昭和 - みる会図書館


検索対象: 勇気凛凛ルリの色
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1. 勇気凛凛ルリの色

今年もまた彼の命日がめぐってきた。 あれは昭和四十五年十一月一一十五日のことであったから、はや四半世紀の歳月が経とうと している。存命であれば六十九歳になる彼の、老いた姿ゃなしたであろう業績が、どうして も想像できないのは、やはりあの日あの時に死すべきさだめだったからなのだろうか。 て てなこと考えながら、原稿を督促にきた新卒編隹杢に、 っ 「ああ、きようは三島の命日だねえ」 夫 紀と、しみじみ言ったら、一瞬キョトンとして、 島「やっ、そーでしたか。そりやお忙しいところすみません」 「いや : : : だからどうというわけじゃないんだがね : : : 」 「そーですか。浅田さんのご実家はミシマですか。実はボク、ヌマヅなんですけど 三島由紀夫について

2. 勇気凛凛ルリの色

私の徹底した無信仰については、神も仏もない半生を過ごしてきたせいもあるけれども、 そもそも幼時体験に起因するらしい わが家の宗旨はとりあえず浄土真宗である。とりあえず、と一 = ロうのは、東本願寺に墓所が あるので、私が何ら遺一一 = ロもせずにくたばれば、たぶんその法に従って往生するであろう、と いうほどの意味である。檀家となっている寺には昭和四十六年に祖父が亡くなって以来かれ て これ四半世紀も行っていないので、道順も忘れた。示郊外にある墓地には、五年に一ペん っ ぐらい草をむしりに一丁く。 仰 母方は奥多摩の御嶽神社というえらく格式高い神社で、遥かな太古より宮司を務めてい 信 る。で、嫁入りとともにこのもわが家に勧請されたらしく、生家には立派な神棚があっ 信仰について

3. 勇気凛凛ルリの色

私には緊張すればするほど笑ってしまうという悪い癖がある。 たとえば通夜や葬式、冗談も言えぬ偉い人と会う場合、情況がしめやかであればあるほど 得体の知れぬ笑いがこみ上げ、ついには噴いてしまう。なぜだかわからない。笑っちゃいか ん、ここで笑ったら大変だ、と思いつめるほどに、全く意味のない笑いが爆発してしまうの である。 ノー・グッド 江まさに Z である。まちがっても役者やアナウンサーにはなれなかっただろうと思う。 っそこで今回は、数ある私家版名場面集の中から、極めつきの大賞作品をお送りしよう か。時は昭和四十年代私が花の陸上自衛官であったみぎりのことだ。一部の識者の方々に とっては許し難い話であることを、前もってご承知おき願いたい ある時、さる国賓待遇の某国大統領が来日のかたわら、わが自衛隊を視察することになっ Z について

4. 勇気凛凛ルリの色

236 宮本輝先生の名作「優駿」は読んでいないけれども、月刊誌「優駿」は毎月購読してい 知る人ぞ知る日本中央競馬会の広報誌である。昭和十六年創刊の雑誌なんて、出版業界に もメッタにはない。長い伝統があるうえ、はすげえ金持だから、定価わずか六百円に もかかわらず、手にしたとたん思わず伏し拝みたくなるような立派な造本である。全く採算 度外視、と一言える。紙質はおそらく世界一であろう。掲載写真は「太陽 , も青ざめるほどの 芸術作品で、寄稿者の顔ぶれもまたすごい。なんたってすごいのは、広告がほとんどない。 漫画もなければ連載小説もなく、ましてやヘア・ヌードなんてあるはずはない。たまに「美 しき女体」とかいう目次を見て、あわててページを繰ると、ヒシアマゾンの勇姿であったり する。 る。 優駿について

