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検索対象: 交流文化 volume 17
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1. 交流文化 volume 17

関する議論も既になされている。たとえば先空間の広がりと眺めの統合へとつながる手が 関連する話題として に挙げた勝原と、その考えを踏まえた文芸評かりをつかんでみたい。 論家の加藤典洋による審美的態度の変容に関挙げられるのは「文化的景観」の議論である。 わる考察 9 は、近代以降の風景へのまなざし ( 審農林漁業等に関わって形成された、たとえば 美的態度 ) が、歌詠み的、旅行者的、定住者的棚田などを典型例とする自然と人為の合作と 真 , 態度へと変容してきたことを、具体的風景のされる景観である ( 写真 6 ・ 7 ) 。文化的景観 新対象 ( 来訪地 ) とともに、まなざしの送り手とは戦前期の地理学で既に掲げられていた概念 受け手の関係とメディアの役割も含めつつ大で、自然に対する人為の働きかけの結果とし 賀 、たとて現出している上地・空間の広がりを捉えよ きな仮説として提示している。実際に 滋 堂 1990 年代に世界 えば文化財の種別には昭和年に「伝統的建うとするものであるが、 金 個造物群。が追加されているが、いわゆる歴史遺産の中で改めて着目されるようになり、そ 五 的まちなみを、定住者的審美の態度が注ぐまの後日本国内の文化財の一種別にも追加され 存なざしの対象の一例と理解することは難しくることになった。そもそもの考え方に沿えば 物ない ( 写真 5 ) 。現代においては、ウエプが変えおよそほとんどの環境は文化的景観といえる 造 建た情報社会の影響などを考えればこうした図が、 , ) れが世界遺産そして文化財となるにあ 伝式はもはや有効でない可能性もあるが、そのたって、他から際立った存在とみなし得るに 要 重 ことも含めて風景へのまなざしの動態的な把は眺め・風景としての価値も少なからす求め 握は、その第三者的「観測」から、現場での「制作・ られることとなる。従って文化的景観は一応、 編集」にまで多面的に有用な作業であり、観土地の広がりと眺めの双方の観点で捉える景 を担ってきたが、指定された当時の「現場」光学はその議論にふさわしい場の一つといえる。観であるといえそうである。 ところがこの文化的景観では、その眺め のまなざしがその後の観光者のまなざしを先 統合的な景観論の可能性 こよるものなのかという点は間われな か誰ー 導するとともに、発信者ともいえる現場のま しかし実質的には、ある土地を他から際 以上は三好の「景観」のうち、眺めや風景 なざしは当然ながら変化していく。もちろん 発信者は公的なものに限らす多様にあり得るに関わる議論の観光学における展開可能性を立った眺めをもっ景観として捉えるのは、そ こに現れている上地自然に働きかけを行って が、風景に関わるこうしたまなざしの変容に考察したが、次いでは三好の目指した上地・ 0

