信徒 - みる会図書館


検索対象: 交流文化 volume 14
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1. 交流文化 volume 14

て振る舞いなから、オラショと呼ばれるラテ ン語由来の祈祷を唱え、信徒仲間の殉教地を 聖地として奉り、生まれた子どもに洗礼を授 けて、秘密裏に子や係に信仰を受け継いで っ ) 0 ーし半 / そして幕末の長崎で、世界史的な出来事が 起こる。開国後の長崎に居留し始めた外国人 カトリック信徒のために、大浦天主堂 ( 国宝 指定 ) が 1865 年に建てられた。この大浦 天主堂に、 2 0 0 年以上も潜伏してきた浦上 地区 ( 現長崎市 ) の隠れキリシタンが現れ、自 らがキリシタンであることを外国人神父に告 白したのである。 「信徒発見」と呼ばれるこの出来事は、禁教 令が明治前後も依然として敷かれていたため、 隠れキリシタン組織の大規模な摘発と弾圧に 繋がった。しかし、・ 1873 年 ( 明治 6 年 ) にようやく信仰の自由が認められると、信徒 たちは貧しくとも資金を積み立て供出し、ま た労力を提供して木材やレンガ、石などの資 材を運び、いわば信徒による手作りの教会が 各地に建てられていった。結果として長崎県 には現在でも 132 のカトリック教会があり、 その数は全国でも抜きんでて多い このように、長崎県の外海や平戸、五島 1

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列島におけるカトリック信仰は、迫害、潜伏、 復活という苦難の道のりを、世代を超えて経 験してきた。しかも浦上の信徒はその後、長 崎原爆の爆心地をも経験している。過酷な歴 史を背負っている分だけ信徒の信仰心は厚く 教会は信徒の日常生活に密着している。 私たちの心をとらえる旅 「巡礼」と「観光」との関わり 人は長い人生の折々で、生きてい ノ、 , ) との一古しさは 苦しさを味わう。生きてい いつの時代も、宗教・宗派を問わ おそらく、 す、普遍的な感情であろう。そうであるから こそ迫害、潜伏、復活を経験した長崎の教会 には、信徒であるか否かを間わすそこを訪れ る者と苦しみを分かち合い、私たちの傍らに 寄り添ってくれる真心の大気が満ち満ちてい る。このことこそが、長崎の教会への旅へと 人々を駆り立てる大きな動機になっているこ とは確かであろう。一方で、長崎の教会は、今、 観光商品化の渦中にある。この一見ジレンマ とも見える現象について考えることを通して、 私たちは「巡礼」と「観光」との関係を探っ てゆくことかできるだろう 0 聖フランシスコ・ザビエル記念教会 ( 平戸市 ) 参考文献 稲垣勉 2001 「観光消費」岡本伸之 『観光学入門』有斐閣アルマ 海老沢有道 1981 『キリシタンの弾圧と 抵抗』雄山閣 松井圭介 2013 『観光戦略としての宗教 ー長崎の教会群と場所の商品化ー』筑 波大学出版会 宮崎賢太郎 2001 『カクレキリシタン : オ ラショー魂の通奏低音』長崎新聞新書 41 特集巡礼キリシタンと現代の教会巡礼

