181 颶風 あた もたやすく近づくこと能はざるを奈礒せん。われは必ずしもかの人心より此の如しと設かず。そ ふるまむすめ は人にめづらしがられんとてかく振舞ふ女も少からねばなり。そが上に彼人の身上には明白なら ボデスタ をん・こく ざる處なきにしもあらず。わが聞くところに依れば、市長に二人の妹ありて、皆久しく遠國に住 とっ めりき。その最も少き方の妹は希臘人に嫁ぎたりしに、その夫婦の間に彼の奇しき少女はまうけ られぬといふ。今一人の妹は猶處子なり、しかも老いたる處子なり。四とせ前の頃彼の少女を伴 ひて歸り來りしは、此の老處子に他ならざりき。 あんこく 夜の如き闇黒は急に酒亭を襲ひて、ポッジョが話の腰を折りたり。あなやと驚く隙もあらせず、 かくぜん ら おほいふる かうべた 赫然たる電光は身邊を繞り、次いで雷聲大に震ひ、我等二人をして覺えず首を低れて、十字を空 に晝かしめつ。 あるじ いできたさふら リドすぐ 酒亭の女主人色を變じて馳せ來りて云ふやう。氣の毒なることこそ出來り候ひぬれ。岸區の優れ ふなびとむたり なかんづくあはれ いったり たる舟人六人未だ海より歸らずして、就中憐むべきアニエ工ゼは子供五人と共に岸に坐して待て た マドンナ にか〔すべ〕 たちまかしよう 。いかになり行くことならん。只だ聖母の御惠を祈らんより外術なしといひぬ。忽ち歌頌の聲 たうりつ ひとむらをなご はわれ等の耳に入れり。戸を出でて覗へば、彼の激浪倒立すること十丈なる岸頭に、一群の女子 むれ わか 小兒の立てるあり。小兒等は十字架を捧けて持てり。群のうちに一人の年少き女の、地に坐して ぎようし ひざまくら 海上を凝視せるあり。この女は赤子に乳房を銜ませたるに、別に年稍長ぜる一兄の膝に枕した 〔わか〕かた なは ギリシア ささ ちぶさふく よ かの ひま をとめ
くわんく たちま 〔あか〕 になりたる小灌木、半ば枯れたる草の莖もあらずなりぬ。夜はいと明けれど、強く寒き風は忽ち 〔さかり〕 そら らんべき 起りぬ。將に沒せんとする日は熾なる火の如く、天をば黄金色ならしめ、海をば藍碧色ならしめ、 むらが たうしょ まことこ 海の上なる群れる島嶼をば淡靑なる雲にまがはせたり。眞に是れ一の夢幻界なり。灣に沿へる ぼしよくびばう 拿破里の市は次第に暮色微茫の中に沒せり。眸を放ちて遠く望めば、雪を戴けるアルビイの山脈 氷もて削り成せるが如し。 もくせふ きた 紅なる熔巖の流は、今や目睫に迫り來りぬ。道絶ゆるところに、黑き熔巖もて掩はれたる廣き面 うさぎうまひづめ しか あり。驢馬は蹄を下すごとに、先づ探りて而る後に踏めり。既にして一の隆起したる處に逢ふ。 さまあらたこの その ようしゆっ た まばら その状新に此熔巖の海に涌出せる孤島の如し。されど其草木は只だ丈低き灌木の疎に生ぜるを見 〔やまびと〕〔こや〕 るのみ。この處に山人の草寮あり。兵卒數人火を圍みて聖涙酒を呑めり。 ( 「ラクリメエ・クリス ら チイ」とて萄葡酒の名なり。 ) こは遊覽の客を護りて賊を防ぐものなりとそ。われ等を望み見て身 き まっ ほのほ はげ なび わろか を起し、松明を點じて導かんとす。劇しき風に陷は横さまに吹き靡けられ、減えんと欲して僅に いはほ ほそち かたまりひづめ 燃ゅ。博士は疲れたりとて草寮に留まりぬ。我等の往手は巖の間なる細徑にて、熔巖の塊の蹄に けは たに 觸るるもの多し。處々道の險しき谿に臨めるを見る。 〔かちだち〕 既にして黒き灰もて盛り成したる山上の山ありて、我等の前に横はりぬ。我等は皆徒立となりて、 うさぎうま わらべ かざ くるぶし 驢をばロとりの童にあづけおきぬ。兵卒は松明振り翳して斜に道取りて進めり。灰は踝を沒し ナポリ まさ まち め ゆくて こがね るる よこた たけ いただ おほ
