競馬場 - みる会図書館


検索対象: 勇気凛凛ルリの色
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1. 勇気凛凛ルリの色

205 テラ銭について ている。ふつう勝とうと思えば、これだけの出費はどうしても必要である。もちろん一般の ファンは私ほどパーフェクトに競馬場まで通ってはいないだろうし、関西やローカルまで足 を延ばしはしないだろうから、まず半分の五十万円と見てよかろう。しかし私は全く酒を飲 まないので、競馬場の帰りに掛茶屋で一杯やる人は、私より経費をかけているとも言える。 要するに、永遠の一一五パーセントのテラ銭を物ともせず、年間百万円の経費すらカバーし うる人だけが、真の勝利者なのである。 小説を書くことは別段自慢にはならないが、以上の理由により、例年競馬で勝ち越してい ることは、私の自慢である。

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でえんえんと続く、春の戦線に突入したのである。 しというものではない。資料を整理し、データ 予想家の仕事は漫然と印を打っていればい ) を分析し、レ 1 スビデオをくり返し観察し、原稿を書き、インタビュ 1 に答え、対談もこな す。春秋のクラシック・シーズンには、こうした仕事の量も三倍ぐらいに膨れ上がる。 それはまあ、例年の決められた仕事であるからいいとして、一番迷惑なのは大レースだけ 馬券を買うという知人や出版関係者やその他よく知らない人から、ひっきりなしに電話がか かってくることである。予想家の人は誰も口を揃えて一一一一〔うことであるが、個人的に予想を伝 えるのは苦しい。べつに責任を負うわけではないが、相手が自分の予想を信じて命の次に大 事なカネを賭けるのかと思うと、自信の如何にかかわらずまことに心苦しいのである。そう かといって、せつかく訊ねられたものを、よくわからんとか自信はないとかは言えない。 で、適当に買い目を教え、多少の解説を加えたのち、必ずこう一一一一〔うことにしている。 て「競馬は当たってもゼッタイ儲からないからね。たいがいにしときなさいよ」 6 そう。競馬はゼッタイに儲からないのである。電話ロでその理由をいちいち説明するわけ には行かないので、この謎の言葉を私から聞いた一部の出版社員、ならびに「俺はナゼ勝て 銭 ラないのだろう」と首をかしげている多くの競馬ファンの方々のために、「競馬がゼッタイ儲 からないこれだけの理由」をこの場をかりて申し述べる。 競馬は "{ クチである。私はことあるごとにこれを力説するのでの広報からは目の敵

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秘法とはいえ、これはけっこう知られているらしい。大書店の専門書コーナーに行けば、 たいてい何人かの男女が立ち読みに疲れたフリをしてひそかに木を挽いている姿を目撃する ことができる。 いずれにせよ、大書店はトイレの設備をもっと充実させて欲しい。ことにいつ行ってもハ ルマゲドン級の便意に襲われ、専門書の量に比してトイレが少く、とっさに退店することも 難しい構造の渋谷堂に対しては熱望してやまない。 話は変わる。いや、舞台は変わるが話は変わらない。 私が人間のアイデンティティーを賭けねばならぬ場所がもうひとつある。他ならぬ競馬場 である。そこは本屋と同様、人間が強い精神的プレッシャーを感じる場所で、しかも朝早う からメシもクソもそこそこに飛び出して来るものだから、一般席のトイレはいつも満員であ る。ことに午前中から午休みまでの盛況ぶりといったら、五人待ちなど当たり前で、よほど の苦労人もしくは長編作家、禅僧といった種類の人々でなければ耐えること能わざるほどで て ある。競馬場に禅僧はいないが、幸い、ほとんどが身から出たサビの苦労人であるから、こ っ とほど悲劇は起こらない。 我私が本拠地とする示競馬場の場合、いつでも空いている秘密のトイレがあるのだが、こ れだけは誌上にて公開するわけには行かない。 さて、競馬場での便意といえば、生涯忘れ得ぬ痛恨事を思い出す。まあ聞いてくれ。

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200 私は小説家であると同時に競馬予相である。 今のところ収入はほば拮抗しているので、どっちが本業でどっちが副業かと聞かれても困 る。幸い出版関係者はあまり競馬をやらないから、「浅田さんは競馬が好きらしい」と考え ており、一方の競馬関係者はあまりマジメな本を読まないので、「浅田さんは小説なんかも 書いているらしい」、と思っている。都合のよいことである。 自分で一三ロうのも何だが、、 カキの頃からたいそう勤勉であり、長じてからも一日平均十六時 間程度の労働はこなしてきたので、この二つの仕事について両テンビンをかけているという 意識はもうとうない。これからもそれぞれ一人分の質量はちゃんとしつつ、双方をこな して行こうと思っている。 そんな私にとって、今年も地獄の季節がめぐってきた。さる桜花賞を皮切りに宝塚記念ま テラ銭について

