くわうみやう して、我に光明を援け給〈と唱へかけしが、張り詰めし氣や弛みけん、小舟の中にはたと伏し、 〔ひばな〕 舷側なる水ははらはらと火花を飛しつ。 おきなしばら をとめ ろ・ ~ ・か - の 翁は暫く身を屈して、少女のさまを覗ひ居たるが、やをら岸に登りて、きと眼を我姿に注ぎ、空 かの〔だいどうはっ〕 おのれ 中に十字を書し、彼大銅鉢を抱いて舟中に移し、己も續いて乘りうつれり。われは思慮するロ遑 あらずして、同じく舟に上りしに、翁は我を迎へんともせず、さればとて又我を拡まんともせず、 は 只た目を諍りて我を親るのみ。翁は又舫を握りて、彼靑き星に向ひて漕ぎ行けり。冷なる風は舟 かうべいはほ に向ひて吹き來れり。舟は巖窟の中に進み入りて、我等の頭は巖に觸んとす。われは身をララの たちまち 〔かぎり〕 上に俯したり。忽にして舟は杳樞として涯なき大海の上にでぬ。頭を回せば、斷千尺、斧も どうけっ 〔くぐ」 て削り成せる如くにして、乘る所の舟は畆下の小洞穴より潛り出でしなり。 せいちょう いちぐう〔がん〕 新月の光は怪しきまでに淸澄なりき。斷崖の一隅に龕の形をなしたる低き岸あり。灌木疎に生じ しんく 〔まじ〕 せき て、深紅の花を開ける草之に雜れり。岸邊には一隻の帆船を繋げるを見る。翁は小舟を其に留 めしに、少は期する所ある如く、身を起して我に向へり。われはその手に觸るることをだに敢 あらまぼろし てせずして、心の裡に我が遇ふ所の夢に非ず幻に非ず、さればとて又現にも非ず、人も我も遊魂 あひ の陰界に相見るものなるべきを思ひぬ。少女は、いざ藥草を采りて給〈と云ひて、右手を我にさ き えき し着けたり。われは鬼に役せらるるものの如く、岸に登りて彼香しき花を摘み、東ねて少女に た ( ふなばた〕 えう ! う る
116 給ひしより、人々は早や我等の生きて邏らざるべきを思ひ給ひぬ。搜索の爲めに聞し遣られし一「 さう もど 艘の舟は、一はこなたより漕ぎ往き、一はかなたより漕ぎ戻りて、末遂に一つところに落ち合 そうせき ゃうに掟てられしに、その舟皆歸り來て、舟も人もその踪跡を見ずといふ。フランチェスカの君 おと ふなびと は我がために涙を墮し給ひ、又ジェンナロと舟人との上をも惜み給ひぬと聞えぬ。 のたま なほ その時公子の宣給ふやう。かくて思ひ棄てんは、猶そのてだてを盡したりといふべからず。若し 、よま ある 舟中の人にして、或は浪に打ち揚げられ、或は自ら泅ぎ着きて、はざまなどにあらんには、 きかっ〔くげん〕 みづかゆ 人に知られで飢渇の苦艱を受けもやせん。いでわれ親ら往いて求めんとて、朝まだきに力強き 〔こぎて〕よたりやと どうくっ みなと〔ふなで〕 なごり 漕手四人を倩ひ、湊を舟出して、ここかしこの洞窟より巖のはざままで、名殘なく尋ね給ひぬ。 し お されど彼窟といふところには、舟人辭みて行かじといふを、公子強ひて設き勸め、草木生ひた たふふ おぼ りと見ゆる岸邊をさして漕ぎ近づかせしに、程近くなるに從ひて、人の僵れ臥したりと覺しきを くわんにく わがきぬ 認め、さてこそ我を救ひ取り給ひしなれ。われは綠なる灌木の間に横はり、我衣は濱風に火かれ ぐわいたう さ、さ一 て半ば乾きたりしなり。公子は舟人して我を舟にけ載せしめ、おのれの外套もて被ひ、手の尖 〔す〕あたた 胸のあたりなど擦り温めつつ、早く我呼吸の米だ絶え果てぬを見給ひぬといふ。われはかくてこ くすし こに件はれ、醫師の治療を受けつるなり。 さればジェンナロと二人の舟人とは魚腹に葬られて、われのみ一人再び天日を見ることとなりし かわ の おき ら およ よこた つひ てんじっ おは
