どんな作品が登場してくるかも楽しみ。「河のある風景」では広重に、「美人画 : ・ : ・」では歌麿の 「物思恋」 ( 重要美術品 ) などにお目にかかれる寸法だ。 サザビーやクリスティーズの競売に、浮世絵がでる。その案内リストに「リッカー・カタログ による」とよく記されていて、外人コレクターには知られた美術館だ。 〈主な収蔵品 蔵品中には、十二点の重要文化財と一一百三十八点の重 要美術品が含まれ、特に広重の「江戸近郊八景」は八枚 共初刷で保存状態も非常に良い逸品 ( 重文 ) である。そ の他懐月堂の「立美人」、春信「座鋪八景」、春章「汐く み」、清長「六郷渡船」、歌麿「高名三美人」、写楽「嵐 龍蔵の金貸石部金吉」、北斎「凱風快晴」、国芳「東都御 厩川岸之図」等、初期より幕末・明治に至るまでの幅広 い浮世絵を網羅している。 〈メモ〉東京都中央区銀座六ノ二ノ三。国電有楽町駅下車、黍明小学校前マ人 館料おとな特別展五百円、通常展三百円時間 = 午前十一時から午後六時。月 曜休館マ電話。〇三ー五七一ー三二五四。 〃 2
工 ( ンフレットに、収蔵美術品約二千百点、「学術的一一多 ( 一 に系統立った収集がなされているのが特徴で、オリエ一彎 ントの古代文化を理解するのに必要な各分野の美術品 がそろっています」とあるのに心をひかれた。 東京ー岡山は新幹線の「ひかり」で四時間あまり。道中のつれづれにと、『メソボタミャ』 ( 「ラ イフ人間世界史」 2) や、岸田通夫の『古代オリエント』をカバンにつめて朝の一番に乗った。五 千年も昔のシ = メール人は、こんなことわざをのこしているーー「若い人にお世辞をいえば、な んでもくれる / 大に残飯をやれば、しっぽをふる、「腹がふくれるのは楽しいが / 腹がふくらむ せつけい のは面倒だ」 : : : なんともシャレた文句を、楔形文字でつづった古代人が、どんな作品を残して くれているか。 期待は裏切られなかった。館内の参観順序の矢印でまず人った部屋は、大きな。 ( ネル地図が掲 げられ、オリエントの歴史と展示品のかかわりが、豆ランプの点滅で示される。「美術館案内」 とあるボタンを押すと、ビデオで、オリエントの風景を・ ( ックに美術品の解説が流れる仕掛けだ。 見学の手始めはイラン、イラク、シリア出土の土器のいろいろ。ャギやシカや馬の頭をデザイン したリトン ( 角杯 ) の巧みさ。こんなにも多様な形象土器をよく集めたものだ。円筒印章があ る、ルリスタン青銅器が並ぶ、シリア出土という両耳アンフォラ ( つぼの一種 ) の美しさ。指頭 岡山市立オリエント美術館
た案配。外国の有名美術館には日本の館より、たくさん浮世絵を持っているところが多い。シカ ゴに万、。、 ホストン八万点とか。版画芸術という伝統がその土台にあるからだろう。 企画には変化球も。この数年、例えばこんなことをした。「木版アンド現代」展。山藤章二、 和田誠など活躍中の五人のイラストレーター、デザイナーを″今様絵師五人男〃にみたて、特に 依頼した木版画から木版画の新旧対比という趣向。また、シーポルトが持ち帰った浮世絵をオラ ンダ・ライデン国立民族博物館から取り寄せた。さらに白樺派の文人が好きだったというハイン リヒ・フォーゲラーの銅版画展とか。五十六年は、この種の企画では小さいときから日本に滞在 し、歌麿に強く影響を受けて美人画を制作したフランス人「ポール・ジャクレーの木版画」展を 開催した。 こんな企画展を縫って一 " 《一 ~ 轆年の半分は常設展。たくさ んの館蔵品から、テーマを 「決めて出す。例えば春は 「河のある風景」展を、秋 には「美人画の系譜」展を、 きょます といった具合。清倍の 首「暫」、豊信「花下美人」な 大 - 一のどの重要文化財、さらに多 くの重要美術品を所有する が、このような企画展に、
