近露 - みる会図書館


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1. イラストマップ 熊野古道を歩く

川期にはいって、紀州藩主が熊野 孫で、画家であった野長瀬晩花の歌碑が据くが、その左側を古道は通じている。なお、 三山の復興に意を用い、道路整備 えられている。 この地点左側に曲がる急坂の方を登ると、 や荒廃した社寺の修復に努め、一 左手に野長瀬一族の墓がある。ここからさ 里塚や駅制の整備などを行なった。 ふるさとは山重畳と日に映えて らに少し行くと国民宿舎「ちかっゅ」が近 こうしたことにより再び、熊野へ 麓をめぐる川の瀬の唄 露の里を見おろす丘の上に建っている。 の信仰が高まり、「蟻の熊野詣で」 継桜王子跡 と呼ばれるほどの活況を呈した。 国道沿いに近露の町並みが続く。近露は国民宿舎を後に、斉藤茂吉の歌碑の前を そしてこの道を通ったのが名もな 御幸の頓宮の地でもあり、古い旅館や雑貨通って登ると、先ほど別れた茶屋の坂から い廻国巡礼の人々であり、これこ そ近世の中辺路を賑わせた主役で 店などに街道筋の面影を残している。しばの古道と出会い、すぐ国道とも合流する。 あった。 らくして、国道が右に大きくカープして行国道を左へ近野神社、一里石を過ぎて近野 ・野長瀬一族の墓 / 近露王子跡を 公民館の前を左に人ると右 経て宿場だった在所の中心地を通 に登る細い古道があり、大 り抜けると左手の高台に県指定文 畑の集落へと続く。 化財、野長瀬一族の墓がある。こ 再び国道と合流、国道沿 の一族が南北朝時代、熊野へ来ら れた大塔宮護良親王を助けた話は ス一 ' ・」 0 左側山腹に比曽原王子 の石碑が立っている。『紀有名で、整然たる五十四基の五輪 伊続風土記』には「比曽原塔が近露の里を見守るごとくたた ずんでいる。 王子碑、村の小名比曽原に ・コース中の「旅のスタンプ」設 あり、御幸記に見えたり、 置個所は、継桜王子と秀衡桜の二 境内に手枕松といふ名木あ ヶ所。 りしか枯れしといふーとあ り、往昔は碑のあるあたり に拝所があり、その上段に 社祠があったとされている ッ 85

2. イラストマップ 熊野古道を歩く

ノスタルジアあふれる近露 箸折峠を後に古道を下ると、日置川の流 れと大搭山系の峰々を背景に近露の里が絵 のようにのどかな広がりをみせる。国道を 横切り、日置川に架かる北野橋を渡ると、 すぐ左手に小さな森があり、「近露王子之 跡」と彫られた大きな石碑が建っている。 また、この王子跡の敷地の人口には、この のながせ 地で活躍した南朝方の豪族、野長瀬氏の子 ■地形図 近露の里から小広峠 ・五万分の一 / 栗栖川 ・二万五千分の一 / 栗栖川・皆地 杉の巨本に囲まれた ・交通 昼なお暗冂継桜王子に心を浸す ・紀勢本線紀伊田辺駅から本 田辺から本宮を結ぶ中辺路往還の丁度、 宮行きのパスに乗り、約 1 時 まん中辺りに位置する近露の里は、熊野詣 間加分「牛馬童子像前』下車、箸 折峠まで徒歩 2 分。 での宿駅として開けたところで、山また山 ・帰路は、『小広峠』からパ の中辺路を眺めてきた目に、近露の風光は スで紀伊田辺駅へ、約 2 時間。 別天地のように明るい。ノスタルジア溢れ つぎざくら る近露の里を訪ね、継桜王子へと、遠い昔 ■宿泊 にロマンを馳せてみよう。 ・古道の中心、近露には国民宿舎 「ちかっゅ」 ( 〇七三九ー六五ー 〇三三一 ) 、とがのき茶屋民宿 ( 〇七三九ー六五ー〇一二七 ) な どがある。 ■メモ ・承久の変以後、熊野は次第に勢 一力を失い、一二八一年、亀山上皇 をもって、熊野御幸は百三十年に わたる歴史の終末をつげる。それ 以来、時代によって熊野信仰の形 態は幾多の変遷盛衰をたどり、徳

