233 注 のキリスト教迫害の際に殉教した。ナポリの保護聖人として信奉される。 き 1 カルヂナアレ ローマ教皇のカトリック教会全体への行政上の最高顧間。定員七十名。教皇庁に居 住するものと、英独仏伊米濠など各国に居住するものとがある。教皇死去の際はシスティナ礼拝堂 ( 後 出、「精進日、寺楽」 ) に集って教皇の選挙をする。枢機卿。 〃聖ミケルーーー十五行目の ( ) 内は原注。大天使の一人。叛逆の天使ルシフェルとの戦いの際に天使軍 の長となった。ここから教会やキリスト教の軍勢の守護者とされる。絵画の題材として神の戦士、地獄 の屯を負かす天使に描かれる。ラファェロ、ルーベンス等の作が有名である。 三一 3 万聖祭ーー・正しくは諸聖人の祝日。十一月一日。カトリック教の祝日の一つ。すべての聖人を祭り、 神に感謝を捧ける。 ″ 7 ミゼレエレーー次の ( ) 内は訳注。「ミゼレエレメイドミネ」ではじまる懺悔の祈り。「詩篇」第 五十一篇。 三一一 9 聖誕祭ーークリスマス。正しくは降誕祭の聖節。 ″「サンタ・マリア・アラチェリ」の寺ー・ー・カビトルの丘の北にある。天の祭壇教会の意。ここでアウ グストウス帝にキリストの誕生が予言されたという伝説がある。ここに書かれている行事はクリスマス の日から一月九日まで、毎日三時から四時に、五歳から十歳の子供によって行われる。 五材サンタ・マリア・デルラ・ロツンダ 1 ー教会の名前。この建物は、ローマ時代にウエヌスやマルスと 古代の神々を祭った。ハンテオンの遺跡である。紀元前一三年マルクス・アグリッパによって創建され、 アーラ・チェーリ
260 ( 現在は。ヒオ・クレメンティノ美術館 ) 、ベルヴェデレのトルソー ( 既出、一一七ページ ) と同じように呼 ばれていた有名な彫像。ギリシア古典末期 ( 前四世紀中期 ) の作。十五世紀末に発見された。 六 7 アリアドネ , ・ーークレタ島の王ミノスの娘。テセウスがこの島に来た時、かれに恋し、妻になる約東で、 かれのミノタウロス退治を助け、ともに島を抜け出したがナクソスの島に置き去りにされた。そこへデ イオニュソス ( ・ハッカス、一五一ページ「狂女」の注参照 ) が来てかの女に恋し結婚したという。 一六七 5 精進日・ - ーー四旬節のこと。一五八ページ「断食日」の注参照。 寺楽・ーーシスティナ礼拝堂で行われるアレエグリイ ( 後出、一七四ページ ) の「ミゼレーレ」のこと。 一充 6 ロヂイ 北イタリア、ミラノ東南の地方都市。 羅馬の七寺・ーーサン・。ヒエトロ、サンタ・マリア・マジョーレ、サン・ロレンツオ、サン・セパステ ィアン、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ、サンタ・クローチェ、サン・。 ( オロの七寺。いずれも 四世紀の建立と伝えられる。初期キリスト教時代からの七大本山で中世期には各国から巡礼が集った。 ローマの市民は聖週間 ( 四旬節の最後の一週間 ) の特に聖金曜日 ( キリストの十字架上の死を記念する日 ) にこの七寺を巡礼する。 死火の痕ーー四旬節の第一日火の水曜日に、人間の最後と痛悔の必要を想起させるために信者の額に 聖灰 ( 前年度の枝の祝日に用いたしゅろの枝を燃し、その天を火の水曜日のミサに先立ち祝別したもの ) を塗る習慣がある。ここでは折からアントニオの顔色のすぐれないのを言っているのであろう。 一七 0 2 精進の最後週ーー・聖週間。四旬節の最後すなわち復活祭前の一週間。キリストの受難の記念がこの週
