したちいおりトラストは、 ューイの、 と・なルロ 2015 年以降は株式会 ) 六乂 . 会社となり代の若者がこ の地域に移住してきて働 重、衣現食黻 く場を提供している。と はいえ、地元集落の人々 のお手伝い ( アルバイト ) し第 g ・進、 1 呆 商呈 ' ん - こ野・ ? 、法ル地 と協力なしでは成り立た ない。なぜなら宿泊客の 舗全 = 告 ~ 胤 4 こムプ 一罧を、犬ズン 滞在中の食事は集落の畑 リイ下 し一 で収穫した季節のもので 三た相べ民 ) テと宿 義☆む地元のお母さんが郷土料 理を作っており、チェッ クアウト後の清掃も地域 発住民に依頼しているから である。しかし、地域住 民は高齢化しており、人 ロ減少は著しい。現場で はスタッフの人手不足と いう深刻な課題に直面し ていることを学んだ。ち 宿泊スタイルは、これまでの民泊やホテル・民家宿泊施設の運営に携わっているスタッフ いおりアライアンスは事業の目的として、「祖 旅館とは異なる「隠れ家」型の新しい宿泊スからヒアリングを行い、利用客への情報発信谷をはじめとして、こうした山村集落におけ タイルを提供している。ゼミ合宿では、このの方法や運営管理上の課題について学んだ。 る生活習慣や人々のつながりに新たな価値を ような宿泊施設に滞在あるいは宿泊して、古 cN00L0 年には zæo 法人としてスタート与え、多くの人々と共有し、その結果として 第・をー
れているそうである。ダ ムが建設され下流域の洪 水被害が軽減される以 前、湧き水が豊富なこの 地域における山の尾根は、 人々が移動するための重 要な交通経路の役割を果 たしてきたため、山の高 地斜面に集落が形成され たと言われている。 東洋文化研究家のア レックス・カーは、この 地域の山里の景観に魅了 され、「悠久の時を閉じ込 めた『桃源郷』のようだ。」 と表現しており、空き家 となった古民家を茅葺民 家型の宿泊施設として再 生させる「桃源郷祖谷の 山里」プロジェクトに携 わった。三好市の公共事 立っ美しい渓谷を流れる翡翠色の吉野川の清日本三大暴れ川の一つでもあり、「四国三郎」業で改修された落合集落に点在する 8 棟の茅 流は、ラフティングのメッカとして知られての異名を持つほど数多くの水害をもたらした葺き民家の施設をアレックス・カーが取締役 おり日本で初めてのラフティングの世界選手歴史があり、江戸時代の 2 0 0 年間に 10 0 を務めている「ちいおりアライアンストラス 権が行われた。しかしその一方で、吉野川は回ほどの洪水に見舞われたという記録が残さト」が運営管理している。外装はこの地域の . 員サ金 上郷土料理の「でこまわし」下農家民泊の経験を伺う
私たちを惹きつける美しい景観や伝統的な生若者や子供たちが集落からいなくなって、「な体感でき、地元住民に触れ合う旅」は、海外 活様式を持続可能なものとして残していくこんとかせないかん。このままでは集落が消滅からの観光客からも注目されている。地域住 と」を掲げている。そのため、宿泊事業のみしてしまう。」という共通の切迫した思いか民の「地域への思い」から生まれる親密で素 ならず、古民家を拠点として地域の方々と訪ら、廃校となった学校を改修し、「楽校の宿朴なもてなしは、心の温まる交流の旅を作り 問者との交流が図れるようなイベント、ワー あるせ」という宿泊施設として蘇らせた。「楽出す。『 National Geog 「 aphic 』からの読者ッ クショップなども開催していることを伺った。校の宿あるせ」の運営主体は、地元に住む地アーも定着してきており、近年は定期的に開 お洒落な隠れ家型の古民家に滞在する観光客域住民でこの小学校の卒業生たちである。ど催されている。ラフティングの国際大会が開 数が増加するだけでは不十分で、そこからどのように地域住民が連携して運営に取り組ん催された際、英国からのチームは「楽校の宿 でいるのか。訪問者にどのようなプログラムあるせ」を宿泊施設として利用した。学生た のように交流・移住人口の拡大につなげてい くかが地域の持続可能な観光のための重要課を企画しているのかなどについてゼミの学生ちは地元の住民たちがいかにして外国人観光 題であることを学生は最終日の発表で取り上たちは、運営スタッフにインタビューを行っ客とコミュニケーションをとるのか、問題は げていた。 