買いもの - みる会図書館


検索対象: 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い
13件見つかりました。

1. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

女性が家を守るという役割はあるものの、最近の核家族化のなかでは、男性も家事に協力的に ならざるをえない。夜や休日に連れ立って買いものをするサウジ人の家族をよく見かける。女性 一人では出かけられないのだから、いきおいこうした光景が見られるわけだが、夫が妻にたのま れた買いものをしにいくのも、また当然のことと受けとめられる。子守りがてら、父親が子供を 連れて買いものに出かけることも多い 「若くてハンサムなサウジの男性を薬局で見かけたの」と、リヤドに来たばかりのある人が言っ 「その男性は、なんと、。ヘビー。ハウダーを買っていったのよ ! 」 彼女にとって、そんなに若い男性がすでに妻子をもっていることがまず驚きであり、しかも家 族のための、つまらない買いものの用事を気軽に引き受けていることが、珍しかったのだ。 結婚年齢は、男性も女性も日本と比べてすっと早い。女性も最近は大学に進む人が多いが、大 学を出てすぐ、あるいは在学中に結婚してしまう人がかなりある。二〇そこそこで、みなお嫁に 行ってしまうのだ。ひと昔前なら一五、六歳がふつう。いまの中年以上の人たちは、そのように 若くして妻になり、子供を大勢もっている。 サウジ式レディー・ファースト 社会習慣として、見ず知らずの男女がまざりあうことはまずない。学校はもちろん男女別学。 なにか催しものがあっても男女が同席することはなく、曜日によって男性の日、女性の日をわけ 99 - ー -- -- サウジの暮らしと風俗

2. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

しているといえる。それはそうだろう。資金繰りの相談を女性が男性の行員と膝つき合わせてで きる社会では、とうていないのだから。 とくに服飾関係の需要は大きく、街にはやたらファッションの店が目につく。ブティック、テ ーラーなど、目白押しである。たとえば、リヤド一の近代ショッピングセンター「アル・アカリ ヤ」のなかのプティック関係の店舗は、ほとんど女性オーナーではないかとささやかれている。 外国を旅行したり、長期滞在するサウジ女性はますます増えている。買いものにはクレジット カードのほうが便利そうだ。 しったい、一人平均いくらぐらい銀行に預けるのだろうか。さすがのバトウールも企業秘密だ からといって、どんな金額も教えてくれない。 しかし想像するに、日本の主婦のへそくりとはは るかに桁が違うようだ。というのも、女性銀行が発足当時、お客の増加を狙って、一定額以上の 預金者に金製品や食器やハンドバッグなどのすてきな商品をプレゼントしている銀行があったが、 そのプレゼントをもらえる預金額というのは、たしか途方もなく大きかったのを覚えている。だ しいち、普通預金の最低預金額からして千リヤル ( 七万円 ) であるから、日本の一円からという のとは月とスッポンである。 女性銀行の入口には、外部の男性が足を踏み入れないよう、どこもいかめしい門番が立ってい る。扉も正面を開けて、さらに横へ通じるなど、複雑にしてある。だが一歩なかに入ると、そこ には華やかな雰囲気がある。若い女性が多く働いているせいだろうか。 サウジで買いものをしても、女性店員に出あうことは皆無なのだ。カウンターの向こうに若い 720

3. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

大変なことになる。 そこで、最もてっとり早い方法は、ふつうの服装の上に黒くて、長いアバヤをすつばり被って しまうことだ。これなら、宗教警察も文句はつけられま、 しかくして、外国女性は、みじかいス カートも、胸元を大胆に開けたプラウスも、びちびちのお尻の線のはっきり見えるジーンでさえ 安心して着られるようになった。 全部アバヤが隠してくれる。 しかし、アバヤというのは着にくいものである。クラシックなデザインになると、袖のところ は袋状になっていて、手を出すところさえないのである ! あくまで、つつましく、手の先も見 せない設計。前の部分はボタンも紐もついていないから、手でしつかり胸の部分を押えていなけ ればならない。たとえば、これで買いものをしようとすると、空いた片手だけでハンドバッグか ら財布を出し、お金を取り出して品物を受けとるのである。つい アバヤを押えているもう一方 の手がおろそかになる。買いものに夢中になっていると、アバヤがずり落ちて、肩が半分見えて「 ウ しまう。なにしろ一枚仕立ての絹、あるいはナイロン製だからつるつるすべる。 そこで、えいっとばかり、アバヤを胸の上でくくってしまうアメリカ人たちが現われた。たちア ャ まち、英国人も、フランス人も、フィリピン人も、韓国人も、日本人もこれを真似しだした。た キ る だし、この大胆不敵なアバヤの着かたは、サウジ女性たちの眉をひそめさせることになったよう す 活 それまで、顔を見せてアバヤを着るのは、サウジ以外のアラブ女性というのが相場であった。 すくなくともイスラムの女性たちはアバヤを着ることに慣れているから、きちんとした着かたを

4. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

ところが一九八〇年代になると、今までのイスラム系の労働者に加えて、アジア系の労働者が ぐっと増えた。メイドも賃金がはるかに安くて、しかもずっと働きがよい。こうして、エリトリ ア人のかわりに、フィリピン人、タイ人、インドネシア人などのメイドが働くようになった。隣 家でも、タイ人のメイド二人が働くようになった。 メイドはただ雇うだけではない。女性労働者をサウジに入れるためには、特別の労働許可証が いる。サウジ人である雇い主が身元保証をしてやり、呼び寄せるのである。そして、年次休暇の ための往復運賃を出してやる。あるいは、家族が海外に旅行に出るときは、メイドもいっしょに 連れていく。それでも割があうのだ。 やがて、近所を見わたすと、メイドのいないのはわが家だけになっていた ( もっとも、ふつう の日本人の家や外国人の家にはたいていメイドはいない ) 。たとえば朝、外にゴミを出そうとす る。向かいの家でもアジア人がちょうどゴミを出しているところである。向かいのメイドさんは 私を見てにつこりする。つまり傍目には、私はどうみたってアジア人のメイドなのである。 メイドたちは住み込みである。買いものにつきそったりする以外は家から出られない。一年な り二年なりの契約期間が過ぎるまでは、国にも帰れない。だが実によく働く。ここでしつかりた めたお金を国に持って帰れば、ひと財産になるのだ。。こが、 オサウジ人にとってはたいした額では 。ものすごい物価の落差である。 サウジの女性の生活はだんだん楽になってきている。掃除も料理も子守りも、アジア人は上手 にやってのける。買いものなどでよく見かける光景は、子供を抱いてサウジ人の奥さんの一歩後

5. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

サウジアラビアの見ものの一つは金市場 ( ゴールド・スーク ) である。リヤド市内の中心部には 数多くの金製品専門店が集中している市場がある。そこには金の腕輪、首飾り、指輪が連なって、 店一杯に光り、通りまで明るく、金色にキラキラかがやいて見える。ここでの金製品はデザイン に関係なく、一グラムいくらで秤に載せて価格を決める。 これらの金専門店には買いものを楽しむサウジアラビア人の女性が群がっている。私がヨメサ ンの圧力に屈して、数グラムの金製品を秤に載せる横で、サウジ人の女性がクレオ。ハトラかッタ ンカーメンがつけるかとも思える巨大な、豪華絢爛、飲み屋の縄のれんのような首飾りを無造作 に買っていく。 教育上、まことによくない場所だ。黒いべールを被っている彼女たちのかすかに見える手首に は、すでに何十本もの金の腕輪がキラキラ光っている。自分たちの全財産を持ち歩いているのか もしれない。金専門店はどれも間ロ二メートルほどの狭い店内であるが、いつも大変な賑いを見 俗 せる。 風 一グラムいくらと決まっている金であるが、最後には値切らないと損。 ら 「まけろ。まけろ。アンタ ( アラビア語で「あなた」は「アンタ」である ) どこの国の車に乗っ の ている ? 日本製 ? じゃ、私は日本人だから、もう少しまけろよ」なんてやるのだ。 ジ さて、同僚 z 氏の家族が駐在を終えリヤドから日本に帰るとき、全員で集めた餞別のお金を持ウ って、妻はその奥さんの好きな金製品を選んでもらうために一緒にスークへ買いものに行った。 イ段が高すぎてお金が そのとき、奥さんがとても気に入った大きな金の首飾りがあったのだが、

6. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

水が汚れてきているのだ。サウジアラビアの水が毎年きれいになっていくのに、日本の水はその 逆だ。夫が日本でサウジアラビアからきた友人を案内したとき、京都のレストランの水が臭かっ たので、「これはまちがいなく腐っている水だ」といってその人は飲まなかったそうだ。今日、 日本でおいしい水道水を求めるのはむずかしい。 しし」といろいろな国の人が自慢 ヨーロッパを旅行していると、「自分の国の水が世界一お、し、 する。スイス、スコットランド、アイスランド、スエーデンなどがそうだった。そのつど、私は 「日本の水もおいしいですよ」と言ってきたが、今後は二度と言えないのではないだろうか。日 本でもおいしい水は一本何百円も出して買う時代になった。よい水がふんだんにタダ同然の値で 手に入っていた時代は終わった。「湯水のように使う」という表現は、もう死語となるのだろう。 日本の水の汚染はさらに進むだろう。今のまま、日本が自然を大切にしないならば、近いうち に必す「水屋さん」が成立するだろう。今のサウジアラビアでの買いもののように、カートンで ミネラルウォーターを買ったり、ジェリ缶をもって「水屋さん」へ通うのだろうか。 サウジアラビアの合い言葉。「水は油よりも貴重である」 砂漠のみかんジュース

7. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

ファッションの仕掛人たち はじめてソアドに会ったとき、彼女が開口一番、私にこう言ったのを覚えている。 「あら、あなたアバヤを着てるのね」 アバヤというのは、サウジの女性たちが外出するのに服の上に着る、黒い絹のマント風の被り ものである。サウジ女性たちは体だけでなく、顔も別の黒布で巻き、さらに頭に黒のスカーフを 被る。要するに頭の先から足元まで、黒で覆ってしまうのだ。 一九八〇年に入ったころから、外国女性もこの国の習置を尊重して、顔こそ隠しはしないが、 ともかくアバヤだけは着るようになった。時代に逆行するようだが、自由な服装をする外国女性 たちがサウジの町にあふれだしたのに、当局があわてて取り締まりを強化したのが原因だ。 手や足をむきだしてはいけないというイスラムの基準にかなう服装というのは、胸元のきっち りした長袖服に、くるぶしまでのスカート丈ということになる。これでは、最新ファッションの 服を着る楽しみがなくなってしまう。スーク ( 市場 ) での買いものはこれでがまんするとしても、 しよせん昼間の服、イプニング・ドレスのようにエレガントではない。家のなかに入ってしまえ ばどんな服装をしようとかまわないが、 そのまま外へ出て服装狩りの宗教警察の目にとまったら 730

8. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

かなりの割合で女性が二人以上 から従っているメイドである。サウジ人家族が車に乗るときは、 いるのは、奥さん一人のほかにメイドがいるからである。 これほど、メイドが生活に重要なものになってくると、今までメイドを使っていなかったのが 不思議なくらいになってくる。ある家に招かれたとき、料理のひとつにタ。フーレ・サラダが出さ れた。これは、サウジだけでなく中東全体に見られる料理で、私の好物である。アラビア産のマ イルドなパセリをみじん切りにしたものが主で、レモン味のドレッシングがかかっている。食べ るのはおいしいが、作るとなるとパセリのそうじから刻むまで、意外と手間がかかる。このサラ ダが大皿いつばい出ていたので、こんなにたくさん大変だったでしようねと私が言うと、奥さん は、うちには器用なフィリピン人がいるのよと、こっそり打ちあけた。 メイドに子守りを任せるという家庭も多くなった。旅行先にも、メイドがいると便利なので連 れていく。あるとき、バ リで私たちが泊まったフラット型式のホテルは、サウジ人の家族連れが くと、サウジ人の子供ばかりいる。その面倒を 多かった。夕方、子供を近くの公園に遊ばせにい 見ているのが、フィリピン人のメイドさんたちである。この間、母親同士は連れだって買いもの風 にいったりしている。 ら 暮 こんなふうにサウジ人の子育てが、東南アジアの人びとの手にかなりの部分ゆだねられてしま の ジ ウ うと、問題が起きるかもしれないと、私など心配になってくる。 サ アジア系の女性は、子供にふんだんに愛情を注ぐ。これが高じると子供を必要以上に甘やかし てしまうことになりかねない。住み込みであるから、四六時中べったりとともに過ごし、場合に

9. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

「僕一人だったら、あちらの列だったね」と、夫も今さらながら、女性の威力に驚いたようす。 これを聞いた私の友だちは、へえっと感心して、他に女性の優遇措置はないかと考えた。マー ジャン好きのご主人のメンバーが足りないと彼女も時々かりだされる。そこで、「私だけは特別 のドラがあるようにしてください」といって以後、五万 ( ゥーマン ) を女性専用ドラと強引に、、 めてしまった。 ほんものの箱入り娘 サウジでは、末婚女性と既婚女性では、人生の感じかたが大幅にちがうように思える。 家のなかでの母親の貫禄は相当のものである。どの家でも、ああ、ここはこのお母さんでもっ ているのだなと思わせるような人ばかりである。 若い娘はきわめて保守的に育てられる。ほとんど親のいいなりのようである。若い娘は母親や 。もっとも、学校以外には個人の家を俗 年上の近親者といっしょでないと、めったに外出できない 訪問するか、買いものぐらいしか行き先はないのだから、しかたがないともいえる。若い人たちと がたむろする場所や娯楽設備など、皆無である。家から学校までは、送り迎えの車でまっすぐ往ら の 復する。家庭のなかでは、家族、親戚の女性たちがつねに集まっていて、そうした女性サロンの ジ なかで娘は大きくなる。実生活の情報をここで得、さらに年上の人に対する心づかいなども学ぶ。ウ 安定した家庭 娘は結婚して妻の座につくと、自分の意思を通す自信のある女生になっていく。 のトップの座につくことによって、はじめて得られる自信である。だが、サウジの若い娘たちの

10. 住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い

。ひとっすつ手で アラビア・バンはお盆のように丸くて平べったい形。あつあつを買いに、 焼くので、店が混んでいると並んで待っこともある。 混んでいる時間帯には、並ぶ列はふたつできる。つまり、たくさん買う人と、一枚、二枚と買 う人とを分けているのだ。これはなかなか合理的なシステムである。そうでないと、ほんの少し 欲しい人がなかなか買えない。 アラビア・ ハンを買いにいく時は、新聞紙か袋、もしくは買いものカゴなどが必要。焼きたて は熱くて、とてもそのまま持てない。 小さなバン屋だと包む紙の用意などしていないのだ。一度、 夫はあわてて買いにいったものの、なにも包むものがなくて、しかたなくシャツにくるんで帰っ てきたことがあったくらいだ。 買ってきたばかりのアラビア・バンは、そのままちぎってたべるととてもおいしいし、中を開 いて ( ちょうどいなり寿司のお揚げのように開くようにできている ) 、肉でも鶏でもはさむと、 アラビア風ホット・サンドイッチで、これまたいける。 ホモスという豆のペーストにちぎったパンをつけて食べるのはきわめてアラビア風。ホモスに レ」 一見似ているが、ナスの。ヘーストもこれまたおいしい これは、日本でいうとお漬けものとごは 味 んの関係、フランスでいうとフランスパンとチーズの関係のようなもの。おいしくてつい食べすの ギ、てし士ま , つ。 ア あつあっはおいしいアラビア・パンも、冷めるとたちまちカチンカチンになって、猫でも見向 きしないほどまずいものになる。オープンで温めなおすという手もあるが、やはり最高においし