220 一故人 かくしゃ 〔ひく〕たく 客舍の前にはたけ矮く逞ましげなる男ありて、車の去るを見送りたるが、手に持てる鞭を揮ひて 〔うちもの〕 鳴らし、あたりの人に向ひていふやう。護衞はいかに嚴めしくとも、兵器の數はいかに多くとも、 わがまらうど あんのん イギリス 我客人となりて往くことの安穩なるには若かじ。英吉利人ほど心忙しきものはなし。馬はいっ 〔かけあし〕 も驅歩なり。氣まぐれなる人柄かなと嘲み笑〈り。われこれに聲かけて、おん身の車には既」 たり〕 〔まごころ〕 〔すみ〕 よたり 位の客人をか得給ひしと問へば、隅ごとに眞心一つなれば、四人は早く備屮たり、されど二輪車 〔まだ〕 〔あさひ〕 の中は未一人のみなり。ナポリへと志し給はば、明後日は旭日のまだサンテルモ城 ( ナポリ府を おぼ おほい づきん しが、やうやく思ひあきらめたりと覺しく、大なる紛蛻を結びて頭巾となし、兩の耳も隱るるや もくざ うに被り、眼を閉ちて默坐せり。馭者の語るを聞けば、この英人は伊太利に來てより十日あまり 〔きたイタリア〕〔なかイタリア〕 なるべし。北伊太利、中伊太利をばことごとく見果てつ。羅馬をば一日に看盡したり。此より拿 きせん 破里にゆきて、ヱズヰオに登り、船にて馬耳塞に渡り、南佛蘭西を遊歴すべしとなり。土兵八 もののぐ ぎよしゃなちふる 騎はいかめしく物具して至れり。馭者は鞭を揮へり。馬も車も、忽ち黄なる岩壁にそひたる閭門 を過き去りぬ。 かふ 〔あざ〕 し 〔マルセイユ〕 てふき ロオマ フランス たちま そなよ これ りよもん
はじめ すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。く改めたる さんしゅん 作、他日よそ人に譽めらるる時は、ハツ。ハス・ダアダアは必ずおのれが刪潤せしを告ぐ。こたび 讀むべき詩も、多く一たびハツ。ハス・ダアダアが手を經たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、 つひ 遂にその目に觸れざりき。 かどあつま カルヂナアレ にふえすそ 兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門に簇りぬ。老曾官たちは、赤き法衣の裾 すり を牽きて式場に入り、美しき椅子に倚り給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷 ま わか つぎお ものは、來賓に頒たれぬ。ハイハス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を エジプトそのほかぼんふん 讀みたり。シリア、カルデア、新埃及、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈あやし たかわらひ うして、喝采の聲は愈、、盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを 常とす。 をど しよう われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。 カル・チナアレ しゅちゅ ) 老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツ・ハス・ダアダアは出來る限のやさしき顏をなし、手中 けいくわん わざ ひと の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、獨りベルナルドオあるのみにて、 かうべ 其次なる英語は固より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれけ る。 ひ かっさい ひと わが た この てだて いくたび いよいよ
殘にて、わがためには輕んじ難き金額なりき。 ( 一「スクウド」は約我一圓五十錢に當る。十「。 ( ばかり オリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五錢許なり。十「・ハョッチ」に換ふべし。「スクウド」、「パ オロ」は銀貨、気ョッチ」は銅貨なり。 ) 幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷見逍すべきものな らねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。價を論ずれども成らざりしかば、思 だいせん ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽に「ヂヰナコメヂアヂダンテ」 ( ダンテが 神曲 ) と云へるあるを見聞しつ。