成果の還元の場でもある。最終日の発表とい つくように高地傾斜地集落が数多く点在しての地域の郷土料理である。地元の岩どうふと う一つの目標が設定されているため、学生た いる。宮城県の椎葉村、岐阜県の白川郷と共言われる山の豆腐は縄で縛って持ち運びがで ちは毎晩フィールド・ノートを整理し議論をに日本の三大秘境にも数えられている地域で、きるほどかみごたえのある豆腐で、それと地 重ね、特に最終日の前夜は明け方近くまで、妖怪伝説など独特の文化・歴史がある。著者元産の玉こんにやくや急斜面農法で栽培され 発表準備に取り組んでいる。 は以前、中国雲南省・ミャンマー・タイ北部た小型のコロコロのじゃがいもを串にさして 最終日の発表を聞いているとフィールドを移動する「山の民」の研究をしていたこと味噌田楽にした地元の郷土料理「でこまわし」 ワークを通して、学生たちが着実に成長した があるが、祖谷の山里の集落はまさに日本にも学生に人気が高い。ゼミ合宿に参加した学 ことを実感する。 2 年ゼミで行う初めてのおける急峻な山岳地帯の暮らしぶりが伺える生たちは、自ら鎌を片手にカヤを刈り、地域 フィールドワーク体験は、その後のゼミ活動地域である。その昔から「そら」と呼ばれての住民たちから「コエグロ」作りを学ぶとい においても一つの重要な起点になっているよきた高地に暮らす人々の生活の知恵と技術のうフィールドワークを通して「体験・交流型」 一つに感じている。 結晶は、農耕システムにある。場所によって観光を体感する。この地域では近年、農作業 フィールドワークでの体験・気づきが自身は傾斜度にもなる急傾斜地は、地面に対しや山の生活を体験する「体験型教育旅行」の の知的好奇心を刺激し、興味・関心のあるテー て垂直に立っことさえも難しいが、そこに先受け入れ農家民泊受け入れ家庭数が拡大して マをみつけて、それを掘り下げるきっかけに人たちは手間をかけて石垣を作り、土の本来おり、受け入れ泊数は 977 人 ( 0'00@年 ) なることが、豊田ゼミの活動の中でフィールの力を生かして、農業を営んできた。土壌のからには 3 8 2 7 人 ( 2 016 年 ) へと急速 ドワークを行う意義だと考えている。 に増加している。 流出を防ぐために、茅を束ねて円錐型の「コ ゼミ学生の調査テーマの一つは、観光客の フィールド調査地のにし阿波・祖谷地域のエグロ」を作り、コエグロで天日干しにした 観光資源を具体的に取り上げながら、ゼミのカヤを畑に敷き込んで肥料にするという農受け入れが地域住民に与える影響である。そ 学生たちが取り組んできた調査内容について法が受け継がれている。にし阿波地域の「傾のため、農家民宿を受け入れている地元の 述べたいと思う。 斜地農耕システム」は、土地に負担をかけ方々にインタビューをして、お話を伺った。 ず、土を育てる自然循環型の有機農法とし自分の自宅に訪問者を受け入れることへの抵 にし阿波・祖谷地域の「体験・交流型観光」 て「食と農の景勝地」に認定された。さらに、抗感や問題点、また外国人の観光客の場合 徳島県のにし阿波・祖谷は、四国山地の最 2 017 年 3 月には、「世界農業遺産」の国はコミュニケーションの難しさや対応方法な 高峰である剣山 ( 1955m ) の西側に広が内候補地に認定されている。傾斜地で育てらどが主な質問内容であった。体験型教育旅行 る山岳地域で、奥深い山々の急斜面にへばりれたそばを使ったそば米雑炊や祖谷そばはこの受け入れ校数は、年ほど前は 4 校であっ カヤ 35 「交流文化」フィールドノート
よばれるような山を遥拝する場合である。大 ての景観ということになる。海だけではなく、特異な身体性とともに体験できる場所がある。 農地などの生産の場や集落など集住の場が相その典型が、日本の場合神社などに代表され抵は眺めとしても特徴ある形の整った山が神 互にどのような「見るー見られる」関係にある信仰に関わる場所である。よく知られるよ体山で、これを背後に拝むように社殿が設け うに、神社のプロトタイプは磐座という言葉られた神社が少なくない ( 写真川 ) 。