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のだとすれば、観光においても風景・景観は的客観性があると考える人は少ないように、 て、後者は主観を持った人の体験である現象 重要な主題となるはすである。 フンボルトの後の時代の学間は詩人の立場をとしてそれぞれ景観を位置づけるのが基本的 捨て、科学者に徹して、 しくこととなるが、こ立場だが、現代ではそれぞれの分野の一部が 「景観」という概念 の野望というべきフンボルトの思想に強く惹相互乗り人れもしながら「景観」を使うため、 そこで改めて風景・景観の概念を整理してかれたのが三好であった。三好が植物学者と かなり込み人ったこととなっている。後者を おきたい。そのためには「景観」という語のして、植物の生育の広がりである物的空間 ( 植「風景」とすれば言い分け可能ではあったが、 成り立ちを知ることが助けになる。というの生 ) の総体とその印象を含む眺め ( 風景 ) の風景という一言葉は比喩的表現も含め幅広い意 も「景観」は日本語としてオリジナルに創案双方を合わせてこれに「景観」という名を与味を持っため、また学術的には眺めという主 された近代の造語であり ( 漢語ではない ) 、そえたのが明治年 ( 1902 ) のことである。観的体験にも一定の客観性 ( 間主観性ともいえ こに込められた意味が確認できるからである。フィジオノ、 , 、ーに近いがしかしその訳語としる ) を想定することから、「景観」も多く用い 創案者は植物学者の三好学 ( 1861 ー 193 てではなく、独自に創案した一言葉であった ( 図られる。さらにはこうした二つの立場の系譜 9 ) である。三好は植物生理学を修めにドイ 1 ) 2 とは必すしも関わりなく、新たに「景観」を ツに留学するが、専門を学ぶ傍ら強く感化を これは植物生理学者であった三好の専門と 扱う分野も現れ、「景観」概念は混迷の中に 受けたのはかの近代地理学の祖、アレクサンはやや離れた内容であったためか、三好が「景あるともいえる フォン・フンボルト ( 17 6 9 ー 18 5 観」を必すしも学術用語として規定しなかっ さまざまな立場がそれぞれ同じ「景観」を 9 ) の思想であった。壮大なフンボルトの仕 たことや、後の学者の誤解なども影響し、そ使うことが、結果として三好の意図に適って 事の一つの特徴は、自然を科学者と詩人の双の後の「景観」は三好の意図とは異なる形で しるという見方もあるかもしれないか、実態 使われ現在に至っている。三好が二つ合わせとしては異なる立場の存在に気付くことなく 方の眼で全体的な「 Physiognomy ( 相貌 ) 、と して捉えよ、つとする視点である。 て表現しようとした概念がそれぞれの意味で景観を論じている傾向が強く、特 - フィジオノ 、 , 、ーという語は、辞書にも載っ切り離され、同じ「景観」という言葉で使わ観光学のような多様な分野が集まる学際の場 ているように「人相」 という意味ももつ。あれることとなったのである。すなわち ( 植生 において、景観という言葉が使われながらも くまで人の顔のオモテを観ながらその内面まを一般化した ) 領域的・地域的空間の広がりをその意味が共有されすに話が通じてない事態 で捉えようとする言葉である。フンボルトは 「景観」と称する地理学や生態学と、眺め ( 風にもなる。景観に関わる諸分野において現状 人の人相に相当する、自然のいわば「地相」景 ) を「景観」と称する土木・造園等の工学としては三好の視点自体が知られていないに を捉えようとしていた。現在「人相」に科学分野である。前者は客観的かつ物的存在とし等しいが、当面は景観には二つの立場による

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きた人々とは異なる別の外部の他者の視点で眺めに関わる人、主体についての議論が不足覚や景観の議論から離れることよりも、むし ろあくまで観る主体としての人の身体性に着 ある。その外部の視点は新しいまなざしの一していることに気づかされる。 種といってよく、名勝などに加えて新しい文従って文化的景観という概念に沿うならば、目することで、三好の「景観」に近づいてみ 化財の種別として文化的景観を設けることは、人為を与えてきたその人々が自身の面する環ることである。 。本 一例として、観光地という , ) とではないか、 たとえば加藤のいう定住者的審美の態度の登境をどのように観てきたのかということが 場に伴うまなざしの変容に過ぎないという考来間われるべき点であるといえる。そのため海洋沿岸での地域の暮らしと海への眺めの関 えることもできる。三好自身の景観概念には には歴史性を考慮した空間の履歴を踏まえた係を挙げたい。東日本大震災で津波の被害に このまなざしに類する関心が希薄であったが、 上で、眺めの主体である人がその対象となるあった多くの沿岸集落の復興に関して、防潮 先に述べたような観光学等における風景への上地・空間に何らかの形で関わる身体をもっ堤の増強などによって暮らしの場から海が見 まなざし論を経ることで、三好の目指した景た同じ人であること、つまり人の身体性の観えなくなることを懸念する声は小さいもので はない。実際にある沿岸域で海の可視性を地 観概念には上地の広がりに関わり、またその点から景観を考えることである。先のアーリ の『観光のまな形情報をもとに網羅的に調べてみると、海岸 から離れた高台に立地する集落やそれらを結 ざし』においても、 文 要 重 その増補改訂版にぶ道は、海の可視性の高い上地に特異的・限 下 おいては、視覚中定的に立地していることがわかる ( 図 3 、写真 さらにこれは海が生業の場である漁業 心主義への批判な どにも応するかた集落はもちろん、沿岸域の農業集落において 曲市 ちで、身体性を考も一定度みられる特徴である ( 写真 9 ) 料 八 県 て め 慮した新たな考察まり沿岸域で暮らしを営む棲み処を定める 求 田賀 か加えられている。 ( 身を置く ) にあたって、海が見えるという単貌 棚は の の まさに先の中 しかしここで考え純な体験が生活に欠かせない、 地 土 の 観 たいのは、視覚以村の「生命の実存的不安を解消する」条件で 八 的江外の感覚と体験もあったと考えられる。そうした海を見ながら 観 化近 数重要であることは生業を続け暮らしてきた人々の営為の履歴の 集 特 当然とはいえ、視表れが、その上地のそこに暮らす人々にとっ 上化

