219 選良について 饗応を受けた某社の場合、順調に進んでも脱稿は一一十一世紀になる。 こういうことではいかんと反省しきりなのであるが、仮に世紀末のハルマゲドンが来ると なれば、この先は何本受けたって同じだと考え直し、先ほど十四本目の依頼を快諾した。 万がいち一一十一世紀にも地球が何事もなく回転している場合を考えると、それはハルマゲ ドンよりも怖ろしい。 冗談はさておき、午睡から覚めれば午後一一時のオウム・タイムが待っている。四時から五 時半までのタイム・ラグの間に資料読み、またはコラムやエッセイを書く。 以後はテレビもいよいよ佳境に入る。七時までのニュースに引き続き、どこかしらの局が 必ず特別番組を用意している。さらに夜十時からは「ニュースステーションーを経て一日の 集大成ともいうべき十一時台の特集が続く。かくて深夜一時、私はようやくオウムの呪縛か ら解放される。 毎日がこれである。一カ月あまりも判で捺したような日々が過ぎ、その間ありがたい文学 賞をもらい、親父が死んだ。 こうなると何だかオウム報道がわが人生の一部のような気がしてくる。 一日の過半をテレビの前で過ごすうちに、私はあろうことか江川紹子さんに恋をしてしま った。はっきり言ってタイプである。化粧ッ気のない顔。素朴で一途な知性。市松人形のご ときへア・スタイル。もしデートをしたならば酒よりもメシよりも、とりあえずデパートに
人気の直木賞作家のサクセス・ストーリー 浅田次郎勇気凜凜ルリの色 涙と笑いのエッセイ集。読むと元気が出る本。 に乱世」斬る歴史小説て吉川英治文学賞に輝いた著者が、 白石一良 天命を知り活躍した男達を描く珠玉ェッセイ。 〈歴史ェッセイ〉 江戸から続く旧家に殺人予告。一一階堂蘭子が 二階堂黎人吸血の家 美しき一一一姉妹を・ぶ謎に挑む本格長編推理。 刊 事件後十六年。時効の壁を乗り越え、菱刈率 いる捜査第 0 課は犯人を追い詰められるかー 最岡嶋二人眠れぬ夜の報復 殺人現場に残された赤いマジック数字の謎。地 庫 小杉健治容疑者 道な捜査と大胆な推理が光る警察ミステリー 文 けいせつじだい 矢ロ ~ 咼雄重雪時代第。巻渾身の絵筆て中学時代を描」た全五巻完結。 二 = ロ 〈ボクの中学生日記〉 講 山田風太郎風来忍法占攻めるは秀吉、守るは可憐な麻也姫。七人の 〈山田風太郎忍法帖⑩〉 太田蘭三遭難渓充岩手の清流て釣師が失跡、その下流ては女性 森博司笑わない数学者忽然と大きなオリオン像が消え、一一「の死体 ^ MATHEMATICAL GOODBYE 〉
肥にされているが、あえてまた一一 = ロう。競馬はバクチなのである。 バクチというものはそもそも、胴元が開帳して罪もない客からテラ銭を巻き上げる悪い遊 びのことである。すなわち、巨大胴一兀であるは馬券総売上の一一五パーセントをテラ銭 として取り、残る七五パーセントを「配当と称して的中者に払い戻している。 わかりやすい例を上げる。さる四月十六日、つまり皐月賞の当日の中山競馬場第一レー ス。馬番連勝馬券の総売上は約四億四千万円分。うち 3 ーの的中は、約四千四百万円分で あった。 これが仲間うちのドンプリバクチであれば、十分の一の半での勝利なのだから、配当は 十倍となって当然である。しかし競馬においては二五パーセントのテラ銭が控除されるの で、このレースでの配当金は七百五十円となる。 早い話が、千円を支払って購入した馬券は、実は七百五十円の価値しかなく、馬券を購入 するということは、実は千円と七百五十円を交換するという作禾に他ならないのである。 この第一レースが終了したとたん、ファンの懐から取り出された四億四千万円のうちの一 億一千万円は、煙のごとくテラ箱に消えてしまったことになる。 その三十分後、ファンは性懲りもなく約五億円の馬券を買い、うち約三千万円分が的中し ているにもかかわらず、十一一・五倍の配当しか受け取ることはできなかった。このレースに おいても、約一億一一千五百万円のカネが煙のごとくどこかへ消えてしまったのである。