さき ひとむら しき人影のその前にゆらめくを。これ我等に前だてる旅客の一群なり。我等は手足を動して熔岩 いんえい しんこく まっ 〔くまぐま〕 の塊を避けつつ進めり。色褪せたる月の光と松明の火とは、岩の隈々に濃き陰翳を形りて、深谷 ゃうや の看をなせり。忽ち又例の雷聲を聞きて、火柱は再び立てり。手もて探りて漸く進むに、石土の とうじゃう へいくわっ 熱きを覺ゆるに至りぬ。巖罅よりは白き蒸氣騰上せり。既にして平滑なる地を見る。こは二日前 なは に流れ出でたる熔岩なり。風に觸るる表層こそは黒く凝りたれ、底は紅火なり。この一帶の このくわかくふ かなた 彼方には又常の石原ありて、一群の旅客はその上に立てり。導者は我等一行を引きて此火殼を踐 あと あ ましめたるに、足跡炙ぶるが如く、我等の靴の黒き地に赤き痕を印するさま、橋上の霜を踏むに ぎようそく だんもん すか 似たり。處々に斷文ありて、底なる火を透し見るべし。我等は凝息して行くほどに、一英人の導 かれなんち 者と共に歸り來るに逢ひぬ。渠、汝等の間に英人ありやと問ふに、われ、無しと答ふれば、一聲 畜生と叫びて過ぎぬ。 かの むれ 我等は彼旅客の群に近づきて、これと同じく一大石の上に登りぬ。此石の前には新しき熔岩流れ ようろ その ひろ おは 下れり。譬へばの熔爐より聞づる如し。共幅は極めて濶し。蒸氣の此流を被へるものは火に映 あんこう ゅわう じて殷紅なり。四圍は暗黒にして、空氣には硫黄の氣滿ちたり。われは地底の雷聲と天半の火柱 むなさき 〔みきき〕 と此流とを見聞して、心中の弱處病處の一時に滅盡するを覺えたり。われは胸前に合掌して、神 てらのうち よ、詩人も亦汝の預言者なり、その聲は寺裏に法を説く曾侶より大なるべし、我に力あらせ給へ、 かたまり たと たちま がんか あ ら おほい しゅそく かたど
〔たぐひ〕 ば、工事の未だはかどらざることポムペイの比にあらずと覺し。 たちまこ た レジナを背にして車を馳すれば、目の及ばん限、只だ大海の忽ち凝りて黑がねとなれるかと疑は うづも あらた るる平原を見るのみ。半ば埋れたる寺塔は寂しげに道の側に立てり。處々に新に造りたる人家と ら ぶたうばたけ 葡萄圃とあり。博士われ等を顧みて云ふやう。この境の慘状をばわれ目のあたり見ることを得た なほ わだち そのくわえん り。われは幼かりき。この車轍の過ぐるところは、其時火餤の海をなし、その怖ろしき流は山 ギリシア 岳の方より希臘塔市 ( トルレ・デル・グレコ ) の方へ向ひたり。葡萄圃は多く熔巖に掩はれ、父と あんこう そば われとの立てる側なる岩は其光を受けて殷紅なり。寺院の火海の中央に漂へるさまはノアの船に ともしび しゃうがい かす 異ならず、その燈の未だ減せざるが微かに靑く見えたり。われは生涯その時の事を忘れず。父の なほ〔きのふ〕 燒け殘りたる葡萄を摘みてわれに食はせしは、今も独昨のごとしと云ひぬ。 つらな つるこずゑ 凡そ拿破里の入江の諸市は、譬へば葡萄の蔓の梢より梢にわたりて相連れるが如く、一市を行き まち よこたは トルレ・デル・グレコ すなはち 盡せば一市又前に橫る。 ( 希臘塔市の次はトルレ・デル・アヌンチャタの市なり。 ) 道は此 うさぎうまの 熔巖の平野に至るまで、都會の大街に異ならず。馬に乘る人、驢に騎る人、車を驅る人など絶 ゆきき むれひと えず往來して、その間には男女打ち雜りたる旅人の群の一しほの色彩を添ふるあり。 初めわれはエルコラノもポムペイも深く地の底に在りと思ひき。されど其實は体らず。古のポム ペイは高處に築き起したるものにして、その民は葡萄圃のあなたに地中海を眺めしなり。われ等 おはよナポリ っ あ 〔ま〕 ま し おそ おは いにしへ この
