わが国の自殺者は毎年一一万人を数える。 ということは、ほば六千人に一人の割合で自殺をする計算になる。この数字が交通事故死 の倍であることを考えると、何だかの渇く感じがする。 さらに咽の渇く計算を試みれば、本誌の読者のうちからも毎年百名以上の自殺者が出てい ることになる。そこで、今回はこの百数亠↓のために稿を起こそうかと思う。 て 私は相当にみじめな人生を送って来たので、確率以上に大勢の自殺者を知っている。だか にら先日、例の自殺の方法を解説した奇書が発売されたとき、何という節操のない書物であろ 命うと呆れた。 一一万部の売り上げははなから見込めるのである。潜在的願望者は、おそらくその十倍はい るであろう。つまり、その書物は発則からベストセラ 1 を約束されていたようなもので、 生命力について
を受け、中隊長あての始末書と反省文を書かされる。もちろん当分の間、外出はできない。 一一十一一時の消灯ラッパが鳴ったのちも帰隊せず、何の連絡もない場合は、当人の所属する 営内班に「総員起こし」がかかる。 班員のひとりひとりに未帰隊者の消息が訊問され、当人が外出前に提出した「外出許可 願」の細目が点検される。 だっさくしゃ 「未帰隊者」が「脱柵者」として確定すれば、連隊本部と駐屯地の警務隊、すなわち昔でい う憲兵隊に連絡せねばならない。重大事件である。そこで通常、中隊は日帰りの「普通外 出」を、一泊一一日の「特別外出」に変え、同じ営内班の隊員を動員してひそかに捜索を開始 する。実家や行きつけの飲み屋、交際中の女のアパ 1 トなどをしらみつぶしに回り、万策っ きれば盛り場の路上やターミナルの改札に張り込む。 て さらに「特別外出」を「休暇」にさしかえ、三日ないし四日の捜索期間を設ける場合もあ にる。これで発見できなければ、「事件」とするほかはない。 常 「脱柵者」はすなわち「脱走兵」である。旧軍では重営負敵前であればただちに銃殺とい び う重罪人である。ただし自衛隊は独立した司法権を持たないから、停職や減給等の罰則が科 せられる。最も重い罰は「懲戒免職」であるが、帰りたくない者をクビにするのでは話にな らんので、よほどの事情がない限りこれが行使されることはない。 現実には、連れ戻されたとたん班員たちの制裁を受け、停職期間の明けるまで日がな幹部
ってノイロ 1 ゼになるようなタマではない。 ご存知の通り、自殺する人間は一年に一一万人もいる。しかも警察当局には「民事不介入、 という基本原則があるので、法医学的な実証がなされない限り、自殺を他殺と仮定して捜査 を開始するなどということはない。逆に言えば、医者の目から他殺と見破れない自殺なら、 事件になることはないのである。 さて、どのようないきさつであれ、人が死ねば葬式が出る。困ったことには順序からして も、この気の毒な経理担当者の葬儀はゴタゴタの真最中 ( というより頂点 ) で行われること になる。 第たちは全員出席しなければならない。理由は自明である。右はすなわち容疑者 だから、欠席すれば何を言われるかわからず、またそれぞれてめえのアリバイを説明する必 要もあるので、万難を排しておくやみに出かけるのである。 当然、この種の葬式のしめやかさといったらただごとではない。 て もちろん何回かに一回は、个ョのノイローゼによる自殺や心臓発作もあるが、この場合で っ も自殺を示唆または強要したやっ、あるいは心臓が止まるぐらい脅かしたやつが会葬者の中 に必ずいるので、しめやかさにおいては変りがない。 ゝんぎん 前述したように第は紳士である。彼らの懃な挨拶や、歯の浮くようなおくやみの言 葉により、葬儀のしめやかさはいや増す。
