フィレンツェ - みる会図書館


検索対象: 即興詩人 上巻
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1. 即興詩人 上巻

245 ポッカチョオ・ーー ( 一三一三ー七五 ) 十四世紀イタリアの詩人、人文学者。フィレンツ = の富裕な商 人を父として生れた。商業見習にナポリにやられたが、ここで古典文学その他を学んだ。「デカメロン」 は近世散文小説の祖とされる。その他、詩文、ダンテの伝記、神曲の注釈、語学上の論文等がある。 〃 8 カッサンドラーーートロヤ王、プリアモスの王女アポロの恋を受け入れ、予言の術を与えられたが、約 束を破ったため、その予言はだれからも信じられないようにされた。そのためかの女のトロヤ減亡の予 言も人々に聴きいれられなか 0 た。トロヤ落城後アガメムノンに捕えられ、ギリシアに連れて行かれて 殺された。次の ( ) 内は訳注。 査列斯四世ーードイツ皇帝カルル四世 ( 在位一三四七ー七八 ) のこと。一三五四年かれが神聖ローマ皇 帝の帝冠を受けるためイタリアに入った時、ベトラルカは「偉人論」を捧げたが、のち皇帝への理想が 裏切られて非難を向けた。 羅馬と巴里・ーー一三四〇年八月一日、ベトラルカはローマ市の元老院とパリ大学との両方から月桂冠 を授ける通知を受けた。 ″拿破里の王ーーナポリ王ロベルト ( 在位一三〇九ー四一一 l) のこと。。〈トラルカはローマで桂冠を受ける ことを選び、その作法に従ってナポリに行き、ロベルト王に「アフリカ」を献じ、その試間を受ける形 で三日間の公開講演をし、ついでカビトリウムで元老院議員ォルソの手で桂冠を受けた。 九 1 ペアトリチェ フィレンツェの富人ファルコの娘、シモ】ネと結婚した。ダンテがかの女とはじめ て出会 0 たのは一二七四年頃といわれ、それ以来ダンテの永遠の女性として「新生」「神曲」によって

2. 即興詩人 上巻

246 不朽にされた。 兊 3 アレツツオとビザとの戦ーー・フィレンツェは一二八九年アレツオと、一二九二年ビザと戦い、ダンテ はフィレンツェの騎兵として従軍した。アレツツオは既出 ( 八七ページ ) 、ビザはフィレンツェの西方、 アル / 川口に近い町で、中世にはトスカナ地方の門戸として栄えた。 ″ 4 ラュンナーーラヴェンナ。北イタリア、アドリア海に近い都市。四〇二年オノリウス皇帝がここに都 を移して以後八世紀まで西口ーマ帝国、東ゴート王国の首都、さらに東ローマ帝国の総督府の所在地に なった。また初期キリスト教美術も栄えた歴史的な古都である。ダンテの墓がある。 ・ヒアツツア・ナヲネーーナヴォーナ広場。ローマの広場の中で最も美しいとされる。ここはもとドミ ティアヌス帝 ( 在位八一ー九六 ) の竸技場であり、そのなごりでこの広場は長円形になっている。中央に ニ ( 一五九九ー一六六七 ) はベルニーニ作の二つと近代に作られた一つの噴水があり、正面にはポロミー 設計の聖アニエーゼ教会がある。中世以来ローマの民衆行事の中心地になり、特に十七世紀ころから八 月の土、日曜日にこの広場に水をみたして人々は水遊びをたのしみ、この行事は一八七〇年ころまで続 いた。なお次の ( ) 内は原注。 メタスタジオーー本名。ヒエトロ・トラバッシ ( 一六九八ー一七八一 l) 、詩人。イタリア・メロドラマの 完成者として知られ、その作品はしばしば作曲されたものが多い。「見捨てられたるデイドーネ」等。 九一 3 伊蘇普が物語ーー・エソオポス、通常イソップは紀元前五五〇年ころのギリシア人で奴隷であったとい う。主として動物を主人公にした皮肉で教訓的な物語の作者に擬せられている。わが国には早く文禄年