39 古市 くわいるゐ らあな くわんく は漸く登りて、今暗黑なる燼餘の灰壘を打ち拔きたる洞穴の前に立てり。洞穴の周圍には灌木、 わた さび ちと 草綿など少しく生ひ出でて、この寂しき景に些の生色あらせんと勉むるものの如し。われ等は番 まち 兵の前を過ぎて、ポムペイの市のロに入りぬ。 いにしへ 博士マレッチイは我等を顧みて、君等は古のタチッスをもプリニウスをも讀み給ひしならん、凡 これ ふみ そ此等の書の最も好き註脚は此市なりと云ひたり。われ等の進み入りたる道を墳墓街と名づく。 てうる あまたせきけっ 〔ゅぎかへり〕 許多の石碣並び立てり。二碑の前に彫鏤したる榻あり。是れポムペイの士女の郊外に往反すると きしばらくひし處なるべし。想ふに當時この榻に坐するものは、碑碣のあなたなる林木郊野を わうらい さうい ) 見、往來織るが如き街道を見、又波靜なる入江を見たるならん、今は唯た窓膈ある石屋の處々に おぼ あまたさうこん 立てるを望むのみ。屋は地震の初に受けたりと覺しき許多の創痕を留めて、その形枯髑髏の如く、 搴んさう ふしん 窓は空しき眼寞かと疑はる。間當時普請の半ばなりし家ありて、彫りさしたる大理石塊、素燒 かたへよこたは の模型などその儚に橫れり。 いしだん 〔さじき〕 われ等は漸くにして市の外垣に到りぬ。これに登るに幅廣き石級あり。古劇場の觀棚の如し。當 ひとすちちまた 面には細長き一條の街ありて通ず。熔巖の板を敷けること拿破里の街価と異なることなし。し かのキリスト この板は遠く彼基督紀元七十九年の前にありて噴火せし時の遺物なるべし、今その面を見るに、 かんばんのこ 深く車轍を印したればなり。家壁には時に戸主の姓氏を刻めるを見る。又招牌の遺れるあり。 わだちお お よ じんよ この はじめ こしかけ 〔ナポリ〕おはち っと ひけっ た されかうべ おほよ
うしほ ふなびとぎよしう くがひ にしよくやうや 紅は薔薇色をなして、岸打っ潮に自然の節奏を聞く。舟人は漁舟を陸に曳き上げたり。暮色漸く あらたとも へきしよく せぎ 至れば、新に點したる燈火その光を增して、水面は碧色にかがやけり。一時四隣は寂として聲な たちま ぎよふ かりき。忽ち歌曲の聲の岸より起るあり。こは漁父の妻子と共に歌ひ出せるにて、子どもらしき 「ソ。フラノ」音は低き「バッソオ」の音にまじりたり。一種の言ふべからざる情は我胸に溢れて、 ふる はや ぶだ ) 我心はこれがために震ひ動けり。一の流星あり。その疾きこと撃石火の如く、葡萄の林のあなた またかの をんな に隕ちぬとそ見えし。けふ我に接吻せし氣輕なる新婦の家も亦彼林のあなたにあり。われは彼女 あるじうつくし ポセイドソし にとり こぢよ 主人の美かりしをおもひで、又彼海神祠の畔なる瞽女の美しかりしをおもひ出でしが、その うしろ とも ひと 背後には心と身と皆美しかりしアヌンチャタありて、その一たび點したる火は今も猶我身を焦せ マドンナ〔みな〕 へいり さうび くちびる り。我は餘りのへ難さに、ロに聖母の御名を唱へて、瓶裡の薔薇一輪摘み、そを脣に押し當て かたくだ つつ心には角アヌンチャタが上を思へり。われは情に堪へずして、信堂を出で、海の方へ降り行 すなはせいぎ 「あ〕 きぬ。印ち星輝を浴びたる波の岸に碎くる處、漁父の歌ふ處、涼風の面を撲っ處なり。歩みて晝 おほぐわいたうかうぶ かたへは 間過ぎし所の石橋の上に至りぬ。この時一人の身に大外套を被り、忙しげに我傍を馳せ去りたる 〔まっしくら〕 あり。われはその姿勢態度を見て、直ちにそのジェンナロなるを知りぬ。ジェンナロは驀地に走 しりへ〔したが〕 りて、曾て憩ひし白壁の家に向へり。我は心ともなく、その後に跟ひ行ぎぬ。家の窓よりは燈火 その ぶだうたな の影洩りたるが、彼の外套着たる姿は其光に照されて、窓の直下に浮び出でぬ。われは葡萄架の お さ , び かっ わが なほ あふ
