っと上げて、素顔を見せてにつこり笑うと、黙ってお皿を私に渡した。そして、くるりと背を向 けると、走って隣の家に入ってしまった。 あとに残された私は、お皿をもったままばかんと立っていた。なぜなら、そのお皿のなかには 羊の生肉ーー切り取ったばかりの片方の腿・ーーが入っていたから。 、ツジ ( 巡礼月 ) のときだった。この月には多くのイ これは、ちょうどイスラム暦第一二月のノ スラム教徒はメッカに参集する。そうして、いけにえを捧げる。メッカでは、ハッジの一〇日目 し巡礼者たちがそれぞれ羊、山羊、らくだなどを犠牲にする。メッカに行けない人も、家でいけ にえを殺すのだ。そして、その肉は自分の家では食べないで、隣近所に配ったり、貧しい人に どこしをする。こういうことはあとでわかったのだが、 そういう説明を受けてはじめて、羊の生 肉の謎が解けた。 さて、お皿を預かっているので翌日、これに何かお返しの品を載せて隣家を訪問することにし た。シュークリームをいつばい作って持っていった。お隣の夫人はにこにこ笑って迎えてくれ、 お茶を飲んでいけと勧めた。サロンにはたくさんの女性たちと子供たちがいた。親戚や友だちが 集まる午後のお茶の時間だった。 壁ぎわにぐるりとしつらえたアラビア風の座席に、おもいおもいのかっこうで女性たちが座っ きようそく ていた。カーベットの上に直接おいたクッションと背もたれ、脇息がセットになった座席であ る。椅子もテープルもないので部屋が広く使える。 しになるきっ 言葉は何もわからない しかし、好意は伝わる。思うに、お隣の人も私と知り合、
りである。 まず、アラビアコーヒーが出る。これは、軽く煎 0 たコーヒー豆を挽いてカルダモンの香りを 加え、煮立てたものである。酒の盃のように小さなカップで少量ずつ飲む。砂糖を加えないので、 ちょうどお抹茶のように苦くて、すっきりした味である。私をふくめ、これを好む日本人は多い。 干し柿によく似た、だがも 0 と甘いなつめやしの実がい 0 しょにだされることもよくある。これ は苦いアラビアコーヒーに、じつによく合う。 つぎに小さなガラスのデミタスに入 0 た紅茶 ( シャイ ) がくる。これは、すでに砂糖が入 0 て いて、甘い。ときによると、ミントの香りのついたものが出されることもある。クッキーやケー キが出されることもあれば、果物のときもある。今でこそリヤドはさまざまの輸入果物であふれ ているが、昔はこうしたものの入手が困難であったことを考えると、果物をお客に出すのは、と っておきの贅沢といえるだろう。 果物をだすときは、ビニールのテープルクロスをカーベットの上に広げ、ひとり一人に果物ナ イフを配る。お盆にはオレンジ、りんご、バナナなどがたくさん載 0 ている。ほかにも季節によ り、桃やプラム、それにみかん ( ューソフィーと呼ばれる ) が出たりする。めいめい好きなだけ 果物を剥いて食べ、ティッシュで手を拭いて終わる。 お茶の時間にはいろいろな年齢の女性たちが集まるが、お客のなかでも 0 とも年配の婦人が上 席に座 0 て、尊敬を受けているようだ。女主人は自分でお茶の用意に立っこともあるが、も 0 ば ら中心にな 0 て給仕をするのは、家のなかで一番若い女性である。女主人はその娘なり、妹なり、
