルナルドオはこれに隨ひて來たるにはあらずやといふ疑間なりき。 ていち た 既にしてフェデリゴは我が爲めに偵知して、アヌンチャタのここにあらず、ベルナルドオの四日 けみ 前に單身ここに到りしを報ず。友は綿密に市の來賓簿を閲しくれたるなり。サンタの熱は未だ痊、 〔あす〕 〔もと〕 えず。されど明日の興行には必す往かんと誓へり。ヱズヰオは火を噴き灰を雨らすること故の如 しかうわが し。而して我名を載せたる番付は早く通に貼りされたり。 初舞臺 も 〔あ〕 めみ 日暮れて劇場の馬車の我を載せ行きしは、樂劇の幕の既に開きたる後なりき。若し運命の女訷に き して、剪刀を手にして此車中に座したらんには、恐らくは我は、、 しざ、截れと呼ぶことを得しな この 〔はさみ〕 この おほち〔は〕 〔十べラ〕 まち ふ 〔ふ〕