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グロー 、ハリゼーションの深化によって、優勝一人歩きしてしまう。すると、住民や信徒が 助劣敗の地域間競争が繰り広げられており、長その新たな価値を守り通すことを押しつけら 津崎もその例外ではない。特にキリシタンが多れたり、その価値にそぐわないものは切って く居住していた外海や平戸、五島列島は都市捨てられたり、といった危険がっきまとう。 また、観光客によってもたらされる収人は 竣部から遠く離れた半島や離島といった辺境の 地であり、過疎化が急速に進行している。そ主としてホテルや旅行会社などの業者に人る のため、他の地域との差別化を図りながら地ことになり、教会を守ってきた信徒には、ゴ 、 , 、問題や駐車場不足、トイレ清掃など負の側 域活性化することが喫緊の課題となっている。 近年、「長崎の教会群とキリスト教関連遺面が押しつけられるだけ、ということにもな りかねない。すでに、長崎の教会観光研究の 用産」と題して、キリシタン史に裏打ちされた 教会を世界文化遺産へ登録することが目指さ第一人者である松井圭介は著書の中で、地元 れており、 2007 年には文化庁からユネスのカトリック教徒にとって信仰の場としての コに推薦される暫定リストに登録された長教会や儀礼の場としての聖人殉教の地が、観 崎の観光産業にとって、修学旅行をはじめと光化によって観光客の個人的な祈りや癒しの する団体旅行が落ち込んでいるため、世界遺場、あるいは四国遍路を見本とした「ながさ 「ー ~ 告町れ産 ~ の登録は願 0 てもないことだろう。教会き巡礼」の創出というような、新しい意味を や信徒にとっても、過疎化が進む中で、観光持った巡礼地として再編されつつあると指摘 している ( 松井 2 013 ) 。 収人が教会の維持に寄与するかもしれないと 会 現代社会においては、観光客の嗜好は速い の期待もなされている。 宣 しかし、世界遺産化には大きな間題もはらスピードで多様化しており、とある場所や文代 む財 む。ひとたび旅行会社や行政、観光協会の視化が商品化され、消費され、飽きられると、 を文 また新たな商品が生み出される、という一連 島要点から、各所に眠るキリシタン史や教会およ 戸重 ら指び信徒の信仰生活に観光「商品」としての新のサイクルが高速回転している。教会が日常礼 か国 たな価値が付与されると、メディアや観光客生活に密着している長崎においては、世界遺 串設 長施 などによって都合良く解釈され、その解釈が産化と教会や信仰の観光商品化に伴って、教

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会や信徒が強い影響を受ける危険性がどの地序を豊穣なものにしている。分厚く個性的な長崎は 1580 年に現在の長崎市中心部が領 域よりも高いと一「ロ、んるだろ、つ。 文化層序を有する長崎にとって、地域固有の主の大村純忠からイエズス会に寄進され、多 歴史は他地域との差別化の格好の材料であ数の教会や慈善病院が設けられて、一説には 長崎の文化層序とキリシタン る。中でも、これまで見過ごされてきたキリ数万人の信徒を誇ったという 古来より日本の玄関口であった長崎には、 シタン史は世界遺産化に伴って一躍注目の的 しかし、江戸時代に人るとキリシタンへの となっている。 中国大陸や朝鮮半島 , 東南アジア、ヨーロッ 迫害が本格化し、教会はことごとく破壊さ ハから様々な文化が流人してきた。多くの文そもそも、日本のキリシタン史は、イエズれ、信仰を続けようとする者は捕らえられて 化が時代を経るごとに地層のように堆積したス会のフランシスコ・ザビエルが 1549 年拷間を受けたり、処刑されたりした。それで 状態を「文化層序」という。 400 年を超にキリスト教 ( カトリック ) を伝えたことに始も棄教を選択しない信徒たちは、周囲から隠 えるキリシタンと教会の史実は、痛ましい出まる。多くのキリシタン大名の庇護下にあつれて、密かにカトリック信仰を続けることに 来事が数多く見られたものの、長崎の文化層た九州は布教の根拠地となったが、わけても なる。隠れキリシタンの多くは仏教徒とし を第ツ第 歴史とロマンの島平戸 、大航海時代のト判 ~ - 彡′′彡卩 1 2 平戸紐差教会。 1929 年建設、鉄筋コンクリート。 2 代目。 初代は 1885 年建設。鉄川与助設計施工 ( 2008 年 4 月 22 日 ) 3 佐世保市中心部の三浦町教会。 1931 年建設 (2004 年 7 月 )

