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検索対象: 勇気凛凛ルリの色
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1. 勇気凛凛ルリの色

かれこれ四カ月もとりとめのないエッセイを書いてきた。 よく考えてみればどれも笑いごとではないのだが、笑ってすまさなければ泣けてくるの で、つい面白おかしく語ってしまう。悪い癖だと反省しきりである。 てそこで、一年の最後ぐらい真面目な話をしよう。 6 どうしても書いておかねばならぬと思うのは、あのサチコのことなのだ。そう言っても思 殯い当たる人はほとんどおるまい。サチコはつい先ごろ、ある事件に巻きこまれて命を落とし コた薄幸の少女である。 チ私はサチコのことを良くは知らない。だが、わずかな報道記事をつなぎ合わせるうちに、 その人となりをごく身近に想像するようになった。 そうーー近郊の国道ぞいのレストランで、毎晩真夜中の一一時までウェイトレスをして サチコの死について

2. 勇気凛凛ルリの色

でえんえんと続く、春の戦線に突入したのである。 しというものではない。資料を整理し、データ 予想家の仕事は漫然と印を打っていればい ) を分析し、レ 1 スビデオをくり返し観察し、原稿を書き、インタビュ 1 に答え、対談もこな す。春秋のクラシック・シーズンには、こうした仕事の量も三倍ぐらいに膨れ上がる。 それはまあ、例年の決められた仕事であるからいいとして、一番迷惑なのは大レースだけ 馬券を買うという知人や出版関係者やその他よく知らない人から、ひっきりなしに電話がか かってくることである。予想家の人は誰も口を揃えて一一一一〔うことであるが、個人的に予想を伝 えるのは苦しい。べつに責任を負うわけではないが、相手が自分の予想を信じて命の次に大 事なカネを賭けるのかと思うと、自信の如何にかかわらずまことに心苦しいのである。そう かといって、せつかく訊ねられたものを、よくわからんとか自信はないとかは言えない。 で、適当に買い目を教え、多少の解説を加えたのち、必ずこう一一一一〔うことにしている。 て「競馬は当たってもゼッタイ儲からないからね。たいがいにしときなさいよ」 6 そう。競馬はゼッタイに儲からないのである。電話ロでその理由をいちいち説明するわけ には行かないので、この謎の言葉を私から聞いた一部の出版社員、ならびに「俺はナゼ勝て 銭 ラないのだろう」と首をかしげている多くの競馬ファンの方々のために、「競馬がゼッタイ儲 からないこれだけの理由」をこの場をかりて申し述べる。 競馬は "{ クチである。私はことあるごとにこれを力説するのでの広報からは目の敵

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など ば「おはよーさん ! ーなんて気易く挨拶していた人物に、今さら「実はわたくし : ・ と言えるはずはなかった。 さらに年月は経つ。「あんた、若いのによくお金が続くねえ」などと言われながらも、今 さら避けるのも変なので、私と山口さんとの縁は続いた。 まずいことに、というか何と一一 = ロうか、そのうち私の小説がポッポッ売れ始めた。単行本も 出た。山口さんが「週刊新潮」にえんえん三十年以上も書き続けているように、私も「週刊 現代」にエッセイを書くことになった。 文壇パーティに行けば、まず何よりも先に山口瞳先生の姿を探さねばならなかった。そう いう場所でバッタリ出くわせば、いったい何と説明して良いかわからないし、あちらもさぞ 仰天するであろう。しかし、幸か不幸かその機会はなかった。 私は結局、何も言い出せぬまま、週末の競馬場で「おはよーさん」と挨拶をし、小走り 去って行く後ろ姿に向かって、最敬礼をした。文壇における山口さんは、私のような新人か らすれば直立不動で接しなければならない雲の上の人である。だが長い間顔を合わせてきた 競馬場で態度を改める勇気は、どうしても湧かなかった。 親しい編集者に事情を説明すると、そりやまあかなり苦しいだろうけど、正体がバレるの は時間の問題なのだから、ちゃんとご挨拶しておくべきですよ、と言われた。しごくもっと もである。