4. 交流文化 volume 17

ー宀特集〕 るがいそれでなお「覿る」ことは観光におい て重要で根源的な体験いえるのではないだ う - つか この「観を」、ことに基づいたその体験や対象 。を示す概まどして - 「景観」や「風景一がある。 これらは特別な説明の必要もないほど日常的 「観光」の英語訳は、行政や学問的立場ではに使われる言葉とはなっているが、それだけに ・主に " → 0 。 = sm 。が使われる。しかし辞書を、観光における観ることの意味、意「と簡単 《あたってみれば、つまり世間で広く使われるに済まされているきらいがある。そ」で k 号 言葉としては、観光の訳は " S 一 g 000 一 ng 。一では「景観」を切り口に観光を考てみたい。 の方が一般的である。この「観光」とま土「景観」概念そのものの成り」ちに一度 *Sightseeing* を見比べてみるとー「概光」が立ち戻って、観光と景観との関わりをみえる 英語などから翻訳して生み出さた語ではな一ついで特に際立 0 た景観が観光の対象と」て いのにも関わらず、両者の言の成瞻ちはな識されるような例としてい「借景」をとりあ とてもよく似ている。どちらも眼べってく〉げ、日中の化交流という観点も交えながら る世界を ( 観る ) 」ことを本として〉一紹介する。最後に、観光の体験を豊かにする る。こっしてると、時代ともに観光の内「楽しみ方の一つの例として都市や地域を読。景 容や形 . は委するなかで、年ではいわゆ、み解くための手掛り・手段に「景観」を用いな特 る物見仙的よ光は減っているとはいわれツがらパの街を歩いてみる ↓ 3 を 220 ・ロ 0