5. 勇気凛凛ルリの色

本稿の摯依頼に来た講談社の貝を刺客と勘違いした、という話はさきに書いた。 こいつはきっと被害妄想狂なのではないかと怪しんだ読者も、さぞ多いことであろう。し かし断一一一口する。私の綿は至って正常、脳ミソは少くとも肝臓より健全に北している。 さいぎしん つまり、ちょっとばかり猜疑心が強いのだ。それも根っから疑り深い陰湿なタイプという のではなく、長年にわたる学習効果により、こういう生格になった。 て その証拠に、警戒心が強いわりには、怪しげな通販、またはポッタクリバ 1 の被害等には っ にしばしば遭一フ。 疑思うに、とりあえず誰でも刺客ではないかと疑うほどのこの後天的猜疑心には、大きく分 けて三つの原因があるらしい 第一には、私の物心ついた昭和三十年前後は、まだ物騒な時代であり、父親もけっこう物 猜疑心について

6. 勇気凛凛ルリの色

ツツリで絶ち消える。 ところで、そんなガキの時分に少年の心を悩ませた素朴な疑問があった。 もとよりクリスチャンなんてめったにいないこの国で、なぜこうもクリスマスだけが大ゲ サなのだろうということだ。お釈迦様の誕生日なんていつだかも知らんし、天皇誕生日だっ てタダの休日であるのに、クリスマスというと町も家も、上を下への大騒ぎになる。 その疑問を口にすると牧師様は、「それは迷える仔羊たちの主に対する誤解なのだから、 神の子である君は迷うことなくひたすら祈りなさい」とか、わかったようなわからんような ことを一一 = ロった。 とうでもいいけどともかくメリークリス しかしーー何だかわからんがともかくめでたい。、 マスなのである。牧師様の有難い訓えを胸に抱きつつ、クリスマスといえば棒の限り を尽くし、すべては主の福音であるということにして迷える仔羊になっちまうのが、以来今 日に至るまで私のならわしとなった。 というわけで、クリスマスにまつわる思い出話にはこと欠かない。 昭和四十八年の春に自衛隊の禁欲生活から放たれた私は、急に大金持になった。キャラク ターからいえばライフルの横流しなんぞを想像するかも知れないが、そうではない。たまた ま当時爆発的に流行した「マルチ商法」に参茄し、持ち前の不義理非人情を遺憾なく発揮し て一旗上げたのである。

7. 勇気凛凛ルリの色

た。その瞬間に正しい使用法ー・ーすなわちドアに向き合った後ろ向きの姿勢を考えついた方 は、まずいないと思う。 そのとき私はハッキリとこう考えた。アメリカ人は何とマメなのだろう。いちいちパンツ を床に脱ぎ置いてクソをするのか、と。 さて、時勢の赴くところその後あちこちに洋式便座は出現することになるのだが、多くの 方がたぶんそうであったように、私もそれを使用するのはよほどの緊急の場合に限られてい ? 」 0 どうしても使わざるを得なくなったのは、昭和四十六年の春、自衛隊に入隊したときであ る。朝霞駐屯地の教育隊隊舎は、つい先ごろまで米軍が使用していたために、すべての便器 が洋式だったのである。 当新隊員の多くは農村出身者で占められていたから、教育の第一課目はとりも直さず 「洋式便座の使用法」であった。十数名の班員は班長に引率されて隊舎の端にある広大なト て イレに向かった。 っ ドアを開けたとたん、おおっとどよめきが起こった。 いいか、これが咲八トイレだ。使い方を知っとる者いるか」 「注目 ! 愕くべきことに、挙手したのは私一人であった。実演して見せてやれというので、進み出 て後ろ向きに座ると、その格好がよほど意外であったのか再びおおっとどよめきが起こっ

