ー地形図 熊野速玉大社から王子ケ浜 ・五万分の一 / 新宮・阿多和 ・二万五千分の一 / 新宮・鵜殿 南国の空の下に映える朱塗りの ・交通 熊野速玉大社、歴史が今も生きイ冂る ・紀勢本線新宮駅下車、熊野 速玉大社まで、徒歩分。 熊野速玉大社は本宮・那智と共に熊野三 熊野川を背にして、杉・楠の大樹が繁茂 ・帰路は佐野王子跡から紀勢本線 する。緑の神域に朱色の新社殿が映え、訪山に数えられ、かっては熊野権現の名で一 紀伊佐野駅まで、徒歩巧分。 大宗教王国を構成し、元神倉山に祀られた れる人々を暖かく迎える。ここが本宮・那 ・パス利用の場合は、新宮駅を起 智と共に熊野三山の一つに数えられる熊野神を現在の社地に移して以来、神倉山の元 点に国道四十二号線沿いに熊野交 速玉大社である。熊野は聖なるところ、古宮に対し、ここを新宮と呼んだと言う。境 通パスが通じている。 代よりどれほど多くの人々が祈りをこめて内には国宝・重要文化財など約一千点余り を展示している神宝館をはじめ、平清盛の 訪れたことだろう。 ■宿泊 長男、重盛お手植えと伝えられるなぎの大 ・新宮市内にはビシネスホテル・ 木、佐藤春夫の望郷五月歌の詩碑などがあ旅館・民宿をはじめ、各種の宿泊 が望める。問い合わせは、新宮市 り、訪れる人々を暖かく迎え人れる。 熊野速玉大社 観光協会へ ( 〇七三五ー一三ー 熊野三山の参詣順路は、まず熊野本宮大熊野三山の元宮、神倉神社 八四〇 ) 、他に新熊野体験センター 熊野速玉大社の大鳥居から南へ、千穂ケ 社に詣り、その後熊野川を下って熊野速玉 ( 〇七三五ー二九ー〇三二一 ) も 大社へ、そして那智大社へ向かうというの峰の山麓、家並を辿ると、その南端に熊野 ある。 が普通のコースである。熊野本宮の参詣を三山の元宮と言われる神倉神社がある。鳥 済ませた熊野御幸の一行が、早朝、九里八居をくぐると自然石を敷き詰めた五百三十ーアド八イス 丁 ( 約三十五キロメートル ) を舟に乗って流八段の石段が御神体ゴトビキ岩に向けて続 ・王子ケ浜を後に高野坂への登り 口を注意すること。季節により線 れを下ると、昼にはもう河口の新宮速玉大いている。一気に上り詰めると、地上から のとりつきが藪となっている。 六十メートルの高さに岸壁がそそり立ち、 社横の川州に着く。 102
・地形図 本宮大社から湯の蜂温泉 ・五万分の一 / 新宮・十津川 ・二万五千分の一 / 伏拝・本宮 峠を越えると古冂歴史をもっ ■交通 奥熊野の静かな温泉郷 ・紀勢本線紀伊田辺駅より国 熊野本宮旧社地から大日越えと呼ばれるを祀る社殿がある。うつ蒼と茂る杉林に囲鉄パスで 2 時間分、『湯の峰温 小さな峠を越すと、行く手の谷間に湯煙がまれた檜皮葺きの社殿には、一種独得の荘泉』『川湯温泉』経由、『本宮』 に至る 0 たちのぼる。小栗判官と照手姫の伝説で名厳さが漂い、今も昔も変わらぬ願いが蘇っ ・紀勢本線新宮駅または和歌山線 高いここ湯の峰温泉は、古くから開けた熊てくる・ : 。現大社は熊野川の中州にあった 五条駅より、ス・奈良交通 野詣での湯垢離場であり、湯治宿でもあつ大社が大洪水で流された後、一九八一年に ハスにて本宮に至る。 移されてきたものである。