商魂たくましい私はそれまでにもヒマにまかせて「成功のペンダント」「成功の黄色いノ ンカチ」「成功のスタミナドリンク」等を説明会場の受付で販売し、ポロ儲けをしていたの である。 かくて私は自信満々に一個三千円もするバカでかいクリスマスケーキを四百個も注文し た。一一十年前の三千円のケーキといえば、どのくらいデカいか想像できるであろう。ちょっ としたウェディングケーキなみのデカさである。これに名一一一口集を綴った即製の小冊を添え、 三千九百円で売る。しめて三十六万の儲けと踏んだ。 ハタークリームにするか生クリームにするかと店長は訊いた。当然数日前から完売を期し て売り出すので、バタークリームが良いと答えた。コストが下がった分、ケーキはさらに一 回りデカくなった。 イプの数日前に納入されたケーキの山は説明会場を埋めつくすほどの量であったが、マル チ商法では派手こそ美徳とされていたので、上司や他の幹部たちもたいそう喜んだ。百一一十 万円の代金を受け取ったアマンドの店長はもっと喜んだ。 説明会場に出入りする人間は日に千人は下らない。クリスマスにはみんなケーキを食う。 どうせ食うなら「成功のクリスマスケーキ」を食うであろう しかし、この目論見はモロにはずれた。理由は自明である。第一にデカすぎた。第一一に高 すぎた。第三に、クリスマス・イプの説明会場は当然のことながらガラ空きであった。
マルチ商法については今さら説明することもあるまい。ネズミ講状の組織で商品を販売 し、ごく一部が大儲けをする商売のことである。 なにしろその被害のために法律までできたほどなのだから、これは儲かった。一攫千金を 夢見る老若男女が説明会場から溢れ出し、近所の喫茶店を昼夜わかたず占拠してしまうとい う有様であった。 わずか数カ月の間に中堅幹部に出世した私には、黙っていても金が入ってくることになっ た。仕事らしい仕事といえば、傘下セールスマンたちのたむろする「アマンド」に行って、 やれカーネギーだのナポレオン・ヒルだののクセえ受け売りをカマし、妙に有難がられるこ とぐらいなのだ。 私も儲かったが「アマンド」はもっと儲かった。急に売上が倍増したので、店長が表彰さ りようしゅ、つ れたという噂であった。通称「アマンドグループ」の領袖である私とその店長とは、何だ か共犯者のような関係であった。 江そんなクリスマスも近いある晩、アマンドに「出勤」した私に、店長が手もみしながらす つり寄ってきた。傘下の比にクリスマスケ 1 キを買ってもらえないか、と一一一口うのである。 夜アマンドのケーキはうまい。たとえばそのうまいケーキに「フォー ・ユア・サクセス」な んて文句をデザインし、「成功のクリスマスケーキ」とか称して売れば、またまたお互い儲 かるであろうと、一一人の意見は一致した。
など ば「おはよーさん ! ーなんて気易く挨拶していた人物に、今さら「実はわたくし : ・ と言えるはずはなかった。 さらに年月は経つ。「あんた、若いのによくお金が続くねえ」などと言われながらも、今 さら避けるのも変なので、私と山口さんとの縁は続いた。 まずいことに、というか何と一一 = ロうか、そのうち私の小説がポッポッ売れ始めた。単行本も 出た。山口さんが「週刊新潮」にえんえん三十年以上も書き続けているように、私も「週刊 現代」にエッセイを書くことになった。 文壇パーティに行けば、まず何よりも先に山口瞳先生の姿を探さねばならなかった。そう いう場所でバッタリ出くわせば、いったい何と説明して良いかわからないし、あちらもさぞ 仰天するであろう。しかし、幸か不幸かその機会はなかった。 私は結局、何も言い出せぬまま、週末の競馬場で「おはよーさん」と挨拶をし、小走り 去って行く後ろ姿に向かって、最敬礼をした。文壇における山口さんは、私のような新人か らすれば直立不動で接しなければならない雲の上の人である。だが長い間顔を合わせてきた 競馬場で態度を改める勇気は、どうしても湧かなかった。 親しい編集者に事情を説明すると、そりやまあかなり苦しいだろうけど、正体がバレるの は時間の問題なのだから、ちゃんとご挨拶しておくべきですよ、と言われた。しごくもっと もである。
