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検索対象: ユニークな美術館めぐり
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1. ユニークな美術館めぐり

後、現館名になった。 その間、宮古、八重山、日本本土の収集家の好意もあって、収蔵点数が増え、四十一年に新館 落成、あとで二階が増築された。あわただしい変遷のうちにも沖縄の一つの悲願がくみとれる。 常時、千三百点しか展示できない手狭さが悩みだが、収集が美術工芸から始められたために、 その分野に見るべきものが多い。 なかでも沖縄・奄美諸島でうたわれた古謡「おもろ」を首里王府が収録編集した古写本「おも ろさうし」全二十一一冊と沖縄最古の古語辞典「混効験集」二冊や旧円覚寺殿前鐘 ( 梵鐘 ) などは 国の重文で貴重なものである。 絵画では十八世紀の画家、座間味庸昌 ( 唐名、殷元良 ) の花鳥図や雪中雉子の図 ( いずれも県指 定文化財 ) などのほか、筆者、制作年代不詳の「進貢船の図」も印象的だ。これは王朝時代に中 国との進貢貿易に活躍した進貢船の那覇港人港の情景を描いたもので、ハーリー ( 爬竜船競漕 ) ・ツ新 ~ を一第 紙本著色「進貢船の図」

2. ユニークな美術館めぐり

がしつくり溶け合って、現場の古墳でさぐる原始芸術の雰囲気を感じさせる。 ほかには、版画収集に力を人れている。予算的に手がとどきやすいのと、日本を代表する版画 家の一人、浜田知明氏が熊本で活躍中という縁もある。永青文庫展も回を重ねた。同文庫 ( 東 京 ) は旧熊本藩主細川家伝来の古美術を中心に多数の東洋、日本の古美術を収蔵する。将来は常 設的に展示したいという。 〈主な収蔵品〉 望できるようなポイントで収集、約二百五十点を数えて 熊本関係作家の作品を中心に収集、堅山南風「武者小 いる。主なものにはデューラー「メランコリア—」、カ 路先生」、牛島憲之「山の駅」、海老原喜之助「曲馬」 ロ「戦争の悲惨と不幸」、ゴャ「ロス・カプリチョス」、 「芸」、坂本善三「黒の構成」、大塚耕一一「トリリート」、 ピカソ「貧しき食事」など、他にルノワールの油彩「胸 野田英夫「都会の冬」など、版画では在熊の浜田知明の に花を飾る少女」、ロダン「接吻」、ファッチーニ「風の 初期銅版画より最近作まで百十五点をてはじめとして現中の女」などの彫刻を常設展示。 在約一一一百点を収集。西洋版画では、西洋美術史が一応展 〈メモ〉熊本市二の丸二番。市電・ハス市役所前下車。徒歩二十分マ入館料“一 般百円時間午前九時半から入館はタ四時半までマ休館日月曜 ( 祝日の場 合は翌日 ) 。年末年始マ電話“〇九六一一一ー五二ー二一 一一マ古墳見学例えば チプサン、弁慶ケ穴古墳の場合、管理をしている山鹿市鍋田の山鹿市立博物館 ( 熊 本市内から・ハス約一時間 ) へいくと、午前十時、午後一一時の二回、カギを開けて案 内。一カ所百円。休館日に注意。電話〇九六八四ー三 ー一一四五。