2 年ゼミの合宿をきっかけに、地た。宿泊施設ができることにより、都会に移ないのか心配していた。しかし、地元住民は 方への移住という課題に関心を持ち始め、 4 住した人々も家族連れで故郷を訪問すること英語が流暢に話せるわけではないけれど、携 年生の卒業プロジェクトではーターン・が可能になったことは地域住民のつながりを帯電話に翻訳アプリをいれて、それを片手に コミュニケーションをはかっており、親密な ターン、地域おこし協力隊など地方自治体の実質的に保持できるという意味で意義深いこ 移住政策をテーマに選んで取り組む学生も少とがわかった。また、この地域は雲海が頻繁交流が成り立っていることに学生たちは衝撃 なくない に見られる高地で山茶の産地で、「天空の山を受けていた。ある学生のゼミ合宿の感想を 茶」として知られているが、校庭にピザを焼最後に締めくくりたいと思う。 インバウンドと交流人口の増加 「祖谷で過ごした 4 日間は自分のなかで人生 く手作りの釜を完成させ、月に一回くらいの 徳島県三好市の総人口は 7 万 1320 人ペースで「山茶カフェ」というイベントを開の転機ともいえるほど大きなものとなりまし た。首都圏で働いて暮らすことしか頭にな ( 1960 ) から 2 万 6851 人 ( 2015 ) に催し、交流の空間を提供している。 にし阿波地域への外国人宿泊数は、こかった私を立ち止まらせ、今の社会のあり方 減少している。徳島県と高知県の県境にある 山深い地域に位置する「有瀬」小学校は、か こ年間で 9 5 2 人 ( 2 0 0 7 ) から 2 万についても深く考え直させてくれるきっかけ ( 豊田三佳 ) 3 6 81 人 ( 2 016 ) へと大幅に急増してになりました。」 って—oo 人以上の小学生が学んでいたが、 いる。「自然と共存する集落で暮らしぶりを 人口減少の波の中で廃校になってしまった。 41 「交流文化」フィールドノート
2018 年度 立教大学観光研究所 公開講座 立教大学観光研究所では、 以下の公開講座を実施しています。 ホスビタリティ・ マネジメント講座 宿泊を中心とするホスビタリティ産業の 理論と経営、最新動向を学ふ ( 2018 年 9 月開講 12 月講義終了予定 ) 「ホスピタリティ・マネジメント講座」では、ホテル や旅館など宿泊を中心とするホスピタリティ産業 のサービスや連営、経営に関わることから、それを 取りまくホテル資産投資、旅行会社や鉄道、航空 業界の動向、 M ℃ E 、観光地開発、急増するインバ ウンド等観光立国としての政策といった分野まで、 業界の第一線の実務家を講師に招いて講義を行い ます。 最新情報はホームページをご覧ください。 http://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/it 「ホスピタリティ・マネジメント講座」 に関する問い合わせは 立教大学観光研究所事務局 〒 171 ー 8501 東京都豊島区西池袋 3 ー 34 ー 1 TEL 03 ー 3985-2577 Email: kanken@rikkyo.ac.jp
なった数年から引退を希望していたそうで、 る生活習慣はもちろん、家作りも自然を利用多く、このゲストハウスは小規模ホスビタリ する工夫をしていた ( 写真 1 ・ 2 ) 。 ティ施設の研究に重要なヒントを与えてくれ今年の春、家を売って宿を閉めた。それでも、 ュニークなゲストハウスの運営コンセプト た。ホスピタリティ研究の事例として調査対宿がなくなる前にお二人に出会えたことを感 は、オーナーの旅行経験から生まれることが象に考えていたが、オーナー夫婦が歳に謝する。 匸にロ 1 枝を曲げながら育て、日差し避けに木を活用したゲストハウス ( 写真 1 ) 2 秋になったら葉っぱが落ち、日差し がよく入る ( 写真 2 ) 1 Lyubomirsky. Sheldon, & Schkade (2005) , Pursuing Happiness: The Architecture 0f Sustainable Change, Review 0f GeneraI Psych010gy, 9 ( 2 ) . 111 ー 131. 47 ヴァーへニンゲン大学とゲストハウスでの日常生活
