切目王子 - みる会図書館


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1. イラストマップ 熊野古道を歩く

上野王子跡 切目王子跡 『紀伊続風土記』に「古 神像が五体あることから 道の側にあり、上野王子 五体王子または御所王子 、ヾ。虎 , 掛の旧地なり、井戸に仏 3 とも呼ばれ、歌会など催 体あり、是古の王子の本 されることもしばしばで 地仏にして、回禄に罹り あったという。平清盛が 熊野詣での途中、平治の、 : ク し時没したるなるべし」 乱を伝える早馬が追い付し と記されている。井戸依 の仏像は、地蔵菩薩、阿 いたのが切目、早速に清み 弥陀如来、観音菩薩を 1 盛は戦勝を祈願した。戦 に敗れ、紀伊路へ逃れた第 メートル位の石に刻み、 それを最下段にして石を ) 大塔宮護良親王も、この 積み上げている。この井切目王子に詣で、切目川 戸の水を年 2 回、全部汲 沿いの道をとって更に奥 み出して清めをしている 深く逃れた。境内にはナ ギの老樹、ホルトノキが という。 ある。 0 、 、、广森側 停 光 兀村、 9 塩屋から切目王子跡 ロ塚 よ野主子 切目王子跡

2. イラストマップ 熊野古道を歩く

地仏とみられる仏像三体が井戸の中に積み一本釣りや鰹節の発祥地として栄え、その ■メモ 込まれている。この井戸は、どんなに日照技術が世に有名な土佐の一本釣りの漁法へ ・『太平記』には「大塔宮の熊野 りが続いても減ることはなく、・ とんなに雨と受け継がれていった。しかし、なぜ、 落ち」として、ここ切目王子の社 が降っても増水することもないと言う不思っ鰹船が、この印南港から姿を消してしまっ 前で逆臣討減を終夜祈念する。早 朝少しまどろんだ霧の中に、髪を 議な井戸である。 たのだろうか。その一つの理由に鰹節で世 古代風に結った童子が現れて、 古道に戻り再び南下、三百メートルほどに聞こえた角屋の一人息子と、角屋に仕え 「熊野三山を目指すことは危ない、 で上野王子跡に達する。上野橋を渡り楠井る女中の悲恋話が語り継がれている。 これより行き先を十津川に入れ」 野の集落をぬけて印南町に人る。この辺り やがて、こんもり茂った森の中に斑鳩王 とさとす。宮はこれを熊野のお告 からの道は街道随一の景観を謳われたと一」子神社の小社が祀られている。 げと大変喜び、これより十三日を ろで、おだやかな丘陵地帯のあちこちに海王子神社の石段を降り立ち、再び国道と かけて、日高の奥へと山に分け入 岸段丘が発達し、海の広がりに目を奪われ合流、六百メートルほど進んだところで、 る。飢えをしのぎ、悪路に耐え、 る。やがて、道が左に大きくカープし、左手左に折れると切目神社の森がすぐ目の前と ようやく危難を逃れる。その運命 道標に従って、坂道を登ると右手に石段が、 なる。この森の中に切目王子が鎮まる。祭の岐路がここ切目となっている。 それを登ると法華堂と呼ばれる小さな広場神が五体あることから五体王子、五所王子 があり、ここ印南浦を一望できる景勝の地とも呼ばれ、熊野九十九王子の中でも特に に、津井王子、別名叶王子跡がある。こ一」大きな王子の一つとされる。歌会なども催 を出ると印南の町はもうすぐである。 されることもしばしばで、熊野落ちの大塔 印南港から斑鳩王子神社 宮、『太平記』『平治物語』『梁塵秘抄』 印南湾に沿った国道から左手、細い路地など、古い歴史を静かに語りかけてくれる。 が家並の間に通じており、小栗街道と呼ば切目神社を後に豆坂を下り、家並を縫っ れている。印南川の左岸に沿って国道と合て切目川を渡る。なおも小栗街道と呼ばれ 流、左に大きくカープし、光橋を渡ってする古い家並を進むと紀勢本線切目駅に ぐ左手に小径を人る。背後に印南港、紀伊突き当たる。古道は切目駅下のガードをく ぐり抜け、これより榎峠越えにかかる。 水道の景観が広がる。印南港はかって鰹の 55

