リヤド - みる会図書館


検索対象: 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い
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1. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

八年である。デイライヤはリヤド北西約一〇キロのところにある。現在は廃墟の町となり、崩れ た土壁の家並のまま保存されている。 サウド家はその後リヤドにあり、勢力を回復したものの、 トルコの援助を得た北部の親戚イプ ン・ラシッド家の介入により弱体化し、当主はクウェートに亡命した。ラシッドが暗殺団を送っ たのである。サウド家の多くの者が捕えられ、殺されている。当主であった父アプダラ・ラハマ ーンとともに逃げのびた長子アプダラ・アジズこそ、のちに初代サウジアラビア国王になるイ。フ ン・サウドである。 彼はこのとき、まだほんの少年だ 0 たが、父親に繰り返し教えられたサウド家の栄光と屈辱の 歴史と、彼自身の亡命体験から、ラシッド家への復讐を誓う。そして、弱冠二一歳にして、時期 尚早との父親の説得をふり切って出発し、たった数十名の部下とともにリヤド奪回に成功する。 このアプダラ・アジズの活躍は、砂漠の帝王にふさわしい ドラマチックなものであるが、こ れが、サウジアラビアの現代史の幕開けとなる。 一九〇二年一月一五日未明。ア。フダラ・アジズは、砂漠を越え、リヤドの町に接近した。目指 すのは、リヤド城。現在もなお市街のなかに当時の面影を残して立っている、土造りの城である。 ア だが当時、町は城壁に囲まれており、城の守りは堅い。 早朝の祈りのあとまもなく、リヤドの太守、イプン・アジ 0 ランのもとに厩舎から馬が連れて生 こられる。そのわすかの開門のすきにアプダラ・アジズとその部下たちが急襲したのだ 0 た。太一 守を殺害し、アプダラ・アジズはリヤドを取り戻した。

2. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

女子大学にて スーハはイラク人で、リヤド女子薬科大学の女性教授である。フランス人の主催するある集ま いつでも大学へ遊びにいらっしゃいと私に一 = ロう。 りでよく会っていたが、 女子薬科大学はリヤド市の中心、大学通りにある。大学通りは、その名の通り、リヤドの大学 しくつかの学部が集まっているところである。一九八四年、リヤド市の北部に学園都市が完成 し、学部の多くが移っていったあと、従来の校舎の多くは女子大として使用されている。その移 ン マ 転一号が女子薬科大学である。 ウ 新学園都市には当然、女子学部も建設されたものと思っていた私は、大学で英語を教えている ア アメリカ人の女性に聞いてみたことがある。 ャ 「新しいリヤド大学はどう ? さそきれいでしようね」 る すると、彼女はむっとして答えた。 す 「私たちは入れないのよ。あれは男子学生用でね。女子は昔の汚いところに押し込まれている躍 この人は医学部の英語教師だった。

3. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

農水省の許可も、問題なくとれた。 次の冬、いよいよ日本から桜の木が送られることになった。比較的暑さに強い三種類の桜の苗 木が計六〇本である。当社の関係の会社から専門家が一人、苗木の輸送と植林のアドバイザーと して出張してくれることになった。日本航空の東京ージェッダの直行便で早朝到着した。 桜の本は < 市の農業試験場に渡し、一部は市長宅の外と内側に植えた。夏の期間市はリヤド よりは遙かに凉しいが、それでもやはり乾燥していて、日差しも強い。桜の木は冬が寒くなけれ ばダメだという。はたして根付いて育つだろうか。余った桜の苗木の三本をリヤドに持ち帰り、 私の家の庭に植えて様子を見た。 リヤドでは四月からもう夏で、六月には外気温が五〇度を超す。私の家の桜の木には毎日水を やっていたが、八月に至って、とうとう枯れてしまった。やはりリヤドの強烈な高温乾燥には耐 えられなかったのだった。 < 市のことが気になって、しかたがなかったが、連絡をとる機会がないうちに、支店長が交代 することになった。帰国されるときに桜の安否を調べて知らせてはしいと、とくに指示があった。 その次の年の夏、私の家族は友人の家族といっしょにリヤドからジェッダまで車で旅行した。 途中はテントに泊まり、紅海で泳ぎ、帰途についた。途中に < 市がある。 < 市に入る前から、桜 の木のことが気になりだした。 私はうろ覚えの方向感覚で市長の家に向かって車を運転していった。角を曲がると市長の家だ というとき、私は車を運転しながらも、一瞬目を閉じた。市長の自宅の外側に、塀に沿って私自 272

4. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

来るまでの、充分な水さえ保てないのである。 おまけに、停電のシ「ツクでポンプそのものが故障してしまうことがたびたびある。こうなる と、迅速な修理はもとより期待できないから、何日も水道の水なしで暮らすことになる。階下の 庭の水道栓から一杯ずつバケツに水を汲んで階段を上るという、つらい仕事が待 0 ているのだ。 ただし、少ない水を上手に使い回すコツを会得するという利点があ 0 た。キャンプ生活のつも りで、これはこれでおもしろがったりもしたが、 ひさしぶりに流れる水を取りもどすと、 「やつばりべんりねえ」 と、安堵のため息をつくことになる。同時に、 「あっ、 しレない。こんなにじゃぶじゃぶ水を流して洗いものをするのはもったいない」 と、蛇ロの水量を最小限に細めるのが習慣にな 0 てしま 0 た。こんな苦労を共にしてきただけに、 同僚の奥さんが砂漠の町リヤドに転勤になる私たちに心からの同情をしてくれたのも無理はな、。 町中に「水屋さん」 きゅう み しかし、これは、まったく杞憂だった。 サウジアラビアの、少なくとも主要都市では、水で苦労することはない。石油採掘よりよほど然 手間と費用のかかる地中ポーリングを行な 0 て、地下水を汲みあげているのだ。リヤドでは、な 豊 んと地下一キロも掘 0 ている。また、湾岸では、多額の費用を投じての海水の処理プラントを作 0 ている。できた上等の水を。ハイプラインでダンマンからリヤドまで五百キロも送る。リヤド市

5. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

では、これを地下水とまぜて上水道に使っている。年々、淡水化プラントから送られる水の割合 が多くなり、より上質の水になってきた。 もっとも私が来た八年前には、まだ、リヤド市の水道は地下水だけだった。地下水には塩分と リヤドではじめてシャワーを浴びたとき、顔にかかる水を、わあっ、から 不純物が非常に多い。 いと感じたものである。石輪やシャンプーの泡立ちももうひとつだった。 ひところ、デザート・クーラーという冷房装置があった。これは、簡単に説明すると、おがく ずのいつばい詰まった大きな箱に水を少しずつかけて冷やし、その空気をファンで室内に送り込 むというしくみだが、 気化熱を応用しているので、外が乾燥して暑ければ暑いほどよく冷えると いう、不思議な冷房機である。一時はリヤド中を席巻するはど人気のあったデザート・クーラー だが、現在では、より高価でスマートなエアコン装置に取ってかわられている。 ともかく、このデザート・クーラーは一年か二年すれば、壊れるようにできていた。というの も、クーラー本体に純度のよくない水をかけつづけるのだから、ついには鍾乳洞のなかのように、 石灰と塩分のまざった「つらら」がびっしり垂れ下がることになる。この「つらら」をあるとき、 ばきんと折ってそっと舐めてみたら、あまりのからさにおどろいた。おまけに猛烈な苦みがある。 そういう水だったのだ。 ここ二、三年来、リヤドの水質は淡水処理した水を加えるせいで、ぐんとよくなってきている。 それまでは飲用はもちろん、煮炊きものにも使えなかったが、ばつばっ水道水をそのまま使って よいといわれるまでになった。それでも、ほとんどの人は従来通り、飲み水は別に買っている。

6. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

ことになると思われる。空き缶の回収を考えれば採算は取れなしカノ 、 ; 、ヾッキングの仕方を工夫し なければならないのではないか。たとえば、強い日光の直射を一定期間与えられると紫外線で風 化してし十 ( 、 し、細かな砂に戻るプラスチックは考えられないだろうか。普通のプラスチック製品 でさえ、砂漠では黒く変色してポロポロにもろくなってしまうほどの強い日射である。 この空き缶と並んで砂漠の象徴的遺跡となってしまったのが車である。サウジアラビア全国の 主要都市と国道に沿って、信じられない数の自動車が放棄されている。といっても全部が事故車 ではない。車を使用している人が修理不可能、あるいは修理のほうが高くつくと判断した車が放 棄されていく。日本製の車だけでも年間何十万台も輸入されているサウジアラビアでは、やはり 年間何万台も廃棄されているだろう。まだまだ使用に耐える車でも新車の価格が安く、反対に修 理代が高いので、廃棄されてしまう。ヨーロッパの人ならあと一〇年は使いたいと思う車でも、 どんどん捨てられていく。 最近、リヤド南東部のリヤド製油所の近くをジープで走破した。その周辺で見たのは、広大な 砂漠を数十キロにわたって覆い尽くす、現代文明の巨大ゴミであった。私はその桁外れの量にあ きれて、立ちつくしてしまった。 そこでは地平線のかなたまで、リヤド市で生じたあらゆるゴミが捨てられてあった。自動車、 テレビ、冷蔵庫、クーラーからトラクターまで、日本でならば、いや日本以外でも、アメリカで さえ、これらの再生可能巨大ゴミを捨てれば、誰かが間違いなく修理して使用するだろうと確信 できる、最新鋭文明商品が捨てられている。ここがリヤド市のトイレだった。自動車にしても、

7. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

のが、よくどさっと落ちている。サウジにのら猫が繁殖しているのは、もともと猫好きな国民性 に加えて、豪華な残りものにありつく率が非常に高いせいである。 このバーティに興味をもちそうな友人、知人に声をかけてみた。結局、大人三〇名に子供が一 でも作るところは見てみたい」とい 〇名程度になった。なかには、「食べるのはちょっと : 、、用交司近の日本人学校の先生がたとその う、羊肉の苦手な人もいた。リヤドに見えて間もなし尸本尸、 ご家族は、いちもにもなく喜んで参加されるという。もうすぐリヤドを去る人と、リヤドに来オ ばかりの人が不思議と集まる。 ナジドの羊を賞味する こうして、「カプサ料理見学および試食バーティ」は、イスラムの断食月 ( ラマダン ) を間近に ひかえた五月のある午後、リヤド近郊の砂漠で行なわれることになった。 当日の朝七時、モハメッドと夫は、市場へ生きた羊を買いにでかけた。羊の年齢は歯でわかる。 若くておいしい子羊は、経験豊かな人が、毛なみを見、ロのなかを調べれば見分けられる。 羊市場には異様な殺気がただよっているという。買うほうは、よい羊を求めての品定めに余念 かないし、売るほうは必死でお客をつかもうとする。袖を引っぱって自分の羊を売り込む。羊は というと、自分たちがなんのために連れてこられたのか、うすうすっているようすで、落ち着 きがない。砂漠でのんびり放牧されているときとは全然違う。 「ひつじさん、かわいそうだなあ」 757 ーーーアラブの味とは

8. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

めちゃな暑さではない。日陰で、しかも風が吹いたりすると、けっこう涼しいのだ。 リヤドは内陸部にあるので、昼と夜、そして夏と冬の温度差がかなりある。非常に乾燥してい るので、実際の気温の目盛より七 ~ 八度低めに感じられる。だからエアコンを入れた室内は二九 度ぐらいが適温。これが二五度を切ると寒いと感じる。 リヤドの夏の昼間は暑いが、日が落ちると涼しくなる。夏の夜は快適だ。家のなかは熱気がこ もっていて暑いので、昔は外や屋上で寝ている人がよくいた 私も屋上で、うとうとしたことがある。寝ころんで星を見ているうちに、気持ちよくなって寝 てしまうのだ。やはり屋上にいるらしい隣家のサウジ人の老人のしわぶきが、闇のなかでは、ま るですぐ近くのように聞こえてくる。が、実際には、四角い箱のような各家の屋上はそれそれ高 し囲いがしてあって、外から見えないような作りである。 はっと気がつくと夏の星座は大きくまわりこんで、明け方の空にもうスパルが見えている。ま だリヤドの町がそう大きくなかった頃には、街灯も整備されていなくて、星がよく見え、空がも っと澄んでいた。私はよく星を眺めに屋上へ行った。絨毯を広げてあおむけになると、首が痛く ならず、全天眺めわたすことができる。毎日が快晴だから、実際の星座は、星座表とおもしろい ほどそっくりである。 冬。一一月から二月にかけてのリヤドの気候は最高にすばらしい。日本で一一一一口うからりとした秋 晴れの日が毎日続くのだ。気温は三〇度以下になり、もう泳ぐには寒い。空は薄く透明で、刷毛 で掃いたような微かな雲が出現する。夜はぐっと冷え込んで、セーターなどが必要になる。 79 ーー豊かな自然の恵み

9. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

って、レールの上を走る巨大なクレーンで運んでは、レゴのおもちゃのように、。、 ホンポンと組み 立てていくやりかたのことだ。初めてこれを見たとき、私も度胆を抜かれた。あっと言うまにハ イウェーができあがったのだ。潤沢な資金と、広大な用地があってこそのプロジェクトである。 「正直なところ、サウジアラビアに来るまでは、とてもここまで近代化しているとは思いません でした。リヤドに着いたとたん、新国際空港に驚きましたね」 世界最大の規模と、世界一美しいデザインを誇るリヤドのキング・カリド国際空港はサウジア ラビアの顔であり、私たちにとっても自慢の種だ。そのターミナルは紅海のシャコ貝を意識した デザインで、たいそう豪華で流麗である。 リヤドやジェッダの目抜き通りの建物は、ひとつひとつが自由で斬新なデザインで、見ている だけでも楽しい。まるでデザインコンテストだ。個人の住宅も日本のスケールでは考えられない 豪華なものや、ユニークなものが多い。公共の建築物の設計で日本人の手になるものも多く、そ れらは高い評価を受けている。 「今後どのようにサウジアラビアが進むか、楽しみですね」 「そうですね。今までのインフラストラクチュア ( 社会基盤 ) の建設の完成で、今後はサウジ人 の教育と国内の産業に力を注いでいくでしよう。サウジアラビアで生産された石油化学製品が、 世界を支配する時代が近いかもしれません」 私はそう言いながら、彼を空港に送りとどけた。 だが、サウジアラビアは工業化だけに力を入れているのではない。信じられないかもしれない

10. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

日本のあるメーカーの副社長がサウジアラビアを訪問されたとき、私は、リヤドからダンマン までの車の旅にお伴した。アラビア半島の砂漠の中央から東へ向うハイウェーは全長約五百キロ。 五時間で行けるが、時期が悪かった。 一年で一番暑い七月。サウジアラビアに悪い印象を持たれ るのではと、い己しこ。 一時間ほどでリヤドから一四〇キロ離れたホレイスに到着した。車を止めて、エアコンの入っ ていた車内から一息つけに外に出たら、まさにそこは熱砂の地獄であった。たちまちにして、メ ガネの金属フレームが体温を超えて、五〇度以上となり、かけていられないほど。目は高温乾燥 サウジアラビアは夢の国 ? ーープロローグ