5. 勇気凛凛ルリの色

奇縁の場所は、里只競馬場の四階指定席のべランダである。私と山口さんはたいてい同じ 位置から下見所を周回する馬を見おろし、しばしば短い会話を交わした。 競馬ファンはそれぞれにちがった方法で予想をする。レースの展開を推理する煮持ちタ イムを重視する煮血統を考える煮出目や語呂あわせを楽しむ煮そして時間の許す限り パドックに張りついて、当日の馬の気配に注目する者。 つまり私も山口さんも、昔から根の生えたようなパドック党であった。 馬体のデキ具合や馬の調子をするためには、いつも同じ位置、同じ角度からパドック を見なければならない。だから自然と、同じ場所に同じファンが集まる。私と山口さんはず っと昔から、その場所が同じだったのである。 私は小説家デビューはずいぶん奥手だったのだけれど、競馬については早熟であった。と いうことはつまり、小説の勉強は怠っても、競馬は怠らずにやっていた。十七で馬券を買い 始め、一一十成を過ぎたころには一丁則に指定席の客になっていた。 て開門前の行列に並び、四階のスタンドに上がってコーヒーを飲む。いつに変わらぬ私の至 福の時である。やがて第一レースに出走する未勝利馬がパドックの周回を始めると、レスト っ ランの外のべランダに人々が集ってくる。 縁 山口さんは東スタンドの方から運動靴をはいて走ってきて、いつもの場所に立つ。私もレ ストランを出て、肩を並べるように双眼鏡を覗きこむ。

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204 「競馬は当たってもゼッタイ儲からないからね。たいがいにしときなさいよ」と私が一一 = ロう理 由は、つまりこういうことなのである。 さて、読者の周辺にも競馬で儲けていると自称する馬キチはおいでになると思う。しかし 真に受けてはならない。年に一度か二度とか、レ 1 スだけ、とかいう趣味のファンなら いざ知らず、毎週何がしかの馬券を買いながらプラス収支を計上するということは数理上あ りえないのである。もしそれが本当だとしたら彼は、「千円と七百五十円を交換し続けても なおカネの増える奇蹟の人」ということになる。 私のかなり確信的な推測によれば、毎週馬券を買い続けていながら「俺は勝っている」と 豪語している人でも、年間百万円は負けている。だが、それでも彼は名人である。 「ま、トントンだね」と答える人は、一一百万ぐらい負けている。これがごく一般的なファン であろう。はっきりと「俺はハマッている」と自覚できる人は、三百万以上は負けている。 幸い競馬ファンの中に正確な収支明細をつけている人はおらず ( そういう律義者は最初か ら競馬なぞやらない ) 、また馬券を買うカネというものはふしぎとどこかしらからか出てく るものであるから、みなさんことほどに被害者意識はない。しかし年間数百万円のカネとい えば、人生を変えうるほどの大金である。 さらにこれに加えて、競馬をやるには存外経費がかかる。私の昨年度の税務申告によれ ば、新聞、メシ、交通費、入場料、炬疋席代その他モロモロの必要経費が約百万円支出され

7. 勇気凛凛ルリの色

だが、山口瞳さんに限「ては毎週末に顔を合わせ、時には = 暴すら交わしていたのに、何 年もの間そうとは気付かなか「たのである。種々雑多な人々が寄り集う、競馬場という場所 のせいなのかもしれない。いや、今にして思えば、そのぐらい庶民の中の小説家だったので あろ一つ。 そうこうするうちに、私もいっこうに売れぬ小説を書き続けつつ = 一十を過ぎ、東スタンド からあわただしく走「てくるお「さんもだいぶ老けた。名作「血族」も読み、「居酒屋兆治」 には感動した。 そんなある日、山口瞳・赤木駿介共著の「日本競馬論序説」というものすごいタイトルの 本を読みながら、私はのけぞ「たのである。その本はタイトルはすごいのだが、専門書とい うより競馬場でのよしなしごととカノ 、、。、ドックでの馬の見方などを、エッセイと対談とでわ かりやすくまとめてあった。 内容によれば、かの山口瞳先生は四階の指定席べランダからパドックを見るというのであ てる。健康に良いので、東スタンドのゴンドラからそこまで、走るというのである。そのため 6 に運動靴をはいている、というのである。 縁 ところで、そのころの私はようやく雑文がマイナー雑誌に掲載されるようになり、もしか したらそのうち小説が活字になるんじゃねえかな、と一縷の光明を見出していた矢先であっ た。しかし、だからと言「て多年にわたりお「さん呼ばわりをし、朝「ばらに顔を合わせれ