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211 忘却について ち絶版の「北京風俗図譜」全二巻をついに発見し、あまりの嬉しさに雀躍と帰宅した。家の 則まできてうんざりとした。ガレージに車がない。つまり私は、すずらん通りのパーキン グ・メーターに車を忘れたまま、地下鉄に乗って帰ってきてしまったのであった。すぐにと しやく って返すのもアホらしいし、家人にバレて笑いものになるのも癪なので、とりあえず泰然と 夕飯を食い、パチンコに行くとか嘘をついて神保町に戻った。当然のことであるが半日の時 を経たわが愛車にはべットリと駐車違反の貼り紙がついていた。 たいそうくやしく、また盾けなかった。さらにくやしいことには、一日じゅう行方不明の 車の謎をめぐって、家族の間ではあれこれと憶測がなされており、真実は正確に解明されち まっていたのであった。家族は爆笑し、言いわけのしようもない私は笑ってごまかすしかな かった。 家人を青葉台のコーヒーショップに忘れてきたあの晩、私はしみじみと考えさせられた。 一文にもならぬ小説を書き続けてきた長い間、路上に忘れたまま永久に思い出せぬ人や物 はさぞ多かろう。そう考えれば、忘却も笑いごとではない。

5. 勇気凛凛ルリの色

今年の春、吉川英治文学新人賞をいただいたとき、実はこのことをまっさきに考えたので あった。これでやっと自己紹介の肩書きもできたのだから、今度こそ競馬場で山口さんに会 ったら、ちゃんと々を差し出して、かくかくしかじかと挨拶しよう、と。 しかしそのころから、山口さんは競馬場に姿を見せなくなった。 ダービーの日、私はから観戦記の執筆を依頼されて、初めて東スタンドのゴンドラ 席に上った。年に一度のダービーなのだから、今日こそは会えるだろうと思い、また仰天告 白をするにはふさわしい日だと思った。 山口さんの姿はゴンドラ席にもなかった。係の人にそれとなく訊ねると、「山口先生は近 ごろお体の具合が : : : 」という話であった。 まこと 韆愧にたえない。 机上に置かれた新聞は、社会面のおよそ半分をさいて、山口瞳先生の訃を報じている。運 動靴のおっさんと仲良く双眼鏡を並べた十数年の歳月を思うとき、人の縁とはふしぎなもの てだと、つくづく感じる。 あさっての葬儀にうかがえば、きっと式場は作家仲間や編隹杢名で溢れ返っていることであ っ ろう。彼らのうちの一人として焼香をすることが、はたしてこの際に私のするべき供養であ るかど一つか。 プネなことを書いたうえ、さらに非礼を重ねるけれども、やはり山口瞳先生の葬儀には行

6. 勇気凛凛ルリの色

私は高校生の時分からセッセと小説を書いては、あちこちの出版社に持ちこんでいた。こ ういう図々しさ身勝手さは、四十一一歳の今も変わらない。 たまたま神田にある大手出版社の奇特な編隹杢名が、私をたいそう可愛がってくれた。世の 中の書物という書物を、すべて読みつくしているのではないかと思われるほどの、立派な方 であった。その編隹杢名が三島由紀夫の担当だったのである。で、「近いうちに三島先生のお 宅に伺おう。紹介するから」という有難いお誘いをうけた。 欣喜雀躍である。あの三島由紆夫と会えるのだ。私は天にも昇る気持で、添削をしてもら ったぶ厚い原稿の束を小脇に抱えたまま、夕まぐれの街をさまよい歩いた。何だか自分の未 来が約束されたような気分だった。 そしてその帰途ーー・偶然では説明のつかぬことが起こったのである。 ニタニタとしながら歩き呆けた私は、水道橋の交差点に立っていた。どこをどう歩いたも て のか、なぜそこにいたのかはわからない。 っ 信号を待ちながら、ふとビルの半地下のガ一フス窓を覗きこむと、すぐ足元に三島由紀夫本 紀人がいたのである。記憶によれば、思いがけずに小さな体の、そして異様なほど顔の大きい 島人物であった。 ーベルを持ち上げて そこは後楽園のボディビル・ジムで、彼は長椅子に仰向いたまま、 新いた。路上から覗きこむ私とはほんの二メートルの距離で、私たちは確かに目が合った。

7. 勇気凛凛ルリの色

るかと思いきや、そいつはプスンと止まってしまったのである。 これで私の遅刻は決定した。必死でサイドプレ 1 キを引いた私は、全然因縁をつける筋合 ではないのだけれど、とりあえず頭に来て車を降りた。 タラタラ走ってんじゃねーよ、タコ、と言ったかどうかは忘れたが、近くまで寄ってフト 見ると案外強そうなやつだったので怖いからやめた。 喜多見駅改札ロの人々はうろんな目付きで私を見ていた。ひっこみのつかなくなった私 は、挙げかけた手で頭をかきながら自販機でも探すふりをした。と、そのとき駅則の第一勧 銀の宝クジボックスが、カラカラとシャッタ 1 を開けたのである。 暗黙の定めによれば、クスプリは決して積極的に生きてはならず、バクチに手を出しては ならず、りきんでヘもしてはならない。いわんや宝クジを買うなど、金をドプに捨てるのも 同じである。 しかし周囲の冷たい視線に圧迫された私は、やむな←一一千円の有金をはたいて、十枚の宝 クジを買ったのであった。それは「その場で当たるラッキー 7 」とかいうふれこみの、スピ ードくじであった。 三十分おくれで出社し、社長に回し蹴りをくらったあと、私は倉庫兼隔離室に閉じこもっ た。昼になってもメシが食えないので、なりゆきとはいえ無駄づかいをしたことを反省しな がら、スピードくじなるものを取り出した。銀色のマ 1 クが六つ並んでいる。その下には数