鳴呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる、 なげう かなし くだもの 禁斷の果なれ。われはメタスタジオの集を擲ちて、ダンテの書を握りつ。さるに哀きかな、この しみせあるじ 果は我手の屆かぬ枝になりたり。その價は二「パオリ」なりき。露肆の主人は、一錢も引かずと イタリア いふに、わが銀錢は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第一の書なり、世界 ノッパス・ダアダア 第一の詩なりと稱へて、おのれが知りたる限のダンテの名譽を設き出しつ。 むげ には無下にいひけたれたるダンテの名譽を。 露肆の主人のいふやう。この卷は一葉ごとに一場の説敎なり。これを書きしは、かうがうしき預 ゅびさ くわえん 言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火餤を踏み破りて、天堂に抵らんとす。若 ぎ華主よ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」をも惜み給は ぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる錢なり。それにて生涯み厭くことなき、伊太利第一 のこり 【だんな〕 たた この かろ がた わが のが
225 こと ! き 馬に迎〈んと約したり。畫工は猶當時の言を記し居りて、我にその約を履まざりしを謝したり。 ふるさとおとづれ 君に別れて羅馬に歸りしに、故鄕の音信ありて、直ちに北國〈旅立っこととなりぬ。その後數年 ふるさと イタリア の間は、故里にありしが、伊太利の戀しさは始終忘れがたく、このたびはいよいよ思ひ定めて再 のぼ 遊の途に上りぬ。ここはわが心の故鄕なり。色彩あり、形相あるは、伊太利の山河のみなり。わ が曾遊の地に來たる樂しさをば、君もおもひ遣り給へといふ。 彼問ひ我答ふる間に、路程の幾をか過ぎけん。フォンヂイの税關の煩ひをも、我心には覺えざ りき。途上一微物に遭ふごとに、友はその詩趣を發揮して我心を慰めたり。この憂き族の道づれ には、フ = デリゴこそげに願ひても無かるべき人物なりしなれ。 〔ゆくて〕 友は往手を指ざしていふやう。かしこなるが我が懷かしき穢きイトリの小都會なり。汝は故里の 我が居る町をいかなる處とかおも〈る。街衢の地割の井然たるは、幾何學の圖を披きたる如く、 はし′」 軒は同じくで、梯は同じく高く、家《の並びたるさまは、檢閲のために列をなしたる兵卒に 殊ならず。淸潔なることよ、 。しかにも淸潔なり。されどかくては復た何の趣をかなさん。イトリに 入りて灰色に汚れたる家々の壁を仰ぎ見よ。その窓には太だ高きあり、太だ低きあり、大なるあ いただきかどぐち り、小なるあり。家によりては、異様に高ぎ梯の巓に門口を開けるあり。その内を望めば、繰車の おうな そば 前に坐せる老女あり。側なる石垣の上よりは黄に熟したる木の實の重けに生りたる枝さしでた ロオマ なは
人 まうしひも 〔かちいろ〕 る幗を紐もて結び、褐色の短き外套をひ、足には汚れたる韈はきて、鞋を括り付けたり。 ら がんと 1 あゆみとど むれ 罹ら は洞の上なる巖頭に歩を停めて、我等の群を見下せり。 たちまエブツリノ 〔マレデットオ〕 忽ち車主の一聲の囚業を叫びて、我等に地せ近づくを見き。手形の中、不明なるもの一枚あり 。畫工は券の惡一 との事なり。われはその一枚の必ず我券なるべきを思ひて、滿面に紅を潮したり しきにはあらず、吏のえ讀まぬなるべしと笑ひぬ。 ー ) りへ かの 我等は車主の後につきて、彼塔の一つに上りゆき戸を排して一堂に入りて見るに、卓上に紙を仲 〔はらば 1 べ、四五人の匍匐ぶ如くにその上に俯したるあり。この大官人中の大官人と覺しく、豪さうなる きうもん かうべもた 一人頭を擡けて、フレデリックとは誰そと糺問せり。畫工進み出でて、御免なされよ、それは小 イタリア くし」 生の名にて、伊太利にていふフェデリゴなりと答ふ。吏。然らばフレデリック・シイズとはそこ しる ごめん なるか。畫工。御免なされよ。それは券の上の端に記されたる我國王の御名なるべし。吏。左様 「せきばらひ〕 ヂ・ か。 ( と謦咳一つして讀み上ぐるやう。 ) 「フレデリックシイズバアルラグラアスド ョオロアドダンマルク、・ テワンダル、デゴオト。」さてはそこは「ワンダル」なるか。 「ワンダル」とは近ごろ聞かぬ野蠻人の名ならずや。畫工。いかにも野蠻人なれば、こたび開化 やはり せんために伊太利には來たるなり。その下なるが我名にて、矢張王の名と同じきフレデリックな デネマルク てんいうよ り、フェデリゴなり。 ( 「ワンダル」は二千年前の日耳曼種の名なり。文に天祐に依りて璉馬の王 1 わが し くっした サンダラ 〔えら〕 わら鞳 〔わた・ あ