3. 即興詩人 上巻

258 くいあらため るためと、信者の・成聖の方法として教会が定めた悔悛の期間。謝肉祭の後復活祭までの、火の水曜日にー 始まる六週間半の期日のうち週日の四十日間である。 一五八貶該撤、。ー ( 前一 0 二ー四四 ) 。ローマの武将、政治冢。ポンペイウス、グラッススと第一次三頭政治を 組織し、ガリアを征服し、クラッスス没後ポンペイウスを減・ほして独裁者の地位につき、のちプルトウ・ ス、カッシウス ( 各既出、九六ページ ) 等に暗殺された。「ガリア戦記」「内乱記」等により文章家として も知られる。 5 アベン、ニノ イタリア半島を南北に縦貫する山脈。海抜一〇〇〇ー一五〇 0 メートル。 ″ 6 。ヒアツツア・デル・グランヅカーー現在の。ヒアツツア・デル・シニョーレのこと。サヴォナローラの・ 火刑など、しばしばフィレンツェの歴史的事件の舞台になった広場である。その一角にヴェッキオ宮が あり、ルネッサン・ス時代はフィレンツェ共和国の政庁であり、現在は市庁になっている。ウフィッイ美〕 術館もここから遠くない。本文でこの上の「豪貴の : : : 碁布せる」は、テキストによれば、この「。ヒア ツツア・デル・グランヅ力」ではなくて、上の「アベンニノ」を修飾する句である。ここの訳は外の 誤りであろう。 〃 9 ・ ) プロメテウスーーギリシプ神話のテイタン神族の一人ィア。へトスの子。天上の火を盗んで人間に与え たため、ゼウスはプロメテウスをカウカサスの岩につなぎ、鷲にその肝臓を喰わせた。肝臓は夜毎に再 生し、プロメテウスは絶えず責苦を受けたが、・ヘラクレスによって解放された。この伝えは、昔からし ばしば詩人の好題目にされている。他方プロメテウスは技術の神とされ、人間を水と泥から作り、他の、

4. 即興詩人 上巻

230 一四 5 尖帽僧の寺ーーービアツツア・ ' ハルペリイニの北の角にあるサンタ・マリア・デルラ・コソチェチオ— ネ寺院のこと。一六二四年建立。ギド・レニ作の聖ミカエルの絵があり、地下の納骨堂には、ここに住 んだ僧侶の骸骨四千体以上が安置されている。カップチノオは、フランシスコ派から分れた修道会で、 会名は修道服にきまりの尖帽 ( カツ。フチオ ) にもとづく。フランシスコ会創立当時の精神に帰り、清貧に 徹した生活をしようとする。 ハジリスコ・ーー古代人の空想上の怪物。その目でにらまれたものはすべて死ぬといわれる。 ( 一四八三ー一五二〇 ) 。ウルビノに生まれた。イタリア文芸復興期最大の画家の一人。 ヴァティカン宮殿の壁画、マドンナ等が有名であり、ことに、その聖母画は優美、温雅で他に類例がな 〃 2 アンドレア・デル・サルトオーー本名アンドレア・ダニョロ ( 一四八六ー一五三一 ) 。フィレンツェに 生まれた。ダ・ヴィンチやミケランジェロの影響を受け、フィレンツェの盛期ルネッサンスのおもな画 家の一人になった。美しい色彩が特色になっている。 ヒョーロッパの国。ュトランド半島とその付近の島からなる。首都はコペンハ 一七璉馬ーーデンマーク。 ーゲン。ルーテル派の新教が国教になっている。 一九 6 西班牙磴、 7 西班牙広こうちーー ( ) 内は原作の注。スパニア石段は一七二五年に完成、美しい欄 杆が有名である。スパニア広場からこの石段を登ると正面には十六世紀の建築であるトリニタ・ディ・ モンティ教会がある。この広場には・ヘルニーニ作の破船 ( ・ハルカッチア ) の噴水がある。