かなりの割合で女性が二人以上 から従っているメイドである。サウジ人家族が車に乗るときは、 いるのは、奥さん一人のほかにメイドがいるからである。 これほど、メイドが生活に重要なものになってくると、今までメイドを使っていなかったのが 不思議なくらいになってくる。ある家に招かれたとき、料理のひとつにタ。フーレ・サラダが出さ れた。これは、サウジだけでなく中東全体に見られる料理で、私の好物である。アラビア産のマ イルドなパセリをみじん切りにしたものが主で、レモン味のドレッシングがかかっている。食べ るのはおいしいが、作るとなるとパセリのそうじから刻むまで、意外と手間がかかる。このサラ ダが大皿いつばい出ていたので、こんなにたくさん大変だったでしようねと私が言うと、奥さん は、うちには器用なフィリピン人がいるのよと、こっそり打ちあけた。 メイドに子守りを任せるという家庭も多くなった。旅行先にも、メイドがいると便利なので連 れていく。あるとき、バ リで私たちが泊まったフラット型式のホテルは、サウジ人の家族連れが くと、サウジ人の子供ばかりいる。その面倒を 多かった。夕方、子供を近くの公園に遊ばせにい 見ているのが、フィリピン人のメイドさんたちである。この間、母親同士は連れだって買いもの風 にいったりしている。 ら 暮 こんなふうにサウジ人の子育てが、東南アジアの人びとの手にかなりの部分ゆだねられてしま の ジ ウ うと、問題が起きるかもしれないと、私など心配になってくる。 サ アジア系の女性は、子供にふんだんに愛情を注ぐ。これが高じると子供を必要以上に甘やかし てしまうことになりかねない。住み込みであるから、四六時中べったりとともに過ごし、場合に
くないのだ。 三週間後、さんの家にもらわれていったハリネズミが、なんと赤ちゃんを生んだ。四匹もだ。 赤ん坊のハリネズミの針は、やわらかい。さんの家の六年生のお嬢さんのこよなきペットにな った。やがて赤ちゃんたちは大きくなって、親と見分けがっかないほどになった。 旅行で留守にするときは、家とわが家とでハリネズミを預かり合う。うちから行く時は一匹 だけだが、向こうからは親子五匹が来る。うちと合わせて六匹のハリネズミがそろうと壮観であ る。幸い家の子供たちはしつけがよくて、ヒレ肉でないといやとは言わない。チーズも食べて くれる。「キリ」というフランス産のクリーム・チーズが好物である。 大きな囲いのなかに全員いっしょに飼っていたが、あるとき、わが家のネムソーがびつこをひ 数日後わかった。 していた。 足から少し血を出している。どうしたのだろうと、いぶかったが、 発情期である。なんとうちのネムソーは、大胆にも家のハリネズミのなかのもっとも美人の女 ち 丿ネズミの交尾はオスが血を流す。なにしろ、あのトゲ の子にちょっかいを出していたのだ。ハー トゲの針の背中にかぶさるのだから。ネムソーの場合はふられても、ふられてもなおしつこく迫動 漠 るから、よけい傷が大きい ネズミたちが引き上き 期待していた赤ちゃんは生まれなかった。ネムソーはその後、家のハ げていったあと、ひとりになって寂しかったのか、囲いをよじのばって逃走して、それつきり行す 方不明である。 アガマ・トカゲというのも飼った。全長一五センチのこのトカゲは、頭の形がカエルに似てい
アラビア人が断食の最初にロにするものは、甘いものを少量。たとえば、なつめやしの実であ る。どろりとしたあんすのジ、ースもまた、伝統的な食事の一部である。これは、板状にのばし たものが、セロファンに包んで売られている。このあんすべーストを、お湯に溶かしてジース を作る。ラマダンの時期には、どの店でもこのデーツ ( なつめやし ) とメシメシ ( あんず ) が山の ように積み上げられて売られている。 ヾリ 1 した サンプーサという春巻きの親戚のようなものを、それに続いてつまんで食べる。 皮の、三角形の小さなスナックで、オー。フンのなかで仕上げる。中身はチーズ味のものと、ひき インドのカレー味のサモサと互いに影響しあ 目しい形といし 肉味のものがある。これは名蔔と、 っているのではないかと、私は思う。 サンプーサの皮は自分で作る人もいるが、たいていは市販品ですませる。日本でいうと、ぎよ うざや春巻きの皮を買 0 てきて料理するのと同じようなものである。細長く帯状に切 0 てたばね ーマーケットでも売っている。さらに、最近は中身を詰めた冷凍食品とし た皮は、どこのスー てのサン、、フーサもでまわっている。 苦しい一カ月 断食の一カ月は長いなあと思う。はたで見ていてさえそうなのだから、断食中の人にと 0 ては もっと長く、つらいだろう。 体の弱い人にと 0 てはなおい 0 そうつらいものとなる。私の友人の一人は、いつもラマダンを 2 わー一人生はアラーとともに
