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検索対象: イラストマップ 熊野古道を歩く
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1. イラストマップ 熊野古道を歩く

神社を出て右へ、耳をすませると、微かす、おな神の森に着く。神武天皇がここか ・メモ に波の音が聞こえてくる。国道のガードをら眺望を楽しまれたことから、おながめの ・ナギ人形 / 熊野速玉大社のナギ くぐり抜けると王子ケ浜の景観が広がる。森が転じたのではないだろうか。 の実で作った縁結びや家内安全の これより紀勢本線と平行して王子ケ浜の海佐野王子跡・石塔だけかひっそりと : お守り。社務所で売っている。 岸伝いに高野坂へと向かう。 ・めはりずし / 漬物のタカナの葉 段々畑の間、石畳の続く古道が、再び姿 を広げて、ご飯を包み込むもので、 高野坂 を現してくる。山裾から紀勢本線を横切り、 両手につかんで、大きな口を広げ やがて、王子ケ浜の南端付近で、紀勢本右手からの旧国道と合して、少し進み e 字 て食・ヘる。このとき、目を張るか 線を横切り、すぐに左折、熊野古道を一小す路を右折、紀勢本線三輪崎駅への道に らその名がついた。ここ熊野新宮 標石を見つける。これより三輪崎に越える人る。古道はほぼまっすぐ三輪崎の町並み の代表的な味はなんといっても、 道を高野坂という。小流を渡り、やや藪のに沿って国道を横切る。次の十字路を右折、 めはりずし。 はえ込んだ道を通り抜けると、古道はいよ紀勢本線の踏み切り手前で、左手に折れ、 ・鳩ぼっぽ歌碑 / 新宮市名誉市民 いよその姿を現してくる。背後に王子ケ浜線路と平行して上地、中地、下地と進む。 の童謡作詩家、東くめの歌碑。新 を見送り、なおも奥に分け入ると朽ちかけやがて、広い道に出るが行き手が巴川製紙宮駅のフェニックスの大木を背に た鳥居を配して小祠が祀られている。社前工場に阻まれているため、やむを得ず左手鳩たちもときどき舞い降りて来る。 ・古代から中世での熊野詣では中 を左に大きく迂回すると自然石の石段の下に道を取り、国道に合流する。 辺路を通っての参詣がほとんどで、 り坂となり、明るく開けた道筋の傍ら、徳国道を右へ、巴川製紙の正門を通り過ぎ ともえ この場合まず本宮に参詣し、その 本上人名号碑を見る。しばらくして峠、こて右側、巴将軍の宝筐印塔、佐野王子跡と 後、新宮、那智に向かうわけであ の辺りから畑地となっており、足元に熊野続く。草むした中に王子跡の石塔だけがひっ るが、新宮までは熊野川を船で下 灘が開け、三輪崎・佐野と続く海岸線、沖そりとたたずんでいる。 るのが通例となっていた。『中右 に鈴島・孔島を配し、見事な風景が展開す 記』によれば藤原宗忠は本宮で、 る。大宮人が通ったであろう果てしない口 四、五人乗りの小船七艘を借り、 熊野川を下って約五時間ほどで新 マンを秘める熊野の道筋を思い浮かべなが 宮に到着している。 ら、眼下に広がる景観を満喫しよう。 ほどなく、左手にこんもりとした森をな 105

