入しており、気分はとみに高揚していた。 すんでのところで、「ワレ、なにさらすねん ! ーと言うところを、グッと講談社御用達の 知性で押しとどめ、なるたけ沈着かっ冷静に、毅然として言った。 「失礼ですが、ここは禁煙車ではありません。お気に障るのなら席を移られたらいかがです か」 しかし、タイプからして一言で黙りこくる相手だと思いきや、男はもっと毅然と抗弁して きたのである。 「だがね君、マナ 1 というものがあるでしよう。少しは遠慮したらどうです」 「ハッハッ、それは笑止千万。同じカネを払って公共の車両に乗っている私が、いったい誰 に遠慮しなけりゃならんのです。あなたこそ少しはマナーをわきまえなさい」 私は以後、徹底的に、容赦なく煙草を喫い続けた。もはや意地であった。 ところが男もさるもので、意地でも席を移ろうとはせず、徹底的に、容赦なくパタバタと て あおぎ続けるのである。 っ 名古屋で一群の会社員が下車し、グリ 1 ン車はガラ空きになった。 煙「もう京都まで止まりませんよ。どこにでも移ったらどうですか」 「なんで僕が移らなけりゃならんのだね。君こそ広い場所に行って喫いたまえ」 「このシートは私の権利です」
266 「はア、じゃねえんだよ。てめえがこんなとこで稼ぐゼニなんざ、クソの役にも立ちゃしね え。汗水流して働いて、今日も一日ごくろうさんてえ気分で銭湯でも行ってだな、帰りに吉 野家の牛丼でもかっこんでみやがれ。明日から世界はバラ色だ。聞いてんのかこのタコ」 と、つまり日ごろ原稿とりにタレるのと同じ説教をし、横ツッラを一「三発張り倒して店 を出た。ウソか誠かは知らんが、少年は私に問いつめられて、実はホモなんかイヤだ、本並ョ は女の方がいい、金のためにこうやって働いているんだと、驚天動地の告白をした。もしそ れが本心だとすると、まさしく見下げはてた根性である。綿的男娼、現代のと言わね ばなるまい 帰るみちみち考えた。少年たちを惑わすものはいったい何であろう。目的のためには手段 きようじ を選ばずという超合理主義。拝金思想とそれに伴う倫理の衰退。矜持そのものの欠 ~ 要す るに儒教的教育の否定により、皮肉なことに現代の宦官は造り出されたのである。そしてこ うした事実は、何も彼らに限ったことではなく、社会のどこにでも存在している。 「その気になったらいつでも電話しろ」と、私は少年に々を渡してきた。もちろん他意は だが、「その気」をどう解釈したものか、少年はいまだに時折、電話をよこす。べつだん 用事はなく、私の声を聴きたいんだそうだ。 何とかしてくれ。
その威力と必要性を説いて欲しいと思うのだが、どうだろう。 さて、武器の話はさておき、気になることがある。現地でわが自衛隊だけが「後方支援」 にあたるということを、各国の軍隊はどういう目で見ているのであろうか。 我々は「自衛隊」と称しているが、よその兵隊から見れば勝手にそう言っているだけとし か思われまい 「平和憲法に基く自衛隊なのだから危険な場所には行けません」という理由は、「親の遺言 なので営業には出られません」と言ってデスクにかじりついている勝手なやっ、と映るであ ろう。これでは炎天下に走り回る多くの営業マンたちのヒンシュクを買う。 そもそも「自衛隊」は、公式の英訳では "Self ・ Defense Force" という。「陸上」はこの 頭に "The Ground"' 「海上」は "Maritime"' 「航空」は "Air" が冠される。 かなり苦しい翻訳である。 "Self-Defense Force" は文字通りの強引な直訳だが、「防衛 軍」でもたぶん同じ訳になるだろうから、これを聞いた外国人がだからといって「俺たちと はちがうやつら」だと解釈するはずはない。 「陸上」の "The Ground" は、まあ名訳といえる。いわゆる "Army" とは違うんだゾ、 かなり苦 という感じがよく出ている。しかし "Navy" の代詞としての "Maritime" は、 しい。たぶん "The sea" では間抜けな感じがするし、 "Marine ( 米海兵隊 ) ごでは絶対に ャパいので、苦心惨憺の末 "Maritime" としたのであろう。仕方ないか。
