おもな参考資料 「タ凪の街と人と」「屍の街」大田洋子 = = 書房 ( 大田洋子集 ) 「原爆に生きて」山代巴ほか編日本図書センター ( 日本の原爆記録・ = l) 「原爆の絵ーヒロシマの記憶」広島放送局編出版 「ヒロシマ・ノート」大江健三郎岩波新書 「黒い雨」井伏鱒一一新潮文庫※これは映画も良かったです。 「黒い雨にうたれて」「はだしのゲン」中沢啓治ほるぶ出版 ( 中沢啓治平和マンガ作品集 ) 「ヒロシマの記録・被爆五〇年写真集」中国新聞社 「写真記録ヒロシマ一一五年」佐々木雄一郎朝日新聞社 「岩波写真文庫七ニ廣島・戦争と都市」岩波書店 「絵で読む広島の原爆」那須正幹・西村繁男福音館 「惨禍の傷跡」「継続する悲劇」日本図書センター ( ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成一一・ lll) 「被爆五十周年図説戦後広島市史街と暮らしの五十年」広島市 「橋の上の男」ギュンター・アンデルス朝日新聞社 「原爆と差別」中条一雄朝日新聞社 「中国新聞」 ( 昭和三〇年八月発行分 ) 中国新聞社 「昭和・一一万日の全記録第十巻」講談社 「決定版・昭和史第十四巻」毎日新聞社
あとがき 「広島の話を描いてみない」と言われたのは、一昨年の夏、編集さんに連載の原稿を渡して、帰省 したとかしないとか他愛のない話をしていた時のことでした。やっ た、思う存分広島弁が使える ! と一瞬喜んだけれど、編集さんの「広島」が「ヒロシマ」という意味であることに気が付いて、すぐ しまったと思いました。というのもわたしは学生時代、なんどか平和資料館や原爆の記録映像で倒れ かけては周りに迷惑をかけておりまして、「原爆」にかんするものは避け続けてきたのです。 でもやつばり描いてみようと決めたのは、そういう問題と全く無縁でいたし 、や無縁でいようとし ていた自分を、不自然で無責任だと心のどこかでずっと感していたからなのでしよう。わたしは広島 市に生まれ育ちはしたけれど、被爆者でも被爆二世でもありません。被爆体験を語ってくれる親戚も ありません。原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。 怖いという事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思って きた。しかし、東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないの だという事にも、たんだん気付いていました。わたしと違ってかれらは、知ろうとしないのではなく と直すべきで 知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。だから、世界で唯一 ( 数少ない、 すね「劣化ウラン弾、を含めて ) の被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、わたしが広島人 しオし力と思いました。遠慮している場合ではない、 として感じていた不自然さより、もっと強いのでまよ、 ) 原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝え 1 02