れから、しばらくすると、奴は電燈を消しやがった。あたりを見回して、僕がどこにいるかをたしか めようともしないんだぜ。 表の通りは気が滅入りそうな感じだった。自動車の音さえ、もう聞こえないんだ。あんまり寂しく てやりきれなくなったんで、アクリーを起こしてやれという気になったくらいなのさ。 「おい、アクリー」僕は、シャワーのカーテンの向こうにいるストラドレーターに聞こえないよう 小さな声でそう言った。 ところがアク リーには聞こえないんだな。 「おい、アクリー ! 」 それでも奴には聞こえない。石みたいに眠ってやがんだよ。 「おい、アクリ 今度は聞こえたようだった。 「いったいどうしたっていうんだ ? 」と奴は言ったね。「おれは寝てたんだぞ」 「あのな。修道院に入るにはどうしたらいいんだ ? 」そう僕は言った。僕は修道院に入ることをな んとなく考えてみてたんだよ。「カ トリックやなんかにならなきゃいけないのか ? 」 「きまってるしゃないか、カトリックにならなきやだめさ。馬鹿野郎、おれを起こしたのはそんな くだらねえことをきく 「わかった、わかった、さあ寝ろよ。とにかくおれは入りやしない。 とかく運には恵まれねえおれ
ところが、かなり長 思うんだ いや、思うどころか、そうなことを実はちゃんと知ってんだよ いことっき合っていながら、一度もからかったことのない相手だと、いまさら簡単にからかえないん だな。それはともかく、ジェーンと僕が抱擁一歩手前というとこまで行ったあの日の午後のことに話 を戻そう。すごく雨が降ってたけど、僕たちが彼女の家のヴェランダにいると、そこへ突然、彼女の っしょになったあの飲んだくれが出て来て、家のどこかに煙草はないかってジェーンにきい 母親がい たんだ。この男のことは、僕はあまりよくも何も知らないんだけどね、見たとこ、何かほしいもので もあるときでなきや、人に話しかけたりしないタイプの男みたいだった。いやな野郎さ。とにかくジ エーンは、煙草のありかを知らないかってきかれても、返事をしなかった。そこでそいつはまたきい たんだな。ところがジェーンはそれでも返事をしない。チェッカーから顔を上げさえしないんだ。し いったいどう まいにそいつは家の中へ引っ返して行ったけどね。そいつが中に入ったとこで、僕は、 したんだと、ジェーンにきいたんだ。ところが、ジェーンは僕にさえ返事しないんだな。チェッカー の、次に打つべき手やなんかを、一心に考えてるようなふりをしてんだよ。そのうちに、いきなり涙 がひとつ、チェッカーの盤の上に、ポツンと落ちたんだ。赤い桝目の上にねーーーーチキショウ、今でも 目に見えるようだな。彼女はそれを指で盤にすりこんしまった。どうしてだか知らないけど、それで 僕はすっかりあわてちゃったんだ。そしてどうしたかというと、立って行って吊り椅子に坐ってるジ ほんとを言うと、彼女の膝の上に坐っ エーンを少し横にどかして、その隣に並んで腰かけたんだ たみたいなもんだったな。すると彼女は、本当に泣き出したんだ。そして僕は、気がついてみると、 ますめ 124
ともその女の人 ? 」って言うんだな。そして僕たちが、誰がそう言ったのか教えてやると、あいつは 「そう」って言って、また黙って聞いてやがんだよ。アリーもあいつには参ってたね。参ってたって、 つまり、好きだったっていう意味だよ。今しゃ十だから、もうそんなちっちゃな子供しゃないけど、 でも、まだ、誰だってあの子には参るだろう とにかく、センスのある人なら誰だって。 とにかくあいつは、いつだって電話をかけてみたくなる相手なんだ。しかし、僕は、どうもおやし かおふくろが電話 ( こ出そうな気がしたし、そうなれば、僕がニューヨークにいることや、ペンシーを おつほり出されたことやなんかをかぎつけられそうで心配だったんでねえ。とにかくワイシャツを着 ちまったんだ。それから、すっかり身支度を整えたとこで、エレベーターに乗って、ロビーがどんな ようすか見に下りて行ったんだ。 だんしよう いんばい ロビーは、男娼みたいな男が二、三人と、淫売みたいな女が二、三人いるだけで、ほとんどからっ ばだったな。