事件」の被害者にならぬためには、何かしら言いわけをしなければならぬのだが、そうとな れば一一一一口葉より先にゲロのほとばしることは目に見えていた。しかも衆視の中である。 私はようやくうつろな目を開けて、大丈夫だというふうに肯いた。 「まだ生きてるぞ」と、誰かが言った。 ( そうじゃないんだ。俺は木更津まで借金取りに行って、帰りに船酔いしただけなんだ ) と、言いたいが一一一一口えない。もし川崎港にパトカーを呼ばれでもしたら、神奈川県警には知 り合いの刑事も大勢いることだし、ただでさえさまざまの事件を踏んでいる最中なのだ。 私はついに肚をくくった。面倒な言いわけは抜きにして、やおらすっくと立ち上り、勇猛 果敢な立ちゲ口を吐いたのであった。 ー・・・・・。・・食事中の方には深くお詫びをすると同時に、来たるべき鑒示湾横断道路の開通を、心 より祝一つ。
業界で一一 = ロうところの「クスプリ」である。てんで運に見放されて、張ろうが引こうがにつ ちもさっちも行かない低迷状態のことを、こう呼ぶ。基本的に生活や生命の保障がない業界 人にとって、クスプリにまさる脅威はない。 いったんこの状態に陥れば、なかなか脱出することは難しく、へたにジタバタすれば命を 落とすか大事件を起こすかに決まっている。しかも怖ろしいことに、業界の通説によればク スプリは伝染すると言われている。クスプリ・ウイルスなるものが実際に存在するかどうか は知らんが、思い当たるフシがないではない。 「あいつはクスプリだから、あまりつき合うなよ」と、周囲から忠告を受けていたにも拘ら ず、さる関西系業界人と親しくメシを食ったりバクチを打ったりした結果、咸簗したらしい のである。ちなみにそいつは、発症後一年ともたずに死んだ。 ということは、私を面倒見ていると言いつつ債権回収のために飼い殺しにしていた社長 は、ともかく勇気のある人なのである。なるたけ他の社員と接触しないように私を倉庫状の 別室に隔離し、もちろんまともな案件には参茄させず、コゲついた貸金の取り立てなんかを やらせていた。必然的にヤバい仕事をしなければならないのだが、まあ死にや死んだでい という感じであった。 クスブッた時にはなるべく動かず、絶対安静にして運気の回復を待っしかない。私は現物 弁済のガラクタが詰まった倉庫の中で、日がなゴロゴロとし、たまに夜討ち朝駆けに出て
z は夢のような成功と失敗の物語を冗談まじりに語りながら、どうだ、小説のネタになる だろう、と笑った。 「実はな、いま一緒にいる女に男ができてな。三人でメシ食ってきたんだ。俺は身一兀保証人 の、示のおじさんさ」 若い女に本命の彼氏ができて、逆上するのも大人げないから三人でメシを食う。よくある 話だ。しかし Z の身の上を考えれば、声を合わせて笑う気にはなれない。 「そこで、別れてやろうにも俺は無一文だから、手切金がわりにこいつをくれてやろうと思 うんだが」 と、 Z は造成地のただなかに止めたべンツの窓を叩いた。破産者が一千万円もするべンツ の 560 に乗っているというのはつまり、別れた女房か若い女の々我なのであろう。名義変 更はできないが現金で買ってくれ、と Z は暗に言っているにちがいなかった。要するに、 て ( だったら俺に譲ってくれよ、向こうだって現金の方がよかろう ) 、と私が言い出すのを期待 にしているのである。しかし残念ながら今の私は、べンツとメザシの見分けもっかなかった極 道ではない。物書きという職業がこれほど金にならぬとはツュ知らず、そうかと言って今さ 「ら引き返すわけにもいかず、かっての栄華と比べれば生活はほとんど破産者のそれに等し ゝ 0 おそらく z は、女の心変わりにいよいよ進退きわまって、唯一の資産であるべンツを何と
さる年、集団第式を挙行して人々を驚愕させた教団も、また若い。音不明のシュプレ ヒコールを上げて出版社を攻撃したりする教団も若者ばかりである。しばしば保険の勧誘の ごとく門付けに現れ、駅頭にパンフレットを掲げて常立する教団は、前者より多少とうはた っているが、それでも一家の主婦、もしくは亭主と覚しき若さである。 不可解である。信仰を通じて子供らに倫理観や性を扶植する方法は正しいと思う。老人 が信仰によって人生を完結する方法はもちろん正しい。しかし自らの汗によって家族を養 い、かつ自らも生きねばならない青壮年がかくも宗教に没頭することが、私には全く理解で きないのである。 しかし、不可解をそのまま捨ておくのは男の恥であるから、私はつらつら考えた。なぜ若 者が信仰に走るのか。 第一に考えられることは、何だかんだ言ってみなさん幸福なのである。さして汗水流さな くとも、生活の保障と生命の安全が約束されているから、信仰に目が向くのである。 て なぜこのようにミもフタもないことを言えるのかというと、私の場ム只神仏に頼る余裕も っ よゝまどシリアスかっデンジャラスな青春であったので、あえてこう言い切るのである。 佩かいつまんで言うと、前述の平和な家庭は私が九歳の時に突然崩壊し、一家離散の憂き目 を見た ( この点についてもバチが当たったのだとは思わない ) 。で、浮草のごとき流転の末、 十五で自活を始めた。やがて悪業三昧のあげくに自衛隊に逃けこみ ( この点については三島