3. イラストマップ 熊野古道を歩く

冊榎木峠から千里浜 哀愁とロマンが心の中に生き続ける有間皇子 むろっ ⅱ牟婁津から三栖廃寺跡 みすやま まなこ 三栖山王子跡から真砂の里 滝尻王子社から近露 ー近露の里から小広峠 悪四郎伝説 小広峠から本宮 本宮大社から湯の峰温泉 小栗判官と照手姫 ー熊野速玉大社から王子ケ浜 佐野王子跡から大門坂 一つだたら伝説 大雲取越え 小雲取越え イラスト散歩・湯峰 102 99 96 90 87 84 78 72 66 64 58

4. イラストマップ 熊野古道を歩く

中いこ生第 はしおれ 乳岩群 箸折峠、 いずみさぶろうただひら 泉三郎忠衡がこの地で生 逢坂峠を越えると近露の まれ、狼の乳により育て 里その手前の小高い丘が 滝尻王子跡 られたと言う伝説の岩。 箸折峠。この小さい丘の かざんいん 滝尻王子社から乳岩への 上に花山院の旅姿だと言 〇 : 10 〇 : 15 祈願は安産と健康な子供 われる高さ 38m 程の牛馬 乳岩群 に恵まれると言う。 童子の石像が在り、横に は鎌倉期のものとされる 1 : 20 1 : 30 宝筐印塔が立っている。 高原熊野神社 花山院が熊野詣での途次、 こにきて昼食の際、箸 1 : 00 1 : 00 の代用として茅の茎を折っ 大門王子跡 た時その茎から赤い滴が を : いこ , 第ー 落ちたのを見て、「血か 〇 : 30 〇 : 40 露か」と言われたことが 十丈王子跡 、 3 さこ暴 / 近露の名の由来とされる。 逢坂峠べの適 ( を 0 高原熊野神社 平安時代に創建され、 部の改修を受けているも のの他の王子社のほとん どは社殿は無くなり、ま た全面的に改築されもの ばかりのなかで、貴重な 存在と言える。 高原熊野神社 : 逢坂峠い ( / 大阪本王子跡 〇 : 30 〇 : 20 牛馬童子 1.•50,000 ー 000 m

5. イラストマップ 熊野古道を歩く

滝尻王子社から近露 熊野霊域の人り口・滝尻、 杉木立の中を逢坂峠へ 田辺から滝尻を通って熊野本宮に至る中 辺路は、中世に盛んに行われた熊野詣での 要路として栄えた道である。輿に乗った殿 上人や、白衣の熊野巡礼が引きもきらすに 続いたという往時を偲びながら、滝尻から 近露までの古道を辿ってみよう。 熊野霊域入り口、滝尻王子社 富田川と石船川が合流する地点、背後に 剣の山を擁して「滝尻王子社 , が幾多の歴 史を経て、熊野霊域の入口にふさわしい雰 囲気を漂わせて鎮まっている。杉木立に囲 まれた静かな境内には小さな社殿があり、 鎌倉期のものと云われる宝筺印塔や石碑が 建っている。 滝尻王子社の左脇から熊野古道の面影が 残る石段を登り、急な坂道を十五分ほど行 をー ・地形図 ・五万分の一 / 栗栖川 ・二万五千分の一 / 栗栖川 ■交通 ・紀勢本線紀伊田辺駅から本 宮行きのパスに乗り、約分、 『滝尻』下車。 ・帰路は「大阪本王子前』『牛馬 童子像前』より、スで、紀 伊田辺駅に向かう。 ■宿泊 ・滝尻王子社から高原熊野神社に 向かうハイキングコース沿いに、 グリーンセンター「古道ヶ丘」が 開設されている。山の斜面にキャ ンプ場・芝生公園・フィールドア スレチック・体育館・テニスコー ・展望台などを完備。宿泊設備 として管理棟やマッシュルームキャ ピン等、百名程度の宿泊が可能。 問い合わせは、〇七三九六ー四ー 一五九〇 ( 古道ヶ丘管理事務所 ) 、 〇七三九六ー四ー〇五〇〇 ( 中辺 路町役場企画室 ) 。

