224 かの 「ワンダル」、「ゴオッ」諸族の王などと記するは、彼國の舊例なり。 ) 書記の一人語を插みて、 イギリス 〔あざわら〕 英吉利人なりしよと云へば、外の一人冷笑ひて、君はいづれの國をも同じゃうに視給ふか、券面 にも北方より來しことを記せり、無論魯西亞領なりといふ。 デネマルク かたみよ フェデリゴ、璉馬、この數語はわが懷しき記念を喚び起したり。璉馬の畫エフェデリゴとは、む わが 〔カタコム・ハ〕 〔ぎんどけい〕おく かし我母の家に宿り居たる人なり、我を窟墓に伴ひし人なり。我がために畫かき、我に銀錻を貽・ りし人なり。 も 關守る兵卒は手形に疑はしき廉なしと言渡しつ。この宣告の早かりしにはフェデリゴの私かに贈 〔なの〕 りし「パオロ」一枚の效驗もありしなるべし。塔を下るとき、われフェデリゴに名謁りしに、こ一 さうしき かはゆ の人は想ふにたがはぬ舊相識にて、さては君は可哀き小アントニオなりしかと云ひて我手を握り ひざ たり。車に上るとき、人に請ひて座席を換へ、われとフェデリゴとは膝を交へて坐し、再び手を 握りて笑ひ興じたり。 われは相別れてより後の身の上をつづまやかに物語りぬ。そはドメニカが家にありしこと、羅馬 ことま に返りて學校に入りしことなどにて、それより後をばすべて省きつるなり。我は詞を改めて、さ ゅ てこれよりはナポリへ往かんとすと告げたり。 いっかひと むかし畫工と最後に相見たるはカム。ハニアの野にての事なりき。その時畫工は早晩一たび我を羅 あひ きよう なっか ひそ はさ
また 童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。 〔たへ〕 〔そら〕 ( ふすま〕 さるに其歌には韻脚あり、其調はいと妙なり。童の歌ひけるやう。靑き空を衾として、白き石を まくら よ 【ね〕 【ふえふき〕 枕としたる寢ごころの好さよ。かくて笛手二人の曲をこそ聞け。童は期く歌ひて、「トリイトン」 ゅびさ すゐくわ ひとむら の石像を指したり。童の又歌ひけるやう。ここに西瓜の血汐を酌める、百姓の一群は、皆戀人の 〔サン〕 上安かれと祈るなり。その戀人は今は寢て、聖ビエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の 上をも夢みるらむ。人々の戀人の上安かれと祈りて飲まむ。又世の中にあらむ限の、箭の手開か をとめ ぬ少女が上をも、皆安かれと祈りて飮まむ。 ( 箭の手開かぬ少女とは、髮に插す箭をいへるにて、 わき〔ひね〕 處女の箭には握りたる手あり、嫁ぎたる女の箭には開きたる手あり。 ) かくて童は、母上の脇を招 ひげ〔お〕 りて、さて母御の上をも、又その童の鬚生ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。 よ 〔うま〕 母上善くそ歌ひしと讚め給へば、農夫どももジャコモが旨さよ、と手打ち鳴してさざめきぬ。こ し つきあかり 詩の時ふと小き寺の石級の上を見しに、ここには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明の 中なる群を、寫さむとしたる晝エフェデリゴなりき。歸途には畫工と母上と、かの歌うたひし童 の上につきて、語り戲れき。その時晝工は、かの童を印興詩人とそいひける。 美 フェデリゴの我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも印興の詩を作れ。そなたは固より詩人な われはじ り。ただ例の設敎を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことをあきらかにさと わらに むれ その いしだん たはぶ しらべ 〔とっ〕 〔ね〕
つま しに、例の絲を撮み得たり。ここにこそ、と我呼びしに、畫工は我手を摎りて、物狂ほしきまで よろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの絲にそ繋き留められける。 あたたか そらあを われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の暖に照りたる、天の蒼く睛れたる、木々の梢のうる きぬ はしく綠なる、皆常にも增してよろこばしかりき。フェデリゴは又我に接吻して、衣のかくしょ いだ そち しろかね〔とけい〕 り美しき銀のを取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて與へき。われはあまりの嬉しさ こと・こと に、けふの恐ろしかりし事共、はや悉く忘れ果てたり。されど此事を得忘れ給はざるは、始終の 事を聞き給ひし母上なりき。フェデリゴはこれより後、我を伴ひて出づることを許されざりき。 またマドンナ フラア・マルチノもいふやう。かの時二人の命を助かりしは、全く聖母のおほん惠にて、邪宗の フェデリゴが手には援け給はざる絲を、善きに仕ふる、やさしき子の手には與へ給ひしなり。 を されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るること勿れといひき。 ことま しるひとたはぶれ フラア・マルチノがこの詞ど、或る知人の戲に、アントニオはあやしき子なるかな、うみの母を のち ば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後曾にこそ すべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まこと に我は奈何なる故とも知らねど、女といふ女は佩に來らるるだに冊はしう覺えき。母上のところ をさなことば に來る婦人は、人の妻ともいはず、處女ともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき好憎の心を ら あ よ わが なか この 、と と ものぐる