3. イラストマップ 熊野古道を歩く

・地形図 9 垣屋から切目王子跡 ・五万分の一 / 御坊・印南 ・二万五千分の一 / 御坊・印南 青冂海、磯の香り、 ・交通 鰹節のルーツ・印南を訪ねる ・御坊南海パス『王子川』から塩 山また山を越えてきた道は塩屋でようや盛んで、浜辺に塩を焼く煙がゆらゆらと立屋王子神社まで徒歩 5 分。または く海と出会う。青い海・磯の香り漂う丘陵ち登る風景を眺めて、大宮人が幾多の歌を紀州鉄道終点、日高川駅から塩屋 王子神社まで徒歩分。 地を国道と交錯しながら南に進む。昔、旅残している。 ・国道四十二号線沿いには南海和 清姫草履塚から仏井戸 人が必す足をとめた切目王子、そして祈っ みや 歌山市駅から紀勢本線印南駅 た旅の無事とわが身のゆく末、雅びな和歌南塩屋をぬけて国道と合流。右手にわが 間の御坊南海パスが、また、印南 を詠む声と、大宮人の衣すれの音が、聞こ国始めての人工島に造られた御坊火力発電 駅から紀伊田辺駅間は明光バスが えてくるような : 所を見送り、国道を南下、祓井戸で右に旧 通じている。 街道へ人る。集落の南端、国道との狭い畑 ・帰路は紀勢本線切目駅を利用す るとよい の中に一寸傾いて、清姫草履塚の石碑が立っ 塩屋王子神社 ている。ここで清姫は、履いていた草履を ・アド八イス 塩屋を北と南に分ける王子川の手前左側松の枝に掛け、裸足になって安珍を追った ・このコースは国道四十二号線と に、こんもり茂った樹木を擁して塩屋王子と伝えられている。すぐに国道と合流、磯 平行しながらの道筋で、かっての 神社がある。別名美人王子ともいい、祈願の香り漂う壁崎海岸を通り過ぎ、再び国道 古道を偲ぶべきもない。しかし、 すれば美人の子を授かると言うので子安神とはなれ、旧街道を野島、加尾と進み、上 右手に広がる紀伊水道の青い海と 社として信仰が盛んである。また、大同年野集落に人る。 青い空のコントラストは、かって この道をたどった人々に、強烈な 間に魚屋権兵衛なる者が始めてこの地で塩上野集落の中ほど、龍田自動車商会手前 を焼き、その発展を祈って小祠を祀ったのの路地を人り、まっすぐ国道を横切ると左印象として脳裏に焼き付いたので はないだろうか : に始まるとも言う。当地は古くから製塩が側に、仏井戸と呼ばれる上野旧王子社の本

4. イラストマップ 熊野古道を歩く

はじめに 熊野九十九王子位置図 ー和泉から紀伊国、雄ノ山峠越え 白鳥の関伝説 2 矢田峠から汐見峠 3 藤白神社から藤白峠越え 4 拝の峠から有田川渉 とくしようじ いとが 5 得生寺から糸我峠 昔の面影を残す湯浅の町並みを歩く 6 湯浅から井関 イラスト散歩・湯浅 7 井関から鹿ケ瀬峠越え 8 高家王子跡から道成寺 9 塩屋から切目王子跡 ノ 54 48 42 39 36 33 30 26 20 14 Ⅱ 8 4 巳

5. イラストマップ 熊野古道を歩く

ら 、、 14 ャまン 、峠午 中山王子跡 岩代王子跡 『御幸記』に「山を越え 『紀伊続風土記』には、 て切目王子に参る」とい 東岩代川の南よりの浜辺 う記録から、現在の位置 にある天神社を岩代王子 は後世移祀されたものだ の旧地であるとしている。 といわれている。隣に足 現在磯部の小松の間にあ あしがみ の病気に霊験ある足神さ り海女王子と呼ばれてい んを合祠している。 岩代王子跡 ー山子跏を、 峠ツ・・ きめを一 目は E 間松 バ 子念 元村 イ弋 ろ 千里ヶ丘球場 千里浜 こは天然記念物のアカ ウミガメの産卵地として も知られる所、毎年 5 月 末から 7 月にかけて、浜 に上がってきて玉子を生 み、秋風のたっ頃、元気 に海に帰って行く。 洋を 八丈島。 こうみよう 光明寺 紀伊水道を一望できる景 勝地にあり、法然上人の 撰択念佛の実践道場とし て 360 余年の歴史を持っ ている。境内は桜の名所。 中山王子跡一