に「日本の建築家丹下健三の設計になる第 7 006 ) , ) とを目的とするものであった。こ が、この高層住宅団地群の景観であると知る 芸術センター」と記されていたグラン・エクの意味では、居住機能に特化した日本の住宅ことである。そのため、私たちはこの景観を ラン Grand EcranZ 、今やイタリー広場のラ団地とは異なり、 1860 年までは人市税徴 1960 年代 5 間年代にかけて生成された、 ンドマークとして完成している。しかしなが収所の外側、つまりパリの外側であったこの見るべきパリの都市景観として記憶にとどめ、 ら、何よりも目を惹きつけるのは、 , 、シュラ地に、複合的な機能を備えたカルチェのよう同時に、ク。、 ノリらしい都市景観 , は、。、 ンの記述にあるとおり、イタリー広場の背後な空間を創り出そうとする試みであった。し外縁部から既に市境を超えて膨張する郊外化 に林立する高層住宅ビル群、いわばク摩天楼クかし、結果的には期待された効果を発揮しな と引き替えに成り立っていることを、この景 リ、ら いまま、おもに 1970 年代以降、ベトナ観の一断面を通して想像する必要がある。 g 「 a 容 e 、 ciel のスカイラインであろ , つ。 しさを屋根の上に求めて世界中からやって来ム戦争やラオス内戦をはじめとするインドシ初めて訪れる場所の経験は目に映るすべて た訪問者は、 , ) のク摩天楼の景観については、ナ戦争にともなう避難民の受け人れ、とりわが新鮮で、子どものような好奇心に溢れるも 見えても見ていないことにすると決め、一方、けインドシナ華僑の流人と定着が進行し、今のである。初めてベトナム・メコンデルタを ハリ市民の間では、数々の失敗作の中でも破や欧州最大とも言われるチャイナタウン ()e 訪れた先生によって撮影された 1 枚の写真。 局的であるとして、しばしば困惑の的となっ qua 「 tie 「 asiatique) 、あるいはインドシナ華人街先生は確かにアオザイの制服姿で橋を渡っ てきた。 が形成されている。いわゆるショワジーの三てゆく女子生徒を撮影したつもりだったが : この 1 枚の写真を手がかりに、 大塚 ( 2 01 イタリー広場の奥に広がるク摩天楼。角形 iang 一 edeCh 。 isy を核心としたエスニッ 1960 年代以降の一連の再開発プロクタウンである。日本のク中華街クをはじめ、 7 ) は、同じ景観を観察したとしても、何を ジェクトによってもたらされた。再開発プ欧米都市の都心に近接したチャイナタウンのみているかその対象が異なることを示し、景 ロジェクトの中には、レゾランピアド Les 景観とは異なり、高層住宅団地群に形成され観の背景にある歴史的・文化的情報を事前 Olympiades とマセナ Masséna の都市開発プたその特徴から、パリ市リ区に位置するにも人手することの重要性について述べている。 ロジェクトかある。これ、りのプロジェクトは、 かかわらすクパリ郊外のチャイナタウンクと景観は場所の一般性と特殊性を現地で丁寧に 低家賃住宅から公務員住宅を含む多様な階層呼ばれてきた ( 写真 6 ・ 7 ・ 8 ・ 9 ) 。しかし教えてくれるが、そのためには、たゆまぬ旅観 の 向けの集合住宅、教育施設、商業・スポーツ ここで重要なことは、。、 ノリもまた世界の大都の経験と知識の蓄積がいっそう欠かせないよ 施設の複合開発によって、「対照的な社会集市と同じく、転出にともなう深刻な人口減少うに思われるのである。 観 景 団の間で調和のとれた交流を生み出し、共を食い止めるため、市域外縁部を対象にプル 集 2 018 年 3 月に立教大学観光学部を定年退職される村上和夫 特 生を促す」 ( パンソン・パンソンⅡシャルロ、 2 ーザー型都市開発を推し進めた時代の残影先生に感謝して、このささやかなノートを献呈いたします。