5. 即興詩人 上巻

261 の基調になる。枝の主日、聖火曜、聖水曜、聖金曜にそれそれマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音 書の受難の箇所を朗読する。 ジョワンニ門 ここから新アツ・ヒア街道が始まる。ポポロ門がローマの北の入口であるのに対して、 これは南の入口である。 〃 3 シクスッス堂ーーーシスティナ礼拝堂。一四七三年教皇シクストウス四世が教皇専用の礼拝堂としてサ ン・。ヒエトロ聖堂の北側に建て、建築は一四八一年に完成した。その後、ポッテイチェルリ、ギルラン グイヨ、ベルジーノ、コシモ・ロッセリ等が壁画を描いたが、特にミケランジェロの旧約聖書に題材を とった天井画 ( 一五一二年完成 ) と祭壇画「最後の審判」 ( 一五四一年完成 ) が有名である。前者は一七一 べージ八行目ー一七二ページ九行目に、後者は一七二ページ十行目以後に描かれている。 8 ミケランジェロ ( 一四七五ー一五六四 ) 、フィレンツェの生まれ。イタリア・ルネッサンス最大の 芸術家の一人であり、教皇ュリウス二世とパウルス三世とに重く用いられた。同時に故郷フィレンツェ の自由と独立のためにつくした。「モーゼー「ダビデ」等の彫刻、システィナ礼拝堂の天井画と祭壇画 「最後の審判」、メディチ家礼拝堂、サン・。ヒエトロの円屋根、カピトリノ丘上の広場等多くの偉大な 作品を遺している。 工ワーー人類最初の女性。天地創造の第六日目にアダム ( 既出、九二ペ 1 ジ ) の肋骨から作られてかれ の妻になった。エデンの楽園に住んでいたが、蛇に誘惑され、アダムをそそのかして知恵の木の実を喰 べたために楽園を追放された。 ( 旧約聖書「創世記」第二ー三章。 )

6. 即興詩人 上巻

160 * ゑが その目は人を親る如し。あらず。人の心の底を觀る如し。石像の背後には、チチアノの畫ける ヱヌスの油畫二幅を懸けたり。その色彩目を奪ふと、ここに寫し得たるは人間の美しさにして 1 彼石の現せるは天上の美しさなり。ラファェロがフォルナリイナ ( 作者意中の人 ) は心を動すに足 あた らざるにあらず。されどヱヌスの生けるをば、われあまたたび顧みざること能はす。否々、おほ つうそ よそ世に彫像多しと雖、いづれか彼ヱヌスの右にづべき。ラオコオンにてはまことに石の痛楚 のために泣くを見る。しかも独及ばざるところあり。獨り我ヱヌスと美を娩ふるは、君も知り給 へるワチカアノのアポルロみならん。その詩神を模したる力量は、彼ヱヌスに於きてやさしき美・ せぎかう の神を造れるなり。我答へて。君の愛で給ふ像を石膏に寫したるをば、我も見き。姫。否、われは 石膏の型ばかり整はざるものはなしとおもへり。石膏の顏は死顏なり。大理石には命あり靈あり。 きにく 石はやがて肌肉となり、血は其下を行くに似たり。フィレンチェまで共に行き給はずや。さらば われ君が案内すべし。我は姫が志の厚きを謝して、さていひけるは、さらば再生祭の後ならでは、 ともしびとも 〔ジランドラ〕 又相見んこと難かるべしといふ。姫こたへて。さなり。聖ビエトロ寺の燈を點し、烟火戲を上 ら ぐる折は、我等が相逢ふべき時ならん。それまでは君われを忘れ給ふな。我はまたフィレンチェ - の畫廊に往きて君とけふ物語れることを想ふべし。われは常に面白きことに逢ふごとに、我友の ふるさとしの たのしみわか その樂を分たざるを恨めり。これも旅人の故鄕を偲ぶたぐひなるべし。我は姫の手に接吻して、 かの あひ 〔かた あない かた ひとわが うしろ 〔くら〕 お