マドンナ あきらか 明なるところに浮びでたり。下には聖母の息ひたまひし墓穴ありて、ももいろちいろの花こ おほ れを掩ひたり。われはかの柑子を見、この畫を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。 この始めて信房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を與へき。今もかの時の事を おもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが當時の心にては、曾といふ者は しびとにとん かちいろころも 全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の殆どおのれ とおなじさまなると共に棲めること、かの信があまたの奪き人の上を語り、あまたの不思議の晴 わが を話すこと、かののさをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生 れたる甲斐にかかる人にならばやと折々おもふことありき。 びまうじん 〔くらし〕 母上は未に人なりき。活計を立つるには、鍼仕事して得給ふ錢と、むかし我等が住みたりしおほ 〔ゃねうら〕 いなる部屋を人に借して得給ふ價とあるのみなりき。われ等は屋根裏の小部屋に住めり。かのお 〔さと〕 界 ほいなる部屋に引き移りたるはフェデリゴといふ年少き晝工なりき。フェデリゴは心敏く世をお 境 のもしろく暮らす少年なりき。かれはいともいとも遠きところより來ぬといふ。母上の物語り給ふ デネマルク ふるさと がを聞けば、かれが故鄕にては聖母をも耶蘇の穉子をも知らずとそ。その國の名をば璉馬といへり 當時われは世の中にいろいろの國語ありといふことを解せねば、畫工が我が言ふことを曉らぬを こと ! 耳とほきがためならむとおもひ、おなじ詞を繰り返して聲の限り高くいふに、かれはわれを可医 また をさなご よ 〔さと」 〔あと 0
人 まうしひも 〔かちいろ〕 る幗を紐もて結び、褐色の短き外套をひ、足には汚れたる韈はきて、鞋を括り付けたり。 ら がんと 1 あゆみとど むれ 罹ら は洞の上なる巖頭に歩を停めて、我等の群を見下せり。 たちまエブツリノ 〔マレデットオ〕 忽ち車主の一聲の囚業を叫びて、我等に地せ近づくを見き。手形の中、不明なるもの一枚あり 。畫工は券の惡一 との事なり。われはその一枚の必ず我券なるべきを思ひて、滿面に紅を潮したり しきにはあらず、吏のえ讀まぬなるべしと笑ひぬ。 ー ) りへ かの 我等は車主の後につきて、彼塔の一つに上りゆき戸を排して一堂に入りて見るに、卓上に紙を仲 〔はらば 1 べ、四五人の匍匐ぶ如くにその上に俯したるあり。この大官人中の大官人と覺しく、豪さうなる きうもん かうべもた 一人頭を擡けて、フレデリックとは誰そと糺問せり。畫工進み出でて、御免なされよ、それは小 イタリア くし」 生の名にて、伊太利にていふフェデリゴなりと答ふ。吏。然らばフレデリック・シイズとはそこ しる ごめん なるか。畫工。御免なされよ。それは券の上の端に記されたる我國王の御名なるべし。吏。左様 「せきばらひ〕 ヂ・ か。 ( と謦咳一つして讀み上ぐるやう。 ) 「フレデリックシイズバアルラグラアスド ョオロアドダンマルク、・ テワンダル、デゴオト。」さてはそこは「ワンダル」なるか。 「ワンダル」とは近ごろ聞かぬ野蠻人の名ならずや。畫工。いかにも野蠻人なれば、こたび開化 やはり せんために伊太利には來たるなり。その下なるが我名にて、矢張王の名と同じきフレデリックな デネマルク てんいうよ り、フェデリゴなり。 ( 「ワンダル」は二千年前の日耳曼種の名なり。文に天祐に依りて璉馬の王 1 わが し くっした サンダラ 〔えら〕 わら鞳 〔わた・ あ