った。このあたりの砂漠には、大きな穴がいくつも開いていて、トカゲがたくさん住んでいると いう。ときには一メートル近いトカゲを見たこともあるということだ。 二台の車は再び走り出した。五分ほど走ったとき、例によって前の車が停止し、一人が指さし た喬木の葉の上に四〇センチぐらいのトカゲがこうら干しをしていた。全員静かに車から降りて、 そのトカゲをとり囲んだ。トカゲはまだ私たちに気がっかない。一人がサンダルを脱いで、その トカゲに「バチン」とぶつけた。トカゲは自分の穴の方角を忘れて、あわてて逃げだした。 私たち全員でトカゲの両側を走り、左右からトカゲを足で蹴り飛ばす。サッカーゲームである。 最後に一人がとびかかり、抱え込んで手づかみにした。このトカゲはアラビア語でダ。フと呼ばれ、 尻尾が昔の西洋の武器のようなギザギザの塊になっていて、これで叩かれると皮膚がえぐれると のこと。このトカゲは焼いて食べると、鳥のような淡白な味がする。つかまえた哀れなトカゲを ビニールの袋に入れて、二台の車は出発した。 私たちはさらに砂漠を東に二〇キロほど走った。先行の車がスピードを落とした。遠くから見 たかぎりではよくわからなかったが、 そこには異様なものがあった。それは巨大な穴であった。 離れると広大な砂漠に溶けて、その大きさがわからなかったが、ま 0 たく平面の場所にポソッ旅 漠 と直径百メートルほどの穴が開いていた。周辺部は削れてすりばち状になっているために、近く に寄れない。深さはわからない。底が見えないからだ。石を投げても音もしない。反対側に行っ ておどろいた。さっき私たちが立っていたあたりは、岩が下のほうで横にえぐれてオー グしていた。宙に浮いていたのだった。
米を炊き上げる時にさらにレーズンと松の実も入れる。お米の色つけは、サフラン色の瓶詰めの 液体を使う。ひょっとして人工着色料か。 調理場以外の設備を見てまわる 隣接の屠殺場。タイル貼りの床には溝が掘ってあって、ここで血を受け止めるようになってい る。殺された羊は、後足をカギにひっかけそのまま鎖で吊り上げられる。切られた頭は下を向き、 したたり落ちる血は真下の溝に流れる。 この状態で皮剥きをする。熟練した皮剥き専門の人が、またたくうちに毛皮を剥がしてしまう。 まるでビワの皮を剥くように手早い。わずか三〇分たらずで、黒い毛皮はするりと剥けて、足元 に落ちる。ここの羊の毛はあまり役に立たない。ふわふわした巻毛でなくて、だらんと垂れさが しかも砂漠のとげのついた草がびっしりついている。むか った毛。色は黒だから染められない。 までは、そんなことをする しのペドウインの女陸は、この毛を紡いでテントを作ったりした。い 人の数は限られているから、羊をつぶしたら毛皮は捨ててしまう。 外へ出て家畜小屋を見た。羊たちは料理されるまでのあいだ、ここで生きたまま預けおかれる。 数匹の黒山羊が静かにエサを食べていた。この家畜小屋は、屠殺室に直接つながっている。つま り、小屋は外と屠殺室の中間にあるのだ。ここに入れられた羊は、一方通行。入口はあっても、 生きて出られる出口はない。 仕上げの時間から逆算して、米の準備をする。使用するのは、ポンべイ産のインド米。百ポン ド入りの大きな米袋が山と積み上げてあった。コックさんは、巨大なポールに米を三杯計って大 763 ーーアラブの味とは