黒坊、象 : : : 。鎖国時代、海外へ開かれていたただひとつの窓、長崎からのおみやげは当然、め ずらしい異国情緒を描いたこんな絵であった。 現代画は、この地出身の野口弥太郎ほか、長崎風景を描いたものが多い。県内を巡回するのに 便利な小品を多く集めている。 同じ部屋にシーポルトの使った医療器具なども。このフロアのテーマは「長崎県の歴史と文 化」。館名通り、博物館としての展示もしているわけ。だから収集品も考古、民俗、歴史資料か ら美術工芸までと幅広く、そのなかから傷みやすい軸ものを中心に、適宜の人れ替えがある。自 慢の慶長初期のびようぶ「南蛮人来朝之図 , ( 国指定重要美術品 ) はふだんは現物大の複製で見せ ている。 庭には平和公園のあの「平和祈念像」の作者、地元の北村西望氏「建国雄姿の像」などの彫刻 群がべンチの人を楽しませている。 〈主な収蔵品〉 須磨コレクション 川原慶賀「汚血手術図」 ( 江戸 ) 、逸然「芦葉達磨図」 ( 江戸 ) など長崎派漢画 長崎古版画 〈メモ〉長崎市立山町一一。長崎駅下車徒歩十五分マ休館日Ⅱ月曜と年末年始 マ時間午前九時ー午後五時マ人館料Ⅱ常設展はおとな百円マ電話Ⅱ〇九五八 中川一政「長崎マリア園」など現代画 北村西望「建国雄姿の像」など彫刻群 現川焼芦絵向付皿、平戸焼唐草文広ロ瓶 ( 江戸 ) など 約千五百点。
その隣には初代長次郎作の黒楽茶碗 ( 重要美術品 ) 。抹茶を楽しむのに合わせた機能と、禅の 「無」の境地を表現しよう との利休の願望が、長次郎の腕に託されてのもの。 こうして、桃山の時代をよく伝える茶道具が中心の展観だが、会場をひとまわりすると、この 時代、室町の美術が見事に開花し、その香りを江戸に伝えていった過程がわかる。 館名の「香雪」は、朝日新聞の創業者、故村 山龍平翁の雅号。美術品の収集に見識を示した だけでなく、今でも続く美術誌「国華」経営に 当たるなど、文化財愛護と保存に力を人れたこ とでも知られている。龍平翁の収集が数を増し たのは、日本の古美術が海外に流出した時期。 指流出を憂えていたという。四十八年、翁のコレ 絵クションを基に開館した。収蔵品は約五百点。 主流は仏教美術と茶道具だが、刀剣、びようぶ、 志青銅器など幅広く、厳選主義の結果が重要文化 財十九点、重要美術品多数を含む内容の濃いコ レクションとなった。 おどりてい 絵画を例にとると「踊布袋」として知られる 南宋時代水墨画の逸品や、鎌倉時代肖像画の傑 作「稚児大師像」、あるいは探幽、光琳、応挙 から歌麿、豊国に至る個性ある作品をもつ。ほ を
日本にあるスペイン美術最大のコレクションがここにある。 その百四点からは、十五ー二十世紀のスペイン美術の流れをた どることが可能だ。 絵も彫刻も、強く宗教色を漂わせている。それがやや親しみ やすさに欠けると映っても、これこそス。ヘイン美術の特性なの イスラムとの対立を通じて、スペインでのキリスト教の信仰 心は熱烈だった。美術も例外ではいられない。教会からの影響 から抜けでるのは十八世紀も後半といい、このコレクションもヌードは一点、それも二十世紀の 乍ロロだ 「須磨コレクション」と呼ばれている。故須磨弥吉郎氏 ( 秋田出身 ) がス。ヘイン特命全権公使だ った第二次大戦中集めたもの。外交官だった氏は、外国赴任や休暇のたびにくつろいだ思い出深 い長崎に、大切なコレクションを残すことにした。南蛮貿易と長崎ーーーそんな縁からも、ふさわ しい地の美術館におさまったというべきか。 コレクションは一年前から常設展示されている。常設にあたって、ス。ヘイン王立歴史アカデミ ー会長アングーロ氏らス。ヘイン美術の関係者が再調査して、″価値あるコレクション〃の裏付け 長崎県立美術博物館 ( 長崎市 ) 、ツを。を第 0 ツ第一は : 一一 旧長崎奉行所あとに建てられた
き版画の独自性を主張して、大正七年、 一日本創作版画協会を作り、会長に。協会 展には。ハリ時代に制作した「デッキの一 隅」などを出品する。 だが逆に、このころから山本は版画、 ′ ( グ 31 キ油絵とも実作から遠ざかる。家族が住む を「信州に帰って、二つの運動に打ちこみだ ノ / = ' チすのだ。 に フランス留学からの帰途、ロシアに滞 時在して児童画と農民美術に感動した。自 / を . 一」一・ ( 由画ー・明治以来、教科書のお手本をそ つくり模写するという日本の美術教育を ケ ( 。 , 季 = 批判、野外写生などで子どもに自由に描 ~ てかせて創造性をひきだすことこそ教育、 と提唱して日本ではじめての児童自由画展を大正八年神川小学校 ( 現上田市 ) で開催する。自由 画の波は全国にひろがり、今日の美術教育に少なからず影響を与えた。 農民美術ーーロシアなどで、農民が冬の副業に作る素朴な工芸品の美しさにうたれ、両親の住 む長野にあてはめようとする。農閑期にそのようなことをやり、美術的な仕事を通じて文化と思 想を高めよう : : : 上田市郊外に農民美術研究所を作る。自由画運動の成功とは別に苦しい活動だ ったが、今日の民芸プームもこの活動の影響を大きく受けている。