れり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にそありける。げに わざ おも かた こは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず。「キタルラ」一つだにあらましかば。 はじめさく〔たね〕 〔ひものみせ〕 このや〔しろもの〕〔なら〕かた わが初の作の料になりしは、向ひなる枯肉舖なりしこそ可笑しけれ。此家の貨物の排べ方は、族 わが 人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。月桂の枝美しく編みたる間に かんらくかたまりかか は、おほいなる駝鳥の卵の如く、乾酪の塊懸りたり。「オルガノーの笛の如く、金紙卷きたる しよく 燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥玳の如く光を放ちて、「。 ( ルミジ ゅふべ ヤノ」の乾酪据わりたり。タになれば、燭に火を點ずるほどに、共光は腸づめの肉と「プレシチ 〔まぼろし〕 ウットオ」 ( らかん ) との間に燃ゅゑ聖母像前の紅理璃燈と共に、この幻の境を照せり。我詩に にようよう 〔ねこ〕 は、店の卓の上なる猫兒、店の女と價を爭ひたる、若き「カツ。フチノ」信さへ、殘ることなく入 いくたび りぬ。此詩をば、幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフェデリゴに歌ひて聞かせしに、フェデリゴ ちまたこ めでたがりければ、つひに家の中に廣まり、又街を踰えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入 〔・チヰナ・コメ・チア〕 りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテの禪曲とはかかるものか、とそ稱へける。 これを手始に、物として我詩に入らぬはなきゃうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。 〔ひさげかうろ〕 さけ〔あきうど〕とどろ 寺にありて、の歌ふとき、提香艫を打ち振りても、街にありて、叫ぶ賈人、轟く車の間に立ち ても、聖母の像と靈水盛りたる瓶の下なる、ト / き臥床の中にありても、ただ詩をおもふより外あ てはじめ マドンナ ふしど その 〔ラウレオ〕 たた にか
53 蹇丐 蹇丐 羅馬なる母上の住み給ひし家に歸りし後、人々は我をいかにせんかと議するが中に、フラア・マ たてぎん ルチノはカムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけんといふ。盾銀二十は、牧者が えやす 上にては得易からぬ寶なれば、この兄を家におきて養ふはいふもさらなり、又心のうちに喜びて 迎ふるならん。さはあれ、この兄は既に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、 ひさ 香爐を提けて寺中の職をなさんやうなし。かくマルチノの心たゆたふと共に、フェデリゴも云ふ ゃう。われは此兒をカムパニアにやりて、百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて、然る し べき人を見立て、これにあづくるに若かずといふ。マルチノ思ひ定めかねて、信たちと謀らんと て去る折柄、ペッポのをちは例の木履を手に穿きていざり來ぬ。をちは母上のみまかり給ひしを 〔くやみ〕 〔なりゆき〕 聞き、又人の我に盾銀二十を貽りしを聞き、母上の追悼よりは、かの金の發落のこころづかひの みなしごうから ために、ここには訪れ來ぬるなり。をちは聲振り立てていふやう。この孤の族にて世にあるもの このや は、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に殘りたる物 ことごと たてぎん もちろん おくめん 悉くわが方へ受け收むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。マリウチアは臆面せぬ女なれば、 〔いぬ〕をりから かた けん この 〔おとづ〕 きぐっ 〔は〕
入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しばしば此歌の事をおもひき。されど「アラチ エリ」の寺にては、我耳も未たこれを聞かず、我心も未だこれを會せざりき。 母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説敎をくりかへすこと、しばしば ら ありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り厭かぬ間に、かれ等は早く ことば 聽き倦みき。われは聽衆を失はじの心より、自ら新しき説敎一段を作りき。その詞は、まことの 聖誕日の設敎といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしは フェデリゴなるが、かれは打ち笑ひ乍らも、そちが説敎は、兎も角もフラア・マルチノが敎へし よりは善し、そちが身には詩人や舍れる、といひき。フラア・マルチノより善しといへる詞は、 いかなるものならむとおもひ煩ひ、おそらくは我身の内 わがためにいと喜ばしく、さて詩人とよ に舍れる善き禪のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひ ぬ。 ある 母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の晝すぎ、トラステヱエル ( テヱエル ゅ とぶら ロオマ 河の右岸なる羅馬の市區 ) なる友どちを訪はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとく ならひ 〔チョキ〕かはり なりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。中單の代にその頃着る習なりし絹の胸當をば、針にて上衣 { うしいただ かうべ 〔ひだ〕たた の下に縫ひ留めき。領巾をば幅廣き襞に摺みたり。頭には縫とりしたる幗を戴きつ。我姿はいと きぬ 〔えりぎぬ〕 わが ほか 〔やど〕 この と 〔ゑ〕 〔あ〕