順ュ前載 え、この年余を経て古びす、折りに触れて > たイ所転 Q) れカ作 参照し、その有用さは年を経るごとに増して Q ーとン 9 いることから、今やク赤い旅券と緑のガイドみ 点図点ラ 望地発プ はパリ行きの旅行鞄に必須の品となっている。 点眺の出ゴ編 % 眺区前擧。日 本書ではおなじみの、星の数で評価された 「、。と地儺あ之 見どころを中、いに、 ハリ市内で和余りのエリ つ」 アを選定、エリアごとに掲載された独自の地 イ通るー要 ンいし圸所 図には、それぞれの街区をあたかも博物館に ラて面引 見立てたかのような順路が明示されている。 付広 ビる 力が一 読者は順路に沿って歩を進めることにより、 広号列由と 一記イ経点 ク見えてくる順クに記述された詳細な解説文 丿図、を着 地は丘到 イの路のを に目を通す仕組みである。この点では、フラ ンス人が一般的にマニュアル的な観光ガイド をテキストとして、パリの都市景観を紹介し設計になる「第 7 芸術センター」の建造が進ブックを忌避し、言わば行き当たりばったり ながらその一端を探ってみることにしよう。 行中である。このオーディオヴィジュアルののク遊歩クに旅の愉しみを見出すとしても、 総合施設にはフランス最大のスクリーンが設本書はかなり学究肌な解説文と精緻な地図に 立ち止まって眺める パリミシュラン・グよって、数ある観光案内書において示すべき 置される予定である。「 イタリー広場 (Place d'ltalie) 手本であり続けてきた。 リーンガイド」 19 91 年 かっての。ハリの入市税徴収所の一つであっ そのような中でいっそう興味深いことは、 たところだが、今は背後に高層住宅ビルが 1995 年、初めてのフランス渡航に際エリア別の地図中に、地図記号としてしばし リ、 , 、シュ一フン 林立する地域が広がっている。ゴプラン通り ばツの記号が描かれていることである。この して購人した観光案内書「パ Avenue des GobeIins にさしかかるところグリーンガイド」は、「 GuideVertPa 「 is 」 ( ギド・扇に似た地図記号ツは、凡例によると po 一 n 「 からは、バンテオンがよく見える。ポビョ通ヴェール、。、 ノリ ) の日本語翻訳版として実業之 de vue 眺望点を表しており、扇の向きは眺望 り Rue Bob 三 ot とイタリア大通り Avenue 日本社から 1991 年に刊行された初版で方向を指し示している。フランス国上地理院 (—cz) 発行の 2 万 5 千分の 1 地形図にも同 d'ltalie との角には日本の建築家丹下健三のあった。もはや古典の域に達しているとは言 4 MANUFACTURE DES GOBELINS ゴプラン製作所 / 。し . Be 市の「 を du M 5 0 国有備品 MObiI ー 保管庁、 t 0 6 0 9 の /no, う square ené Le GalI LYCÉE RODIN ( 0 Mairie du 13 A 「「 0 をイタリア広場 0 円 ace 0 LYCEQTECHNIQUE E S 引 E N N E d'l ね 0 R. u Moulin d25 27 特集景観パリの景観観察ノート
観上地の相貌を求めて 文・写真小野良平 近年「絶景」という言葉がメディアにあふれ、「インスタ映え」は 2017 年の流行語大賞にまで なった。これらは「観る」ことに関わる流行の断片であるが、観光の本質にも関わる、 「観る」ことを通した体験を概念化した「風景」や「景観」の、 その原義は広く共有されているわけではない。このことをふまえたうえで、 人の体験や身体性を含めた総合的な景観論の可能性を考察する。 スツーリズムを省みる中で、オルれらの中には従来知られる観光地も少なくな タナテイプ / サステナプル・ツー いか、あれもこれも絶景というのは景色の安 リズムが唱えられるようになって売りであろうし ( 実際に番組制作の低予算化とも 久しい。その具体的形態はきわめて多様化し関わるように思われる ) 、ウエプや印刷の写真は ているが、総じてはモノからコトへ、一方的彩度などをドーピング気味に持上げた加工が 施され、風景は「盛られ」ている。 体験から双方向のコ、 , 、ユニケーションへなど、 さらには 2017 年の流行語となった「イ 体験の質を重視し地域をじっくり味わうよう な観光への志向が続いている。その中では当ンスタ映え」に加え、「フォトジェニックな景 然ながら、景色を一瞥して写真を撮って済ま色」という表現もよく耳にする。「フォトジェ ニックといえば従来は人に対して用いられ せるような観光は、表面的に風景を消費する、 旧態の遅れた観光として捉えられがちであるる表現であったのが、インスタグラムなどの よ , つに思われる に上げるのに適した写真映えのする風 その一方で、これとは対照的に思われる動景、というニュアンスも持つようになったよ 向も見受けられる。近年「絶景」という言葉うである。スマートフォンの台頭でカメラの が少なくもメディア上にはあふれ、番組使われ方が変容し、風景に限ったことではな 表をみれば毎日必すどこかの番組で使われて いが、写真を通して瞬時に自己を表現し他者 とつなかることかできそ、つとい , つ、コ、 , 、ユニ おり、また「死ぬまでに行きたい絶景〇〇選」 のような出版物も多数世に出されている。そケーションの道具としての写真の意味が増し みばら 4