また建造物の規 ・帰路は湯の峰温泉より、紀伊田 模は以前の八分の一と言うことで、定家卿 辺駅・新宮駅・五条駅へ、それぞ が「・ : 感涙禁じがたし、と記し、もとの大れ熊野交通パス・奈良交通パス・ 熊野本宮大社 社がいかに豪壮森厳であったか伺い知れよ パスが通じている。 熊野本宮大社は新宮速玉大社・那智大社う。 ■宿泊 これより百三十段に近い石段の参道を下 と共に熊野三山を構成し、全国熊野信仰の ・本宮周辺には川湯温泉・湯の蜂 総本宮の位置をしめる。崇神天皇六十五年ることになるが、石段を下って、右に少し けつみこの 温泉・渡瀬温泉があり、宿には事 に社殿が創建されたと伝えられ、家都御子それると往昔の古道がひっそりと、そのま かみすさのおのみこと 欠かない。門い ロ合わせは、〇七三 神 ( 須佐之男尊 ) を主神とし、十二柱の神々まの面影を残し、長い歴史の重みを感じさ 五四ー一一ー〇七三五 ( 本宮町観光 せてくれる。 が祀られている。 協会 ) 、〇七三五四ー一一ー〇〇七 祓戸王子跡を出て、車道を少し進み、右熊野本宮旧社地から大日社 〇 ( 本宮町産業観光課 ) 。 手にとると本宮大社境内に足を踏み込む。 本宮大社の大鳥居を後に、国道一六八号 ・湯の谷川沿いに建つ湯の峰温泉 正面に神門、左手に拝殿、奥に十一一柱の神々線を横切って徒歩十分、音無川と岩田川が宿のほとんどが日本調で、とりわ
・地形図 小広から本宮 ・五万分の一 / 栗栖川・龍神・十 津川・新宮 三越峠、奥熊野の山並が開ける。 ・二万五千分の一 / 皆地・発心門 伏拝・本宮 冂にしえ人に思冂を馳せて 熊野古道は、小広王子跡で国道から北へこよりの下りが女坂と呼ばれ、九十九折れー宿白 ・紀勢本線紀伊田辺駅から本 外れて、古道道中で起伏の最も激しい約十に二十分ほど辿ると林道に出る。林道を右 キロメートルの山と谷を登り下りして、手に少し進み、栃の川を渡ると媒介茶屋跡宮行のパスに乗り約 2 時間、 ほっしんもん 『小広峠』下車。 発心門王子跡へと続く。ここ伏拝の地に来がある。ここより、熊野古道最大の難所、 ・帰路は『熊野本宮大社 ~ より、 て、初めて熊野本宮大社を望みその嬉しさ岩神峠をさして男坂と呼ばれる険路をよじ ス、熊野交通パスで紀勢本 登っていく。所々に石畳の残るうつ蒼と茂っ の余りにひれ伏して遙拝したと言われる。 線新宮駅へ、スで紀伊田辺 た杉林の中に怪しい山の霊気が漂っている。 ここから本宮大社へはもうすぐ。 駅へ、または奈良交通パスで、 岩神峠から道湯川 和歌山線五条駅に出ることもで 登り詰めると岩神峠で、熊野三千六百峰きる。 が大峰の連山と共に身の引き締まる壮大な 小広峠から女坂・男坂 ・宿泊 小広峠は日置川と熊野川支流四村川との景観が開ける。また峠の左上方に岩神王子 ・本宮周辺には川湯温泉・湯の峰 分水嶺をなし、西方眼下に近露の盆地がは跡を示す数個の石が集められておりしばし 温泉・渡瀬温泉があり宿には事欠 るか谷底にある。そして峠には小広王子跡の間、遠い昔に思いを馳せてみよう。峠を かない。問い合わせは、〇七三五 後に急坂を一気に下ると、平家の落人部落 があり、本宮までの中辺路はまだ遠い。 四ー一一ー〇七三五 ( 本宮町観光協 峠を後に国道を下ると五分で・ハス停岩神と言われた道湯川の人影なき廃村に出会う。 会 ) 、〇七三五四ー二ー〇 0 七〇 じゃがたいし くませ ここに土地の豪族湯川氏にまつわる蛇形石 王子口に着く。左に下ると熊瀬谷川沿いに ( 本宮町産業観光課 ) 。 じゃがたじぞう 休憩所が建っている。これより熊瀬坂の登と蛇形地蔵の伝説が語られている。 ぞうり なおはる 昔、豊臣軍と戦って敗れた湯川直春が、 りにかかり、約三十分で草鞋峠に到着、こ