二人ありて泅ぎて穴の内に入り、始てその景色の美を語りぬ、その畫工はフリイスとコオ。ヒッシ ュとの二人なりきと云ひぬ。 いはあな ら ふなびとろ 舟は石穴のロに到りぬ。舟人はを棄てて、手もて水をかき、われ等は身を舟中に横へしに、列 きび へいそく しば ぎゅうりゅう ラは屏息して緊しく我手を握りつ。暫しありて、舟は大穹窿の内に入りぬ。穴は海面を拔くこ 〔プラッチョオ〕 もんゐき または と一伊尺に過ぎねど、下は百伊尺の深さにて海底に達し、その門閾の幅も亦略ぼ百伊尺ありと どうくっ へき そいふなる。さればその日光は積水の底より入りて、洞窟の内を照し、窟内の萬象は皆一種の碧 しよくお さうびくわペん がっしゃ , 色を帶び、舫の水を打ちて飛沫を見るごとに、紅薔薇の花瓣を散らす如くなるなれ。ララは合掌 おもひこ して思を凝らせり。その思ふところは必ずや我と同じく、曾て二人のここに會せしことを憶ひ起 まけつおそ すに外ならざるべし。彼アンジェロの獲つる金は、むかし人の魔穴を怖れて、敢て近づくことな かく かりし時、海賊の匿しおきつるものなるべし。 いはあな くわうみやうたちまう くつない 巖穴の一點の光明は忽ち失せて、第二の舟は窟内に入り來りぬ。そのさま水底より浮び出づるが おほよ 如くなりき。第三、第四の舟は相繼いで至りぬ。凡そここに集へる人々は、その奉ずる所の敎 しんぶくどくたた の新舊を問はず、一人として此自然の奇觀に逢ひて、天にいます神父の功德を稱へざるものな し。 にはかしほ いはあなふさ 舟人は俄に潮滿ち來と叫びて、忙はしく艫を搖かし始めつ・そは滿潮の巖穴を塞ぐを恐れてなり 〔およ〕 わが かの ひまっ この あひっ かっ つど よこた
8 くわちゅう も鍋中の湯の滾沸せるが如くなり。ジ = ンナロはいづかたに避くるかと間へり。少年は後々とい たつまき へり。われ。さらば又全島を巡らんとするか。少年。風なき方の岩に沿うて漕がん。龍卷は島を も おきなこの さいはひ 〔むき〕 離れて走る如し。翁。此小舟の若し岩に觸れて碎けずば幸なり。語未だ畢らず、龍卷の嚮は一轉 わが せり。一轉して吾舟の方に進めり。その疾きこと颶風の如し。舟若し高く岩頭に吹き上げられず 〔そ〕 ちひろ ば、必ず岩根に傍ひて千尋の底に壓し沈めらるべし。われは翁と共に舫を握りつ。ジェンナロも また たす きゃうらん 亦少年を扶けて働けり。されど風聲は早く我等の頭上に鳴りて、狂瀾は既に我等の脚下に翻れり・ こぎて いくどうおん 二人の漕手は異ロ同音に、奪きルチア、助け給へと叫びつつ、を捨てて跪せり。ジェンナロ しつ さうしん ぎようざ 聲を勵して、など舫を捨つると叱すれども、二人は喪心せるものの如く、天を仰いで凝坐す。わ たちま このは もてあそ げん れは忽ち乘る所の舟の、木葉の旋風に弄ばるる如きを覺え、暗黑なる物の左舷に迫るを視、舟は ひばく わが そそ 高く高く登り行けり。飛瀑の如き水は我頭上に灌ぎ、身は非常なる氣壓の加はるところとなりて、 ほとばし 眼中血を迸らしめんと欲するものの如く、五官の能既に發して、わが絶えざること縷の如き意識 つひこん懸っ まは唯だ死々と念ずるのみ。われは終に昏絶せり っ た た こんふつ はや 0 のう へうふう かた をは