さらに神 るかなどを調べることで、生活者の視覚体験 もあるように岩、山、瀧、巨樹など自然物を社の場所からの周辺への眺めにも集落を見渡 をその上地の空間的広がりと関連付けること が可能であり、統合的な景観を捉える手法と対象に、これを拝むという身体化とともに成せるなどの局所的特徴がある場合もあり ( 写 り立ってきたものである。特に景観として地真リ、先の沿岸域のケースでは、集落全体 して可能性がある。 としては海が見えにくくても、そのコ、 , 、ユニ さらに , ) うした「景観」を、現代ではやや域的スケールで成り立っているのは神体山と ティの拠点といえる鎮守である神社に行けば 海が良く見えるという例もある ( 写真リ。東 日本大震災で、津波を免れた神社が多数存 在し、その立地の知恵に注目が集まった。し かしこうした神社は単に高台にあるだけでは なく、集落から見えると同時にそこからは自 らの集落に加えて海を見るという、生活者に とっての景観としても特異な存在である。 最後に、観光地における例を紹介したい。 真 写 鳥取県の霊峰、伯耆富士こと大山の中腹に て め 宿ある大山寺および大神山神社は、修験の場に 求 を 県 はじまり天台宗の一拠点としての長い歴史を 島 相 児 鹿 もっ山岳信仰の場である。現在は旅館や上産 土 観 神店が並ぶその参道は当然のように大山を目指 聞 枚 しく。しかし盟 ( 味深いことにそ して上がって、 観 一の反対方向、つまり参道を下る際には、い 5 集 特 摩 離れた美保湾と弓ケ浜の美しい弧を正面 薩
観上地の相貌を求めて 文・写真小野良平 近年「絶景」という言葉がメディアにあふれ、「インスタ映え」は 2017 年の流行語大賞にまで なった。これらは「観る」ことに関わる流行の断片であるが、観光の本質にも関わる、 「観る」ことを通した体験を概念化した「風景」や「景観」の、 その原義は広く共有されているわけではない。このことをふまえたうえで、 人の体験や身体性を含めた総合的な景観論の可能性を考察する。 スツーリズムを省みる中で、オルれらの中には従来知られる観光地も少なくな タナテイプ / サステナプル・ツー いか、あれもこれも絶景というのは景色の安 リズムが唱えられるようになって売りであろうし ( 実際に番組制作の低予算化とも 久しい。その具体的形態はきわめて多様化し関わるように思われる ) 、ウエプや印刷の写真は ているが、総じてはモノからコトへ、一方的彩度などをドーピング気味に持上げた加工が 施され、風景は「盛られ」ている。 体験から双方向のコ、 , 、ユニケーションへなど、 さらには 2017 年の流行語となった「イ 体験の質を重視し地域をじっくり味わうよう な観光への志向が続いている。その中では当ンスタ映え」に加え、「フォトジェニックな景 然ながら、景色を一瞥して写真を撮って済ま色」という表現もよく耳にする。「フォトジェ ニックといえば従来は人に対して用いられ せるような観光は、表面的に風景を消費する、 旧態の遅れた観光として捉えられがちであるる表現であったのが、インスタグラムなどの よ , つに思われる に上げるのに適した写真映えのする風 その一方で、これとは対照的に思われる動景、というニュアンスも持つようになったよ 向も見受けられる。近年「絶景」という言葉うである。スマートフォンの台頭でカメラの が少なくもメディア上にはあふれ、番組使われ方が変容し、風景に限ったことではな 表をみれば毎日必すどこかの番組で使われて いが、写真を通して瞬時に自己を表現し他者 とつなかることかできそ、つとい , つ、コ、 , 、ユニ おり、また「死ぬまでに行きたい絶景〇〇選」 のような出版物も多数世に出されている。そケーションの道具としての写真の意味が増し みばら 4