266 歌劇「トスカ」の最後の場面になっているので名高い 一兊 5 ビエトロの辻ーー・サン・ビエトロ大聖堂 ( 既出、三七ページ ) 正面の広場。ベルニーニの設計で、梯形 と長円形の広場を組合せ、その両側を四列の壮麗な大円柱の柱廊が囲む。柱廊の上には一四 0 人の聖人 の石像が並び、長円形の中央にはネロの竸技場にあったオペリスクが立ち、その左右にはマデルナ ( 一 五五六ー一六二九 ) 作の優美な噴水がある。世界で最も美しい広場の一つとされている。 ベトレヘムの揺籃ーー・ベトレヘムは福音書にしるされているキリスト生誕の地。イエルサレムの南酉 ートラム。キリストが生まれた時、その上に現われた星を見た東方の博士 約八キロメートル。現在のべ たちが、・ヘトレヘムに来て幼児であるキリストとその母マリアを拝したという故事を指す。 ( 「マタイ 伝」第二章一ー コルレジョオが不死の夜ーー。コルレジョオは既出 ( 一八四ページ ) 。かれの不朽の作とされる「夜」と 題する作品。キリスト生誕の時の牧者の礼拝 ( 「ルカ伝」第二章六ー一一〇 ) を描く。キリストからさす強 い光によって、聖母や牧人たちのみならず天上の天使までも明かるく照らされている。 モンテ・マリョ ローマ市外西北の丘陵。 一九七 6 デ・チェザアリーーー盗賊の名。伝未詳。 ロッカ・ディ・パアパともいう。アル・ハノ山脈中の村で、当時は盗賊の巣 一九八 6 ロッカ・デル・パアパ 窟であったという。モンテ・カーヴォ ( 既出、四五ページ「カヲの山」 ) の登山口で、景色がよく、現在 は避暑地になっている。
262 ーーミケランジェロの四十代初期 ( 一五一五年 ) の作。工ホ・ハの十戒をしるした板を手にシナイ山 石一 8 摩西 を下ったモーゼの、堕落した同国人に怒りの眼を向けている姿をあらわしたもの。かれの特異な傑作に 数えられる。ローマのサン・ビエトロ・イン・ヴィンコリ教会所蔵。一モセス ( モーゼ ) は、エジプトにお けるイスラエル人の迫害時代に生まれた。そのため葦舟でナイル河にすてられたが、ファラオの娘に育 てられ、長じてイスラエルの民の予言煮指導者としてかれらをエジプトから解放し、シナイ山でエホ ・ハから十戒を授けられた。 ( 創世記、出エジプト記、レビ記、民数紀略、申命記。 ) ( 一一八ページ「むか し紅海を渡りけん時」注参照。 ) 芸術の上では、キリストを予告する者として早くから扱われ、特にミケ ランジェロ、ラファェロ等の作品が名高い 〃世の季の審判の図ーーー「最後の審判」の図。一五三六年に着手、四一年に完成した。高さ十四・五メ ートル、幅十三メートル余。最後の審判は、キリスト教で、世の終末の時すべての死者は復活して天か ら降臨したキリストの審判を受け、天国に迎えられるか地獄に落されるかを宣告されると信じられてい るもの。 ( マタイ伝第二四章二九ー三一 ) 〃使徒ーー十一一使徒。全世界に福音を伝えるために、キリストによって最初に選ばれた十一一人をい ベトロ、アンドレア、ゼべデオの子ヤコボ ( 大ヤコボ ) 、ヨハネ、フィリッポ、・ハルトロメオ、トマ、マ テオ、アルフェオの子ヤコボ ( 小ヤコボ ) 、タデオ、シモン、ユダ ( のち除かれてマッテヤに代る ) 。のち こよ、。、ウロ / ノ 、・、レナ・ハ、イエスの兄弟ヤコ・フ等も同等に扱われる。 = ボ・フルスメウス、クヰットフェチイチビイーーー「わが民よ、われ何を汝になししや」 ( 「ミカ書」
目 たいたく そせいさい 蘇生祭 : 燈籠、わが生涯の一轉機 : キリストともがら 基督の徒 : さんさい 山寨 : 血書 : 花ぬすびと・ 封傳・ 大澤、地中海、忙しき旅人・ 一故人・ 注・ 校訂覺書 : ・ : 一九五
″ 3 クルチウス ローマの青年貴族マルクス・クルテイウスのこと。古代ローマのフォールム・ローマ・ ーヌム ( 既出、五八。〈ージ ) にあった小さな池ラクス・クルテイウスの名称を説明するために作グ出され た三人の伝説的人物の一人である。フォールムに突然地割れができた時、ローマ最大の財宝を犠牲に供 . さなければふさがらないという神託に従い、ロ ! マ最大の財宝は勇気であると叫んで完全武装で馬に乗 ったままそこに飛び込んだ。この儀牲によって地割れはふさがったという。 ″ 4 アウグスッス ( 前六三に紀元一四 ) 。前二七年にガイウス・オクタウィアヌスがローマの元老院か ら受けた尊称。