り方を考えさせられた。 また外国人の人館者が目立つ。それについて、大倉主任は、「前のホテル ( オークラ ) で、宿泊 客のみんなに、うちの人場券をサービスしていますから・ : 。初めて日本を訪れた外国の人たち が、たまたま国宝の普賢菩薩像などで日本の古美術の神随にふれてもらえると思うと、うれしい ですね」と語る。 〈主な収蔵品〉 絵画 「随身庭騎絵巻」国宝 「一字金輪像図」重文 久隅守景筆「賀茂競馬宇治茶摘図屏風」重文 狩野探幽筆「鵜飼図屏風」重文 「扇面流図屏風」 ( 「伊年」印 ) 重美 横山大観筆「夜桜図屏風」 前田青邨筆「洞窟の頼朝図屏風」 〈メモ〉東京都港区虎ノ門二丁目一〇ノ三。ホテルオークラ本館前。地下鉄日比 谷線神谷町駅から徒歩八分マ開館時間午前十時ー午後四時人館料一般四 百円マ休館日 " 月曜日 ( 月曜日が祝日または振替休日の場合はその翌日 ) マ電 話〇一二ー五八三ー〇七八一。 彫刻 「木造普賢菩薩騎象像」国宝 「石造如来立像」重文 書跡 「古今和歌集序」国宝 他に工芸品、中国出土関係品、銅器、墓誌石。中国、 インド、タイ等の小金銅仏等がある。
特徴だ。国際都市・神戸ならではの美術館といえる。作品は、ヨーロツ。ハ親善巡回に出かけたり もする。なお、この館は、現在移転準備中、五十七年十一月開館予定の神戸市立博物館の中の南 蛮美術館に継続される。 〈主な収蔵品〉 初期洋画「フランシスコ・ザビエル像」 「世界地図及四ヶ国都市図屏風」 「泰西王侯騎馬図屏風」 初期邦画「都の南蛮寺」 「南蛮屏風」 洋風画「長崎港図」 分。 〈メモ〉神戸市立博物館は神戸市中央区京町二四。阪急三宮駅から南 ( 徒歩八 「西洋婦人図」 「異国風景人物図」 江戸絵「朝鮮人来朝図」 銅版画「三圍景」 蒔絵類「南蛮人と大図蒔絵硯箱」 硝子類「ぎやまん >00 草人釣暗燈」
学園前駅を出て、夏の木のにおいのする静かな街を、指標どお りに歩いて五、六分。門から、砂利道のゆるい坂を上がる。あざ ねむ やかな百合の花群、鳥の声、合歓の花 : : : そんな森を抜けて、本 館の前庭に出る。 昭和三十五年秋、近鉄創立五十周年を記念しての開館で、初代 館長は矢代幸雄だった。その日までの十余年間、この人の才覚と 見識で集められた館蔵品は、日本、中国、朝鮮の古代から現代ま で、絵画、陶磁、金工、漆工、染織、古文書の類と、東洋の美術 工芸品およそ二千点。中でも、彦根屏風とならんで日本近世初期風俗画の代表作として知られる 「松浦屏風」 ( 婦女遊楽図屏風 ) を筆頭に「寝覚物語絵詞」など国宝四件、ほかに重文一一十七件を数 える。 もっとも、この館の展示は、年六、七回、テーマ別に館蔵美術品をそれぞれ百点ほど選んで並 べ、たつぶり時間をかけて鑑賞してもらう、というのが建前だから、いつ行っても「松浦屏風」 が見られるというわけにはいかない。たとえば五十六年夏は「日本の工芸」と銘打って、陶磁、 漆工、染織、根付けなど、奈良・平安から江戸期までの工芸品を展示した。陶磁では、かわいら しい野々村仁清作「色絵おしどり香合」、色鮮やかな尾形乾山作「色絵タ顔文茶碗」など、また 大和文華館 ( 奈良市 ) 215