6. イラストマップ 熊野古道を歩く

丿 / 793 、 / ガの禾県第一い = プ籌。。ー 言秀ド とがの木茶屋 念物に指定されている。 齢約 1000 年。県の天然記 るので一方杉と呼ぶ。樹 野に向かい南に延びてい 数本の杉の巨木、枝が熊 王子の境内に並び立つ十 継桜王子跡 高湃蕪子の句碑 ひそはら がある。 社に合祠。中川・仲野川・ 年 11 月、近野村金比羅神 子となっている。明治 41 碑が在り、銘は中ノ川王 王子跡には、緑泥片岩の 中ノ河王子跡 である。 ノ 建立した緑泥片岩のもの の王子の碑は江戸時代に 比曽原となっている。 寺の道中王子次第には、 と記してある。また仁和 『御幸記』には、ヒソ原 比曽原王子跡 牛馬童子像 〇 : 20 〇 : 15 近露王子跡 〇 : 10 〇 : 10 野長瀬一族の墓 1 : 00 1 : 20 小広王子跡 、 8 継桜王子跏 〇 : 02 〇 : 02 秀衡桜 〇 : 15 〇 : 15 中ノ河王子跡 〇 : 30 〇 : 30 匚 25 、 000

7. イラストマップ 熊野古道を歩く

当 ) となっていた。『和泉名所図絵』に雄ノ山峠に到着する。明るい陽光と共に紀 ーメモ 「平家物語に平清盛同じく重盛、熊野詣けノ川平野の田園風景が目前に迫る。 ・京都から熊野への平安時代の熊 らくよう るとき、洛陽の兵乱を聴いて、切り目の宿 野古道は、京都から淀川を下り、 摂津・和泉を経て、雄の山峠から より紀泉の境の於の中山に到って京使に遇熊野へ参るには紀伊路と伊勢路の 紀州にはいる。道は峠を南下し、 、六波羅の安否を問う」とあるのもこのどれ近しどれ遠し 湯屋谷の山口王子、黒谷を経て、 広大慈悲の道なれば 地であろう。 こうなみ 上野の月、 ー辺王子 ( 県史跡 ) 、神波 紀伊路も伊勢路も遠からず 王子跡前をまっすぐ南に百メートル、ト わ′ようじんひしよう から楠本の中村王子がある。カ侍 梁塵秘抄 橋を渡り、踏切を越えて再び県道に出て、 神社を通り過ぎ川辺から紀ノ川渡 はんざき これよりゆるやかな登りの雄ノ山峠越えに しで、対岸、吐前王子と続くが、 かっての熊野御幸に思いを馳せながら峠 かかる。やがて数基の石仏が迎えてくれる すべてカ侍神社に合祀されている。 を後にする。しばらくして道 「池の川』パス停からすぐ南に ゅやたに が二分し、左手、湯屋谷に足見える集落が近世の宿駅、山口の 里。雄山谷川の小流に沿って下り、 ~ にを進める。 橋を渡ると宿場町特有の道がカギ 白鳥の関・万葉の 状に続く。郵便局付近の旅籠「ぜ ロマンを求めて にや」など家並は古い。突き当り 昔、この辺りの山越えの道 に古井戸、ここから石折れすると に、紀の関・白鳥の関とも呼 現山口小学校が旧本陣跡。近くに へんしようじ す、み : 第ばれる和泉から紀州に人る関 は小野小町木像を安置した遍照寺 があり、ロマン漂う「白鳥の もある。熊野詣での帰り、小野小 町はこの里で病に倒れた。小町八 「 ( 嫁、民話が語り継がれている。 十余歳の恐ろしい形相である。 ま一を現在山口王子跡の石碑の立っ 辺りがそれで、戦前まで大き 、一一 ( ) 」な叢林を成していたと」われ