しかし、こうした信念のもとに日に八 , ~ ー不の煙草を喫い続ける私にとって、世の中は日ま しに住みづらくなって行く。 このところの禁煙区域の拡大は、まさに暴力的である。かっては防災上の理由に限定され ていたものが、何ら合理的な理由なく「禁煙」とされる。要するに「他人の迷惑になるか ら」煙草を喫うな、というわけである。 この理由には大変疑問を感ずる。 なぜなら、嫌煙権が正当な権利であるのなら、喫煙権もまた正当な権利であるはずであ り、ひとつの権利を認めることによってもうひとつの権利を圧殺していることに他ならない からである。 これは憲法の綿に悖る。社会が利害の対立する一方を支持し、一方を否定し、それらが 通念となって喫煙者をあたかも有害者のごとく扱うことは、すなわち「差別」である。 近ごろあちこちで見受けられる「禁煙」の表示は、ほとんど法的根拠のない独善的主張で あると私は理解している。本来は「どうか禁煙にご協力下さいと書くべきなのである。し たがって、これに協力するかしないかはひとえに喫煙者本人の協調性にゆだねられるので、 もつばら他人の利益を顧みない私はいついかなる場所でも確固として、自由に煙草を喫うこ とにしている。断じて正当な権利である。 さりとて時の勢いというものは怖ろしい。 もと
43 無礼者について 番台も富士山の絵もなくなったが、なにしろどこもサウナ仗ジェットバス付のリゾー ト・スパさながらで、私の家の近所の銭湯などはこれに加えて、寝風呂、電気バイプラバ ス、日替り薬草風呂、露天岩風呂までを完備する。 まさしく氷河期を生き延びた恐竜のごとき進化である。これがたったの七百円というのだ から、すっかりクセになって三日にあげずに通いつめている。 一方、純血の江尸ッ子はほば絶滅してしまったのでマナーをうるさく一一一一口う者もない。むし ろそれどころか、銭湯そのものを知らない世代とか外国人労働者が大挙してやってくるの で、利用法を説明した絵入りポスターが貼ってある。要するに、 ☆洗濯はしないで下さい ☆浴槽内で泳がないで下さい てなことがまことしやかに書いてある。 にわかには信じられなかったが、実際この注意書きの通りの人間がいるのである。 先日、中近東系とおばしき外国人が三名、気持ち良さそうに薬草風呂に浸っていた。中に カタコトの日本語を話せるやつがいて、かたわらの私に、「コレ、サイコーネ。デリイシャ ス、デリイシャス ! 」と、連発する。こっちも何だか嬉しくなって、「そうだ、思い知った かコノヤロー 。これが日本の文化だぜ。国に帰ったらセントーをやれ。きっと儲かる」なん て、つい握手を求めたりした。
この手のローンは銀行が車の購入代金についての契約をするのではなく、購入代金そ のものを貸付けるのであるから、車の所有権者ははなから購入者本人であり、ということ は、破産の時点で本人が車を転売しているか、もしくは第 = 一者に々莪変更をしてしまってい れば、誰も異議を唱えることはできない。すべてチャラである。 これはすごい。こんなことを週刊誌上で発表しちまえば、いったい何十人がマネするかわ からんが、ともかくす」い どのくらいすごいかというと、これを基本として無限の踏み倒しバージョンが考えられる からである。 あちこちの銀行や信金から、やや過熱ぎみの各種お手軽ローンを片つばしから借りまくり ( カードローンはもちろん、教育ローンとか増改築ローンとか年金口 1 ンとか海外旅行口ー ンとか、要するに何でもよい ) 、おなかいつばいのところで自己破産しちまえばよいのであ る。 て これならば破産に際して友人を失うこともなく、恨みを買うこともなく、一撃で巨額の現 「金が手に入る。あとはムダづかいせずに、 ( まちが「ても他の借金を返したりはせずに ) 女 産房名峩で郵便局に貯金しておけばよい。 どう考えてもこの方法は完全である。つまり、破産しなければならないほど銀行は安易に 金を貸すのだから、こ「ちが破産するつもりで金を借りまく「た「て、動機がバレるはずは
もしそうした計算の上に出版されたものであるとしたら、まさに不倶のインモラル本で あろうと考えた。 ともあれ人生の悲哀をいくらかでも味わってきた者ならば、この書物は興味をそそられる よず より先に、まず怒りを覚えた筈である。私も職業柄、ひととおり目を通したが、。 ヘージを繰 る ) 」とにかって睡眠薬をって死んだ女や、車に排気ガスを引きこんで一家心中した男や、 頭を撃ち抜いて死んだ知人のことが思い出されて、たまらない気分になった。 著者も編集スタッフも、たぶんずっと食うに困らなかった、上流階級の住人だろうと思 う。すでに売れてしまったものはいたしかたないが、売れさえすれば何でも良いという無節 操な姿勢だけは、どうか自省して欲しいものである。