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1. 交流文化 volume 17

交流文化 17 2018 年 3 月 20 日発行 発行人 編集人 デザイン 印刷 毛谷村英治 小野良平 望月昭秀 株式会社八紘美術 問い合わせ先 立教大学観光学部 〒 352 ー 8558 埼玉県新座市北野 1 ー 2-26 TEL 048 ー 471 ー 7375 http://www.rikkyo.ac.jp/tourism * 本誌掲載記事の無断転載を禁じます。 ◎ 2018 Rikkyo University, College of Tourism. Printed in Japan. ISBN 978 ー 4 ー 9905878 ー 5 ーろ 筆者紹介 ( 執筆順 ) 小野良平 ( おの・りよい ) 観光学部教授 1986 年東京大学理学部卒業、 1989 年東京大学大学院農学系研究 科修士課程修了、株式会社日建設計を経て 1995 年東京大学農学 部助手、 2001 年同大学院農学生命科学研究科准教授、博士 ( 農学 ) 。 2015 年より現職。専門は造園学。主な著書・論文に『公園の誕生』、 『森林風景計画学』 ( 共著 ) 、『復興の風景像 - ランドスケープの再 生を通じた復興支援のためのコンセプトブック』 ( 共著 ) など。 周宏イ夋 (Zhou ・ Hongjun) 同済大学 ( 上海 ) 建築与城市規劃学院副教授 2004 年華中科技大学建築学科卒業、 2007 年清華大学建築学院修 士課程修了、 2012 年東京大学大学院農学生命科学研究科博士課 程修了、博士 ( 農学 ) 。 2013 年より現職。専門は造園学。主な著書・ 論文に『借景の展開と構成 : 日本・中国造園における比較研究』東京 大学博士論文、『借景的意義』中国風景園林学会誌、『日本における 借景庭園の空間構成に関する研究』日本建築学会誌など。 松村公明 ( まつむら・こうめい ) 観光学部教授 1986 年慶應義塾大学文学部史学科卒業、 1993 年筑波大学大学院 地球科学研究科単位取得満期退学、秋田大学教育文化学部助教授 を経て、 2006 年から現職。専門は地理学。主な著書・論文に『改革 開放後の中国僑郷 - ー・在日老華僑・新華僑の出身地の変容』、『日本 の地誌 4 東北』、『 EU 統合下におけるフランスの地方中心都市 - ー リョン・リール・トウールズ』、「旧サイゴン囲郭地区における行政機能 の変遷と都市景観の特色」立教大学観光学部紀要 ( 以上共著 ) など。 豆田ニイ圭 ( とよた・みか ) 観光学部教授 198 年上智大学社会学科卒業、 1993 年英国ハル大学東南アジア研 究学科修士課程修了、 2000 年同大学博士学位取得。ハル大学、シ ンガポール国立大学アジア研究所研究員、同大学人文・社会科学学 部社会学科助教授を経て、 2012 年より現職。専門は開発社会学。主 な論文に・ Contested Chinese identities among ethnic minorities in the China,Burma and Thai BorderIands', Ethnic and Racial Studies 、 ・ The emerging Transitional"retirement industry"in Southeast Asia ・ InternationalJournaI of SocioIogy and SociaI PoIicy など。 韓志昊 (Han ・ Jiho) 観光学部教授 1994 年韓国外国語大学校卒業、 1999 年立教大学観光学研究科 博士前期課程終了、 2005 年 Virginia Polytechnic lnstitute & State University (). S. A. ) 博士課程終了、 Ph. D. (Hospitality and Tourism Management)0 立教大学観光学部助手、立命館アジア太平洋大学 助教・准教授、立教大学観光学部准教授を経て、 2017 年 4 月から現 職。専門はホスピタリティ経営。主な論文に、『エベレスト・トレイルの トレッカーの特徴と現状』、・ Who Are the Tourists Motivated by the Korean Drama " 旧 " ? ・ ( 共著 ) 、・ ldentlfying Leisure Travel Market Segments Based on preference fo 「 Novelty' ( 共著 ) など。