ー宀特集〕 るがいそれでなお「覿る」ことは観光におい て重要で根源的な体験いえるのではないだ う - つか この「観を」、ことに基づいたその体験や対象 。を示す概まどして - 「景観」や「風景一がある。 これらは特別な説明の必要もないほど日常的 「観光」の英語訳は、行政や学問的立場ではに使われる言葉とはなっているが、それだけに ・主に " → 0 。 = sm 。が使われる。しかし辞書を、観光における観ることの意味、意「と簡単 《あたってみれば、つまり世間で広く使われるに済まされているきらいがある。そ」で k 号 言葉としては、観光の訳は " S 一 g 000 一 ng 。一では「景観」を切り口に観光を考てみたい。 の方が一般的である。この「観光」とま土「景観」概念そのものの成り」ちに一度 *Sightseeing* を見比べてみるとー「概光」が立ち戻って、観光と景観との関わりをみえる 英語などから翻訳して生み出さた語ではな一ついで特に際立 0 た景観が観光の対象と」て いのにも関わらず、両者の言の成瞻ちはな識されるような例としてい「借景」をとりあ とてもよく似ている。どちらも眼べってく〉げ、日中の化交流という観点も交えながら る世界を ( 観る ) 」ことを本として〉一紹介する。最後に、観光の体験を豊かにする る。こっしてると、時代ともに観光の内「楽しみ方の一つの例として都市や地域を読。景 容や形 . は委するなかで、年ではいわゆ、み解くための手掛り・手段に「景観」を用いな特 る物見仙的よ光は減っているとはいわれツがらパの街を歩いてみる ↓ 3 を 220 ・ロ 0
ているようである。従来のインスタントカメ ラもその場で写真が共有できるツールである といえるが、あらかじめ「その場」を超えた 世界を意識しながら風景へスマホをかざす視 線 ( 写真 1 ) は、これまでになかったものであ る可能性はある。 このよ、つな軽々とバケット化されていくと でもいうべき風景の体験を止めることはでき ないしその必要もないだろうが、ただし学術 的立場では、 こうした現象を捉えておく意味 はあるよ , つに思われる。しかしたと、んば観 光学における「風景」の扱いもまた、消費さ れる風景、風景の政治性といった風景の「表 象」の使われ方に関する批判的議論か、ある いは観光地の看板・電線・ゴ、 , 、間題など環境 の「表層」の話などの、「オモテ」の話に収まっ ているように思われる。観光の語源に戻るま でもなく、「観る」ことを通した体験を概念 化した風景や景観は、観光の本質にかかわる ことと思われるものの、意外にも観光学の中 で風景や景観それ自身に関する議論を聞くこ とは少ない 。しかし景観工学者の中村良夫が しうように風景が「空間に包囲された生命の 実存的不安を解消する」、「社会の余剰価値と いったのんきな性質のものではなかった 1 国営ひたち海浜公園「みはらしの丘」 2017 年 5 月 ( 写真 1 ) 提供 : 国営ひたち海浜公園ひたち公園管理センター 5 特集景観景観土地の相貌を求めて
ないか、あったとしてもまさに余剰価値を扱とはいうまでもないが、観光の多様化ととも当に捉えることが可能なのかどうかは未だわ , つにすぎない しかし時には、人々が風景を前に しかし改めて景観について原 に、いわゆる観光地とそうでない地域との違からない 義に立ち返ることで、誰かがそこに身を置き いは区別がなくなりつつある中で、環境の価しながらも必すしもインスタジェニックさに 体験をする場としての環境を広く捉えてその値をそこにおける人の体験も含めて統合的に捕らわれているばかりではない場に出会うこ 価値を考え、それらの関係体の維持のあり方捉えることは観光学としても取り組むべき課ともある ( 写真当。そこで人々が体験してい る風景・景観は、「相貌」に少しばかり近づ を議論することの意義に気が付かされる。観題ではないだろうか フンボルトや三好の目指した「相貌」は本いているのかもしれない 光資源や観光地の価値が自明のものでないこ 0 明治神宮外苑 2016 年 2 月 11 日。旧国立競技場が取り壊され、新競技場の建設までの束 の間に姿を現した富士山を見に集まる人々。写真を撮る人が少ないわけではないが、富 士山の景観は SNS の先よりも、現場に居合わせた人々の間で共有されていた。 ( 写真 14 ) 参考文献 中村良夫 ( 1982 ) : 『風景学入門』 : 中公新書 2 小野良平 (2008) : 三好学による用語「景観」の意味と導入意図 : ランドスケープ研 究 71 ( 5 ) , 433 ー 438 3 ジョン・アーリ ( 1995 ) : 『観光のまなざし一一現代社会におけるレジャーと旅行』加太宏 邦訳 : 法政大学出版局 ( 増補改訂版 2014 ) ( 原著 Urry, J. "The Tourist Gaze " , 1990 , ) 4 ジョン・バージャー ( 1986 ) : 『イメージ Ways 0f Seeing 視覚とメディア』伊藤俊治 訳 :PARCO 出版局 ( 原著 Berger, J. "Ways of Seeing" , 1972 , Penguin Books) 5 スザンヌ・シーモア (2005) : 「風景の歴史地理学」、プライン・グレアム他『モダ ニティの歴史地理・下巻』米家泰作他訳 : 古今書院 ( 原著 Graham, B. and Nash, C. " Modern Historical Geographies" ,2000) 6 勝原文夫 ( 1979 ) : 『農の美学』 : 論創社 7 柄谷行人 ( 1980 ) : 『日本文学の起源』 : 講談社 8 S. Whitfield ( 1992 ) : Magritte: Metropolitan M useum of Art 9 加藤典洋 (2000) : 「武蔵野の消滅」『日本風景論』 : 講談社 10 小野良平 ( 2012 ) : 「生活の基盤となる景観の再生」『復興の風景像』ランドスケー プの再生を通じた復興支援のためのコンセプトブック : マルモ出版 11 小野良平 ( 2017 ) : 三陸沿岸域における集落と海の視覚的つながり : ランドスケープ 研究 80 ( 5 ) , 585-588 0 15 特集景観景観土地の相貌を求めて
修学院離宮の地形 ( Goog 厄 Earth より ) ( 図 3 ) 修学院離宮の借景 ( 写真 4 ) を視覚的に遮蔽し、山の雄大さをいっそう浮ある。中国的な「眺望」に近い借景の形式は、 「登高眺遠 ( 高いところに登って遠くを眺める ) 」 き彫りする効果を出していることがわかる。 という庭園での体験として表現することが可 ニつの借景の形式【「眺望」と「框景」 能であり、この体験には身体性の変化と視線 拙政園と滄浪亭のような中国の庭園の借景の広がりの関係性がみられる。すなわち、高 は ' まさに『園冶』が述べる「極目所至、俗所の視点に上がっていき、そこに到達して遠 則屏之、嘉則收之、不分町踵、盡為煙景 ( 見景を眺望するようになっているところに特徴 渡せる限り、俗なものであれば遮り、美しければそ があり、ここにいわゆる「小後見大 ( 小さな れをとり人れる。また、田園か町かを分けすに、す べて風景と見なす ) ーという内容に当てはまっ ている。中国では借景を楽しむ方法は大抵の 場合、高い場所あるいは広い場所から遠くの 景色を眺めることである。それに対して、京 都の円通寺庭園のような日本の借景は、小沢 圭次郎のいう「見越し」理論あるいは視覚上 の境界の存在によって成り立っている。視覚 上の境界物によって構成されたいわば額縁の ような存在は、借景の構図に対する重要な要 素となって、画面のように捉えられる景観の 深度と奥行き感に影響している。奈良の慈光 院庭園の借景もそのような要素と特徴を現し ている ( 写真 6 ) 。 これらの借景を成り立たせる庭園空間の構 成とそこにおける鑑賞者の身体の関係に注目 してみると、中国と日本とでは異なる特徴が 円通寺の借景 ( 写真 5 ) 21 特集景観借景人工與自然的聯繋
るのではなく、家族の一員として受け入れて、 日常の暮らしをいつものやり方で、空間と時 間を一緒に共有するという姿勢がむしろホス ピタリティの真髄で、訪問者のみならず、ホ スト社会にとっても価値ある交流体験となる ことがみえてきた。受け入れた子供達が、打 ち解けて親しくなった後、別れる時が寂しい という感想や、帰宅後も手紙を書いてくれた りして交流が続くのが嬉しいと、几帳面に全 ての手紙を整理して保管しているファイルを 見せてくれた受け入れ家庭もあった。素朴で 親密な交流体験を中心に据えた観光において、 観光客とホスト社会の関係は一過性ではなく、 持続可能な関係性を生み出す可能性を秘めて おり、それを継続・促進するような仕組み作 上ど りも必要だと学生は最終日の提案発表の中で 述べていた。 た (NOOO) が、 2015 年には校になっていたよりもずっとポジテイプに地域に作用 古民家の再生事業 していることがわかった。