5. 交流文化 volume 17

観として扱う地理学のあろう ( 写真 1 ) 。じっくり描く絵とワンタッ 図 中でそこに様々に人りチのスマホでは違うという見方もあるであろ 、つカÄ」、つや、ら我々は土小さに , ) のト小 , つにしか 込む「ものの見方」へ の議論が展開されるこ世界を見ることができないのかもしれない AJ ・」たよっ - ) 5 0 , ) 、れ - は このように観光のまなざし論の多くの部分 ある意味で、先に触れは、観光学に関わる学術分野あるいはアカデ た二つの景観論に相互、 , 、ズムを超えた景観・風景の議論や創作でも 件浸透がみられることに関心を持たれてきた内容であるので、これを の なった動きである。 観光学としても展開させていく余地はいろい 人 「ものの見ろあるように思われる。たとえば観光学にお 方」論はここだけでけるまなざし論は、ややシニカルな自身もま グ マ 展開されていたわけでた「まなざし」として、観光者の行動や街並 ネ はなく、たとえば農みの整備を論じる傾向にある。しかし社会的 村風景論者の勝原文に構築されたまなざしを第三者的に観光者や の紹介には常に「・フーコーの : ・ーという夫『農の美学』 ( 19 7 9 ) 6 では「審美的態街並みにみるというだけではなく、その生成 枕がつくが、むしろ本書のアイデアの直接的度」、あるいは文芸評論家の柄谷行人『日本の現場に人り込むことも可能ではないか 基盤は、その増補改訂版でも明確に示され文学の起源』 ( 19 8 0 ) 7 では「認識の布 たとえば、日本の文化財 ( 文化財保護法 : たように美術評論家の— . バージャーによる卑旦」 観光地とも深くかかわるカテ といった概念で、それぞれ同じではな「名勝」という 『イメージ視覚とメディア』 ( 原著 1972 ) 4 の いか類する考えが示されていた。さらに ゴリーがある。これは大正時代に制度化され、 "Waysofseeing" という概念にあるように思わえば、既にシュールレアリストの・マグ現在も継続して指定件数を重ねているもので れる。これは美術評論の立場から人々の視覚 リットの作品『人間の条件』 ( 1933 ) ( 図ある ( 写真 2 ) 。「名勝」の定義は法には書か を通した価値意識が「ものの見方」としてい 2 ) では、作者本人が「我々は世界をこのよれていないが、「名」は「名高い」、「勝」は「す かに社会的に生成されているかを示したものうにして見る」と解説までしてくれている 8 ぐれた景色」の意味である。名高い風景、つ である。この考えは人文地理学の一部にも大この絵の中のカンバスをスマホに置き換えれまりその時点までの高い社会的評判 ( Ⅱまなざ きく影響を与え、基本的に地域的広がりを景ばフォトジェニックな景色の解説にもなるでし ) として価値付けられた風景であり、名勝 -4 亠

6. 交流文化 volume 17

観上地の相貌を求めて 文・写真小野良平 近年「絶景」という言葉がメディアにあふれ、「インスタ映え」は 2017 年の流行語大賞にまで なった。これらは「観る」ことに関わる流行の断片であるが、観光の本質にも関わる、 「観る」ことを通した体験を概念化した「風景」や「景観」の、 その原義は広く共有されているわけではない。このことをふまえたうえで、 人の体験や身体性を含めた総合的な景観論の可能性を考察する。 スツーリズムを省みる中で、オルれらの中には従来知られる観光地も少なくな タナテイプ / サステナプル・ツー いか、あれもこれも絶景というのは景色の安 リズムが唱えられるようになって売りであろうし ( 実際に番組制作の低予算化とも 久しい。その具体的形態はきわめて多様化し関わるように思われる ) 、ウエプや印刷の写真は ているが、総じてはモノからコトへ、一方的彩度などをドーピング気味に持上げた加工が 施され、風景は「盛られ」ている。 体験から双方向のコ、 , 、ユニケーションへなど、 さらには 2017 年の流行語となった「イ 体験の質を重視し地域をじっくり味わうよう な観光への志向が続いている。その中では当ンスタ映え」に加え、「フォトジェニックな景 然ながら、景色を一瞥して写真を撮って済ま色」という表現もよく耳にする。「フォトジェ ニックといえば従来は人に対して用いられ せるような観光は、表面的に風景を消費する、 旧態の遅れた観光として捉えられがちであるる表現であったのが、インスタグラムなどの よ , つに思われる に上げるのに適した写真映えのする風 その一方で、これとは対照的に思われる動景、というニュアンスも持つようになったよ 向も見受けられる。近年「絶景」という言葉うである。スマートフォンの台頭でカメラの が少なくもメディア上にはあふれ、番組使われ方が変容し、風景に限ったことではな 表をみれば毎日必すどこかの番組で使われて いが、写真を通して瞬時に自己を表現し他者 とつなかることかできそ、つとい , つ、コ、 , 、ユニ おり、また「死ぬまでに行きたい絶景〇〇選」 のような出版物も多数世に出されている。そケーションの道具としての写真の意味が増し みばら 4