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がモダンな芸術としての写真論であるが、その写 たのか疑わしいところもあるが、ともかく近代たものである。写真家とは一般には「芸術」と しての写真を扱う表現者ということになるだろ真を見て「きれいな人ですね」と感じること、そ 科学はフンポルトの志向とは逆に進んでいった、 うか。少なくとも本書ではそれを一つの前提とれを伝えることも写真の立派な役割であると。 というかこれに抗ったのがフンポルトであった。 これはフンポルトから 2 0 0 年を経て、科学 こうしたフンポルトの視線は、今でいう自然している。畠山氏は大学で写真を学んだ「正統」 環境にのみ注がれていたわけではなかった。南な写真家であるが、そこで教えられた写真とは、や社会から分離されてきた芸術に対する芸術側 からの問いかけとして読むこともできるであろ 米を 5 年以上も旅行できたのはスペインの支援そこに写っている内容や出来事とは関わりなく、 う。もちろんこれまでこうした動きがなかった を受けながら当時のスペイン領を訪ねたからで純に写真としての作品性が問われるものだった あったが、そのことは植民地化による奴隷問題という。タイトルやキャプションもつけない言わけではなかったが、特に畠山氏のいう「具体 や環境への負の影響を考えさせる契機にもなり、葉に頼ることのないただの写真がすべてである性から逃れられない」という性質を持っ写真は、 それが環境を全体として捉える視点にも繋がっと。芸術というものの独立性に価値が置かれてフンポルトが自然を絵画のように捉えようとし た科学の方法にもなじみやすいと思われ、当 きた、ここしばらくの流れの一例であるという ていることを本書は教える。 こともできる。 時写真技術が実用化されていたならばフンボル 本書はダーウインを始めフンポルトに強く影 トがどのように活用したか想像してみたくなる。 それが大きく揺さぶられることになったのが、 響を受けた人物も紹介するが、そこには登場し ないものの、フンポルトの没後間もなく生まれ東日本大震災である。陸前高田出身の畠山氏は、実際、三好学は自然の景観の写真集を出してい る ( 特集参照 ) 。 た日本の植物学者三好学もその一人である。そ「見渡す限りの瓦礫の中で、自分や家族や知り 大竹氏はいう。「人間の歴史が進めば進むほ して科学者と芸術家の立場をあわせて自然を相合いのことを思うとき、そしてそれが写真には ど、物事は複雑になり、それぞれの分野に専門 貌的に捉える概念として三好が創案した言葉が、もう写せないと覚悟をするとき、『いい写真』 「景観」である ( 特集参照 ) 。 は空疎な響きしか持たない言葉のように思えて家が生まれ、細い鉛筆のようなビルのなかで隣 なお本書はフンポルトの南米やロシアへの旅くる」体験をし、「『私』をテーマにしたくはなの管轄には手を出さずに専門に勤しむようにな ります。 ( 中略 ) 写真家とはそのような鉛筆のビ 、にもかかわらず、出来事が生じたときにそこ 行記にもなっているが、今時は Goog 一 e street し view などを活用しながら読むのも一興である。 に巻き込まれる決断」をしたという。この過程ルの密林に踏み込んでいき、互いを隔てる壁を 壊し、見晴らしをよくする人のことだと思いま CNOO 年前の超人フンポルトの大旅行に、現代を大竹氏が対話によって引き出していく。 ただ畠山氏はそれ以前から、写真における形す。」写真だけでなく、フンポルト以降の歴史 技術の助けを得ながらわずかでも近づくことが における科学・芸術等の状況に加えて、「景観」 可能かもしれない。 式と内容の分離には違和感を覚えつつあったよう 次に紹介するのは、写真家の畠山直哉氏と写だ。たとえばある人物モデルを撮影した写真をという概念の意義についての説明にもそのまま ( 小野良平 ) 真・文筆家の大竹昭子氏の一連の対談をまとめその人物とは切り離して「写真として」論ずるの適用可能な至言に思われる。 43 読書案内

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立教大学観光学部 観光学科 / 交流文化学科 立教大学観光学部は観光学科と交流文化学科の 2 学科体制で す。フィールドを世界に拡げ、リアリティに満ちた学びの場を 提供するオンリーワンの観光教育を目指します。 学部の紹介や入学案内については http://www.rikkyo.ac.jp/tourism 立教大学観光学部 〒 352-8558 埼玉県新座市北野 1 -2-26 TEL 048-471 ー 7375