農家民泊をされて た。それに伴い農家民泊受け入れ家庭数も R 軒から 15 6 軒へと増加している。過疎・高 いる家庭は、最初は不安や戸惑いがあるよう深い森に囲まれた山あいには江戸時代中期 から昭和初期に建てられた民家がある。中に 齢化が深刻なこの地域において、都会から訪だが、年に 2 回民泊研修会も開かれており れる中・校生の受け入れ交流の機会を、地域農家民泊をしている他の家庭から教わる機会は築 000 年余年と推定される見事な床板の 住民の人々自身が楽しんでおり、まるで、親や相談する場が提供されていることも農家民民家も残されていて、国の重要伝統的建造物 戚の子供達を迎え入れるような自然体で受け泊受け入れ家庭数の拡大に寄与していること保存地区に選定されている集落もある。一般 入れている様子に、学生たちは驚き、予測しもわかった。お客様扱いした「お接待」をす的には、集落とは平地の川沿いに形成される
父流文化 17 立教大学観光学部編集表紙写真 / 周宏俊、松村公明 特集 上地の相貌を求めて 小野良平 人工與自然的聯繋 周宏俊 バリの景観観察ノート 松村公明 「交流文化」フィールドノートの 「体験交流型観光」に取り組む 現場から学ぶ 豊田三佳研究室 読書案内 『フンホルトの冒険自然というく生命の網〉の発明』 『出来事と写真』 在外研究通信 10 ヴァーへニンゲン大学と ゲストハウスての日常生活 韓志昊 C 0 N T E N T S 02 04 26 34 42 44
きた人々とは異なる別の外部の他者の視点で眺めに関わる人、主体についての議論が不足覚や景観の議論から離れることよりも、むし ろあくまで観る主体としての人の身体性に着 ある。その外部の視点は新しいまなざしの一していることに気づかされる。 種といってよく、名勝などに加えて新しい文従って文化的景観という概念に沿うならば、目することで、三好の「景観」に近づいてみ 化財の種別として文化的景観を設けることは、人為を与えてきたその人々が自身の面する環ることである。 。本 一例として、観光地という , ) とではないか、 たとえば加藤のいう定住者的審美の態度の登境をどのように観てきたのかということが 場に伴うまなざしの変容に過ぎないという考来間われるべき点であるといえる。そのため海洋沿岸での地域の暮らしと海への眺めの関 えることもできる。三好自身の景観概念には には歴史性を考慮した空間の履歴を踏まえた係を挙げたい。東日本大震災で津波の被害に このまなざしに類する関心が希薄であったが、 上で、眺めの主体である人がその対象となるあった多くの沿岸集落の復興に関して、防潮 先に述べたような観光学等における風景への上地・空間に何らかの形で関わる身体をもっ堤の増強などによって暮らしの場から海が見 まなざし論を経ることで、三好の目指した景た同じ人であること、つまり人の身体性の観えなくなることを懸念する声は小さいもので はない。実際にある沿岸域で海の可視性を地 観概念には上地の広がりに関わり、またその点から景観を考えることである。先のアーリ の『観光のまな形情報をもとに網羅的に調べてみると、海岸 から離れた高台に立地する集落やそれらを結 ざし』においても、 文 要 重 その増補改訂版にぶ道は、海の可視性の高い上地に特異的・限 下 おいては、視覚中定的に立地していることがわかる ( 図 3 、写真 さらにこれは海が生業の場である漁業 心主義への批判な どにも応するかた集落はもちろん、沿岸域の農業集落において 曲市 ちで、身体性を考も一定度みられる特徴である ( 写真 9 ) 料 八 県 て め 慮した新たな考察まり沿岸域で暮らしを営む棲み処を定める 求 田賀 か加えられている。 ( 身を置く ) にあたって、海が見えるという単貌 棚は の の まさに先の中 しかしここで考え純な体験が生活に欠かせない、 地 土 の 観 たいのは、視覚以村の「生命の実存的不安を解消する」条件で 八 的江外の感覚と体験もあったと考えられる。そうした海を見ながら 観 化近 数重要であることは生業を続け暮らしてきた人々の営為の履歴の 集 特 当然とはいえ、視表れが、その上地のそこに暮らす人々にとっ 上化