夢幻境 113 燃ゆる水の上を走り來るにそありける。 らうをう その漸く近づくを候へば、靜かに艫を搖すものは一人の老翁なり。の一たび水を打つごとに 1 さうび をなご 〔うづくま〕 波は薔薇花紅を染め出せり。舟の舳に一人の蹲れるあり。その形女子に似たり。舟は慚く近づ おぎな けども、二人はロに一語を發せず、その動かざること石人の如く、動くものは唯だ翁が手中の わが のみ。忽ち聲ありて、一の長大息の如く、我耳に入り來りぬ。その聲は曾て一たび聞けるものの 如くなりき。 〔わ〕【ゑが〕 〔ほとり〕こ 舟は岸に近づきて圈を劃き、我が起ちて望める邊に漕ぎ寄せられたり。翁が手はを放てり。女 〔あはれ〕 子はこの時もろ手高くさし上げて、哀に悲しげなる聲を揚げ、訷の母よ、我を見棄て給ふな、我 おはせかしこ は仰を畏みてここに來たりと云へり。われは此聲を聞きて一聲ララと叫べり。舟中の女子は彼ペ ほとり こちょ スッム古祠の畔なる腎女なりしなり。 しぼ くわうみやう ララは我に對ひて起ち、聲振り絞りて、我に光明を授け給へ、我に訷の造り給ひし世界の美しさ たと 〔こわね〕〔よのつね〕 を見ることを得させたまへと祈願したり。その聲音は尋常ならず、譬へば泉下の人の假に形を現 こんと》けう をとめ して物言ふが如くなりき。我印興詩は漫りに混沁の竅を穿ちて、少女に宇宙の美を敎へき。今や 少女は期せずして我前に來り、我に眼を開かんことを請へり。われは少女の聲の我心魂に徹する あた を覺えて、口一語を出すこと能はず、只だ手を少女のにさし伸べたるのみ。少女は再び身を起 たちま 〔むか〕 〔うかが〕 た ろ 〔へさき〕 〔た〕 う・こか た この ひと かっ せんか てつ
171 水の都 ラグウナ ひしよりも高からず。舟は陸と鹹澤との間を進めり。後なるものは曲りたる堤の如く、海中に斗 たまたま わづか 出したり。土地は全體極めて卑しとお・ほしく、岸の水より高きこと僅に數寸なるが如し。偶、、數 ひとむらこだち すべ 〔フジナ〕 戸の小屋の群を成せるあれば、指ざして市と云ふ。ここかしこには一叢の木立あり。共他は渾て 是れ平地なりき。 ! うじん われはヱネチアの既に甚た近きを覺えしに、今房人に間へば猶一里ありと答ふ。而して此一里の かうべあらは ちよりう たうしよさま 間は、皆瀦留せる沼澤の水のみ。處々には土の島嶼の状をなして頭を露せるあり。その上には くひ 〔みぞ〕うが 一鳥の足を留むるなく、一莖の草の萌え聞づるなし。沼澤の中に、深き渠を穿ちて、杭を立て泥 ささ 〔や〕 を支ふるあり。是れ舟を行る道なり。われは始て「ゴンドラ」といふ小舟を見き。皆黑塗にして、 その形く長く、波を截りて走ることを離れし箭に似たり。逼りて親れば、中央なる船房にも なほあゐ ナポリ きれおは ひつぎ 黒き布を覆へり。水の上なる柩とやいふべき。拿破里の水は岸に近づきても藍いろなるに、こ ある ゃうや こは漸く變じて汚れたる綠となれり。偶と一島の傍を過ぐるに、その家々は或は直ちに水面より マドンナ 起れる如く、或は度れたる舟の上に立てる如し。最も高き石壁の頂に、幼き耶蘇を抱ける聖母の あふりよくしよく くわうりゃう ながゐ 〔みざう〕 御像ありて、この荒涼なる天地を眺め居給ふ。水の淺きところは、別に一種の鴨綠色をなして、 まち 〔あか〕 一面深き淵に接し、一面は黑き泥土の島に接す。日は明くヱネチアの市を照して、寺々の鐘は皆 よこたは た せんきようかが おほち〔げき〕 鳴り響けり。されど街衢は闃として人影なきに似たり。船渠を覗へば、只だ一舟の横れるありて、 こ ふち はなは いつけい たまたま かたへ なは しかう その この