なほ きゅうりゆ , びて、石もて塞がれたるなり。當時存したるは、聖セパスチャノ寺の内なる穹窿の墓穴よりの ら 入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口よ り進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等一一人なりしなるべし。いかにといふに 此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ幾もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口の み殘りぬ。かしこには今も僣一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。 やはらか 深きところには、軟なる土に掘りこみたる道のゆきちがひたるあり。その枝の多き、その様の相 をさなごころ 似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心に何ともおもはす。畫工 たくは きぬ あらかしその はまた豫め其心して、我を件ひ入りぬ。先づ蠑燭一つ點し、一をば衣のかくしの中に貯へおき、 ( ひと寸き〕 一省の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ 立ちて歩まるるところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりな よぎ いしづくゑす る穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過りぬ。ここは始て基督敎に 歸依したる人々の、異敎の民に逐はるるごとに、ひそかに集りてに仕へまつりしところなりと そ。フェデリゴはここにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語 かざり せぎがん 〔ともしび〕 りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火さしつけて、中なる白骨を見き。 ( ここの墓には何の飾もな 〔ナ求リ〕 し。拿破里に近き聖ャヌアリウスの「カタコン・ハ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、 ふさ お この らふそく たちま ャリスト
〔ばしゃ〕 る城をか建つべき、寺の主、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の信の如く、赤き衷甸に あ しもべ こんじきよそ 乘りて、金色に裝ひたる僕あまた隨へ、そこより出入せんとおもひき。或るときは又フラア・マ くさ、さ ルチノに聞きたる、種々なる獻身者の話によそへて、おのれ獻身者とならむをりの事をおもひ、 マドンナ 世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覺えざるべし とおもひき。殊に願はしく覺えしは、フェデリゴが故鄕にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々 をまことの道に歸依せしむる事なりき。 母上のいかにフラア・マチルノとり給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、 ひざ しろぎ きぬ ああした 或る朝母上は、我に小き衣を着せ、其上に白衣を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで屆きて、 寺に仕ふる兒の着るものに同じかりき。母上はかく爲立てて、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日 〔つりかうろ〕ひさ カップチノオ 〔なかま〕わらべ より尖帽宗の寺にゆきてちごとなり、火伴の童達と共に、おほいなる弔香爐を提げて儀にあづか す・ヘ にヘづくゑ り、また贄卓の前に出でて讚美歌をうたひき。總ての指圖をばフラア・マルチノなしつ。われは一 〔おぼ〕 ゑが 幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に畫きたる神の使の童の顏を悉く記え、柱の 上なるうねりたる模様を識り、瞑目したるときも、醜き龍と戦ひたる、美しき聖ミケルを面前に . いただ 見ることを得るやうになり、鋪床に刻みたる髑髏の、綠なる蔦かづらにて編みたる環を戴けるを かうべ おもひ 見てはさまざまの怪しき思をなしき。 ( 聖ミケルがる翼ある美少年の姿にて、惡鬼の頭を踏 〔ち・こ〕 もやうし あるし されかうべ ふるさと った この わ