7. 即興詩人 上巻

259 注 獣のもつあらゆる能力を人間に与えたとされる。 ″貶八角に築きたる室 , ・ーーフィレンツェのウフィッイ美術館の一室。メディーチのヴィーナス等五点の彫 刻、ラファェロ、デューラー ルーベンス、ヴァン・ダイク等の絵画を置いた。 メヂチのヱヌスの石像ーーヘレニズム時代の原作をローマ時代に模刻した大理石造のヴィーナス。全 裸で、海から誕生する美神を主題にしたとみられる。アンデルセンはかれの第一回イタリア旅行 ( 一八 三三ー一一一四 ) でローマへの途次フィレンツェでこの像を見た時「初めて目隠しがとれたような気がし」 「新しい芸術の世界が開かれ」「形の美を、即ち形に顕はれた精神を把握することを学んだ」 ( 自伝、大畑 訳 ) としるしている。 一六 0 1 チチアノーー ( 一四七七ー一五七六 ) 。イタリア・ルネッサンスの代表的画家の一人でヴェネッィア派 の巨匠。ここの「ヱヌスの油画二幅」は、「ウルビノのヴィナス」と「ヴィナスとキュービッド」の二 点を指すのであろうか。 〃 3 フォルナリイナーー・同じ室にあるセパスティアノ・デル・。ヒオムボオ作の婦人の肖像画が、以前は誤 って「ラファェロのフォルナリイナ」と呼ばれた。フォルナリイナはラファェロ ( 既出、一六ページ ) の 恋人でパン屋の娘であったという。かれはローマのポルタ・デル・ポポロにあった別荘にかの女と住み かの女の肖像を描いた。またかれの絵に描かれている女性はしばしばこのフォルナリイナに似ていると 言われる。 〃 7 ワチカアノのアポルロンー 1 ーワチカアノ宮殿 ( 既出、一一六。ヘージ ) のベルヴェデレの廻廊に置かれ

8. 即興詩人 上巻

ゴは北アフリカの現在のチュニス東北の地にあったフェニキア人の植民都市であり、古代地中海の支配 的勢力であったが、 : ホェニ戦役によってローマに滅・ほされた。八七べージ「スチ。ヒオ」の注参照。 一三四 6 詩神ーーギリシア神話のムーサのこと。ゼウスとムネーモシュネー ( 記憶 ) との九人の娘。文学、音楽、 舞踊など、人間のあらゆる知的活動の女神。それそれ職能を持ち、アポロンに導かれて奏楽、舞踏をす る。ミュース オリュムボスーーー・ギリシアの北部、テッサリアとマケドニアの境にある高峰。ギリシア神話の神々の 住居と考えられた。 リュビア ーー北アフリカ地中海沿岸の一角。大部分は砂漠である。「アエネーイス」は、かれの艦隊 がユーノーのたくらみによる暴風雨のためリュビアの沖で遭難するところから始まる。 トロヤの王族の一人。ウエヌスに愛せられ、女神とちぎってアエネーイスを生む。 一三七 9 アンヒイゼス トロヤ落城の際アエネーイスに背負われて脱出し、航海中シシリアのドレバノムで死んだ。 ニオペーーギリシア神話でタンタロスの娘、テー・ハイ王アム。ヒーオンの妃。よい子をたくさん ( 六男 六女、十男十女、二男三女、七男七女等いろいろいわれる ) 持っていることを、アポロンとアルテミス の二人しか子のないレトに自慢してその怒りを買い、アポロンに男の子を、アルテミスに女の子を殺さ れ、かの女は泣きつづけて石に化したという。 ( ) 内は訳注。 一三八 1 レオナルド・ダ・キンチーー・ ( 一四五二ー一五一九 ) 。イタリア・ルネッザンスの画家、彫刻家、建染 家、科学者。フィレンツェに生れ、「モナ・リザ」「最後の晩餮」等の名画をかき、自然科学や技術の方 ク″