2. イラストマップ 熊野古道を歩く

十分余りで湯屋谷を抜け、県道粉河・加ある。 太線に出て少し行くと、右側に墓地が見え、 これより楠本集落の北側を通り邁ぎると、 りきし 塀の内側片隅に「右加太淡嶋神社道、左村社カ侍神社の鳥居前に達する。参道脇に 和歌山紀三井寺道」なる道標が残ってい桜の木が植えられ、奥の方でこんもりとし る。一」こを右折、広い車道を横切り西にとた森をなしている。再び曲がりくねった農 る。 道を川辺に向かう。広い車道を横切り集落 上黒谷・山口西の・ハス停を通り過ぎるとに人ると、右手に川辺会館、続いて波切不 右手に地蔵とおぼしき小祠があり、その前動尊を祀る地蔵堂があり、その前の e 字路 うえの を左折、上野集落に人る。十分余りで八王を右にとる。再び十字路で、その辻の左手 かわな・ヘ 子社の鳥居と石の宝殿が残る川辺王子跡に傍らに標石があり、西面には、「左、 着く。古代紀ノ川はこの辺りを流れていた大阪みち」、南面には「新義本山、根来寺、 とされ、その右岸を示す層が、この辺りか三国一錐もみ不動尊」、東面には「右、 ら東にかけて残り、川辺王子の名の起こり大阪みち」と刻まれている。ここを右にとっ とされる。 て、すぐ左手に小道を進み、紀ノ川堤防に 川辺王子跡から紀ノ川渉 出る。秘境・大台ヶ原に源を発する吉野川 川辺王子跡から断層をゆるやかに下り、 が和歌山県に入って紀ノ川とその名を改め すぐに出会う三叉路を左折、農道に沿ってる。有吉佐和子の小説『紀ノ川』で、一躍、 神波集落に入る。集落の中ほど自治会館前その名を有名にし、人は紀ノ川を「紀伊の の四ッ辻で右に折れ、突き当りを左・右・母」と呼ぶ。 左と進む。この間、右手川永団地との境界これより、川辺渡しの紀ノ川渉にかかる。 沿いの道を南下することになる。しばらく ここでは、この位置より下流の川辺橋を渡 して左手に中村王子跡を示す説明板が立てり、対岸に出ることにしよう。 られている。『紀伊国名所図絵』に「今王 子権現といふ、川辺王子社の東になり」と こうなみ おののこまち ・熊野参詣での途中、小野小町は、 ここ山口の里で倒れたという。里 人はこの地に一宇を建て、小野寺 と称した。現在、小町の墓と伝わ る傾いて苔むした一基の墓が残っ ている。

3. イラストマップ 熊野古道を歩く

てはいきがたし、御幸の時此所にて馬を留きくカープした道と出会 い、この地点が鹿 ■メモ められしという、故に馬留の名あり」と記ケ瀬峠への登り口となっている。なお、こ ・愛子の渕 / 高家王子から南へ、 されており、熊野詣での人々はここで馬をの三叉路には道標がないので、ここだけは 五十メートルほどの西川の下流域、 留め、草履の緒を締め直してから登った一」見逃さないように注意しよう。 川の中央部が大きな岩場をなし、 とだろう。 これよりいよいよ「シシノセ山をよち昇この付近を愛子の渕と呼び、この ような話が語り伝えられている。 「シシノセ山をよち昇る」 る」と『御幸記』に書かれた鹿ケ瀬峠越え 昔、この付近の豪族に寵愛の一 すぐに追分で、「右くまの道、左かみつ にかかる。みかん畑の中、ジグザグの急登 子が授かった。しかし、寵愛を一 ぎーの道標石に従い、右に道を選ぶ。右手、となり、ほどよく汗をかく頃には、谷を隔 心に集めた千代は生まれついて 谷を隔てた上部に国道四十二号線を望みなてて国道四十二号線が下方に見えるように の盲目であった。不幸を嘆いた家 がら足を進める。やがて、左手に急坂で大なる。しばらくして、所々に石畳が残る昼族は、円応寺 ( 現廃寺 ) の観音様 でも暗い古道となり、しばし に願いをかけてみたが、いっこう 古道の面影に浸りながら一歩に験がない。そこで、大悲加護な きを悲しみ、川へ身を投げた。人々 一歩足を進める。 は驚いて救い上げたところ、早こ やがて、峠に近い左手、 と切れていた。しかし、不思議な 高いところに痔に霊験ある地 ことに死体は温味が増し、ロを開 ノ立 ( き、「今、地獄へ落ちるところを ケ瀬峠に到着する。黒竹や篠 観音様の御救いによってかくも助 かった」という。見れば両眼開し い峠であるが、付近には旅籠ている。一家は愁雲変わって、祝 ・茶屋跡かと思われる石垣が 気となったと喜んだ。このことか ら、ここを愛子の渕と呼ばれるよ 残されている。峠を越え、すぐ うになったという。 右手に細道を登ると、鹿ケ瀬 城跡となり、遙か遠くに生石 山や霊厳寺山の峰々を望む。 鹿ヶ瀬 ' 、