少くとも読者を勇気づけることは、い やしくも言葉で飯を食う者の使命であろう。 ふほう ところで、この種の訃報に接するたび、人間の生命力について考えさせられる。「ふしぎ と生きている」私からすると、彼らの死ぬ理由がどれもたわいのないものに思えてしまうか らである。 もちろん他人の苦悩を無責任に推量してはなるまい。死ぬべき理由は死んだ本人にしかわ からないのだから。ただ、人間にはたとえば植物の自然に対する耐性のような、原始的な生 命力が、誰にも生れついて備わっていると思うのである。 これは肉体の頑健さとか気の強さとはちがう。なぜなら、自殺者はたいてい「飢寒、こもご
190 だがしかし残念なことには、オウム側の一方的な釈明に対し、制作局側もしくはコメンテ イター側に、世論の是非を問うのだという強い意志を感じない。どの番組も「な、おかしい だろ」という無責任な呟きを残して幕となる。これでは報道番組ではなく、ショーである。 テレビはリべラリズムの公器であるのだから、法律も人権もさておいた議論の応酬があって 然るべきと思うのだが、どうであろう。 さて、私が糾弾したいのは、オウム幹部がその釈明中にロにした、許すべからざる暴言に ついてである。科学技術担当責任者氏のいわく、「阪神大震災は大国の地震兵器のしわざ」、 と。 私はたちまち怒り狂い、に電話をして「バッカヤロー と連呼した。かような発 一一一一口を軽々しく口にする方もおかしいが、番組中この暴言について叱咤する出演者のいなかっ たことは実に情けない。 ハルマゲドンで地球が滅びようと、教祖をどう崇めようと、それは彼らの信するところで あるからいっこうにかまわない。主張として聞く。 しかし五千五百人の尊い人命を奪った大震災の原因を安直にロにすることは、たとえ彼ら がそうと信するところであったにせよ、決して許されるべきではない。この暴言は真偽云々 を論ずる以前に、人間的良識において糾弾せねばならない。発一 = ロ者の良識とともに、「ああ そうですか」と呆きれ顔で聞き流したキャスターの良識をも私は疑う。
その一瞬の彼の表情を、私は克明に記憶している。ものすごくイヤな顔をしたのである。 彼はサッとバーベルを支柱に戻し、立ち上がってもういちど私を睨み上げ、スタスタと去 ってしまった。そしてジムの隅で誰かと立ち話をしながら、こちらに目を向けて苦笑した。 後から思いついたことだが、そのとき私は返却された一一百枚の原稿の束を、むき出しのま ま抱えていたのだった。おそらく彼は、彼の居場所を訪ねてやってきた青臭い文学少年だろ うと勘違いしたにちがいないのである。 ほんの一瞬の出来事であった。私の一一一一口う「面識」とは、つまりこのことである。数カ月の 後に ( いや、数日後だったかもしれない ) 、三島由紀夫は死んだ。編集者との約束も、つい に果たされなかった。 事件から数日が経って出版社を訪れたとき、編集者は嘆きながら、奇しくも彼が担当して 上梓された「英霊の声」を私にくれた。反左になった約束のかわりに、一巻の奇怪な小説が 私の手に托されたのであった。まったく実現しなかった約束の代償のように、私はそれを受 け取った。 ほどなく編集者は会社を罷め、私の希望の窓口もそれきり閉さされた。 その翌年、私が自衛隊に入隊したことと、この出来事とは、一見ものすごく関係があるよ うで実は全然ない。大学受験に失敗した私はただ食いつめて居場所を失い、全くの思いっき で兵隊になったのである。
41 無礼者について 私が子供のころ、啝只の町家にはまだ風呂を持っ家が少なかった。 内風呂のある家は近所の羨望の的であり、ましてや風呂付のアパートなんて聞いたことも なかった。 すなわち数百メートル四方に一軒の割合で銭湯があり、それがまたいつ行っても芋を洗う ごとく混雑していた。入浴という生活の一部を町内の全員が共有していたわけである。 そうした公共の場であるから、暗黙のが数多くあり、子供らは入浴のマナーを通じて公 殞徳を軈けられたのであった。 私の祖父などは銭湯で他人をどやしつけたり、よその子供を張り倒すことを日々の生き甲 斐としていた。そういうロやかましい老人が大勢いた。 彼らがことさら神経を尖らせるのは湯舟の中である。 無礼者について