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出 来 事 と 写 イ自フ 々 悳来塁ド・ " 、ン 版レと卞 と 九ル生 を昭写 吉 円著 十 鍛 惠の 発 訳 明 七 Book Review んそれができあがるやいなや、その起源も隠蔽 されてしまう ( 特集参照 ) 」と述べている。 確かにフンポルトの名は知られているが、何 かを発見したというようないわゆる大科学者の イメージは希薄である。しかし本書では、これ 以上のフィールドワーカーを想像しがたいほど の超人ぶりで文字通り「地球を歩いた」フンポ ルトが、自然を今でいう生態系として認識して いく過程を辿ることができる。地理学という範 疇では済まない、世界の認識の布置の大いなる 転換者がフンポルトであった。 ただし、日本を含む東洋思想からみればこ の認識は古くからなじみあるものかもしれない ず紹介するのは、近代地理学の祖英米における反ドイツ感情にあるというが、もしかし本書が同時に教えてくれるのは、日本も とされるドイツの大学者フンポルト う一つの理由が本書の中心テーマである。 巻き込まれていく世紀以降の世界標準とな の伝記、原題は *The lnvention of それは書名にもある通り、「自然」をさまざる科学の方向性の問題である。フンポルトは測 Nature 〕 The Adventures Of AIexander く on まなものが繋がった全体の系として捉えるも定器を携えた科学者でありながら、同時に画家 工 umboldt,the LOSt 工 eroofScience ″である。のの見方、これがフンポルトによりもたらされ、や詩人のように自然を捉えることにこだわった。 ロスト・ヒーロー。著者によればフンボルトはそれが浸透するに従い我々はその起源を忘れてしかし時代は科学と芸術を分け、さらに科学 なんと「英語圏ではほぼ忘れ去られている」としまったからなのだという。なるほど柄谷行人を細分化していく。そうするとフンポルトがも り、いった いう。その理由の一つは第一次世界大戦以降のも「風景とは一つの認識の布置であ たらした認識の布置は後の社会に本当に浸透し 富山直戓 大竹昭子 、 , 。】今回は本号の特集テーマの フ」 4

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のだとすれば、観光においても風景・景観は的客観性があると考える人は少ないように、 て、後者は主観を持った人の体験である現象 重要な主題となるはすである。 フンボルトの後の時代の学間は詩人の立場をとしてそれぞれ景観を位置づけるのが基本的 捨て、科学者に徹して、 しくこととなるが、こ立場だが、現代ではそれぞれの分野の一部が 「景観」という概念 の野望というべきフンボルトの思想に強く惹相互乗り人れもしながら「景観」を使うため、 そこで改めて風景・景観の概念を整理してかれたのが三好であった。三好が植物学者と かなり込み人ったこととなっている。後者を おきたい。そのためには「景観」という語のして、植物の生育の広がりである物的空間 ( 植「風景」とすれば言い分け可能ではあったが、 成り立ちを知ることが助けになる。というの生 ) の総体とその印象を含む眺め ( 風景 ) の風景という一言葉は比喩的表現も含め幅広い意 も「景観」は日本語としてオリジナルに創案双方を合わせてこれに「景観」という名を与味を持っため、また学術的には眺めという主 された近代の造語であり ( 漢語ではない ) 、そえたのが明治年 ( 1902 ) のことである。観的体験にも一定の客観性 ( 間主観性ともいえ こに込められた意味が確認できるからである。フィジオノ、 , 、ーに近いがしかしその訳語としる ) を想定することから、「景観」も多く用い 創案者は植物学者の三好学 ( 1861 ー 193 てではなく、独自に創案した一言葉であった ( 図られる。さらにはこうした二つの立場の系譜 9 ) である。三好は植物生理学を修めにドイ 1 ) 2 とは必すしも関わりなく、新たに「景観」を ツに留学するが、専門を学ぶ傍ら強く感化を これは植物生理学者であった三好の専門と 扱う分野も現れ、「景観」概念は混迷の中に 受けたのはかの近代地理学の祖、アレクサンはやや離れた内容であったためか、三好が「景あるともいえる フォン・フンボルト ( 17 6 9 ー 18 5 観」を必すしも学術用語として規定しなかっ さまざまな立場がそれぞれ同じ「景観」を 9 ) の思想であった。壮大なフンボルトの仕 たことや、後の学者の誤解なども影響し、そ使うことが、結果として三好の意図に適って 事の一つの特徴は、自然を科学者と詩人の双の後の「景観」は三好の意図とは異なる形で しるという見方もあるかもしれないか、実態 使われ現在に至っている。