すからね。資本が集まっている東京には私立美術館も多くて都民は得してますよ。今後もセンス のいい企画を期待しますが、佐治さんひとつ、出身地の関西にも造って下さいよ。これが注 文 ! 」と語っている。 〈主な収蔵品〉 「泰西王侯騎馬図」重文四曲一双 狩野山楽筆「南蛮屏風」六曲一双 「舞踊図」六面 伝秋月等観筆「四季花鳥図屏風」重美六曲一双 狩野探幽筆「桐鳳凰図屏風」六曲一双 「善教房絵詞」重文一巻 〈メモ〉東京都港区元赤坂一ノ二ノ三東京サントリービル十一階。地下鉄赤坂 見附駅下車、徒歩一、二分マ人館料五百円 ( 日、祝日は三百円 ) マ開館“午前 十時ー午後五時 ( 金曜日は午後七時 ) 休館月曜 ( 祝日の場合は開館 ) マ電話 〇三ー四七〇ー一〇七三、四。 伝狩野元信筆「酒伝童子絵巻」三巻 「浮線綾蒔絵手箱」国宝一合 「小倉山蒔絵硯箱」重文一合 「桐竹鳳凰蒔絵文台及び硯箱一具」重文 「菊蒔絵文台」重文 「秋草蒔絵鏡台」重美 6
って、国宝や重文・重美に指定された二百余点を含め、 名品は七千点をこえる。しかも、戦災という大きな傷手 をうけてなおこの数を誇る。展示は、だいたい毎月一回 ずつ陳列替えをし、毎回テーマをもうけている。例えば 「九州の諸窯」のテーマでは、唐津から薩摩まで各地の 一香炉、角ざら、茶器の名品をよりすぐって展示。「文芸 と美術」と題した特別展を開くあたり、おびただしい蔵 品をかかえた館の担当者の苦心の表れといえよう。 、 ( 、助源氏物語や白楽天、平家物語などにゆかりの作品が並 軒ぶ中に、文人画の池大雅が唐の詩人・杜子美の「飲中八 琳仙歌」を、これも酔って奔放華麗な筆を駆した屏風の墨 形跡にしばらく見とれた。足利義政の遺愛品「花白河」や 「春日山」の蒔絵すずり箱の絵の美しさ。とりわけ、古 今集の秋の歌にちなんで、鹿を秋草や月に配した構図は みごとなものだ。 毎年四月末頃から五月初旬にかけて約十日間ほど尾形 かきつばた 光琳筆の国宝「燕子花図」の屏風が特別展示される。伊 勢物語の八ッ橋に材をとったこの作品は、一面の金ばく 地にカキツ。ハタの群青と緑青の色を置いただけで、描か なかった橋や水を思わせる光琳模様ーーこの屏風は″根
につくったもの。現在は財団法人。全国から五百点もが集まって並べきれなくなり、あと二カ所 に分散している。西大寺・ハスターミナルの三、四階とリヨービ・ガーデンの二カ所。十キロずつ 離れている。 日本一の夢二コレクターで研究家である長田幹雄・元岩波書店専務に、夢二晩年の傑作 「立田姫」についてうかがうと、長田氏は、 「立田姫については本人の言葉が残ってます。 " 自分一生涯におけるしめくくりの女だ。ミ ニッポンだよ〃と。昭和六年、四十八歳の作品。翌年欧米へ旅立ったものの結核になり、一一年後 に亡くなってます」 〈主な収蔵品〉 竹久夢一一の作品 「五月の風」 「鴨東白暮」 「立田姫」 ( 屏風 ) 〈メモ〉岡山県邑久郡邑久町本庄。岡山天満屋・ ( スターミナルから・ハスで四十五 分人場料日二百五十円休館日 " 原則として月曜日マ電話〇八六九二ー 「浅草の踊り子」 「籐名山賦」 ( 屏風 ) ほかにセノオ楽譜原画、人形、遺品などが展示されて いる。
屏風仕立てにしたり、「伝宗達筆伊勢物語芥川図色紙」など、多くの色紙類の美しい複製を作る など、古美術に触れるよろこびを、多くの人にひろげようとする館員の努力のあとが見えるのも 快い。 可翁筆 雪村筆 〈主な収蔵品〉 「寝覚物語絵巻」 「小大君像」 「竹雀図」 「呂洞賓図」 「婦女遊楽図屏風」 「一字蓮台法華経」 〈メモ〉奈良市学園南一ノ一一ノ六。近鉄奈良線〈学園前駅〉下車開館時間 午前十時ー午後五時 ( 人館は午後四時まで ) マ人館料ⅱ平常展一般四百円 休館日日月曜日と展示替え日、年末年始マ電話。〇七四二ー四五ー〇五四四。 伝趙令穣筆 「秋塘図」 李迪筆 「雪中帰牧図」 伝毛益筆 「萱草遊狗図蜀葵遊猫図」 野々村仁清作「色絵おしどり香合」 尾形光琳筆 「扇面貼交手箱」 尾形乾山作 「色絵タ顔文茶碗」 2