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4 佐世保市の黒島教会。黒島の信徒全員 の献金や労働奉仕によって 1902 年築。国 ト教関連遺産」の 13 資産のひとつ ( 2013 年 8 月 8 日 ) 5 黒島教会の内部。壁面は 下から順にアーケード、トリフォリウム ( 壁 付きアーチ ) 、高窓 ( ステンドグラス ) の 3 層構造で、大変珍しい。天井はリプヴォー ルト ( こうもり天井 ) 。アンジェラスの鐘や キリスト像、ステンドグラスはフランス製で 建築当時のもの 6 祭壇には有田焼 ( 佐 世保市の東隣の磁器産地 ) のタイルが敷 かれている 7 天井やドアの板は、建築時 に資金が不足したため、安価な板に信徒 が筆で木目を描いたもの。説明するガイド は、黒島で民宿を経営する鶴崎時雄氏で、 自身も先祖代々の信徒 39 特集巡礼キリシタンと現代の教会巡礼

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海が修行した道のりだといわれているが、現に過酷な旅に追いやられた彼らの苦境を際立 はじめに たせている。 在のルートが確立され庶民層にまで広がった なぜそこまでして彼らは悲痛な旅路を行く あらゆる宗教は、信仰上特別に意味づけらのは概ね世紀だとされている。近世におい れた場所を持っている。奇跡の起きた場所やては庶民の宗教的実践として、西日本一帯かのだろうか、と思わせる演出である。しかし 教祖の生死の地、修行の地など理由はいろい ら巡礼者を集めていたという。徒歩で廻ると旅に出なければその父子には、より過酷な生 ろだが、それらは一般に聖地と呼ばれている。成人男性の足でも優に日は要する長い巡礼活が待っていたはすであり、巡礼の旅は彼ら 聖地に赴くことは信徒にとって重要な勤めで地である。苦難の多い四国遍路に行くことは にとって救いを求めた行為だったのかもしれ あり、信仰を深めるために聖地を訪れること俗世からの「死」を意味し、今でもその象徴ない。伝統的な四国遍路はこのように「死」 を巡礼と呼んできた。 として巡礼者は白衣 ( 白装束 ) をまとっている。のにおいを少なからす伴い、必すしもプラス 巡礼は移動すること自体が修行なので、本四国遍路の役割は単に信仰を深めるというの意味合いばかりではなかった。 来は楽しみやレジャーのための旅 ( つまり観光 ) ことだけではない。近代以前には傷病者や生 とはいえ、長く「業の病」と差別されたハ ではない。しかし現実の巡礼は多かれ少なか死のみぎわにある人、障碍者など、「普通ー ンセン病も、医学の発達や法改正によって通 れ観光的な要素を含んでおり、宗教研究だけの生き方をできなくなった人が流れ着く場で常の病と同様の治療が可能となり、やむに已 でなく観光研究の立場から考えることも可能もあった。 まれす巡礼の旅にでなければならない時代で である。以下では日本を代表する巡礼地であ たとえば名作として知られる松本清張のはなくなった。現在の四国遍路ではそのよう る四国遍路 ( 四国八十八カ所札所 ) を例に、「巡長編推理小説『砂の器』の一シーンに、殺人な巡礼者は皆無となり、かってのような暗い 礼の観光化」を考えるための基本的な視点をを犯すことになったある青年文化人の知られイメージはすっかりなくなったといってよい 紹介していきたい。 ざる過去が回想される場面がある。それは代わって多くを占めるようになったのは、 青年が幼少時、ハンセン病を患う父親に連れお参りをしながらしつかり観光も楽しむよう 四国遍路の観光化 られて四国へ巡礼の旅に出るというものであな、巡礼と観光との境目の人々である。観光 四国遍路は全長 1300 を超える巡礼路る。その後の人生を送る中で青年は別の名をと一体化した巡礼のことを、私は「巡礼ツー であり、四国を一周する沿道に「札所」と呼名乗り、ハンセン病者の子であるという過去リズム」と呼んでいる。そもそも巡礼は移動 ばれる圏の寺院がある。その一つ一つに参詣を消し去って生きてきたのだが、 1974 年や宿泊が不可欠であるため、交通網や観光関 していくのが「お遍路さんー ( 巡礼者 ) である。の映画版では父子が四国を巡る場面に悲壮な連産業の発達は、必然的に巡礼の観光化を促 起源は平安時代、真言宗の開祖・弘法大師空が流れ、そのことが余計に、差別ゆえした。