冊榎木峠から千里浜 哀愁とロマンが心の中に生き続ける有間皇子 むろっ ⅱ牟婁津から三栖廃寺跡 みすやま まなこ 三栖山王子跡から真砂の里 滝尻王子社から近露 ー近露の里から小広峠 悪四郎伝説 小広峠から本宮 本宮大社から湯の峰温泉 小栗判官と照手姫 ー熊野速玉大社から王子ケ浜 佐野王子跡から大門坂 一つだたら伝説 大雲取越え 小雲取越え イラスト散歩・湯峰 102 99 96 90 87 84 78 72 66 64 58
三越峠からの山並 この地に逃れてきた時、 ・メモ 強盗に襲われ、格闘の末 ・熊野詣での目的地は本宮大社、 に賊を組伏せたが、あ、 し新宮の熊野速玉大社、那智の熊野 にく刀を持ち合わせてお那智大社の、いわゆる熊野三山で らず困っていると、突然ある。この三社の主祭神は権現と 呼ばれる。権現とは「仏が神の姿 空から蛇の形をした剣が に化身して現われたもの」と言う 降ってきた。その剣で直 意味であって、それは神仏習合の 春は賊を刺し殺すことが 思想の産物である。 出来たが、剣は忽ち石に ・熊野詣での道には紀伊路と伊勢 なってしまったという。 じゃがた 路の他に、高野山から果無山脈を 現在、蛇形地蔵尊が背に 越え、本宮に至る高野街道、吉野 している石が、その蛇形 から大峰を越え、いわゆる七十五 石の一部だと言われてい びいきの行をつなぎながら十津川 る。 の玉置山から本宮に出る大峰行者 また、道湯川廃村の外道、吉野から北山川を経て木之本 ( 三重県 ) に出る北山街道、さら れには准五体王子として には十津川渓谷を筏に便乗する本 要所の一つであった湯川 宮への十津川街道等があげられる。 王子跡があり、広大な境 しかし京都から淀川を下り和泉、 内に最近建立された小さ 雄の山峠を越えて、紀ノ川を渡り、 いながら立派な社殿があ海岸沿いを南下、紀伊田辺から山 る。 間部を経て、本宮、さらに新宮に 至る中辺路と、紀伊田辺から海岸 三越峠 これより三越峠への登沿いを那智に至る大辺路を一般的 に熊野街道と呼ぶ。 りにかかる。この峠は中
防小広峠から本宮 はっしんもん 熊野本宮旧社地 発心門王子跡 こより熊野聖域の入口 熊野三社を分祀する神社 で、昔は大鳥居が在り、 が全国に分布、その信仰 ⅱ 五体王子の一つとして格 の総本宮で、その数 308 別の崇敬を受けていた。 という。明治 22 年、大水 現在は社殿もなく王子神 害に流失するまで、熊野 意跡と刻んだ石碑が立っ 川の中州に鎖座していた。 ている。 音茶 伏拝王子跡付近の丘陵の ぉ 47 あちこちに茶園がある。 のどかな山里に続く茶畑 はきらきらと陽光に輝き 味も香りよく、本宮名 産・音無茶として人気が ある。 ふしおがみ 形地蔵 ・岩神王子跡 \ 、、草鞋峠 。 ( ゼ「、一岩神王子跡 猪ノ鼻王子跡 発悪門王子跡 水呑王子跡 伏拝王子跡 祓戸王子跡 熊野本宮大社 広峠 1 : 00