129 金玉について 泣きながら笑っていた。翡弩」もごもに谷れるは、まさに「金玉の人徳」というべきであ ろう。 救急車を呼ばうと一一 = ロうと、松ちゃんは泣きながら、それだけはやめてくれと懇願する。隊 員たちが金玉の人徳にふれたときの愕きと爆笑を想像すると、たしかにその気にはなれなか った。仕方なくセデスを飲ませたり氷で冷やしたりしたのだが、いっこうにおさまらぬばか りか苦痛はいや増して行く。 一計を案じ、やはり近所の豪華マンションに住むマルチ幹部の君を呼び寄せた。君は 当時、日体大の学生でもあり、体も大きく頼りがいがあったからだ。 松ちゃんが大変だというと、義侠心に厚い体育会系成金はパジャマ姿で飛んできた。しか し電話では何の説明もせず、また説明する気にもならなかったので、君は松ちゃんの病変 をひとめ見たなり「わー ! 」と叫び、身もだえして笑った。 親しくしているいい病院があるという。先生も看護婦もすごくいい人で、ぜったいに笑っ たりしないからすぐに行こう、と << 君は言った。 腰に毛布を巻き、何とか君の車まで担ぎこんで、その日体大御用達とかいう世田谷の病 院に向かった。当然外科医院なのだろうが、なぜかその手の病にも経験は豊かであるらし い。みちみち私たちは松ちゃんが唸るたびに笑い、松ちゃんは泣きながら笑い続けた。 救急と称して処置室に横たえたときには、患者はすでに意識も定かでない込態であった。
107 奇習について 一朝、机上のまどろみから覚めて幽鬼の如く書斎をよろばい出ると、食卓が常ならぬ賑わ いであった。 寝床に入らぬ日が一週間も続いていた。机に向かったまま、眠くなれば座椅子を倒して数 時間昏睡し、ハタと員見めて仕事をする。その繰り返しであった。 見れば家人も娘も老母も、なぜかみなよそ行きのなりをしている。覚めきらぬままに変事 を予感し、「ど、どうした。何かあったのか」と訊くと、ロを揃えて「おめでとうございま す」と一一一一口う。 とうとう念願の直木賞候補の報せが来たのだと思い、「やった、やった」と着物の前のは だけるのもかまわず狂喜した。 家人は説明するのも面倒だとみえて、テレビのスイッチを入れた。たちまち、典雅なこと 奇習について
217 アイドルについて そういう結果になった。 だが私の説明が説得力に欠けていることは一一一一口うまでもない。小説を書いているだの、・ョ は小説家になりたいだのなどという話は、ロがさけても一一一一口えなかったし、仮に言ったところ で真に受ける仲間は誰もいなかっただろう。 Z は憮然として言った。 「要するにおまえも、ヤキが回っちまったってことだな」 「まあ、そういうこった」 私たちの商談は決裂した。メシでも食って帰ろうとべンツに乗り、当然のようにテレサ・ テンのカセットを入れた。 「だからお願い、そばに置いてね : : : か」 こうりよう べンツは荒寥とした造成地を去った。何となく振り返ると「リラの丘」のシンポルになる はずだったライラックの巨木が、紫色の花をたわわに咲かせていた。 テレサ・テンが死んだ。 彼女は私たち悪いやつらにとって、まさしくもうひとりのマザ 1 ・テレサ、そしてもうひ とりの鄧だった。
124 一、少人数で崩洛した伊丹駅舎の救出に向かったという記事があるだけである。 政府の不見識、自治体の躊躇、自衛隊の不適切な用兵ーーともあれこの三つの謎がもたら ′」うか した七時間の空白の間に、老いた父母は絶命し、子供らは泣き叫びながら業火に焼かれた。 なすすべもなく父母の名を呼び続け、あるいは生けるわが子の上に押し寄せてくる炎をた だ呪うしかなかった親には、憲法も自衛隊法も、選挙も政争もありはしない。そこには生と 死しかなかった。謎を合理的に説明して欲しいと思うのは、ひとり私ばかりではなかろう。 豪雨の中に仁王立ちに立って、「市ヶ谷は遅い ! 」と怒鳴った施設隊長の姿が目にうかぶ。 一一十数年前のあの夜、ほんのささいな鉄砲水に対して自衛隊を動かしたのは、田中角栄内閣 であった。 私の最も嫌悪する政治家の実力に思いをいたせば、とまどいを禁じ得ない。