8. 勇気凛凛ルリの色

316 ある八年兵ドノの罪は重い。私たちは泣く泣く事情を説明した。 当然私たちは旧軍以来の伝統により通路に整列、火の出るようなビンタをくらった ( 注・ 昭和四十年代の話である。今はどうか知らん ) 。 「いいか、おまえら。誰がどうのじゃねえ。とられたやつが悪い。これが戦場なら、おめえ ら全員戦死だ。死人が言いわけするな」 つまり、員数の論理とはこれなのである。 「つたく、しようがねえなあ。どれ のう と、部屋長はやおら寝台の下から巨大な衣嚢を引きずり出した。私たちは瞠目した。衣嚢 の中には鉄カプトから何から、戦闘装具の一式が入っていたのである。 いんずうが、 、 ) 0 ) ゝ ししな」 「員数外だ。点検が終わったら返せ。あとはすみやかに員数つけてこし やつばり軍隊は星の数より飯の数だ、と私は思った。 部屋長がなぜそんなものを持っていたのかは知らない。しかし、「員数外」といわれるも のを有事のために備えているという心がけには誠に頭が下がった。 ところで、「員数」はさらに転じて、「体裁だけ整える」「数だけ合わせる」というふうに も使用される。本稿を読み返して、ふと八年兵ドノの口癖を思い出した。 「コラ浅田 ! 員数で仕事するな。死にてえのかっ ! 」 メンコ どうもく

9. 勇気凛凛ルリの色

私の認識不足か彼女の認識不足かのどちらかということになるが、さてどっちだろう。と もあれ、ひとりの読者がわからんということは、何十万人の読者がわからんのかもわからん のである。 そこで、周章狼猊した私はその後、誰かれかまわずこのタイトルの意味についてね回っ た。「勇気凜凜ルリの色、という言葉を知っていますか ? 」と。 かかりつけの医者にも聞いた。ソバ屋の出前持ちにも聞いた。親類にもアカの他人にも聞 いた。全くアトランダムに百人に聞きました結果、意外な事実が判明したのである。 つまり、職業性別学歴経験その他いっさいに関係なく、満三十八歳以上はこのフレーズを ちゃんと知っており、三十七歳以下はてんで知らんのであった。 ということは、神田正輝は知っているが松田聖子は知らず、落合は知っているがイチロー は知らず、中島らもは知っているが吉本ばななは知らんのである。 当然、今この文章を読んでいる読者のほば半数は私と同様に知っているが、その他半数の 読者には全く意味不明だという推測が成り立つ。 うかつであった。普遍的な名タイトルだと信じたのは、明らかに私の思いこみであった。 そこで、今さら変更するのも何なので、約半数の読者のために真実の意味を解説しなけれ ばなるまい 「勇気凜凜ルリの色」とは、昭和三十年代半ばの超人気テレビドラマ、「少年探偵団」のテ

10. 勇気凛凛ルリの色

240 それでもキャビアは手放さずにロビ 1 に出ると、ついに石川喬司先生と目が合ってしまっ た。先にお々薊をちょうだいしてしまったのは、いかな成り行きとはいえ今さら汗顔の至り である。 しどろもどろのご挨拶をし、バルコニーに出た。心地よい初夏の風に吹かれていると、 よいよ自分がこの貴賓室にふさわしからぬ、たった一人の町人に思えた。 居心地が悪くって席をはずすのはまあ良い。ガッガッと飲み食いをするのも、育ちが育ち なのだから仕方あるまい。だが、これから半生を過ごして行く世界の先輩方にちゃんと挨拶 のできない卑しさが情けなかった。 眼下は一一十万人のファンで埋めつくされている。思えば昭和四十四年の日本ダービーのそ のとき、私はゴール則の柵にかじりついてタカッパキを応援した。カプラヤオーの圧勝を 見たのは、一一階の一般席の先頭だった。ハイセイコーの敗北に悲鳴を上げたのは三階の指宀疋 席、そしてアイネスフウジンの鮮やかな進け切りを目のあたりにしたのは、四階の < 指定席 」っ , 」 0 たしかに七日のうちの二日を、競馬場のスタンドで暮らしてきたのだけれど、残る五日は これといった遊びもせずに原稿を書き続けてきた。だからこそダービーを観戦する位置も、 毎年少しずつ上の席へと上がってきたのだ。 そしてとうとう、この上は青空しかない貴賓席の桟敷に立っている。それも、「平成七年