ないか、あったとしてもまさに余剰価値を扱とはいうまでもないが、観光の多様化ととも当に捉えることが可能なのかどうかは未だわ , つにすぎない しかし時には、人々が風景を前に しかし改めて景観について原 に、いわゆる観光地とそうでない地域との違からない 義に立ち返ることで、誰かがそこに身を置き いは区別がなくなりつつある中で、環境の価しながらも必すしもインスタジェニックさに 体験をする場としての環境を広く捉えてその値をそこにおける人の体験も含めて統合的に捕らわれているばかりではない場に出会うこ 価値を考え、それらの関係体の維持のあり方捉えることは観光学としても取り組むべき課ともある ( 写真当。そこで人々が体験してい る風景・景観は、「相貌」に少しばかり近づ を議論することの意義に気が付かされる。観題ではないだろうか フンボルトや三好の目指した「相貌」は本いているのかもしれない 光資源や観光地の価値が自明のものでないこ 0 明治神宮外苑 2016 年 2 月 11 日。旧国立競技場が取り壊され、新競技場の建設までの束 の間に姿を現した富士山を見に集まる人々。写真を撮る人が少ないわけではないが、富 士山の景観は SNS の先よりも、現場に居合わせた人々の間で共有されていた。 ( 写真 14 ) 参考文献 中村良夫 ( 1982 ) : 『風景学入門』 : 中公新書 2 小野良平 (2008) : 三好学による用語「景観」の意味と導入意図 : ランドスケープ研 究 71 ( 5 ) , 433 ー 438 3 ジョン・アーリ ( 1995 ) : 『観光のまなざし一一現代社会におけるレジャーと旅行』加太宏 邦訳 : 法政大学出版局 ( 増補改訂版 2014 ) ( 原著 Urry, J. "The Tourist Gaze " , 1990 , ) 4 ジョン・バージャー ( 1986 ) : 『イメージ Ways 0f Seeing 視覚とメディア』伊藤俊治 訳 :PARCO 出版局 ( 原著 Berger, J. "Ways of Seeing" , 1972 , Penguin Books) 5 スザンヌ・シーモア (2005) : 「風景の歴史地理学」、プライン・グレアム他『モダ ニティの歴史地理・下巻』米家泰作他訳 : 古今書院 ( 原著 Graham, B. and Nash, C. " Modern Historical Geographies" ,2000) 6 勝原文夫 ( 1979 ) : 『農の美学』 : 論創社 7 柄谷行人 ( 1980 ) : 『日本文学の起源』 : 講談社 8 S. Whitfield ( 1992 ) : Magritte: Metropolitan M useum of Art 9 加藤典洋 (2000) : 「武蔵野の消滅」『日本風景論』 : 講談社 10 小野良平 ( 2012 ) : 「生活の基盤となる景観の再生」『復興の風景像』ランドスケー プの再生を通じた復興支援のためのコンセプトブック : マルモ出版 11 小野良平 ( 2017 ) : 三陸沿岸域における集落と海の視覚的つながり : ランドスケープ 研究 80 ( 5 ) , 585-588 0 15 特集景観景観土地の相貌を求めて
d no e 伝統工法に基づいて改修された昔ながらの質完備で、キッチン・バス・トイレに最新の設や造形・照明などにこだわった仕上げで独特 素な茅葺き民家であるが、内部設備は床暖房備と快適性が整えられている。内装も素材感な上質空間を生み出している。一棟貸切型の 1 古民家にてヒアリング 2 外国人旅行者へのインタビュー調査 3 「楽校の宿あるせ」にてヒアリング 39 「交流文化」フィールドノート