しかし、《ラヴェンダー ・ルーム》からはバンドの演奏が聞こえて来る。そこで僕は、 そこへ入って行ったわけさ。たいしてこんではいなかったのに、僕が案内されたのは、とにかく、ひ どい席だったよーーーずっと奥のほうのね。ヘッ ・ウェイターの鼻先で一ドル札でもふりまわしてや うそ りやよかったんだ。ニューヨークでは、金がほんとにものを言うんだからなー・ー嘘しゃないんだよ。 ハンドは鼻もちならなかった。バディ・シンガーだけどね。とても派手なんだけど、いい意味の派 なか 手しゃなくて、田舎くさい派手さなんだな。それにまた、その部屋には僕ぐらいの年格好の人間はほ 9 とんどいないんだ。実をいうと、一人もいないんだよ。たいていが、女連れの、得意然とかまえた年
僕は、ペンシーを出てから一財産使っちまった勘定になる。それからどうしたかというとだな、僕は かた 潟の近くまで行って、二十五セント玉と五セント玉で水切りみたいなことをしたんだな、凍ってない とこでさ。どうしてそんなことをやったのか自分でもわかんないんだけど、とにかくやったんだ。た ぶん、そうすれば肺炎にかかって死ぬってことを、頭から払いのけられるだろうと思ったんしゃない かな。でも、だめだったけどさ。 僕は、もしも肺炎になって死んだりしたら、フィービーがどんな気持になるだろうと、そんなこと を考えだした。いかにも子供つほい考え方だけど、しかし、やめようと思ってもやめられないんだな。 そんなようなことが起こったら、フィービーは、さぞかし、いやな思いを味わうだろう。彼女は僕に とても好意を持ってるんだから。好意って、つまり、僕のことをとても好きなんだよ。ほんとなんだ。 とにかく、そのことが頭から離れないもんだから、しまいに僕は何を考えたかというと、死んだりな んかしちゃいけないから、その前にこっそり家に帰って、彼女に会ったほうがい、 、と思ったんだ。僕 かぎ は自分用にうちのドアの鍵ゃなんかを持ってたし、どうやるかというと、こっそりとうちにしのびこ やっかい んで、しばらくフィービーとおしゃべりでもすれば、それだけでいいと思ったんだ。ただ一つ厄介な のはうちの入口のドアなんだな。こいつが馬鹿みたいにきしるんだよ。ずいぶん古いアパートな上に、 管理人がなまけ者ときてるんで、何もかもガタガタキイキイいいやがんだ。しのびこむときに、おや しかおふくろに聞きつけられやしないかと、そいつが僕には心配だった。でも、とにかくやってみよ うと決心したわけさ。
それからある事が起こったんだよ。そいつはロにするのもいやなことなんだ。 僕はいきなり目をさました。何時かも何もわかんなかったけど、とにかく目をさましたんだ。頭に 何か、人間の手みたいなものがさわったような気がしたんだよ。いやあ、驚いたね、僕はほんとに胆 をつぶしたな。それが実は、アントリーニ先生の手だったんだよ。先生が何をしてたかというとだね、 真暗な中で、寝椅子のすぐそばの床の上に坐って、僕の頭を、いしる 0 ていうか、撫でるっていうか、 そんなようなことをしてたんだ。いやあ、ほんとに僕は、一千フィートばかしも跳び上がったな。 「何をしてるんですか ? 」と僕は言った。 「何もしてやせんよ ! ただここに坐って、なんてきれいな 「とにかく、何をしてたんです ? 」僕はそう繰り返した。なんと言 0 ていいのか、わからなか 0 た んだーーーすっかり転倒しちまってたんだよ。 「そんなに大きな声を出さなくても、 ししたろう。僕よこ、、こ、 ( オオここに坐ってーーー .- 」 「とにかく、僕は行かなきゃなりませんので」僕はそう言った いやあ、すっかりおびえちまっ たんだよ ! 暗がりでズボンをはき出したけど、なかなかうまくはけないんだ、すごくおびえちまっ てたもんだから。学校やなんかで僕は、君がこれまでに会った誰よりも多く変態野郎を知ってるつも りだけど、そいつらがまた、僕のいるときにかぎってへんなまねをしやがるんだ。 「行かなきゃならないって、どこへ行くんだ ? 」とアントリーニ先生は言った。先生はすごくさり 9 げなく、落ちついた態度やなんかを示そうとしたけど、落ちついてなんかゼンゼンいなかったのさ。