夕食の用意をしておこうかと聞いてくれていたが、われわれは三六名のジャルバックである。わ れわれをもてなすとすれば羊を少なくとも二頭はぶつ殺すことになる。この気持ちのよい冬に 突然、日本人家族のために惨殺される羊の恨みがこわいので、私たちはその晩は自炊した。 カリドの兄のフアハドのほうは、アメリカ人の家族を呼んでいて、あちらはあちらで、きばっ てなんと七面鳥のローストを作っている。しかし、私たちより早く到着して、午後中ずっと料理 にかかっていたらしいが、なかなか焼き上がらない。われわれの鉄板バーベキューはあっという まに焼き上がるので、サウジ人もアメリカ人も驚いた。みんなまざりあって、あちこち渡り歩い て食べ合った。 夜の砂漠はよく冷える。食事が終わって、カリドの弟のアプダラハキームが砂漠の夜の跳びネ ズミ狩りに行こうと言いだし、トヨタの小型トラックの荷台に男ばかり乗って、走った。止を一 っ越えてしまうと、キャンプ村のあかりも何も見えず、襲ってくるような満天の星と銀河だ。寒 さのなかを一時間もぐるぐる走りまわったが、、 別びネズミはつかまらなかった。キャンプ場に帰 って、今度は子供たち何人かを私がトラックの荷台に乗せて「きも試し」に連れていった。キャ ンプ村から離れた場所まで行き、そこから一人ずつ歩かせようとしたが、結局、子供たち全員一 緒に帰ってきてしまった。 寝る用意をした。そこで、車に積んできた秘密兵器、電気赤外線ャグラごたつを組み立て、電 圧の多少の違いを無視して、発電機からコンセントを引っ張り、スイッチを入れたら温かさが足 に伝わってきた。カリドの家族が寄ってきて、全員がヤグラごたつに入ろうとして、大騒ぎにな 798
所に集めているのだと思った。展望車のすぐ前は食堂車である。食堂車の前の二等客車に荷物を かついで皆で移って席に座ったとたん、今度は車掌が来て、もう一度全員展望車に移れと一一一口う。 私たちは疾走する列車のなかを荷物を持ってあっちこっち、うろうろしている。面倒なので食 堂車に座った。前述のラマダンにもかかわらず、食事をしている人がいるではないか。ああ、そ うか、ラマダンの断食をしなくてよい例外として、病人などのほか、旅行者も含まれていたのだ った。食堂車にはメニューが張ってある。皆が食べているのはチキン・カプサというものだった。 サウジ風とりめしである。 シャイ ( 紅茶 ) でも飲もうと食堂車に入ると、眼鏡がくもった。多少はこりつばいと思ってい たら、食堂車の調理室から、西部劇の列車強盗の逆三角形の覆面をした男が二人出てきた。どき っとしたが、よく見ると一人は車掌で、もう一人は食堂の給仕だった。食堂車の調理室の窓が一 部割れていた。そこから列車が立てている外の砂埃が車内にすさまじく入ってくるらしい 展望車に戻ると、残った乗客は横一列の全部の席を使って寝ている。最後尾の展望車だから車 両の最後尾の部分は三方がガラス張りになっている。その半分の椅子を集めて、さきほど私たち を追い出した公安官のおじさんが、もう先にぐっすり寝ている。私はソファーを動かして、列車 の過ぎ去った方角に向かってすわり、三方のカーテンを開け、景色を見ていた。 冷房はよくきいていて、寒いほどだ。こんなに強く冷房がきくとは思わなかった。外の気温は 五〇度を超しているのに、断熱効果が強いのか、セーターが欲しいくらいだ。だが、窓ガラスに 触れると熱い
今でこそ、女性のための家庭番組も登場して内容が充実してきたサウジ放送だが、テレビその ものの存在がイスラムが禁じる偶像崇拝につながるとして、強固に反対した人がいた。そのため に国内が騒然となった時期もあった。それから比べると、女性がテレビの画面に出たり、独自の 子供番組を作るのは大変な進歩であろう。 742