三好が二つ合わせとしては異なる立場の存在に気付くことなく 方の眼で全体的な「 Physiognomy ( 相貌 ) 、と して捉えよ、つとする視点である。 て表現しようとした概念がそれぞれの意味で景観を論じている傾向が強く、特 - フィジオノ 、 , 、ーという語は、辞書にも載っ切り離され、同じ「景観」という言葉で使わ観光学のような多様な分野が集まる学際の場 ているように「人相」 という意味ももつ。あれることとなったのである。すなわち ( 植生 において、景観という言葉が使われながらも くまで人の顔のオモテを観ながらその内面まを一般化した ) 領域的・地域的空間の広がりをその意味が共有されすに話が通じてない事態 で捉えようとする言葉である。フンボルトは 「景観」と称する地理学や生態学と、眺め ( 風にもなる。景観に関わる諸分野において現状 人の人相に相当する、自然のいわば「地相」景 ) を「景観」と称する土木・造園等の工学としては三好の視点自体が知られていないに を捉えようとしていた。現在「人相」に科学分野である。前者は客観的かつ物的存在とし等しいが、当面は景観には二つの立場による

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ているようである。従来のインスタントカメ ラもその場で写真が共有できるツールである といえるが、あらかじめ「その場」を超えた 世界を意識しながら風景へスマホをかざす視 線 ( 写真 1 ) は、これまでになかったものであ る可能性はある。 このよ、つな軽々とバケット化されていくと でもいうべき風景の体験を止めることはでき ないしその必要もないだろうが、ただし学術 的立場では、 こうした現象を捉えておく意味 はあるよ , つに思われる。しかしたと、んば観 光学における「風景」の扱いもまた、消費さ れる風景、風景の政治性といった風景の「表 象」の使われ方に関する批判的議論か、ある いは観光地の看板・電線・ゴ、 , 、間題など環境 の「表層」の話などの、「オモテ」の話に収まっ ているように思われる。観光の語源に戻るま でもなく、「観る」ことを通した体験を概念 化した風景や景観は、観光の本質にかかわる ことと思われるものの、意外にも観光学の中 で風景や景観それ自身に関する議論を聞くこ とは少ない 。しかし景観工学者の中村良夫が しうように風景が「空間に包囲された生命の 実存的不安を解消する」、「社会の余剰価値と いったのんきな性質のものではなかった 1 国営ひたち海浜公園「みはらしの丘」 2017 年 5 月 ( 写真 1 ) 提供 : 国営ひたち海浜公園ひたち公園管理センター 5 特集景観景観土地の相貌を求めて

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クリスマスを諦め、帰国した。未だに家族にをいただき、オランダのヴァーへニンゲン大 最初のヨーロッパ訪問の思い出は暗い冬 笑われる事件だった。 学で VisitingSchola 「として滞在することに 初めて訪れたヨーロッパの国は、大学の卒その時の辛い記憶が理由ではないが、そのした。立教大学観光学部で長年兼任講師とし 業旅行で行ったドイツだった。ドイツで駐在後、観光の研究者になってからも、ヨーロッて、夏の集中講義を担当してくださったクラ していた従兄弟の家族が住んでいたデュッ ハのどの国にも行かないまま長い年月が経っウディオ・、 , 、ンカ教授が Ch 斗 Head を務め セルドルフという町で 3 週間を過、 ) す予定で、た。そして、 2013 年の夏にヨーロッパのる Cu1tura1Geog 「 aphyChai 「 G 「 oup でお世話 クリスマス前後はパリに行くことを楽しみに主要観光地を訪れることができた。囲年ふり 渡航した。しかし、到着した次の日になって、に訪れたドイツで感じた夏のヨーロッパの魅新学期始めは、大学が主催する新しい外 朝は 9 時過ぎにうっすら明るくなり、午後 3 力は、以前の暗い記憶を忘れさせてくれた。 国人教職員向けのワークショップに参加した。 、こよ真っ暗になるドイツの冬の気候 lntroduction to the Netherlands. とい・つタイ オランダのヴァーへニンケン大学へ のことを知った。それから川日後、お日さま トルで、異文化を専門とする教員がオランダ を見ない日が続くことに耐えられす、 ハリの 2015 年秋学期に長期海外研究の機会の社会や文化について講義をし、参加者もそ 在外研究通信 1 0 Nethe ands ウアーへニンゲン 大学とゲストハウス での日常生活 韓志昊 2015 年秋から長期海外研究のためにオ ランダのヴァーへニンゲン大学に赴いた 韓志昊教授によるレポートは、現地で滞 在した大学とゲストハウスでの生活の思 い出を綴る。写真は、ガラス張りで作ら れた中庭のある研究棟。 4 4 "