夜 5 らみ ~ 、わうばう ことごとくこれを賞することを得ざるを憾とす。此地は廣袤幾里の間、四時春なる芳園にして、 その いしだん まち 共中央なる石級上にアマルフイイの市あり。西北の風絶て至ることなければ、寒さといふものを しゅろぎつゆ わた 知らず。風は必ず東南より起り、棕櫚橘柚の氣を帶びて、滿泌を渉り來るなり。 さま そび しばゐさじぎ 市の層疊して高く聳ゆる状は、戲園の觀棚の如く、その白壁の人家は皆東國の制に從ひて平屋根 せま ぶだう 〔てふへき〕 なり。家ある處を踰えて上り、山腹に逼るものは葡萄丘なり。山上には蝶壁もて繞らされたる古 〔ささ〕 かたへ いっしゅ へきくうま 城ありて雲をふる柱をなし、その傍には一株の「ビニョロ」樹の碧空を摩して立てるあり。 ら ふなびと 舟の着く處は遠淺なれば、舟人は我等を負ひて岸に上らしめたり。岸には窟多くして、水に浸 しから されたると否ざるとあり。小舟一二つ四つ水なき處に引上げたるを、好き遊びどころにして、子供 たいていじゅ ! ん 〔チョキ〕かさ あまた集へり。身に挂けたるは、大抵襦襷一枚のみにて、唯だ稀に短き中單を襲ねたるが雜れり・ 〔たちんば , 〕などたぐひ〔らてい〕 あたたかすな ・こすゐ 「ラツツアロオネ」といふ賤民 ( 立坊抔の類 ) の裸裡なるが煖き沙に身を埋めて午睡せるあり。 いただ かちいろ ! うし その常に戴ける褐色の幗は耳を隱すまで深く引き下げられたり。寺院の鐘は鳴り渡れり。紫衣の 〔じゅ〕 ささ 〔たくざう〕 あらたっ 若僧の一行あり。頌を唱へて過ぐ。捧ぐる所の磔像には、新に摘みたる花の環を懸けたり。 ゅんで ほらあなとな おほよ 市の上なる山の左手に、深き洞穴に隣れる美しき大僧堂あり。今は外人の旅館となりて、凡そこ こに來らん程のもの一人としてこれに投ぜざるはなし。夫人をば輿に載せて舁かせ、我等はこれ いはほき 〔こみち〕 さうかい〔み〕 に隨ひて深く巖に截り込みたる徑を進みぬ。下には淸き蒼海を瞰る。一行は僧堂の前に留りぬ。 そうでふ つど この は 5 ゑん 〔ひらやね〕 びた
126 敎育 ポルゲエゼ家の宮殿は今わが居處となりぬ。人々の我をもてなし給ふさまは、昔に比ぶれば優し ことイ - あなど 〔おこなひ〕 く又親しかりき。時として我を輕んずるやうなる詞、我を侮るやうなる行なきにしもあらねど、 そはわが爲め好かれとて言ひもし行ひもし給ふなれば、憎むべきにはあらざるなるべし。 〔よそ〕うつ ひと たいか 夏は人々暑さを避けんとて餘所に遷り給へば、われ獨り留まりて大厦の中にあり。涼しき風吹き 〔そ〕 初むれば人々歸り給ふ。かくて我は漸く又此境遇に安んずることとなりぬ。 もはや 〔わらは〕 ことま 我は最早カム。 ( ニアの野の童にはあらず、最早當時の如く人の詞どいふ詞を信ずること、宗敎に あた 志篤き人の信條を奉ずると同じきこと能はず。我は最早「ジェスヰタ」派學校の生徒にはあらず ? そくばく うら なは 最早敎育の名をもてするあらゆる東縛を甘んじ受くること能はず。さるを憾むらくは人々、独我 をることカムパニアの野の童、「ジェスヰタ」派學校の生徒たる日と異ならざりき。此間に處 はらんそうでふ して、我は六とせを經たり。今よりしてその生活を顧みれば、波瀾層疊たる海面を望むが如し。 まいぼつをは 好くも我はその測濤の底に埋沒し畢らざりしことよ。讀者よ、わが物語を聞くことを辭まざる讀 者よ。願はくは一氣に此一段の文字を讀み去れ。われは唯だ省筆を用ゐて、その大概を斂して已 あっ み た かろ この この