173 水の都 あはれヱネチアとは是か、海の配偶と云ひ、世界第一の富強者と云ひしヱネチアとは是か。われ は名に聞えたるマルクスの廣こうちに入りぬ。こはユネチアの心胸と稱すべき處にして、國の性 いはゆる 〔いづれ〕 〔ナポリ〕まち 命は此に存ずといふなるに、その所謂繁華は羅馬のコルソオに孰與そ、又拿破里の市に孰與そ。 しよし 〔せりもち〕 その 石の迫持の下なる長き廊道には、書肆あり珠玉店あり繪晝鋪あれども、足を其前に留むるもの多 た〔カッフェ工〕 きせるふく からず。唯だ骨喜店の前には、幾個の希臘人、土耳格人などの彩衣を纏ひて、ロに長き烟管を啣 さき めつき み、默坐したるあるのみ。日は「マルクス」寺の屋根の鍍金せる尖と寺門の上なる大いなる銅馬 せきしゃう きしゃう とを照して、チュベルス、カンヂア、モレア等の舟の赤檣の上なる黴章ある旗は垂れて動かず。 〔いしだたみ〕 〔あさ〕 數千の鴿は廣こうちを飛びかひて、甃石の上に求食れり。 われは進みてポンテ・リアルトオに到りて、いよいよ期土の風俗を知りぬ。ヱネチアは大いなる しか ) 悲哀の鄕なり、我主觀の好き對象なり。而して此鄕の水の上に泛べること、古のノアの舟と同じ。 われは小き舟を下りて、この大いなる舟に上りしなり。 ゅふペ おほ 日のタとなりて、模糊として力なき月光の全都を被ひ、隨處に際立ちたる翳を生ぜしとき、わ いんしん くわうみやうよろ れはいよいよヱネチアの眞味を領略することを得たり。死せる都府の陰森の氣は、光明に宜しか いうあん らずして幽暗に宜しければなり。われは客亭の窓を開いて立ち、黑き小舟の矢を射る如く黑き波 〔さき〕 を截り去るを望み、前の舟人の歌ひし戀の歌を憶ひ起せり。われは此時アヌンチャタを恨みき。 〔ここ〕 わが お これ よ ギリシア この おも このど いにしへ おは
おどろか 0 ⅡⅡ【うまれ〕 ひとみ 中にカラ・フリア産の一美人ありて、群客の目を駭せり。その美しき黒き瞳はこれに右手を借し われら みとせ たる丈夫の面に注げり。是れララと我となり。吾等は夫婦たること既に三年、今ヱネチアに至る せきじっきぐうあと へやひとすみ 途上、再び此島に遊びて、昔日奇遇の蹟を間はんとするなり。室の一隅には、又一老婦のもろ手 ようば 5 くわいゐ イタリア おぼっか を幼女の肩に掛けたるあり。容貌魁偉なる一外人この幼女を愛する餘りに、覺東なげなる伊太利 にはか 語もてその名を問ふに、幼女は遽に答ふべくもあらねば、老婦代りてアヌンチャタと答へつ。こ はララが生みし子に付けし名にて、そを外人に告げたるはロオザなり。われ進みて之と語を交へ デネマルク ああこ て、その璉馬人なるを知りぬ。鳴呼、是れ晝エフェデリゴと彫匠トオルワルトゼンとの鄕人なり。 ふるさとあ なは 0 オマ 〔げ〕 ( こうしゃ〕 フェデリゴは今故鄕に在り、トオルワルトゼンは羅馬に留れりと聞く。現に後者が技術上の命 〔このど〕 脈は期土に在れば、その久しくここに居るもまた宜なるかな。 〔へさき〕〔とも〕 〔こぎて〕 我等は群客と共に岸に下りて舟に上りぬ。舟はおのおの二客を舳と艫とに載せて、漕手は中央に や まっさき 坐せり。舟の行くこと箭の如く、ララと我との乘りたるは眞先に進みぬ。カプリ島の級状をなせ たちま ちくりつ 洞ふだ ) ばたけオリワ る葡萄圃と橄欖樹とは忽ち跡を沒して、我等は矗立せる岩壁の天に聳ゆるを見る。綠波は石に觸 れて碎け、紅花を開ける水草を洗へり。 おほい 〔かげき〕 〔や〕 忽ち岩壁に一小罅隙あるを見る。その大さは舟を行るに堪へざるものの如し。我は覺えず聲を放 まけっ ふなびと ちて魔穴と呼びしに、舟人打ち微笑みて、そは昔の名なり、三とせ前の事なりしが、獨逸の畫工 ら この 〔にほゑ〕 そび