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ンガポールに帰って過ごした。大学キャン。ハ をしていた。人的なサービスも、物理的なサー フルがあるダイニングルームがあった。 ス内のある研究棟は、・ カラス張りで作られた ビスも、特に不満よ、よ、 ( ナしか、それほど感動も このゲストハウスが特別に提供し 中庭があり、各部屋から中庭が見え、光も人な〔ものだ 0 た。別料金を払うと、洗濯をして〔たのは、女性オーナーの強〔意思による るようにな「て〔る。昼体みには、教職員がてくれるが、乾燥機から出したまま渡されたもので、別料金なしに毎日洗濯をしてくれる 中庭にあるテープルに集ま 0 て持参のサンド B 。。を品 . 。。 m に登録してから、様々な国から ことであった。長期の海外旅行やホテル滞在 ィッチを食べるのが普段のランチの風景であ予約が人るようになったという。 で一番困るのは、実は洗濯である。ランドリー る。ちなみに、ランチはほとんどパ、一類を持もう一軒のゲスト「ウスは、長年ヴァー ~ サービスがあるホテルでは、 1 点ごとに高い 参して分 5 聞分の時間を取るのが普通であ = 、ゲン大学 ~ 研究に来る研究者を主に受け料金を支払なければならない。。 ヒジネスホ る。研究成果の発表会などがよく昼体みの時人れて来たことで、予約サイト等には一切登テルの場合でも、「インランドリーもランド 間にキャンパス内で開催されていて、主にサ録せす、登録費無料の B 。」当」 B 「。引。。。 m リーサービスもないことかある。このよ、つな ンドイッチ、パックの牛乳、りんごのランチ にのみ掲載していた。最初にゲストを受け人自身の海外経験から洗濯サービスの必要性を を提供することが多い れたことも、知り合いの大学関係者から依頼確信したそうで、ゲストが快適に滞在し、研 洗濯サービス付きの され、空き部屋に大学の訪問研究者を泊めた究に集中できる環境を提供したい思いで続け ゲストハウスで長期滞在 ことがき「かけで、川年以上もそのロコ、 , 、のていた。しかし、単純な洗濯サービスではな みで常に予約は順番待ちか続いたという。 各部屋にあるランドリーバックに洗濯物 ヴァーへニンゲンに滞在する間に、二つの オーナー夫婦は海外経験が豊富で、自分たを人れておくと、平日は毎日夕方帰宅したら、 ゲト「ウスで月単位の長期滞在客としてちが海外で長期の滞在をしながら感じたことアイ 0 、一までかけられ、綺麗にたたまれた洗 お世話にな 0 た。一軒は欧米によくある = 。」を取り人れて、部屋の設備やサービスを工夫濯物が廊下にあるカゴに置〔てあ 0 た。初め 当」 B 「。 fast のタイプで、自宅の 2 階と 3 階したそうである。男性オーナーは次の 3 点 て戻って来た洗濯物を受け取った時は、申し の部屋を貸し出し、電子レンジとケトル、お ①広めの部屋②大きめの勉強机③客同士訳ない気持ちになるほど感動した。ところで、 さいシンクの。、ニキッチンはあるが、設備がか交流できる大きいキッチンが重要であると しばらくすると、やはり自分が必要な時に自 長期滞在にはそれほど向〔てなか 0 た。人学話した。研究者の客が多〔ため、大きめの分で洗濯したくなる。しかし、倹約習慣が身 式に来た両親と泊ま「て、宿のオーナーと仲勉強机は、確かに使いやすく便利だと感じた。 についたオランダ人は、洗濯機の使い方も節 良くな「たというヴ ' ー〈 = 、一ゲ、大学の学また、オーナーが使用するキ「チ、一よりも広約型なので、外部の人に洗濯機を使わせては 生 ( カナダからの留学生 ) が掃除のアルバイト くて、使いやすく整理されたキッチンとテー くれなかった。エネルギー消費を最小限にす ・ 0 4