8. イラストマップ 熊野古道を歩く

万葉のロマンと悲劇の跡を訪ねて 近世の和歌山城下から通じる熊野街道と合分↓ ) 藤白神社 ( 分↓ ) 藤白峠 浄土寺を後に、三叉路に出て左に三百メー流して藤白王子社に至る。この王子社は藤 ( 加分↓ ) 福勝寺 ( 加分↓ ) 橘本 神社 ( 8 分↓ ) 山路王子神社 ( トル余り、右側が藤白墨製造の跡である。 白神社として現存し、九十九王子の中でも 分↓ ) 拝の峠 ( 分↓ ) 長保寺 往昔、墨辺谷と呼ばれ、松煙に墨を製造し特に格式の高い五体王子として崇敬されて ( 分↓ ) 紀勢本線下津駅 たところである。これより間をおかずして しる 右手に全国の鈴木姓総本家と言われる鈴木藤白神社を出て、民家の中を二百メート ■メモ 屋敷がある。また、この辺りで熊野古道はルほど抜けると藤白坂にさしかかる。右手 ・丁石地蔵 / 海南市の専念寺住職 には皇位継承の争いの犠牲とな 0 て十九歳全長上人が藤白坂の距離を正確に の命を旅路に果てた有間皇子の墓があり、 するとともに、憩いの場、道中の 安全を祈願するためにと、一丁ご 隣には万葉集に有名な歌碑が建てられてい とに藤白坂まで、十七体の地蔵を る。また、その傍らには近年地元の人たち 安置させたのが始まりとされる。 の手で、復元修復された丁石地蔵が祀られ 当時、藤白坂にはかご屋がおり、 ている。ここから峠までに、十七体の可愛 足腰の弱い旅人は、かごを利用し らしい地蔵と歌碑が、一丁ごとに祀られて て峠越えをしたもので、丁石地蔵 しる。 のおかげで、旅人は楽しい道中と 、筆捨松・藤白坂 なり、かご屋もすぐに賃金をはじ き出すことができた。 舗装された農道が続く中、四丁目地蔵の ・有間皇子の歌碑 / 藤白神社の南、 、、分岐で左上の山道に人ると、もう草深い古 、をゝ、 ' 道のたたずまいとなる。しばらくして、右藤白坂の上り口に有間皇子の墓と 歌碑がある。この地で皇子が絞殺 手に海南港が開け、この辺りの海景の素晴 されたと伝えられており、皇子が つらしさに幾人かが歌を残している。やがて、 詠まれた「家にあれば笥に盛る 第藤白坂の中腹には、巨勢金岡が熊野権現の 飯を草枕旅にしあれば椎の葉に 化身である童子と絵比べをして、慢心を戒盛る」の歌は、今なお人々に口ず められ、絵筆を投げたと言う伝説の地、筆さまれている。 1