4. イラストマップ 熊野古道を歩く

るやかな登り下りを繰り返し、登立茶屋跡越前峠を後に、小口へと : ・メモ で一息人れ、雑草の生い茂る中を、仙右衛地蔵堂を後に左手、コンクリートの橋を ・大雲取山、鳥帽子山に代表され 門坂の石畳の苔を踏んで、道はいよいよ険渡り、胸突八丁の急坂を登って町界、石倉 る那智山から流れでる谷は、那 しさを加えてくる。ここから胴切坂のジグ峠に出る。再び下って林道と合流、右に進四十八滝と呼ばれるたくさんの滝 ザグ道を登り、熊野山中随一の眺望というむが、そこには越前峠へのさらに急峻な登を奥深い山中に刻み込んでいる。 舟見峠の舟見茶屋跡に出る。登立茶屋跡かりが待ちかまえている。周囲は明るく開け那智の大滝は四十八の一の滝にあ たり、高さ百三十三メートル石英 ら約一時間足らずの行程である。現在では右手前方に大雲取山無線中継所を見ながら 粗面岩の断崖を垂直に落下する。 峠の右手に休憩所が建てられ、西方眼下に高度を上げ、標高八百七十メートルの越前 わか国最大の名瀑である。 広がる眺望を満喫しながら一休憩しよう。峠に飛び出る。心ゆくまで奥熊野の山々に 地蔵茶屋跡 挨拶を送る。 ややなだらかになった尾根道は掻餅茶屋さて今度は、つんのめりそうな下り坂で、 跡を過ぎると、亡者の出合いと呼ばれる下急斜面にゴロゴロの石ころ道が、時に石畳 り八丁で、林道との合流点、色川辻に降りの面影をとどめ、膝頭をガクガク鳴らせな 立つ。林道をまっすぐ十メートルほど進んがら、まっすぐ小口へと降りてい だ所で、右手に古道が姿を現し、林道を巻ス中で最も疲れが出やすく、急がずあわて ししがき きながら緩やかな登り下りとなる。再び林ず足を進めよう。やがて、猪垣のある くすくぼ 道と合流、左手谷川のせせらぎに耳を傾け楠久保跡辺りから、路傍に石地蔵・円座石 ながら、山間の道を下る。ほどなく休憩所がみられ、休憩所を通り過ぎ、さらに山を のある地蔵茶屋跡に着く。牛鬼滝から流れ下って眼下、小口の集落が見えてくる。民 る渓流に沿った山中唯一の水場で、地蔵堂家の庭先とも思える石段をつたい県道に出 は今も残り、堂内に泉州堺の魚商人が寄進ると、小口パス停はもうすぐの所にある。 したと言う石地蔵三十三体がひっそりと納 められている。 1 15

5. イラストマップ 熊野古道を歩く

が、現在では杉が植林されて王子社の面影ませてくれることだろう。 は、すっかり失われている。 秀衡桜を後に国道と合流。これよりしば やがて、右手に国道を見送ると、宿場通らく古道と国道が交錯し、中ノ河・小広王 りの面影を残す古道に足を踏み人れる。八子跡を訪ねる。小広峠は昔、昼なお暗く不 百メートルほどで左手に巨木がうつ蒼と茂気味な山道で、旅人や山働きの村人を野獣 る継桜王子跡がある。鳥居をくぐり急な石や魔物から守った狼の一群がいたことから こびろう 段を登ると若一王子権現と言われる王子社吼比狼峠の伝説が残されている。 があり、往昔、継桜と言われる桜があった ことから、この名を残している。継桜王子 跡の下に、檜皮葺きの「とがの木茶屋・民 ろり 宿ーがある。囲炉裏を囲んで名物茶粥をす するのもまた格別である。なお、茶店前の 細い道を下り国道に出ると、古歌に名高い せいれつ 野中の清水が今も清洌な水を溢れさせてい はっとりらんせつ る。傍らには芭蕉の門下、服部嵐雪がこの 地を訪ねて詠んだ句碑が自然石に刻まれて 建てられている。 ひでひら 藤原秀衡ゆかりの老桜、秀衡桜 古道に戻り、さらに二分ほどで足を進め ると周囲の景観が開け、左手には藤原秀衡 ゆかりの老桜、秀衡桜がある。傍らに建つ ととぎす 高浜虚子の句碑には「鶯や御幸の輿もゆる めけん」と詠まれている。春の頃この辺り を通ると一面花吹雪が舞い、 目と心を楽し どがの木屋 . ノ