和泉式部供養塔 平安期の女流歌人。和泉 式部が熊野路を踏んで伏 拝王子迄きた時、急に月 のものが始まった。不浄 の身で熊野詣でもならぬ と諦めた式部は熊野権現 を伏し拝み、「晴れやら 播ノ鼻王子跡 ぬ身の浮雲のたなびきて、 月のさはりとなるぞ悲し き」と詠んだ。するとそ の夜、熊野神が夢枕に立っ 3 9 条 て「もろともに塵にはじ 三甼大橋 まる神なれば、月のさは りもなにかくるしき」と 返歌され、式部はそのまま 熊野詣でを続けたという。 心門王 囈 ( 姦ぎ ・い門 ) 4.5 - 級戸王子、、い ー本社由 パス停、 新宮ーー は、 祓戸王子跡 本宮大社のすぐ裏手に当、ぐ り、杉・うばめがしの大 当子 樹の影に石造の小祠が祀 られている。本宮大社を 眼の前にして、最後の休 憩、身づくろいをした所 である。 大対ⅲ被 吹越山 、絵葉こ
は、この前でお祓いをしてからくぐったと登りきると右側台地に伏拝王子跡がある。 王子跡横には平安時代の歌人、和泉式部の ここから林道を伝い、小鳥のさえずりを供養塔も建 0 ている。付近は音無茶の産地 聞きながらの快適な道となる。やがて、天として有名な茶畑で、深い谷が足一兀に開け、 山村内に紀州藩の建立による水呑王子の石その谷の重なりの遙か彼方に、熊野川原の 碑を見つけることが出来る。この後、古道丕呂大社旧社地を見おろし、北に果無山脈・ は新しい石畳に装いを改めて杉・檜の木立玉置山、南に大雲取の峰々を望む。まさに の中に延びている。車道に出て、まっすぐ古道中、最高の風光絶景の地である。険阻 進むと目前に小高い森が見え、左に古道をな山路を踏んで、喘ぎ喘ぎ長い苦行の果て ここにたどり着いた熊野詣での人々は、 思わず土下座し、一」こから熊野の神域を伏 し拝んだという。 三軒茶屋から祓戸王子跡 美しく刈り込んだ茶畑の側を古道はまっ すぐに進む。春のヤマツッジ、秋のリンド ウの花咲く古道は往昔の面影を色濃く残し ている。やがて道の左手傍らに苔むした自 然石の道標があり、「右かうや、左きみい でら , と深く刻まれている。ほどなく目の 前が明るく開け、祓戸団地を見おろす地点 に達する。まっすぐ団地の中を突っきると 《気 ( 、右側に杉・うばめがしの小さな森があり、 野祓戸王子跡である。ここより本宮大社へは、 もうすぐの所である。
神社を出て右へ、耳をすませると、微かす、おな神の森に着く。神武天皇がここか ・メモ に波の音が聞こえてくる。国道のガードをら眺望を楽しまれたことから、おながめの ・ナギ人形 / 熊野速玉大社のナギ くぐり抜けると王子ケ浜の景観が広がる。森が転じたのではないだろうか。 の実で作った縁結びや家内安全の これより紀勢本線と平行して王子ケ浜の海佐野王子跡・石塔だけかひっそりと : お守り。社務所で売っている。 岸伝いに高野坂へと向かう。 ・めはりずし / 漬物のタカナの葉 段々畑の間、石畳の続く古道が、再び姿 を広げて、ご飯を包み込むもので、 高野坂 を現してくる。山裾から紀勢本線を横切り、 両手につかんで、大きな口を広げ やがて、王子ケ浜の南端付近で、紀勢本右手からの旧国道と合して、少し進み e 字 て食・ヘる。このとき、目を張るか 線を横切り、すぐに左折、熊野古道を一小す路を右折、紀勢本線三輪崎駅への道に らその名がついた。ここ熊野新宮 標石を見つける。これより三輪崎に越える人る。古道はほぼまっすぐ三輪崎の町並み の代表的な味はなんといっても、 道を高野坂という。