3. ユニークな美術館めぐり

余年かけて集めたという。一代のコレクションとしては最大級といわれる。試みに六大浮世絵師 の中から代表的作品の一部をひろってみると 春信「瀬川菊之丞」 ( 肉筆画 ) 日「春信全集」などに原色で紹介後、行方不明であった。清長 「真崎の月見」 ( 同 ) 日著名な代表作。歌麿「文読む美人」 ( 同 ) 日数少ない歌麿の肉筆画で芸術 性の最も高いとされる寛政期の作。写楽「七代目片岡仁左衛門の紀名虎」 ( 版画 ) ⅱ現在はこれ 一点のみといわれる。北斎「風俗三美人」 ( 肉筆画 ・三幅対 ) Ⅱ数少ない壮年期の作で、この時期の三 幅対はほとんど現存しないといわれる。広重「江戸 のそろいものは他に一組のみ : : : といった具合だ。 本 紙 浮世絵の初期から終期まで、好みの作家にかたよ 筆 をらない収集は、いずれ公開という意図ではあったろ / 図うが、これまでは未公開であったため、色美しい状 、態で保存されていた。浮世絵は美しい色彩が生命で 原 吉ある。 》その保存には注意に注意を重ねる。夏の湿気だけ 部でもシミになる。全館、湿度は五五 % 、室温二二度。 収蔵庫ではキリのタンスに一枚一枚和紙で包んで 。展示は三週間で替えてしまう。照明を抑えて も、長い展示は植物絵の具の自然退色が激しいから 第箋

4. ユニークな美術館めぐり

博物館そのものが那覇市首里のすぐれた美術工芸的環境のな ~ ( を , かにある。琉球王朝の王城である首里城跡の守礼の門をくぐ り、竜潭池に出ると、その前が王家だった尚家の跡地に建つ博一 ~ 物館である。王城や旧家の特色を擬した鉄筋コンクリート造 り、二階建てのたたずまいは風土にとけこんでいる。 展示室は五室ある。博物館というだけあって、美術工芸、民 俗、考古、自然など沖縄の歴史を概観できる収蔵品一万一千点 は総合的だ。しかし、終戦直後の廃虚のなかから、初めは米 軍、次いで住民の活動で、ここまで収集に成功したのは奇跡としかいいようがない。このことは 収蔵品の中身を問う前にまず評価すべきである。 もともと昭和十一年に首里城内北殿に生まれた沖縄郷土博物館が戦災で焼失。二十年八月に米 海軍軍政府により石川市東恩納の民家に沖縄陳列館が設立され、民政府移管とともに東恩納博物 館と改称された。それは世界一小さい博物館といわれた。 一方、住民側も何とかして沖縄の歴史を残そうと、首里周辺の廃虚のなかに形をとどめている 文化財を収集、一一十一年、首里に市立郷土博物館を開設した。その後、民政府に移管され、首里 博物館となり、一一十八年五月に東恩納博物館を合併、琉球政府立博物館の名称を経て、祖国復帰 沖縄県立博物館 ( 那覇市 ) 沖縄の城壁と近代建築美を兼ねそなえた外観

5. ユニークな美術館めぐり

敷時代、旧制高校の同級生、大原美術館の総一郎氏と語り合っためぐり合わせーーそれらが、広 島市に、美術館づくりを選ばせることになったという。収集など十余年の長い準備期間を経ての 開館だった。 中庭の彫刻を鑑賞しながら回廊をめぐってドームをあおぐと、はっきりと原爆ドームが意識さ ・ : 」と倒れていったあの れてくる。さらに本館をめぐって、人工の川が流れる。「水を下さい・ 日の犠牲者をしのんで、という。「永遠の愛と安らぎのために」が美術館のテーマだ。来館者が 求める分厚いカタログには、被爆者の霊にこの画集をささげる、と記されている。 構造がいい。″銀座通り〃にありながら、人り口ー中庭ー展示室に人る設計が見事に計算でき ていて、完全に絵の世界にひたれる。人館者は一日平均五百人。県外からが五割を超える。太田 川が流れ平和公園も近い。 〈主な収蔵品〉 ピカソ「酒場の二人の女」 モネ 「セーヌ河の朝」 クールべ「雪の中の鹿のたたかい」 ルノワール「。ハリスの審判」 ロダン 「カレーの市民 ( 習作 ) 」 岸田劉生「支那服を着た照子像」 岡鹿之助「積雪」 〈メモ〉財団法人ひろしま美術館。広島市基町三 ( 中央公園内 ) 。広島駅より・ハ ス紙屋町マ人館料”一般五百円マ休館日ⅱ月曜 ( 祝・振替休日の場合翌日 ) ー一一三ー二五三〇。 マ時間ⅱ午前十時ー午後五時マ電話”〇八一一二