7. 交流文化 volume 17

ミ拙政園における北寺塔の借景 ( 写真 1 ) 。 = 人工與自然的聯繋 , = 周峵俊 一「。邉 ~ 園の外側ある山などの風景を取り入れて、 園内かあの眺望とする景観を「借景」と呼ぶ。 」」れは造園設計の重要な技法のひとつで、かっ て中国から日本にもたらされたものでもある が、すでに日本にも固有の見方が存在した。日 中の代俵的な「借景」の事例を比較し、共通性

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に「日本の建築家丹下健三の設計になる第 7 006 ) , ) とを目的とするものであった。こ が、この高層住宅団地群の景観であると知る 芸術センター」と記されていたグラン・エクの意味では、居住機能に特化した日本の住宅ことである。そのため、私たちはこの景観を ラン Grand EcranZ 、今やイタリー広場のラ団地とは異なり、 1860 年までは人市税徴 1960 年代 5 間年代にかけて生成された、 ンドマークとして完成している。しかしなが収所の外側、つまりパリの外側であったこの見るべきパリの都市景観として記憶にとどめ、 ら、何よりも目を惹きつけるのは、 , 、シュラ地に、複合的な機能を備えたカルチェのよう同時に、ク。、 ノリらしい都市景観 , は、。、 ンの記述にあるとおり、イタリー広場の背後な空間を創り出そうとする試みであった。し外縁部から既に市境を超えて膨張する郊外化 に林立する高層住宅ビル群、いわばク摩天楼クかし、結果的には期待された効果を発揮しな と引き替えに成り立っていることを、この景 リ、ら いまま、おもに 1970 年代以降、ベトナ観の一断面を通して想像する必要がある。 g 「 a 容 e 、 ciel のスカイラインであろ , つ。 しさを屋根の上に求めて世界中からやって来ム戦争やラオス内戦をはじめとするインドシ初めて訪れる場所の経験は目に映るすべて た訪問者は、 , ) のク摩天楼の景観については、ナ戦争にともなう避難民の受け人れ、とりわが新鮮で、子どものような好奇心に溢れるも 見えても見ていないことにすると決め、一方、けインドシナ華僑の流人と定着が進行し、今のである。初めてベトナム・メコンデルタを ハリ市民の間では、数々の失敗作の中でも破や欧州最大とも言われるチャイナタウン ()e 訪れた先生によって撮影された 1 枚の写真。 局的であるとして、しばしば困惑の的となっ qua 「 tie 「 asiatique) 、あるいはインドシナ華人街先生は確かにアオザイの制服姿で橋を渡っ てきた。 が形成されている。いわゆるショワジーの三てゆく女子生徒を撮影したつもりだったが : この 1 枚の写真を手がかりに、 大塚 ( 2 01 イタリー広場の奥に広がるク摩天楼。角形 iang 一 edeCh 。 isy を核心としたエスニッ 1960 年代以降の一連の再開発プロクタウンである。日本のク中華街クをはじめ、 7 ) は、同じ景観を観察したとしても、何を ジェクトによってもたらされた。再開発プ欧米都市の都心に近接したチャイナタウンのみているかその対象が異なることを示し、景 ロジェクトの中には、レゾランピアド Les 景観とは異なり、高層住宅団地群に形成され観の背景にある歴史的・文化的情報を事前 Olympiades とマセナ Masséna の都市開発プたその特徴から、パリ市リ区に位置するにも人手することの重要性について述べている。 ロジェクトかある。これ、りのプロジェクトは、 かかわらすクパリ郊外のチャイナタウンクと景観は場所の一般性と特殊性を現地で丁寧に 低家賃住宅から公務員住宅を含む多様な階層呼ばれてきた ( 写真 6 ・ 7 ・ 8 ・ 9 ) 。しかし教えてくれるが、そのためには、たゆまぬ旅観 の 向けの集合住宅、教育施設、商業・スポーツ ここで重要なことは、。、 ノリもまた世界の大都の経験と知識の蓄積がいっそう欠かせないよ 施設の複合開発によって、「対照的な社会集市と同じく、転出にともなう深刻な人口減少うに思われるのである。 観 景 団の間で調和のとれた交流を生み出し、共を食い止めるため、市域外縁部を対象にプル 集 2 018 年 3 月に立教大学観光学部を定年退職される村上和夫 特 生を促す」 ( パンソン・パンソンⅡシャルロ、 2 ーザー型都市開発を推し進めた時代の残影先生に感謝して、このささやかなノートを献呈いたします。