小流を渡り、やや藪のに沿って国道を横切る。次の十字路を右折、 めはりずし。 はえ込んだ道を通り抜けると、古道はいよ紀勢本線の踏み切り手前で、左手に折れ、 ・鳩ぼっぽ歌碑 / 新宮市名誉市民 いよその姿を現してくる。背後に王子ケ浜線路と平行して上地、中地、下地と進む。 の童謡作詩家、東くめの歌碑。新 を見送り、なおも奥に分け入ると朽ちかけやがて、広い道に出るが行き手が巴川製紙宮駅のフェニックスの大木を背に た鳥居を配して小祠が祀られている。社前工場に阻まれているため、やむを得ず左手鳩たちもときどき舞い降りて来る。 ・古代から中世での熊野詣では中 を左に大きく迂回すると自然石の石段の下に道を取り、国道に合流する。 辺路を通っての参詣がほとんどで、 り坂となり、明るく開けた道筋の傍ら、徳国道を右へ、巴川製紙の正門を通り過ぎ ともえ この場合まず本宮に参詣し、その 本上人名号碑を見る。しばらくして峠、こて右側、巴将軍の宝筐印塔、佐野王子跡と 後、新宮、那智に向かうわけであ の辺りから畑地となっており、足元に熊野続く。草むした中に王子跡の石塔だけがひっ るが、新宮までは熊野川を船で下 灘が開け、三輪崎・佐野と続く海岸線、沖そりとたたずんでいる。 るのが通例となっていた。『中右 に鈴島・孔島を配し、見事な風景が展開す 記』によれば藤原宗忠は本宮で、 る。大宮人が通ったであろう果てしない口 四、五人乗りの小船七艘を借り、 熊野川を下って約五時間ほどで新 マンを秘める熊野の道筋を思い浮かべなが 宮に到着している。 ら、眼下に広がる景観を満喫しよう。 ほどなく、左手にこんもりとした森をな 105
小口・小和瀬の里から小雲取、 うっそうと樹本が茂る 那智山から大雲取を越えてきた熊野詣で ` 第 の道は小口に出て、小和瀬の里から小雲取 り越えにさしかかる。この小和瀬の里から 桜茶屋跡、石堂茶屋跡、そして請川へと三 里の小径を小雲取越えと呼び、平安時代か ら明治の代まで三山信仰の要であった。 小和瀬から椎の木・桜茶屋跡 小和瀬パス停前に吊り橋がかかり、この 地点が小雲取越えの人口である。赤木川に かかる吊り橋を渡った地点に舟の渡し場跡 が残され、すぐ上の民家の間には小雲取越 えの古道となる石段がある。石段を登り杉 林の山道から広い石畳道となり、まっすぐ 上を指している。アカマツの根が石畳にか らむ、なだらかな傾斜の道で、今も当時の 面影をとどめている。やがて林相がアカマ 小雲取越え , 屋の道 ・宿泊 小口川と和田川が出会う山峡に 「小口自然の家」が開設されてい る。施設内にはスポーツ広場、キャ ンプ場、研修室等が整備されてい る。問い合わせは、〇七三五四ー 五ー二四三四 ( 小口自然の家 ) 、 または、〇七三五四ー四ー〇三〇 一 ( 熊野川町役場産業経済課 ) 。 ・本宮周辺には湯の峰・川湯・渡 瀬温泉があり、宿には事欠かない。 ■地形図 ・五万分の一 / 本宮 ・二万五千分の一 / 本宮 ー交通 ひたり ・紀勢本線新宮駅から日足経 由、小口行きの熊野交通・ハス川丈 線に乗り、分『小和瀬』下車。 ・帰路は『下地橋』より、熊野交 通・ハス・ >--æパスで、新宮駅まで、 約 1 時間、和歌山線五条駅ま で、 3 時間分。または・ハス で、紀勢本線紀伊田辺駅まで 3 時 Ⅱ 8