逃げ - みる会図書館


検索対象: 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達
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1. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

並べて、朝食をとり始めたときだった。 「県官が来たぞー , との声が、津波のように盛りあがった。午前九時ころのことである。見ると、農 民たちが、なだれを打って逃げてくる。県官の威嚇射撃の発射音が間断なく続く。そのなかを、鉢巻 きの士族隊が血相を変え、抜刀して切り込んでくる。竹槍では、到底、太刀打ちできない。農民たち は逃げに逃げまくるのみである。 多少は田舎剣法の心得がある本橋、大町らが、歯がみして、「県官はたかだか百人ぞ。逃げるな。 打ちかかれ」と、呼ばわっても、耳に入るものではない。本橋にしてからが、一人の官員と槍でわた りあったが、槍をたたき落とされ、顔と肩を切りつけられ、やっとの思いで、近所の人家に逃げ込む 始末だった。二千人対百余人の争闘だったが、二千人は、四方八方へ、文字どおり、クモの子を散ら すように逃げ去った。あっけない一戦だった。農民側の死者六人、負傷数十人、県官側は負傷五人と いう結末だった。 それでも、その日の午後一一時ころには、大町甚左衛門をはじめ、数十人の者が、陣容をたて直そう と阿波山村に集まっていた。そこへ、古内村 ( 現・常北町 ) の使いが二人来て、「古内村に集まって いる者と十万原で勢を合わせ、夜になったら県庁に押し出そう」という。大町は、夜の合図などを決 とこからともなく、また農民が めて二人を帰した。まだまだ、農民隊が敗れたというわけではない。・ 集まってきて、三百人ほどになった。近在の村へ、改めて召集をかけることにして、大町は、その夜 に賭けた。危険な六人が、大町の前に姿を現わしたのは午後三時ころのことであった。 前日の夕方、下市分監を放たれた六人は、その夜は、下村田村 ( 現・大宮町 ) の元懲役人の家を訪 ね、一宿一飯にありついた。翌日昼過ぎ、小野村 ( 現・大宮町 ) まで行くと、つい数キロ離れた石塚 やり 120

2. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

につくから徒歩で行く」といって車夫を帰した。 悪事にかけては、とてもかないそうにもない二人の男がヒモにちょっかいをかけるのを見て、文吉 は青ざめている。「文さん、なにも気遣うことはない。わたしは殺されてもお前と離れる気はないし、 お前に心配させるようなことはしないよ」。すぐ、宿の勘定をすませて二人で逃げ出した。芝居に出 たつぶりひたることができた。 てくる駆け落ちのような気分に、 明治二十五年の初夏、二人は佐賀に戻り、文吉は久しぶりに親にも会った。顔の売れている佐賀に 長くいては危ない。今度は熊本でひとかせぎしようと、若津まできた。ヒモの郷里は目と鼻の先であ る。文吉ひとりを宿に置いて、ヒモは実家にひとっ走り。なかなか親孝行なのである。外からのぞき こんで「父さん、達者ですか」と声をかけると、父親はけげんな顔をして「どなたしや」。「まあ、目 の悪い。わたしはおヒモです , といえは、涙を流して「おれはもう、貴様は死んだものだとあきらめ ていたのに、よう達者で帰った , と喜ぶ。ヒモは、親の顔をちょっと見たら戻るつもりだったのだが、 親でさえ死んだとあきらめているくらいなら、一晩くらい泊まっても大丈夫だろうと思った。念のた 獄 脱め、巡査がくるかときけば、ここ一、一一年は見たこともないという。そこへ、弟が戻ってきて、狭い 家ながら、久しぶりに話がはすんだ。 ところが夜中の十二時、表戸をトントンたたいて「兵七、兵七」と父親を呼ぶ声がする。ははあ、 の モ きたな、と思ったが、狭い家のうえに一方ロだから逃げようも隠れようもない。弟が戸を開けると、 ヒ お 巡査が三人どやどやと入ってきて、「おヒモが戻っているだろう」。 話 覚語を決めているから、「はい、わたしがヒモです。決して逃げはしません。尋常にお縄にかかり 第 ますから、お静かに願います」と、帯を締め直す。そのとき、懐中に金の入った巾着があったから、

3. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

らました。 石塚の「天朝御用 , を合図にして、鈴木半蔵は近くにいた栗田善兵衛へ、富永徳太郎は大和田利右 衛門へ組みついた。しかし、農民組も力は強い。栗田は鈴木をはね返し、逆に組み伏せてしまった。 そこで、関口新介が栗田に切りかかる。二人を相手にしては危うしとみて、栗田は身をひるがえして 姿を消す。 富永は、大和田に襲いかかったが、これも手ごわい。激しくもみあうところに、稲葉弥兵衛が切り かかった。大和田は、争うのは不利と見て逃げた。逃げた大和田に組みついたのは、栗田に逃げられ た鈴木である。今度はうまく組み伏せたが、生け捕りにできる状況ではない。首をとるつもりで、鈴 木はしきりに頸をめがけて刃をつきたてるが、・うまくいかない。「新介、首をとってくれ , と声をか けられ、富永、稲葉とともに逃げた男たちを追おうとしていた関口が戻ってきて、その首をかき切っ 暗た。のちの検視によれば、この首なし死体には、肩、背中のはか、左手首、右手首、右ヒジ、右親指、 囚右手のひらなどに突き傷、切り傷があった。徒手、真剣を防ごうとあらがったさまがうかがえる。結 局、小林と栗田は逃げた。しかし、「徳川御用」の檄文を認めた大町甚左衛門だけは、「天朝御用」と し ぶ叫んだ殺し屋懲役人たちに殺された。 を 大町の首を、合羽の袖に包み、六人の殺し屋が薬師寺までくると、数人の農民が兵糧の仕度をして いる。大声で 民 農 「お前らは天朝の御趣意をなんと心得とるか。みだりに良民を扇動して凶器を持ち、官吏を殺し、そ のうえ県庁に押しかけようとは、実に許すべからざる罪人である。いま、すぐ解散すれば、お目こば 四 第 しということもあろう。言うことをきかんというのなら、一人残らす斬り捨てるぞ、 12 ラ

4. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

ここからが大事なところなので、以下「懺悔談」の語りを、そのまま使わせてもらう。 「井田と桃巌斎のむすこは、古田の捕らえられた留守宅へ行って、千両もかけてこしらえた金づくり の貞宗の刀を持ち出して逃げて行く途中、鎌倉で西洋人を斬りました。それは、まったく井田と桃巌 斎のむすこが斬ったのですけれども、水戸浪士の清水清次というものが、わたしが西洋人を斬りまし たと言って訴え出て、横浜市中引きまわしの上、獄門の刑に処せられました。 これは、どういうわけかというと、青水は何か賊を働いて江戸におられないで、逃げて行く途中、 井田に会って西洋人を斬ったということを聞いて、どうせ無い生命だから、自分が西洋人を斬ったこ とにして、自訴に及んだのでございます。井田と桃巌斎のむすこは、西洋人を斬ってから鎌倉の某寺 に逃げ込み、住持にその事情をうち明かしてかくまってもらいまして、西洋人を殺したのは清水であ るということになって、事済みになりました。 めかけ 願 それから後、その寺の本妻が妾とけんかをして妾をおい出したところが、その者が横浜へ行って、 志 馗異人を斬ったのは全く井田と桃巌斎のむすこだということをしゃべったので、遂に、井田は姫路へ逃 獄げて行く途中を捕らえられ、桃巌斎のむすこは牛込の本多という屋敷の士になっているところを捕ら えられて、両人とも殺されました , もちろん、この語りの全部が正しいわけではない。 千両の刀なんてマュッパだし、清水が自訴したというくだりは事実と異なる。清水が井田に会った 夷 攘 とか、犯人の二人が寺に逃げこんだというのも怪しい、本妻と妾のけんかうんぬんは面白くできすぎ 話 ている。だが、そもそも弥太郎は大ぶろしきを広げるのが好きな男である。そんな違いは枝葉のこと 第 といってもよい

5. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

ここで抜け出せば、ばっさりのおそれがある。 もっとも、はしつこいのは、やはりうまく逃げた。窃盗犯で懲役三年の什長木藤倉松は、燃える己 決監から逃げ出し、墓石の陰に身をひそめていた。一同の姿が見えなくなると飛び出し、逸見の縄を はどき、官金箱を持ち出すと近くの商人の家へ預け、なんと三里の夜道を駆け抜けて岩鼻本監に急を 知らせた。これは、騎馬の警部より先に着き、本監に対する第一報になった。 隊列の先頭に抜身の刀を下げた文七が立ち、後尾に長吉がついて脱落者を見張った。それでも、闇 夜にまぎれて逃げた者がいた。 森川品吉は、逃げようとして長吉に背後から切られ、背中に長さ五寸、深さ一寸の傷を受けたが、 そのまま、近くの士族宅に逃げ込み、その士族に連れられて、県庁第四課 ( 警察部 ) に出頭した。 竹の棒を持って、いやいや隊列に従った大竹重郎右衛門も、脇の道に追げ込んだところを後から、 左肩二寸五分にわたり切られた。本多八十八は、高崎警察署まで二里余を駆け抜けて知らせた。酒井 重之丞は、高崎署から岩鼻本監まで急報した。什長高平虎吉は県令宅へ、什長伊藤竹次郎は大書記官 宅へ知らせた。 だが、囚人のなかで、もっとも功績があったのは、懲役八十日の賭博犯小林和吉である。彼は、足 に自信があったのだろう。隊列を駆け抜けて、急を、当面の攻撃目標である前橋未決監に知らせた。 けんろう 未決監は板塀ながら、それなりに堅牢に出来ている。 和吉が、その未決監の総門の分厚い扉を激しくたたいて開門を求めたのは、三十一日午前零時十分 のことであった。折りから、この未決監には、等外四等出仕秋元悦治を頭に六人の監守がいた。 宵番から明番へ、午前零時に交替したばかりで、明番の附属竹丈三郎が獄中日記を書いているとき、 146

6. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

と言って、刀の先に刺した大町の生首を指さすと、農民一同、 立な 、き大地にへばりついて頭を下げた。いますぐ退散するから、生命 しはばかりはお助け・阜とい、つ 近こ「おとなしく帰宅のうえ、お沙汰を待て」 山のというと、恐れ入って、逃げ去った。 出し 町を六人は、夜を徹して水戸を目ざした。大町の首、六本の刀、 塚て 石っ火薬を入れた竹筒などを持って、細谷村懲役場に戻ってきたの れ、は、十一日午前一一時ころのことであった。 さて 殺い 最初に起ちあがり、農民隊の中核でもあった上小瀬の首脳部 がて 走がつぶされたことによって、農民隊はもはや組織的な活動をす 左が 甚路ることができなくなり、この夜を境に自然消滅した。 町道 大な十六日、警察は一斉検挙に乗り出し、農民一千余人を捕え、 その多くを罰金刑にした。幹部のなかには、東北地方にまで逃げた者もいたが、ほとんどが捕えられ た。翌年八月十一一日、本橋次左衛門は斬罪、岡崎新八と小林彦右衛門は絞罪の判決を受けた。 地租改正反対が起こったのは、茨城だけではない。九年十二月だけでも、茨城のほかに、三重、愛 知、岐阜、堺の諸県で起こっている。さすがに、政府も鎮圧一方で処理することはできないと見たの だろう。十年一月になって、地租率を百分の三から二・五に引き下げた。「竹槍でドンとっき出す二 分五厘」の狂句は、これをうたっている。 126

7. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

「おヒモさん。お前は、たばこをのんでいなさるかね」 「たばこしゃないよ : : : お前、こんなこと、だれにもいっちゃ、いかんよ」 「わたしはだれにもいいません。その代わり、お前、わたしのいうことをきいてくれるかね」 サトは、逃げるときは一緒に連れていってくれ、という。 それから四日はど焼いて、格子は、一押しでメリメリと動くところまできた。だが、その夜は、例 の看守長の当番ではない。 一晩待って、あの看守長の当番を確認して実行に移した。三月二十日の夜 のことであった。 キワは、伝告者である。ヒモが抜け出すところは見てみぬふりするとしても、抜け出した直後に鳴 子の縄を引っ張ったら、役人が騒ぎ出し、たちまち御用になる。そこで、クギをさしておこうと、 声で「キワさん」と呼びかければ、「アイ、とすぐ返事をする。やはり、眠っていなかったのである。 まったく、油断がならない。 「わたしは今夜、ここから逃げようと思うから、見て見ぬふりをしておくれ、というと、しばらく考 えて、「明晩にしてくれんか」という。今夜見合わせたら、あすはそっと役人にたれこむに違いない。 「お前さん、先ごろ飯炊き一件のとき、わたしに頼んだ一言をよもや忘れてはおるまい こう打ち明 けた以上は、おとなしく目をつぶっていておくれ。しかし、キワさん、わたしが出たといっても、間 もなくお前の手がこの鳴子の縄にかかったら、わたしは半時の間に連れ戻されてしまう。そこを、よ く飲みこんでいてもらわんと困る。ここを出て、三里先きで捕まっても、それは運とあきらめるが、 一里や一里半のところで追手の手にかかったという日にや、お前を恨んでどんなことになるかわから んからね。お前も、その辺のところは、よーく心得ておいておくれ」 180

8. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

寄り合いのあった下作延村の農家では、「飯をくわせろ」と、しつこくせがんだ。溝ロ村を通った一 人が、多摩川の河原に出たのは、二十三日の明け方近くであった。 二子の渡し場の船頭千次郎は、ちょうちんをさげた二人が、とくに五十文払ってくれたので、まだ 暗かったけれども舟を出した。背の高い方は二十四歳くらい、色白く、青い手ぬぐいで鉢巻きをし、 ) 、肥って顔は長く、やはり鉢巻きをしていた。一一人と 羽織はかま姿だった。他の一人は二十歳くらし も、ことばは穏やかだった。この渡しを渡ると、道は、江戸の青山の方へ続いている。 こうしてみると、慕府の役人の探索能力もなかなかのものである。これらの点を結べは、逃走経路 は手にとるようにわかる。ごくおおざっぱにいえば、後半部分は、現在の東急田園都市線沿いという ことになろ、フ。 だが、残念ながら、この綿密な足取り検査が生かされて犯人に達したわけではない。それどころか、 年田但馬が目撃した二人連れは犯人だとしても、戸塚宿以降の一一人連れは、犯人ではない公算も少な くない。その内容の虚実はしばらくおくとしても、清水清次、間宮一は、犯行後の逃走について、次 のようにいっているからである。 清水清次の供述は、そもそもが当てにならないのであるが、順序としてこれを見ると、「藤次郎は、 その場からどこへ逃げ去ったものかわかりません。私は、露見をおそれて刀とはかまは捨て、さき羽 織はふろしきに包み、わき差しだけの町人姿になって、品川宿関門のわき道をひそかに通って江戸へ 入った」といっている。二人連れどころか、経路も、ぜんぜん違う。 次に、間宮一である。こちらは、目撃証言と一致する部分もある。「見とがめられまいと姿をかえ ました。着ていたはかまを脱ぎ、ふろしきに包んで背負い、逃げました」。年田但馬が会った二人連

9. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

村で、けさほど一戦あったという。農民隊の首 ~ 凶は、那珂川をへだてただけの阿波山にいるというの で、急いで阿波山村に駆けつけた。 ここにも、元懲役人の仲間がいる。山崎カ太郎という男だった。ます、山崎の家に顔を出し、昼飯 をせびったうえにいっこ。 「われわれは、脱監で追われる身である。捕まれば生命は危ない。・ とうせこうなったからには、農民 隊に味方し、及ばすながらカを貸したい。同囚の旧交をもって、農民隊の首領に会わせてくれ」 カ太郎の従弟の寅之介が、農民隊のメンバーだったところから、カ太郎は寅之介に打診した。農民 隊は一敗地にまみれ、なんとか勢を盛り返したいところである。寅之介が、この旨を告げると、大町 は話に乗ってきた。懲役人なら、官に怨みこそあれ、官の手先になって働くことはあるまいと思った 団のだろう。こうして、六人は大町の前に現われた。このとき、大町は、大和田利右衛門と名乗ってい とび 暗 た。木綿藍味塵の綿入れに黒ラシャの鳶合羽を着て、二尺余の刀を差していた。石塚らは、ここぞと 徒 囚 はかり熱弁を振るった。 「われわれは、一味十七人で申し合わせ、このたびの騒動で手薄になったのに乗じて脱監したが、十 ーし 一人はいつの間にかはぐれてわからなくなってしまった。それはともかく、われわれは、いすれも懲 っ を役終身または十年の者であって、どこに逃げ隠れようと、見つかれはしよせん生命はない。どうせこ うなったのであるから、この際、諸君にわれわれの力を貸し、先に立って一働きしようと思う。もし、 民 農 不幸にして戦利あらす敗れるようなことがあれば、諸君と共に奧州、野州へ逃げ、しばらく身を隠し て再挙を図ろう。だいたい、その地方は、かってわれわれが潜伏していた場所であり、どこにでも昔 第 の子分がいる。決して心配するには及はない」 1 2 1

10. 奇談追跡 幕末・明治の破天荒な犯罪者達

の手が回ることは確かだった。どうするか。このとき、本橋次左衛門は、他村の動向を探るために村 を留守にしていた。大町甚左衛門が提案した。 ( ( ( し力ないし 「われわれの願いをまだ県庁に申し立ててもいないのに、むなしく捕縛を待つわナこま、、 かも、官憲は老人や子供まで捕縛するというではないか。あまりにも残酷なやり方だ。いま、起ち上 がり、かねて本橋と語りあってきたわれわれの願いを貫徹すべきである。捕吏に反抗し、彼らを殺し、 すでに捕縛された者は解放し、その勢いに乗して他村を扇動し、まきこみ、県庁に迫って、われわれ の要求を通すべきである」 反対する者はいなかった。水の沢村の者へも、帰村して人数を集め、それぞれの武器を持ってまた きてほしいと説いた。方針は決まった。一同は山を下り、一人残らす刀、猟銃などを手にして改めて 団集まり、気勢をあげた。行き会った者に「巡査を殺そう。武器を持ってついてこい」と呼びかけ、つ 暗 いてこない者にはただではおかないとばかりに迫った。上小瀬にも、もう巡査が入っており、捕まり 徒 姻そうになったので逃げてきたという者もいた。二十七、八人の者が、つい先ほどまで巡査がいたとい う旅店を包囲して、ときの声をあげたが、巡査は、もう小舟村の方へ立ち去ったという。そこで一同、 小舟村へ向かって押し出すと、遙か向こうから、巡査二人と連れの者の三人がこちらに向かって歩い っ 揆 てくる。「やつつけろー , と、声をあげ、竹貝を吹き鳴らして進むと、一一人の巡査は、ただならぬ気 民配を感したのだろう。くるりと向きを変え、さっき出てきたばかりの小舟村扱所に逃げこみ、さらに 農 扱所横の士族の隠居宅に身を隠した。 話 四 農民たちは、その家を取り囲んだ。三等巡査渡辺弥之介は、裏口の戸を開け、ひそかに逃げ出そう 第 とした。大町がこれを見つけ、抜刀して切りかかった。渡辺は官棒で防ぐ。さらに数合、大町の刀が