に手をあてがって息を吐いて、息が鼻穴のほうへ行くようにすればいい。たいしてくさくないようだ ったけど、とにかく歯は磨くことにした。それからワイシャツもきれいなのに取り替えた。売春婦や なんかのために、おめかしする必要はないことぐらいわかってたけど、そんなことでもとにかく、な んかやることがほしかったんだ。多少不安だったんだな。かなりセクシーな気持ゃなんかになっては 来たけど、それでもやはり不安だったんだ。実を言うと、僕はまだ童貞なんだよ。ほんとなんだ。童 貞ゃなんかを失いそうな機会はずいぶんあったけど、でもまだそこまでは行ってないんだ。きまって、 なんかが起こるんだな。たとえば、女の子の家にいるとする。そうすると、きまっておやしさんかお ふくろさんが予定と違った時間に戻って来るーーあるいは来そうな気がするんだ。また、誰かの車の 後ろの席にいるとするだろう。そんなときには前の席に必ず誰かの相手ーーーって、つまり女の子だけ どさーーーそれがいて、いつもその車全体のようすを知ろうとするんだな。つまり、前の席の女の子が、 こっちを気にして振り向いてばかりいやがるってことさ。とにかく、必ず無事にはすまないんだ。で も、あとほんの少しでそうなりそうだったことは二度ばかしある。特にその中の一回は、今でも覚え てるな。しかし、なんか具合の悪いことがあったんだーー・それがなんだったか、今しやもう覚えてな いけどさ。実をいうと、女の子と・・・・、ーといっても、淫売やなんかしゃない女の子だぜ , ーーもう少しで そうなりそうなとこまで行くと、たいていの場合、女の子のほうで、やめてくれって言いつづけるん だな。僕の困ったとこは、そこでやめちゃうんだよ。たいていの奴はやめないけど、僕はやめないで はいられないんだ。果たして女の子が、本当にやめてもらいたいのか、ただ、ひどくおびえてるだけ 144
競技場〈下りて行かなか 0 たもう一つのわけはだな、歴史の先生のスペンサーさんに、僕、お別れ を言いに行く途中だ 0 たんだ。先生は流感やなんかにかか 0 ちゃ 0 たんでさ、クリスマスの休暇が始 、こ、という手紙 まる前に会うことは、この先もうないだろうと思ったんだ。僕がうちへ帰る前に会しオし を先生からもら 0 てたのにさ。先生は、僕がもうべンシー、戻らないことを知 0 てたんだな。 そのことを言うの忘れてたけど、僕は退学にな 0 たんだよ。クリスマスの休暇が終わ 0 ても、学校 とかなん 、は戻らないことにな 0 てたんだ。四課目お 0 ことしちゃ 0 て、しかも勉強する気がない、 とか言いやがんだな。勉強しろという注意はちょいちょい受けてたんだけどね、ーー学期の中頃には特 に、両親がサーマーの奴に呼びつけられたりなんかしてさーーところが僕は勉強しなか 0 た。そこで お 0 ばり出された 0 てわけだ。ペンシーしゃよく生徒のとこをお 0 ばり出すんだよ。とてもいい学校 ってことになってんでね、ペンシーは。本当なんだ。 とにかく、十二月かなんかでさ、魔女の乳首みたいにつめたかったな、特にその丘の野郎のてつべ ーシプルのオー ーを着てただけで、手袋も何もしてなかったんだ。その前の週に、 んがさ。僕はリく ーを、ポケットに毛皮の裏のついた手袋を入れたまんま、僕の部屋においといたのを、 ラクダのオー : 、、つばいいやがんだよ。すごい金持の家の子 誰かに盗まれちゃったんだ。ペンシーにはかつばらし力、 ( ししやがったな。ぜいたくな学校になればなるほ が大勢いたんだけど、とにかくかつばらいは、つ、、 とにかく、僕は、そのイ ど、かつばらいも多くなるんだーーー本当だよ、ふざけて言ってんしゃない。 カレタ大砲のそばにつ 0 立 0 て、ケツももげそうなくらい寒い中で、下の試合を見てたんだ。とい 0