9. 即興詩人 上巻

137 〔くぐひ〕けうけっ 思はれず。姑く形あるものにへて言はんか。大いなる鵠の、皎潔雪の如くなるが、上りては雲 〔かうぎ〕 くだ カうりゆ , る を裂いて瀬氣ただよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍の居るところに沒し、その性命は 聲に化して身を卦で去らんとす。 かっさい いへ〕〔うごか〕 喝采の聲は屋を撼せり。幕下りて後も、アヌンチャ夕、アヌンチャタと呼ぶ聲止まねば、歌女は 面を幕の外にあらはして、謝することあまたたびなりき。 第二齣の妙は初齣を踰ゆること一等なりき。これヂドとエネェアスとの對歌なり。ヂドは無情な 〔いでたち〕 はづかし る夫のせめては啓行の日を緩うせんことを願へり。君が爲めにはわれリュビアの種族を辱めき。 アフリカ こうよくそむ 君がためにはわれ亞弗利加の侯に負きぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれ 〔せき〕 たましひ は、トロアスに向けて一隻の舟をだに聞さざりき。我はアンヒイゼス窒ネ = アスの父 ) が靈の地 〔ちすち〕 下に安からんことを勉めき。これを聞きて我涙は千行に下りぬ。この時萬客聲を呑みてその感の 我に同しきを證したり。 ぎようりつ 【しば〕 女エネェアスは行きぬ。ヂドは色を喪ひて凝立すること少らくなりき。その状ニオペ ( 子を射殺さ めがみ にはか こんしん もはや 歌 れて石に化せし女溿 ) の如し。俄にして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂドならず、戀人なる をんりゃう ヂド、棄婦なるヂドならず。彼は生ながら怨靈となれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情 たちまち のカの大いなる、今まで共に嘆きし萬客をして忽又共にらしむ。フィレンツェの博物館に、 〔おもて〕 さ 〔せつ〕 〔しばら〕 っと お わが お 〔ゾェットオ〕 〔さま〕 みさを のぼ うため

10. 即興詩人 上巻

たんじき * はじめ を見るべからざること五週に亙るべし。彼君はフィレンツェの芝居に傭はれ、斷食日の初にこ あらた なれ こを立つなりとそ。ベルナルドオは語をぎていはく。かしこに至らば崇拜者の新なる群は姫が そなた つど めぐりに集ふべし。さらば舊きは忘れられん。譬へば汝が印興の詩の如きも、その時こそ姫のや ま おもひいだ いとま さしき目なざしに、汝に謝する色現れつれ、かしこにては思出さるる暇なからん。さはあれ一個 をなご かたぶ の婦人にのみ心を傾くるは癡漢の事なり。羅馬には女子多し。野に遍き花のいろいろは人の摘み 人の采るに任すにあらずや。 ゅ このタ我はベルナルドオと共に芝居に往きぬ。アヌンチャタは再びヂドとなりて出でぬ。その歌 1 はしめ その その振、始に讓らざりき。完備せるものの上には完備を添ふるに由なし。姫が技藝はまことに其 ほんよみ 〔やく〕 域に達したるなり。こよひは姫また我理想の女子となりぬ。その本讀の曲にての役、その平生の すがた せんしばら 擧動は、例へば天上の仙の暫くこの世に降りて、人間の態をなせるが如くそおもはるる。その態 も好し。されどヂドの役にては、姫が全幅の精神を見るべし。姫がまことの我を見るべし。萬客 ケ工ザル よろこび は又狂せり。想ふにこの羅馬の民のむかし該撒とチッスとを迎へけん歡も、おそらくは今宵の上 に出でざるならん。曲畢りて姫は衆人に向ひて謝辭を陳べ、再びここに來んことを約せり。姫は こよひもあまたたび呼出されぬ。歸途に人々の車を挽けるも亦同じ。我もベルナルドオと共に車 ゑがは に附き添ひて、姫がやさしき笑顏を見送りぬ。 ゅふべ ふり をは しれもの ふる もろひと わが の あまね やと 〔われ〕 こよひ っ