かたたひら す ュズヰオ ) なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には靑く透きとほりたる波寄せたり。 あゆみとど その岩に觸るるや、鼓の如き音立ててそ碎くる。われは覺えず歩を駐めたり。わが滿身の鮮血は ( とろ〕 そら 蕩け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。われは小兄の如く啼きて、涙は兩頬 まちおはい ちまた 〔しろっち」 いしすゑ に垂れたり。市に大なる白堊の屋ありて、波はその礎を打てり。下の一層は街に面したる大弓道 ロオマナポ りゃう をなして、その中には數輌の車を並べ立てたり。こはテルラチナの驛舍にして、羅馬拿破里の間 たた 第一と稱へらる。 とど うしろ 鞭聲の反響に、近き山の岩壁を動かして、駟馬の車を驛舍の前に駐むるものあり。車座の背後に うちものと あを 〔まだら〕 は、兵器を執りたる從卒數人乘りたり。車中の客を見れば、痩せて色蒼き男の斑に染めたる寢衣 ものう ぎよしやと そのむちなら 人を纏ひて、願げに倚り坐せるなり。馭者は疾く下りて、又二たび三たび其鞭を鳴し、直ちに馬を そろ し續ぎ替へたり。さて護衞の土兵ありやと問へば、十五分間には揃ふべしと答へぬ。こはゆくての 忙 山路に、フラア・ヂャヲロ、デ・チェザレの流を汲むものありとて、當時ここを過ぐる旅客の雇 海 まこと イタリア どうはう 地ふものとそ聞えし。 ( 前者は伊太利大盜の名にして、同胞君の義なり。實の氏名をミケレ・ペ なかまひき 澤ツツアといふ。千七百九十九年夥伴を率ゐて拿破里王に屬し、佛兵と戦ひて功あり。官職を援け とりこ ざんしゅ ぬすびと らる。後佛兵のために擒にせられて、千八百六年拿破里に斬首せらる。後者も亦名ある盜なり。 ) イギリス ののし 客は英吉利語に伊太利語ま・せて、此國の人の心鈍く氣長き爲に、旅人の迷惑いかばかりそと罵り ペんせい よ つづみ この にふ や せり・もち
祭 花 かぢ らざりき。冬の夕暮、鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち倚りて手を温むるとき、我は家の 窓に坐して、これを見つつ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冾の火の中には、我空想の世の如き はげ なる世ありとそ覺えし。北山おろし劇しうして、白雪街を籠め、廣こうちの石の「トリイトン」 うら ひけ よろこびかぎり に氷のおふるときは、我喜限なかりき。憾むらくは、、、 カカる時の長からぬことよ。かかる日 きざし 〔かはころも〕 には、年ゆたかなる兆とて、羊の裘きたる農夫ども、手を拍ちて「トリイトン」のめぐりを踊 りまはりき。噴き出づる水には、睛れなんとする空にかかれる虹の影映りて。 花祭 六月の事なりき。年ごとにジェンツアノにて執行せるらる、名高き花祭の期は近づきぬ。 ( ジェン ツアノはアル。ハノ山間の小都會なり。羅馬と沼澤との間なる街道に近し。 ) 母上とも、マリウチ にようばう イタリアこ アとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。 ( 伊太利の小料理屋にて「オステリ たぐひ ア工ェクチイナ」と招牌懸けたる類なるべし。 ) 母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約し たるは、數年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さざりき。今年は 必ず約を履まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前のタには、喜 よ 〔かんばん〕か ちまたこ あたた この
事なるが、當時は「ジスヰタ」學校に、おなじ式ありき。諸生徒はおのおのその故鄕の語、若 くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ちでて讀むことなり。題をば 自ら撰びて、師の認可を請ひ、さて章を成すを法とす。 題の認可の日に、 ( ツバス・ダアダアはベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざ むれ りしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に違ひて作ら イタリア んとおも〈り。