8. 勇気凛凛ルリの色

肥にされているが、あえてまた一一 = ロう。競馬はバクチなのである。 バクチというものはそもそも、胴元が開帳して罪もない客からテラ銭を巻き上げる悪い遊 びのことである。すなわち、巨大胴一兀であるは馬券総売上の一一五パーセントをテラ銭 として取り、残る七五パーセントを「配当と称して的中者に払い戻している。 わかりやすい例を上げる。さる四月十六日、つまり皐月賞の当日の中山競馬場第一レー ス。馬番連勝馬券の総売上は約四億四千万円分。うち 3 ーの的中は、約四千四百万円分で あった。 これが仲間うちのドンプリバクチであれば、十分の一の半での勝利なのだから、配当は 十倍となって当然である。しかし競馬においては二五パーセントのテラ銭が控除されるの で、このレースでの配当金は七百五十円となる。 早い話が、千円を支払って購入した馬券は、実は七百五十円の価値しかなく、馬券を購入 するということは、実は千円と七百五十円を交換するという作禾に他ならないのである。 この第一レースが終了したとたん、ファンの懐から取り出された四億四千万円のうちの一 億一千万円は、煙のごとくテラ箱に消えてしまったことになる。 その三十分後、ファンは性懲りもなく約五億円の馬券を買い、うち約三千万円分が的中し ているにもかかわらず、十一一・五倍の配当しか受け取ることはできなかった。このレースに おいても、約一億一一千五百万円のカネが煙のごとくどこかへ消えてしまったのである。

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が手の甲を口にあてて談笑を交わす貴顕社会であった。 コースに面して高級応接間ふうの個室が並んでおり、その外はべランダ、というより「桟 敷」になっている。ロビ 1 にはフカフカのソフアが置いてあり、オッズを見ているだけでど こからともなくお茶が運はれてくる。気のせいか投票所のババアまで美しい 係の人に案内されて一室に入ったのだけれど、何となく居心地が悪い。どうも町人がひと り紛れこんでいる気がして、お茶を一杯いただいたなり階下の一般指定席に下りた。これで 競馬が堪能できる。 炬疋席は四半世紀にわたって通いなれた「第一一の家」である。さすがはダービ 1 当日とあ って、旧知の人々と挨拶を交わすだけで忙しかった。 「 1 馬」の清水成駿さんとバッタリ会い、「何を買うの」といきなり言われたので笑ってご まかし、「何を買うんですか」と訊ねたらやつばり笑ってごまかされた。続いて「別冊宝島」 の担当者と会ったので、いつも通りに回し蹴りを入れ、振り向きざまに「アサヒ芸能」競馬 担当者がいたので、頭突きをくれた。 私は競馬場に毎週べットリと出かけるが、親の遺言と本人のストイックな哲学により、め ったに馬券は買わない。ことにオッズの荒れる大レース当日は、何ひとっ買わずにただ見て るだけということが多い。従って本日はヒマである。 あまりヒマなので記者席にズカズカと上りこみ、顔見知りのトラックマンたちから極秘情 じき

10. 勇気凛凛ルリの色

など ば「おはよーさん ! ーなんて気易く挨拶していた人物に、今さら「実はわたくし : ・ と言えるはずはなかった。 さらに年月は経つ。「あんた、若いのによくお金が続くねえ」などと言われながらも、今 さら避けるのも変なので、私と山口さんとの縁は続いた。 まずいことに、というか何と一一 = ロうか、そのうち私の小説がポッポッ売れ始めた。単行本も 出た。山口さんが「週刊新潮」にえんえん三十年以上も書き続けているように、私も「週刊 現代」にエッセイを書くことになった。 文壇パーティに行けば、まず何よりも先に山口瞳先生の姿を探さねばならなかった。そう いう場所でバッタリ出くわせば、いったい何と説明して良いかわからないし、あちらもさぞ 仰天するであろう。しかし、幸か不幸かその機会はなかった。 私は結局、何も言い出せぬまま、週末の競馬場で「おはよーさん」と挨拶をし、小走り 去って行く後ろ姿に向かって、最敬礼をした。文壇における山口さんは、私のような新人か らすれば直立不動で接しなければならない雲の上の人である。だが長い間顔を合わせてきた 競馬場で態度を改める勇気は、どうしても湧かなかった。 親しい編集者に事情を説明すると、そりやまあかなり苦しいだろうけど、正体がバレるの は時間の問題なのだから、ちゃんとご挨拶しておくべきですよ、と言われた。しごくもっと もである。