6. イラストマップ 熊野古道を歩く

間榎木峠から千里浜 紺碧の海、緑美し冂海岸林、 貝殻やサンゴの破片が散りしく 近世の熊野街道が開かれるまで、岩代王宮が祀られている。 神社を後に、登ってきた道を少し戻り、 子から千里王子までの熊野古道は浜づたい に延びていた。光る海とまばゆい陽光の向すぐ左手、尾根の中腹を巡る道に入る。 こうに、遠く四国の島影が浮かぶ。熊野へ鳥の声に耳を傾けながら、山間を下ってい の長い旅の中で、ここ千里浜を訪ねた旅人くと、急に前方の景観が開け、紀伊水道の 陽光がまばゆく飛び込む。しばらくは国道 の印象は強烈であったろう。 を下方に望む丘陵地を南下し、ここで国道 と合流する。 榎木峠越え 岩代の浜 国道沿いの西、岩代・ハス停の傍らには、 切目駅下のガードを通り抜けると、 レ」うみようじ 右手に桜の名所光明寺がある。一」こで、道皇位継承の犠牲となり、謀反の名のもとに が二分し、突き当りを左へ、しばらく進む捕えられた有間皇子結松記念碑が建てられ と右に登る坂道があり、中山王子・足の宮ている。古く、旅の往来に草の根を結び、 への道標と出会う。両側に民家の建ち並ぶ松の枝を結んで身の幸いを神に祈る習俗が 急坂を登り詰めたところ、背後に切目平野あったと言うが、その願いも空しく、護送 の途中、皇子は藤白坂に於て絞殺され短い の眺望が開け、中山王子神社に到着する。 竹と檜に囲まれた境内は正面に中山王子跡、生涯を閉じた。 さらに国道を南下、西岩代川を渡って左 右手に足神さんとして親しまれている足の 部 ・交通 ・ r--æ紀勢本線切目駅から光明寺 ま・で、徒歩 2 分。また岩代駅から 岩代王子跡まで徒歩 5 分。 ・帰路は紀勢本線南部駅を利用す るとよい。 ・宿泊 ・紀勢本線南部駅から南へ約 二キロメートルほど行った海岸沿 いに、国民宿舎「紀州路みな・ヘ」 がある。含塩重曹泉の温泉で、太 平洋を眺めながらの朝風呂は快適 そのものだ。問い合わせは、〇七 三九ー七二ー五九三九 ( 国民宿舎 「紀州路みなべ」 ) 。 ・地形図 ・五万分の一 / 印南・田辺 ・二万五千分の一 / 印南・紀伊南 58

7. イラストマップ 熊野古道を歩く

千里王子跡 有間皇子の結び松、 切目駅 千里海岸の中ほど、王子 「磐代の浜松が枝を引き 作りの本殿や小さいなが 結び真幸くあらばま 〇 : 15 〇 : 20 ら、拝殿・鳥居などを配 たかえり見む」、藤白坂 中山王子神社 し、神域の尊厳を保って に於て 19 歳の若さで命を いる。本殿はかや葺で今 失った悲劇の有間皇子が 1 : 00 〇 : 50 も山内集落の人々が自分 牟窶の湯に謀反の罪で護 橋ヶ谷 達の手で葺あげると言う。 送されて行く途中に詠ん だ歌。当時、命を延ばす 〇 : 20 〇 : 20 と言われていた結び松の 結松記念碑 ならわしを思い出され、 岩代の松の枝に歌を結び、 〇 : 15 〇 : 10 対岸に白浜を眺めて詠ん 岩代王子跡 ! , だであろうと言われてい : 30 〇 : 30 〇 干里 O : 10 〇 : 10 干里 1 : 00 〇 : 50 , 山第第ムゞ 〇 : 20 〇 : 20 王子神社 ー 000 m らみな みなべに 役場前バス ? ; 。い序部高校、 0 鹿島い人 :50,000 当ー、日勿 びね岩 海岸 ナガめ産卵地

