清水 - みる会図書館


検索対象: 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達
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1. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

と答えたとき、役人がとび込んできて、発一言を禁じた。このときの清水について、ある外国人は 「身長は五尺有余、筋骨たくましく剛毅勇敢の壮士である」と、書いている。 犯人であることが確認されたので、清水は馬上に縛られ、横浜市中を引き回されることになった。 このとき、清水は役人に向かって、「わたしの衣服は汚れているので、武士の最後を飾るものとして、 黒紋付きを賜りたい、 と願い出た。これが与えられると、さらに「一杯の清酒をお願いしたい、 、与えられた清酒一升を飲み干し、馬上の人になった。引き回しは、四時間もかかった。酔いが、 彼の舌を滑らかにしたらしい。ときに詩を吟じ、ときに、ついて歩く群衆になにか話しかけたりした。 あまりにも明るいので、「狂ったんしゃないか」という見物人もいた。 スイスの通訳官ラクラン・フレッチャーも、ついて歩いた一人だが、清水について、「自白はなく とも、彼が常陸か水戸の地方から来た者であることは明らかです、と、そのことばとアクセントから 推理している。戸部の刑場に着き、そこで、フレッチャーは、清水が「わたしの遺体は、水戸の墓所 首に手厚く葬られるだろう」といったのを聞いた。 獄 役人たちは、清水に、それなりの敬意を払っているように見えた。清水が、馬の背にくくりつけら の れて夜の寒さのなかに放置されるのはつらいと訴えたので、馬から降ろされ、いましめをとかれて、 焚き火にあたることを許された。清水は、役人に時刻を尋ね、「暮れ方までにすむということだった 士 いつまで待たせるのだ、この寒いのに , とほゃいた。そして、腰をおろし茶を所望した。 幕府は、遅くなっても、この日のうちに処刑したかったのだが、イギリス側は、強硬に翌日への延 一「期を主張した。延期が決まると、清水は力を落とし、「明日、明日」と、つぶやいた ( ついでながら 第 「維新史料網要 , は、清次処刑を「二十九日」と誤っている ) 。

2. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

茶店のせい、戸塚宿の市兵衛に、ひそかに面通しをさせたところ、二人とも、「見覚えはありません。 この人たちではありません」ということであった。 それでも、役人は、牢屋敷で、この二人をはとんど拷間とでもいうべきやり方で締めあげた。二人 とも、調べに耐えられないほど衰弱してしまった。それなのに、確証はなにも出てこない。役人は、 五月になって、処分保留のまま、一応、二人を釈放した。のちに、春岱は、「清次から聞いたことを すぐに届けなかった」というので遠島になった。 崩れていく犯人像 幕府の探索が手詰まりになったところで、これまで出てきた材料によって、清水清次の犯罪を検証 してみよう。 清水を、英人殺害の犯人とする積極的根拠は、第一に源八、丑次郎の証言、第二に清水の自認、第 志 三に、目撃者三人の証言ということになる。これに、事後的ながら、田中春岱の証言を加えてもいし 獄 これらは、果たして信用できるものであろうか。 の 源八、丑次郎は、清水自身から「鎌倉の英人殺害は、おれのやったことよ」と聞いたのであろう。 田中春岱が聞いたのと同じことである。ところで、清水が真犯人でないことは、田中への話そのもの 志 によっても明らかなのである。 夷 清水は、最初、「五人ほどの外国人に、六人の武士が襲撃」と話した。真犯人なら、最初から、加、 一被害者数とも間違えるということはないだろう。清水は、いち早く英人殺害のうわさを聞き込み、そ 第 れを田中に話しただけなのではなかろうか。一一人とも、攘夷気分は濃厚なので、この手の話題には、

3. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

をのばすようにやりたかったのだろう。ところが、 あごは鳴りやまない 清水は、「早くやれ」と、首斬り役人にいおうと したのかもしれない。首を横に向けたとき、スパ と白刃が振り下ろされたので、切っ先がちょっとす れた。あわてた第二撃もはずれた。第三撃にいたっ て、やっと首は胴体を離れた。これは、ちょっと計 算外だったかもしれないが、それにしても、まあ、 立派な最期といえるだろう。 ンを 「とらはれて死ぬる命はおしからすえみしをはら ) 、つやまとごころに」 辞世も、それなりのものであった。 清水清次の吟味書と、彼の最後の言動を比べて見 て、なんといっても腑に落ちないのは、清水自身が 「水戸」を口にし、外国人通訳でさえ、常陸の出身 に違いないと見当をつけているのに、吟味書は「遠 の州の生まれ」で、常陸の影も見えないことである。 清取り調べの役人が、清水の常陸弁に気付かなかった 清とい、つことは、ありそ、つにもない。役人は、清水に

4. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

大事なのは、この話は、少なくとも、井田晋之助 ( 進之助、新之助 ) と清水清次が別の人物である ことを、十分、証明しているということである。弥太郎は、井田を知っているが、清水を知らない 田中や天方は清水を知っているが、井田を知らないだろう。すなわち、一一人のそれぞれの交友関係は まったく違うのである。清水は常陸弁を使うというのに、井田は姫路の人だという。慕府の役人は、 田中や天方をみっちり調べたのだから、清水と井田が別の人物であることは十分過ぎるほど知ってい るはすである。それなのに、 Ⅲ宮罪状書で井田晋之助と清水清次が同一人物だとは、とんでもない詭 弁である。 清水と井田、この二人のうち、間宮と組んだ真犯人はだれか、ということになれば、間宮罪状書か らいって、井田晋之助であることを否定できる人はいないだろう。 ところで、弥太郎がいうように、井田晋之助と桃巌斎のむすこが真犯人だとすると、すでに真犯人 と確定した間宮一はいったいどうなるのか、はみ出してしまうではないか、と疑間に田 5 う人がいるか もしれない。しかし、疑念は無用である。桃巌斎のむすこが、すなわち、間宮一だからである。間宮 が、お寺の生まれであることは、先にふれたが、間宮供述書は、そこのあたりを次のようにはっきり 書いている。 「四年前、母が病死し、父硯童の手元で成長したが、文武を好み、仕官の希望を持っていたので還俗 し、一昨年十一月、鎌倉郡上野村の浪人医師平尾桃巌斎の養子になり、平尾とか杉本右近とか名乗り、 桃巌斎ともども江戸へ出て剣道修行に励んでいた」 なんと、間宮一は、青木弥太郎とも面識があったことになる。ここまでくれば、だれもが、真犯人 は井田晋之助と間宮一に確定するだろう。

5. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

申し合わせて外国人を殺害したのは、不届きこのうえもないことであり、引き回しのうえ獄門に処す る」 罪状を書いた立て札は、吉田橋のたもとだけではなく、鎌倉など、外人遊歩区域内の数か所に掲げ られたようである。川島老は、おそらく、まったく個人的な興味から、これを筆写したのであろう。 公式ルートのものでないからこそ、後世に残ったとも考えられる。 罪状の内容を要約すると、井田晋之助と間宮一は英人殺害の共同正犯である。間宮一は、すでに共 犯として処刑された清水清次を知らないといっている。しかし、年齢、格好が似ているので、井田晋 というのである。 之助と清水清次は同一人物に違いない、 川島老も、この判決の論理を素直にうのみにして、その談話のなかで、「その年の十一月初旬にな って、井田晋之助と申す者を捕縛致しましたが、この者は畠山郷之助、または平田鬼之助などと変名 致しておったもので、同月下旬、横浜在の戸部村刑場において清水清次と名乗って、斬罪につき獄門 首 に処せられました」と語り、めでたく、一件落着としている。しかし、事件一か月後に捕縛されたの 獄は、あくまで「清水清次」なのであって「井田晋之助、と名乗る男ではない。清水清次と井田晋之助 が同じ人物であるという証拠はどこにもなく、慕府が後になってわすかに持ち出した根拠は、「いす れにも晋之助年齢格好等清水清次にも引き当たり」という、ただそれだけである。年齢、格好が似て 志 いるから同一人物だというのなら、この世に同一人物がごまんといることになろう。 夷 / し子′し 人が偽名変名を使うときは、一定のパターンがあるのであり、とくに意識したはあいは 一別として、どうしても、本名と似た感じのものになってしまう。ここでいえは、井田晋之助が、畠山 第 郷之助、平田鬼之助などと名乗るのは、なるはど、とうなすけるが、清水清次は明らかに、そのパタ

6. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

おおいに関心がある。 外国人襲撃は清水の夢であり、実際、幾度か計画したこともあるのだろう。だから、快哉を叫んで 田中に告げた。ところが、尊敬すべき犯人に関する情報は、いっこうに入ってこない。もし、おれが やったのなら、すばらしいこととして同志から称賛されるだろう。事件後数日のうちに、あこがれや 夢がふくらみ、それが、現実そのもののように思えてくる。神刀一閃、夷醜を斬って捨てたのは : おれだー 共犯として天方一をあげたそのことが、すでに清水のうそを証明しているともいえる。天方は、田 中の知人でもあるから、いすれ、田中は天方にことの真否を尋ねるだろう。うそは一挙にばれる。な あーんだ、という笑い話である。あるいは、そのころには、別の真犯人があがっているかもしれない。 だが、田中をかついで、一時にせよ、志士中の志士の気分を味わうのも悪くはない。 田中への虚言の余勢をかって、清水が、かりそめの強盜仲間である源八と丑次郎に、同しことを告 げたのは確実だろう。自分たちの首領に対する無宿人二人の称賛と畏敬の眼は、清水の自己陶酔的ヒ ロイズムを十二分に満足させるものがあったであろう。 次に、清水の自認はどうであろうか。これは簡単である。配下である源八と丑次郎は、羽島村の強 盜のみで打ち首である。首領である清水が打ち首を免れ得る道理はない。どうせ避けることのできな い死であるならは、行きがけの駄賃ということもある。汚辱にまみれたただの強盜として死ぬよりも、 かねての志を生かし、栄光に満ちた攘夷の志士として死にたい。たとえ、その首はさらされても、名 は千載の後までも残る。ついでながら、これは、見知らぬ同志ともいうべき真犯人をかばうことにも なろう。

7. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

としたものだ、というのである。 間宮は、のちに自首して処刑され、大東義観はその後逃亡して行方不明というのが結末だが、たと えは「東国浪士中かねて聞き及ぶ文武に秀でた青年勇士間宮一 , という具合に、やたらに間宮を持ち あげている。 昭和十八年に出版された『尊皇攘夷史秘話』 ( 和田信義著 ) は、間宮単独犯行説である。 横浜焼き討ちを果たせなかった間宮は、鶴ケ岡八幡宮境内にある護摩堂の修行僧にばけていた。あ る日、朝酒に酔った英士官二人は、土足で八幡宮拝殿にあがり込んだ。これを見た間宮は、すさまし い形相で駆けつけ、一一人を拝殿からひきすりおろすと斬り殺し、姿をくらました。 やがて、清水清次が捕まり処刑されるのだが、この本は、清水は有名な義賊であるとしている。当 時、蒲田・女塚あたりに、神官を交えた攘夷グループがあったが、清水は、そのメンバーでもあった という。ただ、ここに引用されている清水供述の内容は、本物の吟味書と同工で、全編まるつきりの でたらめというわけではない。 その場を逃れた間宮は、相川 + 切っての侠客星政こと相模屋政吉にかくまわれる。だが、初志を貫徹 した以上、潔く処刑されるべきだというので自首する。幕府は、すでに清水を真の下手人として処刑 しているので困ってしまい 間宮を連累者として、つまり、本当は単独犯なのに、二人共同の犯行と い、つことにして処刑した。 この二冊、ともに、ディテールはうそ八百である ( もっとも、『尊皇攘夷史秘話』を、まともな史 料であるかのように扱っている学者もいる ) 。しかし、間宮一は真犯人であり、清水清次は真犯人で という基本だけは一致している。

8. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

翌日、刑場を見下ろす小高い丘の上に、イギリス陸軍、海兵、砲兵隊などが整列した。もちろん、 公使館員も立ち会った。 午前十時の予定だったが、清水が刑場に引き出されたのは十一時だった。乗り物から出され、酒と ~ 果子が与えられたが、清水は喜んでこれを受けた。アーネスト・サトウは、このとき、前日言いかけ て、役人に止められたことを尋ねた。清水は、「もし、あの外国人たちが道を譲ってくれたならは、 襲撃はしなかっただろう」と、客観的な事実と、まったく違うことを答えた。 情水は、このあと、役人たちに目隠しをしないように頼み、妻にあいさつをさせてほしい、とも ) った。彼に、妻がいたようには田 5 えないが、ロマンチックな空想をめぐらせは、矢来の外に、なじみ の女の姿でも見かけたのかもしれない。 また、首はさらされても、胴体は故郷の水戸の墓地に葬り、 墓石をたてて欲しい、 といい残した。 処刑の時間になると、清水は、自分から立ち上がって坑の前に行き、ひざをついた。大きく肩を揺 すると、着物がすり落ちた。首斬り役の佐藤政之助がたすきをかけ終わると、清水はいった。 「ご苦労。見事に頼む。ここで辞世をよむが、それが終わったら『よし』と合図をする。首をのばし て、しっとしているから、そこをやってくれ」 ことは、その通りに進んだ。「よし」といって首をのばした。そのあごは、ふるえていた。刀が振 り下ろされた。同時に、イギリス砲兵隊の大砲が一発鳴り響き、法が正しく執行されたことを告げた。 いずれの資料によっても、清水の最期は、憂国の志士を絵に描いたような見事な 日本側、外国側 ものだった。これを賞賛しない者は、ただの一人もいない。ただ、首を差しのべたとき、あごが、が くかく小さく鳴ったのは、情水にとって意外なことだったかもしれない。鶴が、すーっと音もなく首

9. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

恐れる幕府が、身代わり犯人を引き出してきて不明朗にケリをつけるのを防止するためのものであっ タ四時ころ、立派なかごに乗せられ運はれてきた清水は、白州に引き出された。庭に面した障子の 陰に、日英の役人と三人の証人が控えている。三人とは、八幡宮の茶店のせい、犯行目撃の少年兼吉、 戸塚宿の茶店の主人市兵衛である。三人は、障子に開けた穴から、たつぶり清水を観察し、それぞれ、 別々に審問を受けた。 せいは、この男が、彼女の店のしようぎに笠を置いた男だと囃 = 」 認 0 た。兼吉は、最初 0 外国人を襲「た武士 0 あゑ』陳述し・ ( ( 、 ' 「「よ た。そして、市兵衛は、あの日、横柄に食物を要求した武士の 一人である、といった。 そこで今度は、イギリス代理領事マークス・フラワーズと通」は 3 訳のアーネスト・サトウが清水の前に行き、名前と罪状を確認 「わたしの名前は清水清次です。わたしは、鎌倉で外国の士官 の一人を殺しましたー と、情水は答えた。さらに 「間違いなく、わたしは、鎌倉で外国人を殺した者の一人です。 しかし、わたしは、取り調べのやり方についてお話ししたいこ とがあります」 清水清次の市中引き回し ( アンべール )

10. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

のだが、攘夷を呼号する浪士集団のようなものがいくつかあったのだろう。 だが、幕府が、どんなに綿密周到に探索しても、高橋藤次郎らしい姿は、浮かびあがってこなかっ た。そこで、幕府は、初めて清水清次の供述は、うそっぱちらしいと気づいた。早々と、あの世に送 り込んでしまったので、改めて清次を問い詰めるわけにはいかない。 「共犯の探索はどうなった」と、 イギリス側は、折にふれて催促する。「いま、やってます」「近く捕まるでしよう」のその場のがれも 言いづらくなった翌年一一月九日、諏訪因幡守は、イギリス、オランダ両公使と会ったとき、こういっ て、シャッポを脱がざるを得なくなった。 「藤次郎は、まったく烏有の者でありました。清水清次がうそを申し立てたものと思われ、いま、別 の方面を探索しています , 「この事件解決は、友好のために大切なことです。しつかり頼みますよ」 「もちろんです , 志 首 というわけである。それにしても「烏有の者」とは、面白い表現である。 獄 清水清次は、共犯をかばって、高橋藤次郎などという架空の名前を持ち出したに違いない。かはわ の なければならないということは、彼の身近な人間に違いない。役人はそう考えたのだろう。そこで、 清水の周辺を改めて丹念に洗い直した。すると、うまいぐあいに、怪しい男が浮かびあがってきた。 志 巴麦藩の医師田中春岱である。 夷月彳 ~ 攘 田中は、浜町新屋敷に住む三十代半ばの男である。かって、清水はこの家に食客をしていたことが 」。ある。二人は、かなり親しい仲で、ときには、「仲間を集めて、英船に討ち入ろうではないか」など 第 と気炎をあげることもあったらしい