8. 勇気凛凛ルリの色

219 選良について 饗応を受けた某社の場合、順調に進んでも脱稿は一一十一世紀になる。 こういうことではいかんと反省しきりなのであるが、仮に世紀末のハルマゲドンが来ると なれば、この先は何本受けたって同じだと考え直し、先ほど十四本目の依頼を快諾した。 万がいち一一十一世紀にも地球が何事もなく回転している場合を考えると、それはハルマゲ ドンよりも怖ろしい。 冗談はさておき、午睡から覚めれば午後一一時のオウム・タイムが待っている。四時から五 時半までのタイム・ラグの間に資料読み、またはコラムやエッセイを書く。 以後はテレビもいよいよ佳境に入る。七時までのニュースに引き続き、どこかしらの局が 必ず特別番組を用意している。さらに夜十時からは「ニュースステーションーを経て一日の 集大成ともいうべき十一時台の特集が続く。かくて深夜一時、私はようやくオウムの呪縛か ら解放される。 毎日がこれである。一カ月あまりも判で捺したような日々が過ぎ、その間ありがたい文学 賞をもらい、親父が死んだ。 こうなると何だかオウム報道がわが人生の一部のような気がしてくる。 一日の過半をテレビの前で過ごすうちに、私はあろうことか江川紹子さんに恋をしてしま った。はっきり言ってタイプである。化粧ッ気のない顔。素朴で一途な知性。市松人形のご ときへア・スタイル。もしデートをしたならば酒よりもメシよりも、とりあえずデパートに

9. 勇気凛凛ルリの色

1 マソングの一節なのである。 思い出すままに冒頭の歌詞を書く。 ば、ば、ばくらは少年探偵団 勇気凜凜ルリの色 のぞみに燃える呼び声は 朝焼け空にこだまする : 書きながら思わず歌ってしまった。読者の半数もたぶん頭の中で口ずさんだことと思う。 ご存じの通りこれは江尸川乱歩の原作にかかるもので、小林少年ひきいる「少年探偵団」 が怪人一一十面相と対決する冒険ドラマであった。 この番組の人気は凄かった。翌日の学校では話題もちきり、うつかり見逃した子供は突然 つの腹痛を起こして登否になるほどであった。 ル当時は塾通いの子など一人もおらず、学校から帰れば勝手に遊びに出ていいことになって イいたので、原つばに日が昏れれば全員そろってテレビジョンのある家に押しかけるのが日課 タ であった。 やがて町内のあちこちに「少年探偵団」が結成され、子供たちに妙な人気のある酒屋の御

10. 勇気凛凛ルリの色

を第一義に考えた。週休一一日制など夢物語の時代である。小説を書くには何よりも時間が必 要なので、ふつうの勤め人は適当ではないと思い、ふつうでない勤め人になった。 ふつうでない、とは、多少の身体的リスクを伴ってもそのぶん時間の余裕があり、なおか っ実入りの良い職業、というほどの意味である。 こうした都合の良い条件に適合する仕事というと、つまり、借金取りとか、用心棒とか、 私立探偵とか、ポッタクリバ ーの客引きとか、ネズミ講の講元とかいう限定を必然的にうけ るのである。 まずいことには、どうしたわけかこの手の職業もおあつらえ向きに似合ってしまった。 以来苦節一一十年、その間セッセと書いた甘い恋愛小説は、ナゼかというか当然というかい っこうに日の目を見ず、講談社主催の懸賞小説もことごとくボッとなり、皮肉なことに斬っ て た張ったの実体験集が私のデビュ 1 作となった。 っ 小説家になるために小説のような人生を歩んでしまったと先に述べたのは、つまりこうい 緯 経うことである。 っ 。な う「さまざまの経験をふまえて、ゼヒ面白いエッセイを : : : 」 と、どうやら本物の講談社社員であるらしい男は言った。 一一一一口うのは簡単だが、出版社員と刺客との半別に恐々とするような人生を今さら振り返るこ