317 あとがきにかえてただいま護送中 私は今、軽井沢に向かう列車の中でこの原稿をしたためている。 新緑に包まれた別荘でゆっくりと恋物語を書く。というのはマッカな嘘で、いつまで たっても約束を果たさぬ作家に業を煮やした某社の手で、拉致されたのである。べテラ ン刑事のような編隹杢旧と、婦警のような担当者が左右をかためている。 いっかはこうなると覚悟を決めて身辺整理はしていたのであるが、「勇気凜凜ルリの 色」のあとがきをコロッと忘れていた。先週中にファックスを入れる約束が、三日連続 して銀座でウーロン茶を飲んでしまい、昨日は早朝からナリタブライアンを見に行って しまい、あげくの果てに、何だか刑事さんの恩情にすがる感じで、今生のなごりみたい な原稿を書いているわけだ。 つまらぬ状況説明はさておき、このたび本稿が単行本として上梓される運びとなった あとがきにかえてただいま護送中
ってノイロ 1 ゼになるようなタマではない。 ご存知の通り、自殺する人間は一年に一一万人もいる。しかも警察当局には「民事不介入、 という基本原則があるので、法医学的な実証がなされない限り、自殺を他殺と仮定して捜査 を開始するなどということはない。逆に言えば、医者の目から他殺と見破れない自殺なら、 事件になることはないのである。 さて、どのようないきさつであれ、人が死ねば葬式が出る。困ったことには順序からして も、この気の毒な経理担当者の葬儀はゴタゴタの真最中 ( というより頂点 ) で行われること になる。 第たちは全員出席しなければならない。理由は自明である。右はすなわち容疑者 だから、欠席すれば何を言われるかわからず、またそれぞれてめえのアリバイを説明する必 要もあるので、万難を排しておくやみに出かけるのである。 当然、この種の葬式のしめやかさといったらただごとではない。 て もちろん何回かに一回は、个ョのノイローゼによる自殺や心臓発作もあるが、この場合で っ も自殺を示唆または強要したやっ、あるいは心臓が止まるぐらい脅かしたやつが会葬者の中 に必ずいるので、しめやかさにおいては変りがない。 ゝんぎん 前述したように第は紳士である。彼らの懃な挨拶や、歯の浮くようなおくやみの言 葉により、葬儀のしめやかさはいや増す。
世界の終りのような苦悶に良く耐えた。 股間はすでに張り裂け、ぐしゃぐしやに潰れているかもしれぬ、と思った。もしこれで世 を去るとしたら、何という不様な死に方であろうと思った。葬儀に際して、家人はいったい どういう説明をするのであろう。まさか八王子の駅前でガードレールを踏みはずし、キンタ マをつぶして死にました、とは一一 = ロえまい。母は先立っ息子の、こんな不孝を許すであろう か。聡明な一人娘は、尊敬する父の遺影と、キンタマ壊滅による不慮の死について、生涯を てなことを考え続けるうちに、ほんの少しずつで 思い悩みながら生きることとなろ一つ。 はあるが苦痛は和らいで行った。 ともかく呪いのガードレールから片足をはずしたが、その場にしやがみこむわけにも行か ない。そこで私は気力を振りしばってよろばい歩き、目の前の書店に入った。 何も今生の見おさめに、わが著書に触れておこうと考えたわけではない。書店はしやがめ るのである。 て 新書本の棚の下で、適当な一冊を手にしたまま私はしやがみこんだ。そっと股間をまさぐ っ ると、有難いことに健在であった。喜びとともに一瞬、 ( 齢かな : : : ) と思った。 化とっさに手にした本が、永六輔の「大往生」であったことは、奇縁である。