9. 交流文化 volume 17

ているようである。従来のインスタントカメ ラもその場で写真が共有できるツールである といえるが、あらかじめ「その場」を超えた 世界を意識しながら風景へスマホをかざす視 線 ( 写真 1 ) は、これまでになかったものであ る可能性はある。 このよ、つな軽々とバケット化されていくと でもいうべき風景の体験を止めることはでき ないしその必要もないだろうが、ただし学術 的立場では、 こうした現象を捉えておく意味 はあるよ , つに思われる。しかしたと、んば観 光学における「風景」の扱いもまた、消費さ れる風景、風景の政治性といった風景の「表 象」の使われ方に関する批判的議論か、ある いは観光地の看板・電線・ゴ、 , 、間題など環境 の「表層」の話などの、「オモテ」の話に収まっ ているように思われる。観光の語源に戻るま でもなく、「観る」ことを通した体験を概念 化した風景や景観は、観光の本質にかかわる ことと思われるものの、意外にも観光学の中 で風景や景観それ自身に関する議論を聞くこ とは少ない 。しかし景観工学者の中村良夫が しうように風景が「空間に包囲された生命の 実存的不安を解消する」、「社会の余剰価値と いったのんきな性質のものではなかった 1 国営ひたち海浜公園「みはらしの丘」 2017 年 5 月 ( 写真 1 ) 提供 : 国営ひたち海浜公園ひたち公園管理センター 5 特集景観景観土地の相貌を求めて

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の指定とは、実際にはその上地・環境の保護間が関わって文化財という価値が与えられるる。日本の自然環境の中でどのようなところ であるが、本質はそのまなざしの再定義と公のである。この現場における当事者達 ( アクを国立公園として定めるかは、まなざしの間 的認証にほかならない。名勝に限らす文化財 ターともいえる ) が、自身の議論がまなざしの題そのものである。その際に、文化財は先に に政治性、権力性をみるのはたやすい、がし再定義であることを自覚しているかどうかは述べた通り従前のまなざしを再定義するのに かし一方で何も記念物を欲しない社会集団も議論の深度にかかわることで、そうであれば対し、国立公園は国を代表する自然の風景と 珍しいであろう。そして実際には国家なる抽彼ら自身がまなざし論に自覚的であることにして新しいまなざしが求められた。実際に当 ー 9 世紀の西欧 象的な主体が指定するのではなく、名勝の場は大きな意義があり、まなざし論は実践の場初選定された国立公園は、 で登場した「崇高 (sublime こな風景に価値を 合その対象に既に与えられている社会的評価にも活かし得る。 をもとに、地元の自治体から文化庁までの行観光に関わり、文化財に続き昭和初期に制置くまなざしに影響を受けたと考えられ、火 政やそれぞれに関係する団体や審議会等の人度化されたものとして、国立公園が挙げられ山系の山岳を中心としたエリアが多く選定さ れた ( 写真 3 ・ 4 ) 。例えば、 松島は名勝には指定された 立 光 が国立公園とはならなかっ た。これはその選定にあ 真 たったまなざしの差にほか 写 ならない。そして国立公園 園 公 立 もまた文化財同様、多様な 国 伊 人の関わりによりその指定 根 箱 や追加変更などが現在も行 士 富 われており、その現場への 関わりの可能性は同じこと 真 写 かい ' んる 島 松 こうした名勝や国立公園 勝真 格写 は、観光地として戦前から 特園 1 公戦後にかけての観光の一翼 9 特集景観景観土地の相貌を求めて