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なって考えたくて、世界遺産だから、といっ カトリック巡礼と観光 た様ざまな動機で行われている。たとえばカ トリックの洗礼を受けているスペイン人大学 ヨーロッパにおけるカトリック巡礼の実践 は、中世以来、その国や地域の政治的・宗教生が、仲間との交流を深めることを主目的と ードなイベント企画」とし 的な事情や人びとの心もちによって盛衰を繰した「ちょっとハ て巡礼するのは珍しいことではないし、夏体 り返し、また、繰り返させられてきた。いい かえれば、巡礼は、時代、 ) との価値観や社み、 ) とに巡礼路を少しすっ断続的に歩くこと 会的な状況によって大流行することもあれば、も一般化している ( 筆者調査、 2013 年 ) 。いっ 忘れ去られることもあった。カトリック信徒ばうで聖地の側も、カトリックであるかどう かはさておいて、あまねく人の巡礼の動機を が神や聖人を想いながら長い道程を歩いて心 身に試練を課すような、信仰に根ざす実践を引きだすようなアビールをはじめ、観光者を 「正式な巡礼」と位置づけるなら、「不純な動惹きつけて呼び込むための快適な環境の整備 機」での巡礼や、異教徒の巡礼を歓迎するこやシステムづくりの努力をしている。 本稿では、スペイン・カトリックの聖地サ とや、巡礼聖地を観光化することは、宗教と 世俗が共存するという意味で「脱世俗化」とンティアゴ・デ・コンポステラとその巡礼 (EI してとらえられる。しかし、「巡礼者はなか camino) を例として、こうした現代の巡礼の ばツーリストであり、ツーリストはなかば巡成り立ちと「観光 ( 資源 ) 化」について素描する。 礼者」 (Turne 「 . 一 978 ) なのであり、そもそも巡 サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の 礼は行為者当人にとっても旅と切り離せるも 概観 のではなく、目的地としての聖地が万人にひ らかれているいま、巡礼と観光はますます不聖なる場所 ( Ⅱ聖地 ) を訪れる宗教的行為、 人 それが巡礼である。聖地であることの明確な 可分のものとなっている。 数 現在の徒歩または自転車による巡礼は、自定義はなく、カトリックの場合はとくに聖人者 礼万万万万万万 ″い 0 分探し、誰かの弔い、精神鍛錬や健康促進、の奇譚や聖遺物との関連を背景に成立し、聖 なるものを求めて人が集まるところが聖地と 人が巡礼をする理由を知るため、ひとりに 聖ヤコプ年 世界遺産認定 2007 西暦 ( 年 ) 2002 円 92 図サンティアゴ巡礼者数の推移 ( 岡本 2012 : 188 より引用 ) 円 97 円 87 ′ 0

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アーが組まれている。その中には、世界遺産 連暫定リストに掲載された頭ヶ島教会と青砂ケ 浦教会を巡り、キリシタン洞窟や旧五輪教会 などの辺境地にあるキリシタン関連施設に船 で立ち寄り、キリシタン墓地で観光客が信者 から直接話を聞く、といったセールスポイン トが設定されているツアーもある。 また、上五島の複数の教会では、ロ月中 旬に音楽家を招いて「チャーチコンサート」 が催されており、島外からもツアーや個人で 来島した観光客が訪れ、クリスマスのイル、、、 ネーションに彩られた教会で信徒と共に賛美 歌を合唱する。参加費は無料で各教会とも立 ち見客が出るほど盛況である。また、上五島 のある民宿では、青砂ヶ浦教会での結婚式ッ アーを企画商品として打ち出している。 さらに、韓国から長崎の教会やキリシタン 。史跡を訪れるキリスト教徒も多い。韓国のキ リスト教史は近代以降の 2 00 年ほどである。 8 4 そのため、韓国のキリスト教徒は世界各地の 会 1 祈さ教年巡礼地を訪れることが多いというか、かれら キリシタン史と教会の観光商品化 出 0 にとって、長崎での「潜伏」 という受難の歴 の神見海っ ル 1 史と独自のキリシタン文化は、ヨーロッパの このように今日、教会やキリシタン史跡が まこ崎産 巡礼地とは異なる魅力的なものに映るという次々と観光商品化されつつあるのは、この地 学加長 見教静 ( 松井 2 013 ) 。 域に共通する危機意識の表れでもある。現在、 平戸市 佐保市 五島市