6. ユニークな美術館めぐり

百三十点、日本人作家四百十点が集められている。 " 現代の人間像。とともに作家の全容をできるだけとらえるため、一作家一点主義を避け、その 作家の複数の作品収集につとめているのもこの館の特色。ピカソ八十五点、ダリ四十一一点。日本 人では、現代版画で国際的に注目される野田哲也三十六点、情熱的な人間像を描く大町糺十五点 など。こうして世紀に制作された作品だけを収集した現代美術館という特色が鮮明になった。 常陳できるスペースは二百点までなので、三カ月に一度展示替え。しかし希望者には収蔵庫も 開放して、展示していない作品も見せる。 建物は、ここに作品も展示されている彫刻家井上武吉氏の設計。天井は自然採光で人り口から 出口まで三つの展示室を自然に通れる空間造型になっていて鑑賞しやすい。くつろげる、といえ ば、展示場に警備の人がいない。サクもガラスケースもないせいだろうか。それでいて警報ブザ ーが鳴ったのはこれまでたった一度。ウォーホールの「マリリン・モンロー」に強くタッチした 人がいたらしい。 「監視の中で緊 か張して鑑賞する のは : : : ま、絵 が好きな人はい 扨たずらなんて、 リと思うのです。 万一、といって も公開ですから

7. ユニークな美術館めぐり

「解決というものはない、なぜなら間題というものがないから だ」。はぐらかしの名人、マルセル・デュシャンの言葉だが、 もっとも難解といわれる現代美術の原基デュシャンをとりあげ て昭和五十六年八月に開館した軽井沢高輪美術館。リゾート客 の集中する環境からほんの少し離れて、起伏に富んだ台地に沈 みこむようにして建っている。美術館というよりは大邸宅の雰 囲気である。 設計菊竹清訓。照明デザイン多田美波、館内デザイン田中一 光、周辺のモニメント若林奮と現代のトップクリエーターが参加した内容だ。これは、東京・ 池袋の西武百貨店内部に「美術館」を設け、いろいろな理屈より時代の足跡そのものをこだわり なく展示してゆこうという " 百貨店思想。による発想がそのまま持ちこまれているのだろう。足 跡は時代の波が消すものは消せばよい、というわけである。 もともと高輪美術館は西武の故堤康次郎の収集品を保存、公開するため東京・高輪に昭和三十 七年に開館。仏像類を中心にしていたが、この収蔵庫的美術館から脱して、一挙に世界の先端を ゆく現代美術を紹介して同時代の実験的創造の場にしようと再生したことになる。やがて館名も 現代美術館に改名してゆくらしいが、現代美術の収集、展示を第一とし、美術、映画、写真、音 軽井沢高輪美術館 ( 長野県 ) 美術館というより大邸宅の雰囲気がある

8. ユニークな美術館めぐり

その隣には初代長次郎作の黒楽茶碗 ( 重要美術品 ) 。抹茶を楽しむのに合わせた機能と、禅の 「無」の境地を表現しよう との利休の願望が、長次郎の腕に託されてのもの。 こうして、桃山の時代をよく伝える茶道具が中心の展観だが、会場をひとまわりすると、この 時代、室町の美術が見事に開花し、その香りを江戸に伝えていった過程がわかる。 館名の「香雪」は、朝日新聞の創業者、故村 山龍平翁の雅号。美術品の収集に見識を示した だけでなく、今でも続く美術誌「国華」経営に 当たるなど、文化財愛護と保存に力を人れたこ とでも知られている。龍平翁の収集が数を増し たのは、日本の古美術が海外に流出した時期。 指流出を憂えていたという。四十八年、翁のコレ 絵クションを基に開館した。収蔵品は約五百点。 主流は仏教美術と茶道具だが、刀剣、びようぶ、 志青銅器など幅広く、厳選主義の結果が重要文化 財十九点、重要美術品多数を含む内容の濃いコ レクションとなった。 おどりてい 絵画を例にとると「踊布袋」として知られる 南宋時代水墨画の逸品や、鎌倉時代肖像画の傑 作「稚児大師像」、あるいは探幽、光琳、応挙 から歌麿、豊国に至る個性ある作品をもつ。ほ を