伊太利詩人の中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、 わがカの及ばざるところなり。さればわれは稍小なるものをとて、ダンテを撰びぬ。 ( ツバス・ あざわら ダアダア冷笑ひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。 カルヂナアレ さはあれ式の日には、信官たちも皆臨席せらるるが上に、外國の貴賓も來べければ、さるは 〔カルネワレ〕 子ふさはしからず。謝肉の祭をこそ待ち給ふべけれ。この詞ロて、他人ならば思ひとどまるべきな るれど、ベルナルドオはなかなか屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を讀むことと定め 友き。われは本國を題として、新に一篇を草しはじめつ。 しふ よそ たすけか 乢學校の規則には、詩賦は他人の助を藉ることを允さずと記したり。されどいつも雨雲に蔽はれた 〔ちと】 る ( ツバス・ダアダアが面に、些の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在 四に塗抹せしめずてはかなはず。大抵原の語は、纔にその半を存するのみなり。さて詩の拙さは、
ず、讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは默して答〈ず。頭を窓の縁に寄せ 、つま、 42 かけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はここに在らざりき。 たちま 忽ち街上より「フ = リチッシイ「ノッテ = アント = オ」 ( 幸あらん夜をこそ祈れ、アント = オ エウロッパ ことば よといふ事なり、北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、、、 カカる詞 いでき さ〈出來ぬるなるべし ) と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく猛き若駒に首を昂げさせ、手を軍帽 に加〈て我に禮を施し、振り返りつつ地せ去りしは、法皇の禁軍なる士官なりき。嗚呼、我はそ の顏を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるべルナルドオなり。 わが 我生活は今彼に殊なること何そ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは傍なる幗を取り て、目深にかぶり、惡魔に逐はるる如く、學校の門を出でぬ。おほよそ「ジ = スヰタ」學校、「プ 子 公。バガンダ」學校、その外この敎國の學校生徒は、外に出づるとき、おのれより年長けたる、若 よはひ る くはおのれと同じ齡なる、同學のものに伴はるるを法とす。稀に獨り行くには、必ず許可を請ふ おきて 吾ことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番信はわ 曲 神 が出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何めざりき。 あら
174 たましひ きたう し、ベルナルドオを愛せり。この瞬時の愛はかの天上の靈の相愛するに殊ならざるべし。祈疇の 我に與へざりし安慰は、今音樂にて我に授けられたるなり。 、うぎ 友誼と愛情と もととぶら ぞりひら かうきよう 式終りてベルナルドオが許を訪ひぬ。手を握り襟を披きて語るに、高興は能辯の母なるを知りぬ。 わ しゃうがい けふ聞きつるアレエグリイ ( 寺樂の作者 ) が曲、我が夢物語めきたる生涯、我と主人との友誼は我 だんし わがうれひ に十分なる談資を與へたり。けふの樂はいかに我憂を拂ひし。未だ聽かざりし時の我疑懼、鬱 のこり これら 、苦惱は幾何なりし。われは此等の事を殘なく物語りしが、唯だこれが因縁をなししものの主 に我友なりしか、又はアヌンチャタなりしかをば論じ究めざりき。我が今友に對して展べ開くこ あへ 〔ひた〕 ひと めんだう とを敢てせざる心の襞はこれ一つのみなりき。友は打ち笑ひて、さてさて面倒なる男かな、カム たち をなご パニアの羊かひの頃より、ホルゲエゼの館に招かるるまで、女子の手して育てられしさへあるに、 せつかくイタリア 「ジェスヰタ」派の學校に在りしなれば、期くむづかしき性質にはなりしならん、切角の伊太利 の熱血には山羊の乳を雜。せられたり、「ラトラップ」派の信侶めきたる制欲は身を病ましめたり 1 な むげんきゃう うらみ 馴れたる小鳥一羽ありて、美しき聲もて汝を喚び、夢幻境をで現實界に入らしめざるこそ憾な あ そなたよ か き いんねん あるじ