6. イラストマップ 熊野古道を歩く

ー地形図 に三栖山王子跡から真砂の里 ・五万分の一 / 田辺・栗栖川 ・二万五千分の一 / 紀伊田辺・合 聖なる川・富田川 ・栗栖川 すふ濡れになって川を渡る ・交通 ・紀勢本線紀伊田辺駅から明 富田川は、岩田付近を流れる間を古くはして伝えられている。 光・ハス長野線に乗り、約分「下 一」こでは三栖山王子跡を後に、これより 岩田川と呼び、聖なるこの川を一度でも渡 三栖』下車、善光寺まで徒歩 5 分。 れば、今までの罪業がことごとく消え去る三栖谷峠越えにかかる。左手にとり、すぐ ・帰路は「滝尻』より・ハスで と、広く人々に信じられていた。一の瀬、の分岐を右に、梅とみかん畑の中を登る。 紀伊田辺駅まで、約印分。 一一の瀬、三の瀬と岩田川の垢離をかきつつ右・左にいくつかの枝道と出会うが、ほほ 一直線に突き当たって左に折れ、右にカー ■宿泊 上がれば、道成寺物語のヒロイン清姫のふ まなご プする。やがて、追分となり、ここが三栖 ・鮎川王子跡より、富田川をさか るさと真砂の里は、その先である。 の・ほった国道脇に、鮎川温泉があ 谷峠である。左手傍らには、地蔵さんの台 る。含炭酸重曹泉で、遊離炭酸の 座らしき石のみが残され、往時の面影をと みすたに みすやま 含有量は日本一と言われる。効能 / どめている。 三栖山王子跡・三栖谷峠越え 胃腸病、婦人病、高血圧、心臟病。 ハ上神社 善光寺橋を渡って、左手に山道をしばら く登ると、右側の梅とみかんの木にはさま追分を右〈、所々で古道が姿を現す、谷 ・アド八イス れた畑の中に三栖山王子跡がある。熊野詣に沿う下りとなり、舗装道に合流してさら ・三栖山王子跡から三栖谷峠に至 る古道は梅林とみかん畑にはばま での道は、室町時代の頃に三栖山王子を経に下ると池畔で県道に出る。坂を下りき 0 たところ、右手に鳥居があり八神神社、すれ、およそ古道をたどることは容 さいぎよう て八神王子に出るかっての御幸道のほかに、 やがみ 上三栖から潮見峠を越えるコースが開かれなわち八上王子跡である。境内には西行法易でない。農道には道標不備、迷 い込まないよう注意すること。 たようで、江戸時代には主としてこの潮見師の歌碑が建ち、また『画行物語絵巻』に ・八神王子から稲葉根王子にいた 越えが利用され、御幸道は中辺路の古道とは西行が八上王子を訪れた熊野御幸はなや みすやま まなこ