じゅそ 自在に評論せよ。されど汝等は裁決せざれ。さらば汝等は裁決せられざるならん。汝等は咒詛せ まことかく ざれ。さらば汝等は咒詛せられざるべし。我は實に此の如く思議せり。此の如く思議して、復た おだやかわが あた いのりことば 薦の詞を出すこと能はずして寢たり。舟は穩に我夢を載せて、北のかたユネチアに向へり。 水の都 あかっき 曉に起きて望めば、前面早く家々の壁と寺塔とを辨ずることを得たり。そのさま譬へば帆を揚 ゑが よこさまつらな げたる無數の舟の橫に列れるが如し。左のかたにはロム・ハルヂアの岸の平遠なる景を畫けるあり。 ひさう さうあい はるか 遙に地平線に接してはアルビイの山脈の蒼靄に似たるあり。われはこれを望みて、彼蒼の廣大な なかば るを感ぜり。天球の半は一時に影を我心鏡に映ずることを得たるなり。 むねのうち さうりゃう 爽涼なる朝風は我感情を冷却せり。我は心裡にヱネチアの歴史を繰り返して、その古の富、古の 繁華、古の獨立、古の權勢大海に配すといふ古の大統領の事を思ひぬ。 ( ヱネチア共和國に ゃうや かんたく 「ドオジェ」を置きしは、第八世紀より千七百九十七年に至る。 ) 既にして舟は漸く進み、鹹澤 ( ラグウナ ) の上なる個々の人家を見るに、その壁は黄を帶びたる灰色を呈し、古代の様式にもあ らず、又近時の設計にもあらねば、要するに好觀にあらざりき。名に聞えたるマルクスの塔は思 なんちら わが 〔ドオジこ いにしへ たと
280 ストの誤りの踏襲もの例であろう。その他⑧⑤の類は巻末の注に一応示したので、ここでは④ の例を一つあげてみる。下巻一一三二ページ 舟は石穴のロに到りぬ。 : われ等は身を舟中に横へしに、ララは屏息して緊しく我手を握り 圏点の箇所は鴟外の書き換えで、このあたりの数行だけでみればまことに結構である。しかし前 のページに「舟はおのおの二客を舳と艫とに載せて、漕手は中央に坐せり。」とある。この「お のおの二客を : : : 」は前と後に二人ずつ ( とすれば一そうに四人の客 ) の意味ではなく、前と後 に一人ずつ ( 一そうに二人の客 ) の意であろう。 ( 原文は Jed 窃 Boo ニら ( e nu 「 zwei pe 「 sonen. an 」 edem Ende saß eine und de 「 Rude 「 e 「 in de 「 Mitte. ) とすれま、 ( いくら小舟でも、漕手を間にし て前と後に離れているのでは、ララがアント = オの手を握るのは無理ではあるまいか。凝り過ぎ たための思わぬミスである。 「即興詩人ーの文章は、国語と漢文、雅言と俚辞の調和融合を意図したという ( 第十三版題言 ) 。 すなわち王朝文学のスタイル、伝統的な雅文雅語は優美ではあるが、力強さ、直接性等に乏しい その欠点を漢語漢文の簡潔な力強さ、俗語の直接性によって補い、西洋文学の訳出に堪え得る文 章を作ろうとしたのである。その意図は一応成功し、擬古文として優雅華麗に洗練をきわめつつ しかもよく西洋の香りをただよわせ、かっ力強くリズミカルであり、朗読によく暗誦によい文章