見ることは / 見られることと / そのとき知った。 / 生れてはじ めて / 美術館に人った日のことーー詩人大岡信氏はこんな詩をよ せ、美術評論家東野芳明氏は「 ( 美術館の ) 航路を決定するのは、 ほかならぬ、観衆であり受け手であるあなた」と呼びかけた。 二十億円の収集予算でうらやましがられた富山県立近代美術館 が五十六年七月開館した。自分の時代の、自分の国の現代美術に 意外に冷たい美術行政に一石を投じ、いわばその「媒介装置」に なろうと誕生した、地方では、いや全国でも例のない美術館であ第にし る。二十世紀美術に主軸を置いたコレクション約五百点。二十世紀といってもあますところ二十 年足らず、すでに美しき古典になろうとしている二十世紀美術の流れを常設展として公開してい 所蔵品のかなめであるコレクションを「表現主義」「シュルレアリスム」「新しい表現領域」な どと分けた展示構成は明快だ。ピカソ、ルオーからエルンスト、デルポー、マグリット、カルダ ーらの質の高い作品が集められ、この国際的動向に戦前の日本の作家をあてはめて前田寛治らが 加わっている。 戦後はスーラージュ、ポロック、タピエス、ジョーンズ、吉原治良、加納光於らが並ぶ。印象 富山県立近代美術館 ( 富山市 ) いれものも斬新な建築美を誇って・
方志功など収蔵。 子 企画展示室。ュニークで 時機的な企画を心がける。 い 「平面絵画ーその多様化 を展」とか「明日への造形ー な九州」など、前衛的な企画 ルで館の学芸員が勉強し、ま でた腕をふるえる部屋でもあ 堂 る。この館の主要な目的の 0 沁ひとつに国際、特にアジア 諸国との美術交流がある。 すでに二度大きな「アジア 美術展」をやったが、この部屋では適時、収蔵コレクションからアジアの美術家作品を展示する。 さらに当館や新聞社、美術団体が主催する大規模展のための特別展示室、市民利用の四室の市 民ギャ一フリーがあって、このフロアは実ににぎやかだ。 階下はがらりと変わって古美術だ。 黒田記念室。当地の殿さま、黒田家に伝えられた武具、書画を常設展示している。が、この部 屋のお目あては国宝「金印」。約二百年前、近くの志賀島でお百姓が掘り出した金のハンコ。日 本と中国の文化交流を証明する歴史的遺品として、年代が確定した最古の文化財ということにな っている。国宝に指定されていて、開館とともに、東京国立博物館からここにきた。記念室中央
楽、演劇の場としての広場、シンポジウム、出版活動の拠点としての美術館をめざしている。 抽象の源流ともいえるカンディンスキー、クレーらの仕事から戦後の美術を塗り替えたジャス ・ジョーンズやリキテンシュタインらニューヨーク派、さらに荒川修作、中西夏之、宇佐美 圭司、加納光於ら現代日本美術を動かす前衛作家たちに注目している。 美術館活動もコレクターと同様結局は「金と目と熱意」ということになろうが、東山魁夷なら 三十万人を超し、現代美術展なら観客なし、というわが国の美術観衆の隔絶をどうにかして埋め ようというもくろみは強い。東京から離れた地で風俗現象的ではない成熟した観衆を待ち、育て ようという構想だ。 五十七年夏の開館一周年記念はこれもわが国でははじめての本格的「ジョージ・シーガル展」。 開館一一周年記念は「絵と彫刻、詩と音楽」と、いよいよ総合展に向かう。 コレク 建物中心から収集品へ、 ~ 物ションから人間へ、と地方公立美 術館が試行錯誤しているなかでこ ンの美術館の方向は明快だ。「美術 イ 館はキュレーター ( 学芸員 ) の頭 ン脳内にある」といった人がいたが、 蠱タそれであろう。デュシャンのこと ばも、ものごとをせまく設定して テ ~ 《物キ考えるな、ともとれる。行く末は ともあれ最近話題の「企業と文 ノ : ト : を - 第洋 : を : : をⅸ・をを全ざ : ネ : を第 = 区 : 0 を 0 第一を をを 0 141