9. イラストマップ 熊野古道を歩く

乳れけり く そ岩てらとと ので 昔ある るが古 、る 。く開道 奥 。そ らいに 州 のいて沿 の 上の し、 秀 カ : 八るて 衡 。横 藤じで が 原ら、人オ 秀召胎ひわ 妻 衡内 を とる 伝ぐが岩 て 説り や冫 っぽ の ・を・と 熊 残呼と 近露の里 すば抜カ 野 ら続を足子参 滴け乳を出 - を・日旨 りた岩ま産の 。ととみ途 落 いい落次 ち子 るはうにと し臨 乳山岩な をの屋るた月 。の 飲狼にた んに残め夫妻 牛馬童子像。、第を、。 : 、婦カ で守し 0 よ急 、りて立 視山ぬ身た登でりら進中け 忠奔がて健両育 、願ー に 界のカるりあ、なむをて乳衡後いや親て本の の産 、たかのら宮上先気 開阻ぁ尽争ミゑ不。当と、杉岩と けでるき、を去な 王ろ少ば木間る泉こ成着、のわ道き 、あ剣了誠立記お 三の長ま岩旅が中 子がしら立を 滝ゑのんにて も跡あ平くの抜 郎う子しでかを子の ■あ ■ 道 き化 ■ さ の置 ア る〇近 標 予滝熊一 二昭 れ 乳 サ に 中 メ ー . イ固 ハ コ 。世露 等古尻野古和 て へ岩プ ヶ所 イ 富辺 が道か古道五 の か 所は ん路 い ス キ 十ノヾ ら コ 九国 ら道 コ ハ 。滝 . る ン コ の三イ 置 。イ 山 の グ 尻 コ モ さ ス露が 一年 キ 腹 ス ヨ三 コ ス 、ス れ にを指 五 ス中 子 旅 ン づ て は経定 と文 標 グた 社 で で ク ) ス ぃ 随 し化 てさ ス があ と コ い ノじ ち る所 て庁 本れ 牛 タ楽 り も か に宮た歴 よ ス 。史 り が古 に と 童 プめ 内 ゆ 整道 至 ク ) る 般 も 子 板 、る 道 日 。向変 像設 79

10. イラストマップ 熊野古道を歩く

・地形図 小広から本宮 ・五万分の一 / 栗栖川・龍神・十 津川・新宮 三越峠、奥熊野の山並が開ける。 ・二万五千分の一 / 皆地・発心門 伏拝・本宮 冂にしえ人に思冂を馳せて 熊野古道は、小広王子跡で国道から北へこよりの下りが女坂と呼ばれ、九十九折れー宿白 ・紀勢本線紀伊田辺駅から本 外れて、古道道中で起伏の最も激しい約十に二十分ほど辿ると林道に出る。林道を右 キロメートルの山と谷を登り下りして、手に少し進み、栃の川を渡ると媒介茶屋跡宮行のパスに乗り約 2 時間、 ほっしんもん 『小広峠』下車。 発心門王子跡へと続く。ここ伏拝の地に来がある。ここより、熊野古道最大の難所、 ・帰路は『熊野本宮大社 ~ より、 て、初めて熊野本宮大社を望みその嬉しさ岩神峠をさして男坂と呼ばれる険路をよじ ス、熊野交通パスで紀勢本 登っていく。所々に石畳の残るうつ蒼と茂っ の余りにひれ伏して遙拝したと言われる。 線新宮駅へ、スで紀伊田辺 た杉林の中に怪しい山の霊気が漂っている。 ここから本宮大社へはもうすぐ。 駅へ、または奈良交通パスで、 岩神峠から道湯川 和歌山線五条駅に出ることもで 登り詰めると岩神峠で、熊野三千六百峰きる。 が大峰の連山と共に身の引き締まる壮大な 小広峠から女坂・男坂 ・宿泊 小広峠は日置川と熊野川支流四村川との景観が開ける。また峠の左上方に岩神王子 ・本宮周辺には川湯温泉・湯の峰 分水嶺をなし、西方眼下に近露の盆地がは跡を示す数個の石が集められておりしばし 温泉・渡瀬温泉があり宿には事欠 るか谷底にある。そして峠には小広王子跡の間、遠い昔に思いを馳せてみよう。峠を かない。問い合わせは、〇七三五 後に急坂を一気に下ると、平家の落人部落 があり、本宮までの中辺路はまだ遠い。 四ー一一ー〇七三五 ( 本宮町観光協 峠を後に国道を下ると五分で・ハス停岩神と言われた道湯川の人影なき廃村に出会う。 会 ) 、〇七三五四ー二ー〇 0 七〇 じゃがたいし くませ ここに土地の豪族湯川氏にまつわる蛇形石 王子口に着く。左に下ると熊瀬谷川沿いに ( 本宮町産業観光課 ) 。 じゃがたじぞう 休憩所が建っている。これより熊瀬坂の登と蛇形地蔵の伝説が語られている。 ぞうり なおはる 昔、豊臣軍と戦って敗れた湯川直春が、 りにかかり、約三十分で草鞋峠に到着、こ