7. イラストマップ 熊野古道を歩く

・地形図 大雲取越え ・五万分の一 / 新宮・那智勝浦 ・二万五千分の一 / 新宮・紀伊勝 深冂杉木立の下に続く静かな古道、 浦・紀伊大野・本宮 流れる雲に手がとどく ・宿泊 えぼしいわ ・紀勢本線紀伊勝浦駅、また 青岸渡寺の横手より北へ、熊野山塊を這右手前方に鳥帽子岩を抱いた烏帽子岳が は那智駅から那智山行き熊野交通 い登って大雲取越えの一筋の道が延びていすっきりとした山容で、印象深く目に止ま ハスに乗り、終点下車 ( 紀伊勝浦 る。古くは雲取を雲鳥とも書き、かってのる。休憩所まで歩き、左手切り立った谷底 駅からパス分 ) 、青岸渡寺まで 熊野詣での難所、流れる雲に手が届くほどに色川の集落を望みながら、ここでしばら 徒歩分。 高い所を行くと言う意味で、この名が付けく休憩することにしよう。 ・帰路は小口・小和瀬から紀勢本 られたとも伝えられている。 雲取越えの山中に出没した怪物に、一つ 線新宮駅まで、熊野交通パスを利 だたらというのがある。身の丈一丈四尺、 用する ( 小口から新宮駅までパス 目が一つで足が一本だが、その行動は神出 分 ) 。 鬼没で風のように素早い。一つだたらは那 那智高原・一つだたらの伝説 ・宿泊 青岸渡寺の苔むした石段に一歩足を踏み権現の神宝を奪い、熊野詣での旅人を襲っ ・小口川と和田川が出会う山峡に 出すと、いよいよ大雲取越えの険路にはい て路銀をかすめることもしばしばであった 「小口自然の家、が開設されてい る。深い杉木立の下に続く静かな古道、険と『紀伊続風土記』に言う。この怪物、と る。施設内にはスポーツ広場、キャ しい山道の所々に苔むした石畳や石段が残いうより巨漢の山男は、後に色川の里に住 かりばぎようぶざえもん ンプ場、研修室等が整備されてい る。しばらくして道が二分し、左は妙法山む弓の名人狩場刑部左衛門に討ちとられる る。ロ 卩い合わせは、〇七三五四ー へ、ここでは右手、木戸平へと再び石段の結末である。 五ー二四三四 ( 小口自然の家 ) 、 登立茶屋跡から舟見峠 急坂を登ってい 。やがて、杉木立の向こ または、〇七三五四ー四ー〇三〇 う、急に視界が明るく開け、全国植樹祭の木戸平を後に林道大雲取線の左手、尾根一 ( 熊野川町役場産業経済課 ) 。 会場となった木戸平 ( 那高原 ) に到着する。沿いの古道に足を踏み人れる。しばらくゆ 114

8. イラストマップ 熊野古道を歩く

辺路町と本宮町との境界に なっており、中世にはここを′ に関所があり、熊野参詣の 往来改め、関銭の徴収をし たという。江戸時代になる と茶店が設けられ、大正の 始めまで続いており、旅人一 を望むと、遙か遠くに奥熊イに ( , 。」イ " ~ 「 野の山並が開ける。 左右山に挟まれた深い谷 道を一気に下ると音無川の 源流の村、道川となるが、一」こも廃村の憂えてきた旅人に一時の安らぎを与えたこと だろう。 き目にさらされている。ここからしばらく 「深山樹木多し」発心門王子跡 林道をつたい、途中で右に降りると、この 元の道に戻り、しばらくして右手古道に ほど修復された古道が続いている。ほどな く左手に船玉神社の赤い鳥居が見え、鳥居足を踏み人れる。この道は藤原定家が「深 をくぐった正面に船玉稲荷、右側に玉姫稲山樹木多し , と記し、十二人の力車の担ぐ 荷が祀られている。これより三百メートル輿に揺られてい「たという山険しい原生林 ほど進み、右手の細い道に人ると猪ノ鼻王の中の道であ 0 た。やがて赤い鳥居が視界 子跡を示す石碑が草むらの中に埋もれるよに人り、発心門王子跡である。昔はここに うに立 0 ている。音無川のせせらぎと、の熊野聖域入口の大鳥居があり、五体王子の どかな山辺の風情は、遠く険しい山路を越一つとして格別の崇敬を受け熊野詣での人々