8. イラストマップ 熊野古道を歩く

かな時代の王子の様子が美しく描かれてい り、小学校を過ぎてしばらくで左に折れる る古道もはっきりしていない。射 やがみ 矢谷 ~ 蓑谷 ~ 王子谷と進む道にも る。現在は八神神社として尊崇され、広々と、射矢谷、右折して民家の間を少し登り、 異論があり、かっての古道をたど とした境域には、樹木がこんもりと茂り、 さらに右へ小道を伝うと再び広い道と出会 ることは難しい。特に尾根道から 往時の盛観を偲ばせている。 う。そのまままっすぐ進み、突き当たって 王子谷に下る道は、背の高さほど 射矢谷・簑谷・王子谷 竹林の中を下ると簑谷に出る。左折して、 の茨・シダに阻まれたブッシュと 八上王子から啝根王子に至る古道もはっ次の追分を右へ、突き当りの山裾を急登す なっているため、山なれない人は きりしていない。ここでは『くまの文庫・ると二分ほどで、尾根沿いのコンクリート 八上神社から県道上富田・南部線 古道と王子社』を参照しながら、ほぼこの農道に飛び出す。これよりしばらく、この を南下、国道三一一号線に出て、 付近と推定されるコースについて紹介しょ農道に沿って、なだらかな登りとなる。や 左折、稲葉根王子跡に向かうコー う。八上王子を後に県道を南下、岡川を渡がて右側に少し広くなった地点、その横手スを利用するとよい に王子谷へ下る踏み跡を見 ・メモ 〕どト第つける。現在では通る人と いばら 1 ・今の富田川の滝尻付近から下流 て無いであろう、茨・シダ は岩田川と呼ばれ、熊野詣での垢 にはばまれた急斜面を下っ 離場として「平家物語』「源平盛 て、笹原をつつきり、小さ 衰記』『宴曲抄』「一遍聖絵』等 な流れを渡ると、コンクリ にも見え、古くから有名である。 ト農道に飛び出す。この いまでは度重なる洪水によって川 底が上がり、広い河原になってい 谷が王子谷である。 るが、昔は川幅も狭く、御幸の盛 この谷を右手に下り、国 んな頃には一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ 3 ュ道三百十一号線と出会う地 いなばね 瀬があり、川で垢離が行なわれた。 点に稲葉根王子跡が祀られ 女官が川を渡られるときは、二反 の白布ん藉んだ結び目につかまり、 稲葉根王子跡・岩田川 大勢の共の公卿たちが、布の左右 稲葉根王子から上流の富をささえ、女官たちに付き添われ