カエサルの養子。かれの没後アントニウス、レビドウスと第二次三頭政治を組織し、さ らに他の二人に勝って実質上ローマ帝政を創建し、ローマの黄金時代を現出した。 チノスーーテイトウス ( 三九ー八一 ) 。ローマ帝国第十代の皇帝 ( 在位七九ー八一 ) 。ウエスパシアヌス . 帝の長子。 = ダヤを征服し ( 七〇 ) 、即位後ヴェスヴィオ火山の爆発によるポンべイなどの埋没 ( 七九 ) 、 ローマの疫病、大火等に際して被災者の援護に努力し、仁政を施したため「人類の寵児」とたたえられ た。またテイトウスの凱旋門を造り、コロセウム ( コリゼオ、既出二四、六〇。ヘージ ) 、浴場を完成した ? ″ 5 ュ。ヒテル ローマの最高神でギリシア神話のゼウスに当る。鷲はその聖獣である。 注一五七基督再生祭 , ーー復活祭。御復活の大祝日。キリストが死後三日目に復活した ( マタイ伝第二八章 ) こと を記念し祝う日。春分後最初の満月の直後の日曜日に祝われる。 一五八 1 断食日ーー四旬節。荒野におけるキリストの四十日間の断食修行 ( マタイ伝第四章一ー一一 ) を想起す 257 こ 0
第六章一一 l) の意。インプロペリア ( 咎めの交誦 ) といわれ、十字架にかけられたキリストの人民に対する 非難を表わす。パレストリーナ ( 一五二五頃ー九四 ) の一五六〇年代の作曲。聖週間 ( 復活祭前の一週間〉 の水曜日から金曜日まで歌われる。 四 5 アレエグリィーーーグレゴリオ・アレエグリイ ( 一五八二ー一六五一 1)0 イタリアの作曲家。システィナ . 聖歌隊に入り、かれが作曲した九声のミゼレーレは、現在でも聖金曜日にシスティナ礼拝堂で歌われる ? ( ) 内は訳注。 ″「ラ・トラップ」派・ーー・トラ。ヒスト。厳律シトー会修道士の総称。十七世紀の半ばにフランスのラ・ト ラップ修道院から起こった改革が他の同会修道院にも及び、トラビストはシトー会の代名詞になった。 荘厳な典礼、全修道士の労働、肉食の禁止、沈黙の励行、個室を廃した共同生活等きびしい戒律を守る。 一七七 4 木曜の祭日ーー聖木曜日すなわち聖週間の木曜日のこと。キリストが最後の晩餐の時に使徒の足を洗 い ( 「ヨハネ伝」第十三章一ー二〇 ) 、聖体の秘蹟を制定したこと ( 「マタイ伝」第二六章一一六ー二九 ) を記 念する。洗足の木曜日といわれ、このページの九ー十行目の ( ) 内の原注のような儀式が行われる。 〃 6 天使橋ーーーサン・タンジェ」ロ橋。ティベル川の左岸とヴァティカン地区を結ぶ最も重要な橋。現在ロ ーマに残るローマ時代の橋の一つである。すなわち一三六年ハドリアヌス帝が架設し、アエリウス橋と ーニの意匠による十体の天使像で飾られた。右岸のたもとにサン・タ 名づけられ、一六八八年、ベルニ ンジェロ城 ( 天使城、後出一八九。ヘージ ) がある。 一天 2 , 聖ビエトロの墓。ー、ビエトロ ( ベトロ ) は十二使徒の一人。ガリラヤの漁夫の子。本名シモン。キリス
247 注 間にキリシタンの宣教師によって伝えられている。 九一一亜当ーー人間の祖先。妻イヴとともにエデンの園に住んでいたが、蛇に誘惑されたイヴにそそのかさ れて禁断の智慧の木の実を喰べたため楽園を追放された。かくて人類は原罪を負うことになり、それは キリストの受難によってはじめて救済される。 ( 「創世記」第二ー三章 ) 。 九三 2 ホメロスーーギリシアの詩人。紀元前九世紀ごろ小アジアに生まれた盲目の吟遊詩人と伝えられ、 「イーリアス」「オデュッセイア」の作者とされる。 ″″ソクラテエス ( 前四六九 ? ー一二九九 ) 古代ギリシアの偉大な哲人。その思想はプラトン、アリスト テレス、クセノフォン等によって伝えられている。 ・フルッス ルキウス・ユニウス・・フルトウス。紀元前六世紀ころの人。ローマの伝説の七人の王の 最後の王タルクイニウス・スペル・フスを追放し、タルクイニウス・コルラテイヌスとともに共和制最初 の執政官に選ばれた。 