9. イラストマップ 熊野古道を歩く

地仏とみられる仏像三体が井戸の中に積み一本釣りや鰹節の発祥地として栄え、その ■メモ 込まれている。この井戸は、どんなに日照技術が世に有名な土佐の一本釣りの漁法へ ・『太平記』には「大塔宮の熊野 りが続いても減ることはなく、・ とんなに雨と受け継がれていった。しかし、なぜ、 落ち」として、ここ切目王子の社 が降っても増水することもないと言う不思っ鰹船が、この印南港から姿を消してしまっ 前で逆臣討減を終夜祈念する。早 朝少しまどろんだ霧の中に、髪を 議な井戸である。 たのだろうか。その一つの理由に鰹節で世 古代風に結った童子が現れて、 古道に戻り再び南下、三百メートルほどに聞こえた角屋の一人息子と、角屋に仕え 「熊野三山を目指すことは危ない、 で上野王子跡に達する。上野橋を渡り楠井る女中の悲恋話が語り継がれている。 これより行き先を十津川に入れ」 野の集落をぬけて印南町に人る。この辺り やがて、こんもり茂った森の中に斑鳩王 とさとす。宮はこれを熊野のお告 からの道は街道随一の景観を謳われたと一」子神社の小社が祀られている。 げと大変喜び、これより十三日を ろで、おだやかな丘陵地帯のあちこちに海王子神社の石段を降り立ち、再び国道と かけて、日高の奥へと山に分け入 岸段丘が発達し、海の広がりに目を奪われ合流、六百メートルほど進んだところで、 る。飢えをしのぎ、悪路に耐え、 る。やがて、道が左に大きくカープし、左手左に折れると切目神社の森がすぐ目の前と ようやく危難を逃れる。その運命 道標に従って、坂道を登ると右手に石段が、 なる。この森の中に切目王子が鎮まる。祭の岐路がここ切目となっている。 それを登ると法華堂と呼ばれる小さな広場神が五体あることから五体王子、五所王子 があり、ここ印南浦を一望できる景勝の地とも呼ばれ、熊野九十九王子の中でも特に に、津井王子、別名叶王子跡がある。こ一」大きな王子の一つとされる。歌会なども催 を出ると印南の町はもうすぐである。 されることもしばしばで、熊野落ちの大塔 印南港から斑鳩王子神社 宮、『太平記』『平治物語』『梁塵秘抄』 印南湾に沿った国道から左手、細い路地など、古い歴史を静かに語りかけてくれる。 が家並の間に通じており、小栗街道と呼ば切目神社を後に豆坂を下り、家並を縫っ れている。印南川の左岸に沿って国道と合て切目川を渡る。なおも小栗街道と呼ばれ 流、左に大きくカープし、光橋を渡ってする古い家並を進むと紀勢本線切目駅に ぐ左手に小径を人る。背後に印南港、紀伊突き当たる。古道は切目駅下のガードをく ぐり抜け、これより榎峠越えにかかる。 水道の景観が広がる。印南港はかって鰹の 55

10. イラストマップ 熊野古道を歩く

たかいえ 小峠から石畳道 東の馬留・高家王子跡 熊野詣で全盛時代は、この峠の険も、一 歩を進めて旧国道に合流。これより古道 歩一歩踏み締めることを業とみる人々が後は旧国道と交錯、または平行しながら西川 くつかけ を絶たなかったのであろう。峠に戻り、こ沿いの道となる。沓掛王子跡から二十分余 れより小峠までは稜線の下方を伝う横道で、り、馬留王子跡の石碑と説明板が立てられ 付近は黒竹が生い茂り、雑草が人の背を覆ている。昔は東の馬留と言われ、有田側の ばとう う。途中右手、木の根元にまつられた馬頭西の馬留と相対していたものらしい。しば 観音を見送ると、すぐに有田・日高の郡界らくして、旧国道に接したなめら橋のたも , い峠・に羽イ、。 とに着く。標識冫 / こ従って橋を渡り、すぐ左 小峠にはいくつかの道が集まっており、手のあぜ道へ足を踏み込むと、山を抱くよ 一」こでは右手方向、原谷へと下る。ほどな うに内の畑王子跡の石碑がひっそりとたた く石畳が敷き詰められた昔ながらの道筋とずんでいる。この後、古道は畦道を辿り、 変わり、これより五百三メートルの間は、 西川の右岸に沿って民家の間を直進、突き 熊野古道の現存する最長の石畳道として日当りの舗装道路を左に、王子橋の手前を右 高町の文化財に指定されている。 に折れると高家王子跡で、この間約四十分 金魚茶屋跡から蛩掛王子跡 の行程である。 やがて、水田の見える辺りまで下ると、 右手に数基の板碑が並び、更にその先には 江戸時代の茶屋の家組をそのまま残してい る金魚茶屋がある。平坦になった道をしば らく進むと、左手みかん畑の中に沓掛王子 跡の石碑が見出される。この辺りは黒竹の 特産地として全国的にも有名で、釣竿・美 術工芸品などに利用されている。 4 5