9. ユニークな美術館めぐり

大の一対の「男女像土偶」 ( 紀元前四〇〇〇年ごろ ) の素朴、鳥や動物をかたどった石製の護符の 可憐、子を抱いた、わずか十四、五センチの「母神土偶」のやさしさ : : : そして最後にイスラム 時代を代表する陶器やベルシャの織物を。私たちの頭に雑然とつめこまれているオリエント美術 を、そのおよその流れをうまい具合に整理してくれる。 ここの美術館がいう「系統立った収集 : : : 」にはわけがあったーー・収蔵品のほとんどは、県内 の実業家・安原真一一郎氏が岡山市に寄贈した「安原コレクション」のすべてだが、安原氏がオリ エント美術品の収集を始めたのは、昭和四十二年夏、岡山市で開かれた「メソボタミア展」がき つかけだった。その年の秋、「江上波夫・東大教授と共に行くオリエントの旅」に出かけて " オ リエント〃のとりこになってしまう。「江上先生が、日本のオリエント史学や美術史研究にぜひ 必要と思われるものを選んで下されば、 私が何とか人手して日本に持ち帰りま ろ ごしよう」 8 そして十年、″根っからの商人〃 を自認した安原氏の、現地美術商相手 の精力的な取引がつづく。中近東の買 = い物の常道である″値切ること〃にも 手 諟靏添、ゞ . 形美術館一一階の片すみの、小さな喫茶 獅店で、トルココーヒーをすすりながら、 〈学者と商人の名コンビ〉が、何とも

10. ユニークな美術館めぐり

面には、戦前の沖縄の生活や風俗習慣を撮影したモノクロ写真の数々。こうした工芸品や写真を 見ているうちに、数年前に訪ねた時の沖縄の友人や紅型工房の人々の顔を二つ、三つと思い出し ていた。これらの品は、ここでの展示後、沖縄で初の里帰り展として公開された。 なお、同館では二、三カ月おきに全館陳列替えを行う。出かける前に問い合わせるといい。 〈主な収蔵品〉 画、泥絵、古丹波窯陶器、伊万里染付、各地民窯陶器、 同館には陶磁器、織物、染物、木・漆工、絵画、金工、東北「衣」、こぎん・菱刺、各地の大蒲団、型染・筒 石工、竹工、紙工、革工、拓本、彫刻、個人作家作品な描衣裳、幕、風呂敷、台湾高砂族ほかの蕃市、アイヌ切 どが収蔵されている。特色ある収集としては、朝鮮李朝伏、アッシ織衣裳、船簟笥、英国中世陶器、英国一八世 の工芸 ( 陶磁、木漆工、金工、石工、民画等 ) 、沖縄の紀スリップ・ウ , ア、現存する各地方の伝統的手仕事に 染織類 ( 太平洋戦争前に収集、焼亡を免れた貴重な優品 よる工芸品等がある。 一千点余。紅型衣裳、縞、絣着物ほか ) 、大津絵、仏版 〈メモ〉東京都目黒区駒場四ノ三ノ三十三。井の頭線駒場東大前駅下車徒歩五 分、小田急線東北沢駅下車徒歩十分時間”午前十時ー午後五時マ休館日毎 月曜 ( ただし、祝日の場合は開館、その翌日休む ) 人館料。おとな五百円 電話Ⅱ〇一二ー四六七ー四五二七。