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ノートが置かれている。 に心動かされ、単なる癒しをはるかに超えた 長崎県北部のとある教会に置かれたノー 体験を得ているようだ。教会に備え付けられ トを開いてみよう。そのノートに書かれてい たノートに書かれた「教会に初めて足を運び ましたが、とても落ち着き心があらわれるよ るのは、「すばらしい眺めの中に立てられて うです。ほんの少しの時間にゆったりした気 いる教会でお祈りできたことを感謝いたしま す、という長崎市のカトリック信徒からの寄肩計当 ~ ~ 。持ちにさせて頂きました。今日がとても素晴 一オれんマ都 らしい一日になりました」という感想からそ せ書きや、「京都から来ました。平戸、原城一に 洋いいをい れがうかがわれる。 などキリシタン殉教の跡をたどらせていただ ~ イは 9 化内し 1 く旅をしてきました。歴史を、人間のなす業 ダ市れをト 現代の多様な教会巡礼 のおそろしさをおもっています」というプロ 一丁スタント〕徒による一三ロ述もある。これ、らに このような体験のできる長崎県の教会は、 レ / すでに旅行会社によるツアーにも取り込ま みられる旅は、キリスト教徒が神や殉教者へ れている。五島列島を目的地とした東京発 祈りを捧げて敬意を表す巡礼と言えるだろう。 のパッケージツアーを 2 つ紹介しよう ( 松井 他にも、東京や大阪などの大都市から、 ション系の学校の生徒が修学旅行として長崎 1 つ目はカトリック信者を対象とした巡礼 市や平戸、五島列島を訪れる例もある。 ツアーであり、 3 泊 4 日がい万円台で設定さ しかし、近年これらの教会には、女性を中 れ、カトリック神父が随行する。そして、島 、いに、明らかにキリスト教徒ではない訪客 巡 会 内の教会をバスで回りながら、教会堂で、、、 が増えている。彼女らは都市部に住む C *-a 教 の 代 や、母・娘の親子連れ、年配の女性グループ サが営まれ、参加者による祈りが捧げられ 現 ン る。 2 つ目の観光客を対象とするパッケージ 客などであり、従来の巡礼者とは明らかに異 タ ツアーでも、教会をはじめとするキリシタン なる人々である。近年のスビリチュアルプー キ ムの影響を受けているのかもしれないが、そ 関連施設は重要な観光資源であり、教会に椿礼 巡 んなことよりも、素朴な教会の荘厳な雰囲気 油や五島うどんなどの名産品を組み合わせて、 集 特 の中で、背景にあるキリシタンの苦難の歴史 中高年の女性グループをターゲットとしたツ 5 ) いいれい , い・朝イを いいれ、、い わ覓をみ物しり . いいを :I 第を・ : 、朝 : を .

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堂 ラ テ デ のき 光で 栄が のこ 面る 堂し ラ デ参 ゴプ イヤ テ聖 ンる サれ 3 さ ここまでみたとおり巡礼の流行は、信者の 数や信仰心の強さに比例しない。そうした状 況はカトリックからすれば嘆くべきことと捉 えられがちだが、ある修道士は「巡礼観光の 否定や、信仰の強さ云々の " 巡礼の正当性″ 聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの 現在 19 特集巡礼聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの現在