( このやろう、そのために残業していたな ) と、私はとっさに考えた。出入杢にたかるの は彼らの習性なのである。 たまたま翌日が系列店のゴルフコンペだったので、それを理由にして私は誘いを断った。 彼は何だかなごり惜しそうに、駅までの道をついて来た。冬の夜更のことで冷えるのは当 り前なのだが、彼はみちみち「寒い寒い」と言い続け、しきりに体をわせていた。 そんなしぐささえも、「寒いから一杯やって行こう」と未練がましく言っているように思 えて、私は全く意に介さず、とっとと改札をくぐった。 帰らないんですか、と訊くと彼は、一人で飲んで行く、と答えた。そしてなぜか、階段を こがらし 昇って行く私を、ずっと見送っていた。凩の鳴る踊り場で振り返って、ずいぶんしつこい やつだな、と思った。 翌日は系列店の共通店休日で、早朝から行きたくもないゴルフコンべに参茄しなければな らなかった。一日中おべんちゃらを言い続け、いちいち「ナイスショット ! 」の連呼をしな ければならない、つまらぬゴルフだ。 おどろ ーフを回って昼食をとったとき、同席したバイヤーがふいに愕くべきことを言った。 「そうそう、知ってるかい。ゅうべ〇〇店の店員が飛び込み自殺したんだと」 一瞬、私はかなり確信的に昨夜の出来事を思い出した。 「残業した帰りにさ、酔っ払って線路に飛び下りてね、バンザイして電車に走ってったんだ
を第一義に考えた。週休一一日制など夢物語の時代である。小説を書くには何よりも時間が必 要なので、ふつうの勤め人は適当ではないと思い、ふつうでない勤め人になった。 ふつうでない、とは、多少の身体的リスクを伴ってもそのぶん時間の余裕があり、なおか っ実入りの良い職業、というほどの意味である。 こうした都合の良い条件に適合する仕事というと、つまり、借金取りとか、用心棒とか、 私立探偵とか、ポッタクリバ ーの客引きとか、ネズミ講の講元とかいう限定を必然的にうけ るのである。 まずいことには、どうしたわけかこの手の職業もおあつらえ向きに似合ってしまった。 以来苦節一一十年、その間セッセと書いた甘い恋愛小説は、ナゼかというか当然というかい っこうに日の目を見ず、講談社主催の懸賞小説もことごとくボッとなり、皮肉なことに斬っ て た張ったの実体験集が私のデビュ 1 作となった。 っ 小説家になるために小説のような人生を歩んでしまったと先に述べたのは、つまりこうい 緯 経うことである。 っ 。な う「さまざまの経験をふまえて、ゼヒ面白いエッセイを : : : 」 と、どうやら本物の講談社社員であるらしい男は言った。 一一一一口うのは簡単だが、出版社員と刺客との半別に恐々とするような人生を今さら振り返るこ
ってよーーああ、そう一一一一口えばおたくも〇〇店には入れてるんだろ、なら知ってるよな、 x x って若い担当」 もはや名則を聞くまでもなかった。なにしろ遅くまで残業をしていた店員は、彼ひとりだ ったのだから。 や、そんなことはどうでもいいのだ。彼はあの晩、如才ない 彼の死の理由は知らない。い たいして親しくはないがいつも冗談ばかり言って女子店員を笑わせる 出入金名のひとりに、 のがお得意のひとりの男に、何ごとかのつびきならぬ相談を持ちかけようとしたことは確か なのだった。 金の無心であったのかもしれない。失恋の痛手を語りたかったのかもしれない。仕事上 の、たとえば売上ノルマとか人係にんでいたのかもしれない。 しかしそんな理由などどうでもいいのだ。ともかく私は命の相談を袖にし、とりあえずは つながるはずの彼の生命力を、そうとは知らずに断ち切った。そのことにまちがいはない。 て さきに「死に損なった経験は忘れてしまうが、死なれた記憶は忘れ難い」と、私の言った っ のは、このことである。 命以来、一一度とその店に足を運ぶ気にはなれず、取引もやめた。 十何年を経た今ですら、買物に行くことなどもってのほか、その駅に下り立っこともしな