囲ほぎの音曲が流れ、私はおそまきながら一兀日の朝を知ったのであった。 「なんだ、正月か : : : 」と、私は肩を落した。 娘はブッと噴き出し、家人はウンザリと台所に消え、老母は「まったく何の因果だかねえ ・ : 」と、気の毒そうに呟いた。 思えばこの異常な状況は、昨年に続き一一度目であった。 つまり、こ一つい一つことなのだ。 週刊誌はどこも年末年始のム屏号というやつを出すので、十一一月の半ばに原稿を渡してし まうと正月の五日まで音沙汰がなくなる。 月刊誌は一一十旦間後が一一月号の締切で、それを了えればやはり音信が途絶える。 こうして一年に一度だけ、約一一週間に及ぶ空白の時間が私に与えられる。ただし三週間 の休み」ではない。三週間の余裕」、いや、三週間の猶予」という方が正しかろう。 書き下ろしの仕事は向こう二年分 ( というか、過去一一年分というか ) 、溜まりに溜まって いる。そこで私は、この「一一週間の猶予」に全力を傾注するために、密室にこもる。 時刻を知ると疲れがドッと出るので、時計は置かない。雨尸を閉めきり、仮眠と仕事を不 規則に続けると、日付はまったくわからなくなる。 弁当状の食事が、午前十時と午後七時に運ばれてくるのだが、三日も経てばその時間すら も認識できなくなる。コーヒーはポットに補充されており、灰皿は火のない火鉢を代用とし
悲劇はその引越しの前夜に起こった。以下、五月一一十一一日付朝日新聞の記事を転載する。 〈調べに対し、池谷容疑者は、自宅アバート前で実穂さんと会い、母親のいるところまで連 れていってほしいと頼まれたため、車に乗せて出かけた、と供述。その際に、実穂さんに 「もう、お母さんと交際しないで」となじられたことに腹を立て、実穂さんが眠ったすきに、 道路橋で車をとめ、約一一メートルのフェンス越しに実穂さんをかつぎ上げて東名高速に落と したーーー〉 新聞記事を転載したことには理由がある。私にはこの間のを、自分の文章で語る自信 カカし 十歳の少女は母親の勤め先に連れて行って欲しいがために、男の車に乗ったのではないと 思う。彼女は彼女なりに、母と男の関係について思い悩み、自分が母のためにしてあげられ ることを真剣に考えた末、「もう、お母さんと交際しないで」と男を説諭するために、男の 車に乗ったのであろう。 て 少女はたぶん、くり返しひとりごちてきたその一一 = ロ葉を、鬼畜の運転する車の助手席で切実 っ に、思いのたけをこめて懇願したのだと思う。そしてともかくも自分の使命をおえた安堵と 鬼疲労とで、眠ってしまったのだろう。 男は単純に逆上したのではなかろう。少女の説諭を黙って聞き、少女の眠るまで複雑な懊 悩をくり返したと思う。男手で子供を育てている彼が、そしてたぶん、愛した女とテレビド
フルを持っているので、もちろん体にも良くない。 , 」こでもまた青春の多感な時期に、「自分以外はみんな敵」という認識を植えつけられた のであった。 第三の原因は言うまでもなく、その後十五年も続いた暗黒の人生においてである。 この間、私は少くとも三回はサラわれて、「もはやこれまで」と肚をくくった。「命までと は言うまい」という程度の軟禁状態なんぞ数え切れない。 と、このように幼少時代は世情により、青年時代は特殊な職業により、長じては身から出 たサビにより、私は猜疑心の旺盛な人間になったのである。 第一と第一一の原因についてはこれ以上の説明は要るまい。第三の原因についてはム「後ロが さけても言ってはならぬというのが私を含む家族の総意でもあるのだけれど、「貴重な体験 を踏まえて」という担当者の心ないリクエストにお応えして、またしゃべることにする。 体、もしくは命を狙われている状況というのは、、 ードボイルドばくって聞く分には面白 て いのだが、当の本人はちっとも面白くない。ただひたすら怖い っ どんなに布くたって 110 番できない立場というのは、ものすごく怖い 危険度は踏んでいる事件の大きさに比例するので ( つまり行き交う金の多さに比例するの で ) 、案外はっきりとわかっている。だからャパいときは本当にヤバいのである。 いろいろなケースはあるのだけれど、ここはわかりやすく企業倒産劇に関った場合を例に
実は全然ない。 私はたまたま一一度目の受験にも失敗し、食いつめて自衛官になったのである。強いて一一 = ロう なら、べつに急ぐ人生でもなし、このさい体でも鍛えて将来に備えるべえ、という安直な動 機であった。 もともと世にも珍しい体育会系の文学青年であった。すなわち根が好きであったから、自 衛隊生活はおあつらえ向きに似合ってしまった。 一一年の後、このままでは小説家にならずに忠勇無双の下士官になってしまう身の危険を感 じた私は、何となく惚れた女と別れる感じで自衛隊を去った。 ところで、私がめでたく社会復帰した当時の世相は学生運動もたけなわのころ、若者はみ な鶴の如く痩せており、非衛生で理屈つばく、鉄パイプを握って徒党を組まねば満足にケン 力もできなかった。そういう心身のありようが、いわば青春のステータスであった。 そんな社会のただなかに、忠勇無双の兵隊が突如として復帰したのである。ほとんど異星 人であった。朝六時には目が覚めてしまう。夜の十時には眠くなってしまう。運動をしてい なければ頭がどうかなってしまいそうで、ハッと気付くと体が勝手に動いて腕立て伏せとか 腹筋運動をしている。要するに当時の常識から言えばかなり重症の「健康病患者」であっ ともかく一一年間の文学的な遅れを取り戻さねばならぬので、再就職に際してはまずその点 」 0