ういうことだか」 「まあ、とにかくね、あたしも美容のために睡眠をとらなきゃいけませんし。ご存しでしよう、ど 「いっしょにカクテルを一杯ぐらいはいいんしゃないかと思ったもんで。まだそんなにおそくはな 「まあ、そういっていただくのはうれしいのよ。どこから電話かけてるの ? とにかく、いまどこ にいらっしやるの ? 」 「僕 ? 電話ポックスですよ」 「まあーと、彼女は言ったが、それから長いこと言葉がとぎれた後で「あのね、コーフルさん、そ のうちにぜひお会いしたいと思うわ。あんた、とても魅力的な感しなんですもの。とても魅力的な方 のようだわ。でも、今夜はほんとにおそくって」 、ナどね」 「あんたのとこへ行ってもい、冫 「ええ、ふだんならね、それはステキって言うとこなんだけど。つまり、あんたがカクテルを飲み に寄ってくださったらほんとにうれしいんですけどさ、でも、同し部屋にいる友達がいま病気なのよ。 今晩は彼女、ずっと一睡もしてなかったの。それが、ついさっきまぶたを閉したばかりなのよ。ほん となの」 「ほう。それはいけませんね あした 「あんた、どこに泊まってらっしやるの ? 明日なら、たぶん、カクテルのおっき合いができると いんだし 104
ーテイへ連れてつ ンストンの男から聞いてたわけだ。一度彼は、その女をプリンストンのダンス・ たところが、そんな女を連れて来たというんであやうくみんなから放り出されそうになったというん だな。前 ( ( ノーかなんかをしてたんだそうだ。とにかく、僕は、電話のとこへ行って、そ の女のとこへ電話をかけたんだ。女は名前をフェイス・キャヴェンディシュといって、住所はプロ アームズ・ホテル。はきだめみたいなとこだろ、きっ ードウェイ・六十五丁目のスタンフォード・ しばらくは、留守かなんかなのかな、と僕は思った。いつまでたっても誰も電話に出ないんでね。 そのうちにとうとう誰かが受話器を取ったんだな。 「もしもし」と、僕は言った。女から年やなんかを疑われないように、わざと太い声を出しちゃっ てさ。だいたい僕の声はかなり太いほうなんだけどね。 「はい」と女の声が聞こえたよ。あんまり愛想のいい声しゃなかったね。 「フェイス・キャヴェンディシュさんですか ? 」 「だあれ、あんた ? 誰なのさ、こんなとほうもない時間に電話をかけてよこしたりして」 これには僕もいささかおそれをなした。「あのね、おそいことは承知なんですがね」僕はそう言っ おとな た、うんと大人っぱい声なんか出しちゃってさ。「あんたは許してくれるだろうと思って。とにかく あんたと連絡をとりたくてたまらなかったんですよ」すごくものやわらかな口調で僕はそう言った。 本当だよ。 101
舞台や戯曲や文学やなんかのことをすごくい 0 ばい知 0 てたからなんだ。そういうことをい 0 ばい知 0 てる相手だと、さてこれが本当は馬鹿なのかどうか、短い間にはわかるもんしゃないぜ。僕には、 とにかく、何年もかか 0 たな、サリーの場合なんか。もしあんなにいちゃっいたりしなか 0 たら、も 0 とず 0 と早くにわか 0 たろうと思うけど、僕の一大欠点は、自分がいちゃっく相手の子を、みんな 、と、いつだって思 0 ちまうんだ。それとこれとは何の関係もないことなのに、やつば す、こく一がいし し僕は今でもそう思っちまうんだな。 とにかく僕は彼女に電話をかけたんだ。最初は女中が出て、次に彼女のおやしさんが出て、それか ら彼女が出た。「サリー ? 」と僕は言った。 「ええ、そう , ーーそちらはどなた ? 、彼女はそう言 0 た。ぜんぜんインチキなんだ。僕は彼女のお やじさんにこっちの名前を言ってあったんだもの。 「ホールデン・コールフィールドだよ。元気かい ? 」 ええ、元気よ。あなたは ? 」 「まあ、ホールデンなの ! その、学校のほうだけど 「元気だ。ところで、君、どんな具合 ? 「なんともないわ。つまりーーーわかるでしょ ? 「よか 0 たね。ところで、話があるんだ。君は今日忙しいかな、 0 てさ 0 きから思 0 てたんだがね。 日曜だけど、日曜だ 0 てマチネーは一つ二ついつもや 0 てるだろう。慈善興行とかなんとかさ。どう、 っしょに ~ 行かない ?