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修学院離宮の地形 ( Goog 厄 Earth より ) ( 図 3 ) 修学院離宮の借景 ( 写真 4 ) を視覚的に遮蔽し、山の雄大さをいっそう浮ある。中国的な「眺望」に近い借景の形式は、 「登高眺遠 ( 高いところに登って遠くを眺める ) 」 き彫りする効果を出していることがわかる。 という庭園での体験として表現することが可 ニつの借景の形式【「眺望」と「框景」 能であり、この体験には身体性の変化と視線 拙政園と滄浪亭のような中国の庭園の借景の広がりの関係性がみられる。すなわち、高 は ' まさに『園冶』が述べる「極目所至、俗所の視点に上がっていき、そこに到達して遠 則屏之、嘉則收之、不分町踵、盡為煙景 ( 見景を眺望するようになっているところに特徴 渡せる限り、俗なものであれば遮り、美しければそ があり、ここにいわゆる「小後見大 ( 小さな れをとり人れる。また、田園か町かを分けすに、す べて風景と見なす ) ーという内容に当てはまっ ている。中国では借景を楽しむ方法は大抵の 場合、高い場所あるいは広い場所から遠くの 景色を眺めることである。それに対して、京 都の円通寺庭園のような日本の借景は、小沢 圭次郎のいう「見越し」理論あるいは視覚上 の境界の存在によって成り立っている。視覚 上の境界物によって構成されたいわば額縁の ような存在は、借景の構図に対する重要な要 素となって、画面のように捉えられる景観の 深度と奥行き感に影響している。奈良の慈光 院庭園の借景もそのような要素と特徴を現し ている ( 写真 6 ) 。 これらの借景を成り立たせる庭園空間の構 成とそこにおける鑑賞者の身体の関係に注目 してみると、中国と日本とでは異なる特徴が 円通寺の借景 ( 写真 5 ) 21 特集景観借景人工與自然的聯繋

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ないか、あったとしてもまさに余剰価値を扱とはいうまでもないが、観光の多様化ととも当に捉えることが可能なのかどうかは未だわ , つにすぎない しかし時には、人々が風景を前に しかし改めて景観について原 に、いわゆる観光地とそうでない地域との違からない 義に立ち返ることで、誰かがそこに身を置き いは区別がなくなりつつある中で、環境の価しながらも必すしもインスタジェニックさに 体験をする場としての環境を広く捉えてその値をそこにおける人の体験も含めて統合的に捕らわれているばかりではない場に出会うこ 価値を考え、それらの関係体の維持のあり方捉えることは観光学としても取り組むべき課ともある ( 写真当。そこで人々が体験してい る風景・景観は、「相貌」に少しばかり近づ を議論することの意義に気が付かされる。観題ではないだろうか フンボルトや三好の目指した「相貌」は本いているのかもしれない 光資源や観光地の価値が自明のものでないこ 0 明治神宮外苑 2016 年 2 月 11 日。旧国立競技場が取り壊され、新競技場の建設までの束 の間に姿を現した富士山を見に集まる人々。写真を撮る人が少ないわけではないが、富 士山の景観は SNS の先よりも、現場に居合わせた人々の間で共有されていた。 ( 写真 14 ) 参考文献 中村良夫 ( 1982 ) : 『風景学入門』 : 中公新書 2 小野良平 (2008) : 三好学による用語「景観」の意味と導入意図 : ランドスケープ研 究 71 ( 5 ) , 433 ー 438 3 ジョン・アーリ ( 1995 ) : 『観光のまなざし一一現代社会におけるレジャーと旅行』加太宏 邦訳 : 法政大学出版局 ( 増補改訂版 2014 ) ( 原著 Urry, J. "The Tourist Gaze " , 1990 , ) 4 ジョン・バージャー ( 1986 ) : 『イメージ Ways 0f Seeing 視覚とメディア』伊藤俊治 訳 :PARCO 出版局 ( 原著 Berger, J. "Ways of Seeing" , 1972 , Penguin Books) 5 スザンヌ・シーモア (2005) : 「風景の歴史地理学」、プライン・グレアム他『モダ ニティの歴史地理・下巻』米家泰作他訳 : 古今書院 ( 原著 Graham, B. and Nash, C. " Modern Historical Geographies" ,2000) 6 勝原文夫 ( 1979 ) : 『農の美学』 : 論創社 7 柄谷行人 ( 1980 ) : 『日本文学の起源』 : 講談社 8 S. Whitfield ( 1992 ) : Magritte: Metropolitan M useum of Art 9 加藤典洋 (2000) : 「武蔵野の消滅」『日本風景論』 : 講談社 10 小野良平 ( 2012 ) : 「生活の基盤となる景観の再生」『復興の風景像』ランドスケー プの再生を通じた復興支援のためのコンセプトブック : マルモ出版 11 小野良平 ( 2017 ) : 三陸沿岸域における集落と海の視覚的つながり : ランドスケープ 研究 80 ( 5 ) , 585-588 0 15 特集景観景観土地の相貌を求めて