が、さらにうまく聞かせるためには、奔を一瞥して、自分の音域に合わせた移調をしつつ 唄わねばならない。当時の市販奔はレコードのオリジナル・スコアが多かったから、ほと んどの曲はこの移調をしなければならなかった。わかりやすく言えば、私の場合トップの音 がであったので、楽譜の中の咼音をに合わせてコードを移調しながら唄うのである。 「できません」「知りません」はもちろん禁句であった。 こうした特殊技能が要求されるから、そこいらのバンドをやっていたおにいちゃんでは全 く歯が立たず、多少なりとも楽典を知っているプラスパンドやオ 1 ケストラの経験者とか、 一兀は中学の音楽教師とか、音楽塾の先生のアルバイトとか、そういう鼻ッ柱の強い連中が多 っ一」 0 力 / 当然、需給のバランスにより仕事には不自由せず、客からも店の女どもからも「先生」と 呼ばれ、ギャラもたいそう高かった。 て どのぐらいの実入りがあったかというと、ワンステージ三十分を四回で月俸十五万以上、 にたいてい近所の店を一一軒かけもち、早番遅番でつごう四軒まで可能であるから、月に六十万 オか七十万の収入になった。一一十年前のことであるから、これは相当の報酬である。新宿や六 カ 本木の盛り場で、店から店へとギターケースを持って走り回る「弾き語りの先生」の姿をご 記憶の方も多いであろう。 しかも、この商売には余禄が多かった。自分のヘタクソな歌を伴奏してくれるのが生身の
商魂たくましい私はそれまでにもヒマにまかせて「成功のペンダント」「成功の黄色いノ ンカチ」「成功のスタミナドリンク」等を説明会場の受付で販売し、ポロ儲けをしていたの である。 かくて私は自信満々に一個三千円もするバカでかいクリスマスケーキを四百個も注文し た。一一十年前の三千円のケーキといえば、どのくらいデカいか想像できるであろう。ちょっ としたウェディングケーキなみのデカさである。これに名一一一口集を綴った即製の小冊を添え、 三千九百円で売る。しめて三十六万の儲けと踏んだ。 ハタークリームにするか生クリームにするかと店長は訊いた。当然数日前から完売を期し て売り出すので、バタークリームが良いと答えた。コストが下がった分、ケーキはさらに一 回りデカくなった。 イプの数日前に納入されたケーキの山は説明会場を埋めつくすほどの量であったが、マル チ商法では派手こそ美徳とされていたので、上司や他の幹部たちもたいそう喜んだ。百一一十 万円の代金を受け取ったアマンドの店長はもっと喜んだ。 説明会場に出入りする人間は日に千人は下らない。クリスマスにはみんなケーキを食う。 どうせ食うなら「成功のクリスマスケーキ」を食うであろう しかし、この目論見はモロにはずれた。理由は自明である。第一にデカすぎた。第一一に高 すぎた。第三に、クリスマス・イプの説明会場は当然のことながらガラ空きであった。
チャーシュー十枚であった。 「ちょ、ちょっと待って」と、私はもがいた。 「いやや、離さへん ! ーと女性は思いがけぬ強いカで私を抱きすくめた。 再び一一日酔の満員電車内でここまでお読み下さった方には申し訳ないが、一一日酔をするほ どの酒豪であれば、この直後に起きた悲惨な状況が不可抗力的であることを理解なされると 田 5 一つ 0 まさか美貌の女性は、接吻の求めに対して嘔吐で応じるような無礼者がこの世にいようと は考えてもいなかったであろう。 どうか言い訳のひとつもできずにバスル 1 ムに駆けこみ、便座をまたいだまま洗面台に顎 を載せて咆哮するみじめな男の姿を想像していただきたい。しかもそのかたわらでは、美貌 の女性が輝くばかりの裸体をセッセと洗い浄めているのであった。 この女性はとてもいい人で、朝まで寝ずの看病をしてくれた。翌朝、何事もなく別れたま まである。別れぎわに「今晩、来てくれるかな」と言ったのだけれど、やつばり来てはくれ なかった。