り、きこりや農婦が働いている。いっかどこかで見たような、なっかしい風景だ。文化勲章受章 のきっかけになったといわれる名作「彩雨」は、ここにはないが、複製を並べた部屋でその詩情 にふれることができる。「玉堂の絵は温かくて、やさしくて、やわらかい。現代人の心を少しで もなごませてくれれば : ・ : ・」と館長。昭和五十六年には、開館一一十周年を迎えた。人館者は年間 六万人。ハイキングを兼ねる人も多いそうだ。近くに吉野梅郷がある。 「花鳥図双幅」 〈主な収蔵品〉 「網干」 川合玉堂の作品 「双兎」 「紅梅白梅」の屏風 「春草」 「古城新月」 「れい明」 「鵜飼」 「猿」 「鰤子舞」 「富岳」 「渓山紅葉」 玉堂作品以外では、狩野探幽筆「指南車屏風」、夢窓 「古駅の春」 べツニクフウナシ 国師書「別無工夫」等も収蔵しているが、一般展示はし 「せきれい」 ていない。 「むつ」 〈メモ〉東京都青梅市御岳一ノ七五。青梅線御岳駅下車、徒歩三分マ休館日れ毎週 月曜日、 ( 月曜休日の際は火曜日 ) 。年末年始マ人館料日おとな三百円 ( 特別展は四百 円 ) 時間午前十時ー午後四時人館までマ電話〇四二八ー七八ー八三三五。 7
品ではないか、と関係者はみる。とすれば、太閤秀吉の「太閤遺品」をも、所蔵品は含んでいる ことになる。 〈主な収蔵品〉 刀剣および刀装具 「津田遠江長光太刀」 ( 織田信長所持 ) 国宝 名物「九木橋図三所物」 ( 家康所持 ) 武具 「熊毛植黒糸威具足」 ( 家康着用 ) 能道具 「七宝に紅葉文唐織」 茶道具 「白天目茶碗」 ( 武野紹所持 ) 重文 大名物「松花茶壺」 ( 信長、秀吉他所持 ) 大名物「千鳥香炉」 ( 秀吉所持 ) 絵画 「源氏物語絵巻」国宝 「遊楽図屏風 ( 相応寺屏風 ) 」重文 牧谿筆「柳燕図」重文 書跡 伝行成筆「重之集」重文 〈メモ〉名古屋市東区徳川町一〇一七番地。国鉄名古屋駅前・ハスターミナルから 自由ヶ丘、茶屋ケ坂行きの市・ハスで新出来町下車マ人館料おとな二百円、特別 展は特別入館料マ開館時間“午前十時ー午後四時マ休館日Ⅱ毎月曜と年末年 始。ほかに展示替えのため毎月五日程度マ電話日〇五二ー九一二五ー六一一六二。 8
石 げ 型染めの衣類や屏風、本の装丁、そしてカレンダーやカード類 み などの創作で知られる芹沢銈介氏 ( 八十七歳 ) 。この人間国宝の作 品の一部はこれまでも日本民芸館や大原美術館で見ることができ。 ッ石 たが、今度は全容を常設展示する美術館が誕生した。五十六年六 外 月十六日、氏の郷里静岡市に。 弥生時代の遺跡が並ぶ登呂公園の森を抜ける。白い石がきをめ ぐらして銅板ぶきの屋根が見えてくる。人り口に一本の姿のいい 木。その向こうの四角い池で噴水の水しぶきが砕け散る。中世の とりで風、なかなか凝った建物だ。 名誉市民の芹沢氏から自作の約五百点と長年の収集品や資料三千点の寄贈を受けて、市は館の 設計を哲人建築家といわれる白井晟一氏Ⅱ芸術院賞受賞Ⅱに依頼した。床はじゅうたんを石で縁 どり、天井は木曾のナラ材を格子に組んだりしてぜいを尽くしている。 約九十点の作品展示は「春夏秋冬」の屏風絵から始まる。布文字と呼ばれる、リポンで描いた ような図案。芹沢氏は着物や帯、輸出用漆器などの図案師を経て、独特の表現法を開発した。春 の文字の周囲にはサク一フや蝶、夏は朝顔、秋はブドウ : 。どの図柄も若い日に魅了されたとい びんがた う沖縄の紅型の、あののびやかさに通じる。 静岡市立芹沢銈介美術館 な & : : をミさな