キルギリウスー・ーーウエルギリウス ( 前七 0 ー一九 ) 。ホラテイウス等とならぶローマの詩人。作品「ア エネーイス」 ( 後出 ) 「牧歌集」「農事詩」等。ダンテの傾倒した詩人であり、「神曲」においてかれを地 獄と煉獄の導者に仮作した。 ″ 9 シモニストーー聖職を売買した罪人。第十九歌、地獄の第八圏第一二の嚢 ( マレポルジャ ) に教皇ニコロ 三世等のシモニストが岩石の穴の中に足たけ出してさかさまに置かれ、その足が燃えている。 ハペーーー第七歌、ダンテとウエルギリウスが地獄の第三圏から第 ハペサタンアレップサタン
とらはれびと ロオマみかどきび おはせ 6 . りノ 。猶太敎奉ずる囚人が、羅馬の帝の嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この あひう しりへ 平地にて獣を鬪はせ、又人と獣と相搏たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀 しんと ) のぼ きといふ事、皆我當時の心頭に上りぬ。 だゑん そもそもこの「コリゼ工オ」は楕圓なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこ 〔くみ〕 れを造る。層ごとに組かたを殊にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はり キリストうま えき たり。基督生れてより七十餘年の後、ヱスパジアヌス帝の時、この工事を起しつ。これに役せ くしがたせりもち られたる猶太敎徒の數一萬二千人とそ聞えし。櫛形の迫持八十ありて、これをめぐれば千六百 ざ いたたき 四十一歩。平地の周匝には八萬六千坐を設け、頂に二萬人を立たしむべかりきといふ。今はこ きゃう こにて基督敎の祭儀を執行せしむ。パイロン卿詩あり。 〔には〕 この場のあらん限は うちひさ 内日刺す都もあらん このにはのなからん時は うちひさす都もあらじ うちひさす都あらずば 〔よのなか〕 あはれあはれこの世間もあらじとぞおもふ たたか わが めぐり
252 一一九 7 スチビオ等の墓ーースチ。ヒオは既出 ( 八七ページ ) 。その墓はカべナ門外、アッビア街道沿いにある。 三 0 6 サロモ王ーーサロモ ( ソロモン、前九六一 ー二一 I) は、イスラエルの三代目の王。父はダビデ、母は・ハ テシバ。その治世中王国は隆盛の頂点に達した。またその博識は「ンロモンの知恵」として知られ、「伝 道の書」「箴言」「雅歌」の作者とされる。 一三サツルニアとエヌス。 あやしき巌室ーーーサツルニアはユーノーのこと。ューノーはゼウスの妻へ ラのローマ名。エヌスはアフロディテ ( 既出一一九ページ ) のローマ名。ューノーの提案をいつわり承諾 したウエヌスは、アエネーイス ( エネェアス ) とカルタゴの女王デイドを恋仲にし、二人は狩猟のときに ューノ 1 の呼び起こした暴風雨を避けた洞窟の中で結ばれる。 ( 「アエネーイス」第四巻 ) へ・フライオスの語 へ・フライ語。ユダヤ人の間で二世紀ごろまで使用され、その後アラム語に地位 を奪われたが、旧約聖書その他に用いられていたため、ユダヤ教徒、キリスト教徒によって聖なる文語 とされていた。現在イスラエルの建国とともにその公用語にされている。 一一一六謝肉祭ーー・既出 ( 四七ページ ) 。ローマのカーニヴァルについては、ゲーテの「イタリア紀行」に詳し く描かれている。 パラツツオオ・デル・ドリアーーードリア宮。ジェスキタ学校のすぐ南側にあり、コルンーに面して建 つ。十七世紀の建物。次の「廡作の平屋根」は・ハルコニーのこと。 IIIIO 権夫 , ーー次の ( ) 内は訳注。これについては下巻五四ページを参照。 三 5 ルクレチアーー紀元前六世紀のローマの婦人。タルクイニウス・コルラテイヌスの貞淑で美貌の妻。