小尼公 133 〔かの〕 ら、今はその美しさの彼メヅウザに逢ひて化石したるにはあらずやとおもはれたり。 ( メヅウザ 〔ゾ。ッコ〕 たちま は希祺話中の恐るべき處女祺にして、之を視るものは忽ち石に化したりといふ。 ) 煖き巽風の火 、・こ ゑが くごとに、われはベスッムの温和なる空氣をおもひ出して意中にララが姿を晝き、ララによりて 〔かの〕 又その邂逅の處たる怪しき洞窟に想ひ及びぬ。われは彼物敎〈んとする賢き男女の人々の間に立 ぞくさい ちて、上校の兄童の如くなるとき、心にはむかし賊寨にて博せし喝采と「サン・カルロ」座にて きは ひややか 聞きつる讙呼の聲とを思ひ、又人々の我を遇すること極めて冷なるが爲めに、身を室隅に躱けた むし るとき、心にはむかしサンタがもろ手さし伸べて、我を棄てて去らんよりは寧ろ我を殺せと叫び わがよはび しことをおもひぬ。六とせは此の如くに過ぎ去りて、我齡は二十六になりぬ。 アベ・チッサ 小尼公 フアビアニ公子とフランチェスカ夫人との間に生れし姫君の名をばフラミ = アといひぬ。されど とな アベヂッサ 〔いひなづけ〕 搖籃の中にありて、早く訷に許嫁せさせ給ひしより、人々小尼公とのみ稱ふることとなりぬ。こ まみ の小尼公には、むかし我手にかき抱きて、をかしき畫などかきて慰めまつりし頃より後、再び見 〔クワトロ・フォンタネ〕 ゆることを得ざりき。小尼公は敎育の爲めにとて、四井街の尼寺にあづけられ給ひしより、 わが かく かっさい ぐう〔さ〕
に讓らざるべし。 さま しろもの たいせき まち〔つつ〕 我等は市街に歩み入りぬ。アマルフイイの市は裹める貨物をみだりに堆積したる状をなせり。 羅馬なる猶街のきも、これに比べては尚通価大路と稱するに足るならん。ここの街といふは、 にらう たぐひ まことは家と家との間に通じ、又は家を貫きて通じたるろちの類のみ。或るときは狹く長き歩廊 あまた を行くが如く、左右に小き窓ありて、許多の暗黑なる房に連れり。或るときは巖壁と石垣との間 しめ に、二人並び歩むに堪へざるばかりの道を開けるが、暗くして曲り、濕りて穢れ、級を登り級を ら あ 降りて、その窮極するところを知らず。我等はをりをり身の戸外に在るを忘れて、大いなる度屋 ひとり ともしびか 〔さまよ〕おもひ やみ の内を彷徨ふ念をなせり。所々燈を懸けて闇を照すを見る。而して山上は日獨高かるべき時刻 なりしなり。 ややかいくわっ ( いははな」 既にして我等は稍よ開豁なる處に出でたり。一の石橋あり。こなたの巖端よりかなたの巖端に架 かたち 〔ひろこうち〕 したり。橋下の辻は市内第一の大逵なるべし。二少女ありて「サタレルロ」の舞を演ぜり。貌め さもに 〔らてい〕 かたへ 襲でたく膚褐いろなる裸裡の一童子の、儚に立ちてこれを看るさま、愛の神童に彷彿たり。人の諱 〔きかん〕 くを聞くに、 この境寒を知らず、數年前祁寒と稱せられしとき、寒暑針は角八度を指したりとい 夜 ふ。 ( 寒暑針はレオミュウル式ならん。 ) 巖頭に小ぎ塔ありて、美しき入江の景色の、遠く大小二島の邊まで見ゆる處より、蘆薈、「ミュル ら はだへ〔かち〕 あたり しかう 〔アモォル〕 あ けが がん ろくわい さ