9. イラストマップ 熊野古道を歩く

ー地形図 に三栖山王子跡から真砂の里 ・五万分の一 / 田辺・栗栖川 ・二万五千分の一 / 紀伊田辺・合 聖なる川・富田川 ・栗栖川 すふ濡れになって川を渡る ・交通 ・紀勢本線紀伊田辺駅から明 富田川は、岩田付近を流れる間を古くはして伝えられている。 光・ハス長野線に乗り、約分「下 一」こでは三栖山王子跡を後に、これより 岩田川と呼び、聖なるこの川を一度でも渡 三栖』下車、善光寺まで徒歩 5 分。 れば、今までの罪業がことごとく消え去る三栖谷峠越えにかかる。左手にとり、すぐ ・帰路は「滝尻』より・ハスで と、広く人々に信じられていた。一の瀬、の分岐を右に、梅とみかん畑の中を登る。 紀伊田辺駅まで、約印分。 一一の瀬、三の瀬と岩田川の垢離をかきつつ右・左にいくつかの枝道と出会うが、ほほ 一直線に突き当たって左に折れ、右にカー ■宿泊 上がれば、道成寺物語のヒロイン清姫のふ まなご プする。やがて、追分となり、ここが三栖 ・鮎川王子跡より、富田川をさか るさと真砂の里は、その先である。 の・ほった国道脇に、鮎川温泉があ 谷峠である。左手傍らには、地蔵さんの台 る。含炭酸重曹泉で、遊離炭酸の 座らしき石のみが残され、往時の面影をと みすたに みすやま 含有量は日本一と言われる。効能 / どめている。 三栖山王子跡・三栖谷峠越え 胃腸病、婦人病、高血圧、心臟病。 ハ上神社 善光寺橋を渡って、左手に山道をしばら く登ると、右側の梅とみかんの木にはさま追分を右〈、所々で古道が姿を現す、谷 ・アド八イス れた畑の中に三栖山王子跡がある。熊野詣に沿う下りとなり、舗装道に合流してさら ・三栖山王子跡から三栖谷峠に至 る古道は梅林とみかん畑にはばま での道は、室町時代の頃に三栖山王子を経に下ると池畔で県道に出る。坂を下りき 0 たところ、右手に鳥居があり八神神社、すれ、およそ古道をたどることは容 さいぎよう て八神王子に出るかっての御幸道のほかに、 やがみ 上三栖から潮見峠を越えるコースが開かれなわち八上王子跡である。境内には西行法易でない。農道には道標不備、迷 い込まないよう注意すること。 たようで、江戸時代には主としてこの潮見師の歌碑が建ち、また『画行物語絵巻』に ・八神王子から稲葉根王子にいた 越えが利用され、御幸道は中辺路の古道とは西行が八上王子を訪れた熊野御幸はなや みすやま まなこ

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王子の峰と称したが、今はみかん山となり、南下する なくち その中に奈久知王子跡の小祠が祀られてい やがて、県道と合流、右側に庚中塚があ よしざとずだじ る。これより吉里、頭陀寺と一本道である。 り、この地が松阪王子跡である。江戸時代 3 辻の集落に人り、突き当りを右へ山裾を伝の熊野詣では、和歌山城下から紀三井寺、 資志川線 い阪和高速道路のガード下をくぐる。正面内原、黒江を通り藤白へ出るように改めら はらいど には宿禰さんの俗称で親しまれている武内れたため祓戸王子以北は衰微し、この王子 神社の森が見える。 社も寛文の頃、すでに八幡神社の末社とし 境内の右手、長寿殿という小さな建物のて退転していたという。 たけのうちすくね 中に武内宿禰誕生の井戸がある。宿禰井戸 さらに南へ、県道に沿って小野坂を登り キ歌 と呼び習わし、江戸時代には紀州徳川家の蜘蛛池を巡ると池畔に徳本上人名号磚が立っ 世子の産湯用として一般のくみ取りを禁じている。これより少しで汐見峠である。雄 ていたという。 の山峠を越えて紀州路に人り、初めて海を 古道は高速道路に沿って二ッ池の東側を眺めることが出来たので、この名がある。 通り、徳本上人碑の三叉路を左へ、古道はその頃の海は、日方側にずっと人り込んで その面影を色濃くみせはじめる。左手、 いたのだろう。 さく盛り上がった竹藪の中に小祠が祀られ坂を下り、四ッ辻をなおも南下、春日山 ており、ここが『紀伊続風土記』にいう奈の西麓、日方側沿いに、松代王子跡がある おくずさ 久知王子跡である。なお前述の奥須佐にあっ緑泥片岩の髀石は春日神社の参道を約百メー たのが定説となっており、『紀伊国名所図トル余り登った左側に祀られている。 絵』も「奈久知の王子社、奥須佐村にあり」 とある。 松阪王子跡から汐見峠越え 和歌山市から海南市に入り、整然と区画 ただ ねぎ された多田・且来の家並を、ほば一直線に 伊太祈曽駅 至和歌山 旧社地 ( 亥の森 ) 賢伊太祁円神社 県道和歌山・野上線 和はヴ池 調冠山大 - ・大池遊園 下池 大谷 全長 5.2 朝 海南市 ガこ池