たとえば一八八四年から八五年にかけての、英国海軍のヘラルド号とラトル スネイク号による太平洋遠征の際、博物学者のジョン・マッギリヴレイによっ て撃たれたヴィクトリアトリバネアゲハの標本が大英博物館に保存されている けれど、その写真を見ても普通考えるほど蝶の翅も身体も傷んでいない。その 鉄砲は散弾銃ででもあったのか、多分、ショックで落ちてきたものであろう。 しかしこれはよくよくの場合で、いつもいつも鉄砲やカスミ網で蝶を捕るの は得策ではない。ただし、アフリカなどで、タ闇の中をプンプン飛ぶ大型の甲 虫をカスミ網で捕っている学者もいることはいる。 捕虫網の発明 こうしてみると、網というものは、車輛やテコなどとともに人類の初期の、 偉大な発明のひとつであることがわかる。 柄の先のワクに網をとりつけ、空気または水を逃がして獲物だけを掴まえる というこの道具が、いったいいっ頃から存在するのかは知らないけれど、はじ めはやはり、エビや魚を掬うために作られたものなのにちがいない。 慶応二年 ( 一八六六 ) 、江戸幕府、開成所の御用掛をつとめていた田中芳男 という博物好きの青年が、昆虫採集を命ぜられた。 その翌年、パリで開かれる予定の第四回万国博に、日本からも昆虫標本を出
展示資料点数二、七五〇収蔵資料点数二四、 〇二三六ー四五ー一一 休館日月曜日・祝日・年一回の薫蒸期間・年末 年始期間 ・千葉県立中央博物館 〒千葉市青葉町輛ー 2 展示資料点数一、八〇〇収蔵資料点数一三 〇、〇〇〇 〇四七二ー六五ー三一 ・ゆかりの森昆虫館 休館日月曜日・年一回 ( 九月 ) の薫蒸期間 展示資料点数一、三〇〇種三、〇〇〇点収蔵資 〒繝ー茨城県つくば市遠東 料点数四七、〇〇〇 ( 昆虫標本のみ ) 容〇二九八ー四七ー五〇六一 ・千葉県南房パラダイス 休館日月曜日 世界と日本の昆虫展示。クワガタとタガメの生態 〒期ー肥館山市藤原 展示。野外ではオオムラサキ採集可。 容〇四七〇ー二八ー一五一一 無休 ・栃木県立博物館 植物園内の温室でいつでも生きたチョウが見られ 〒宇都宮市睦町 2 ー 2 る。 容〇二八六ー三四ー一三 ・国立科学博物館 休館日月曜日・祝日の翌日 〒Ⅷ台東区上野公園 7 ー 展示資料点数八、〇〇〇収蔵資料点数一〇 〇、〇〇〇 休館日月曜日年二回の薫蒸期間 ・埼玉県立自然史博物館 展示資料点数七、五八七収蔵資料点数一、五 〒ー秩父郡長瀞町長瀞 七〇、〇〇〇 容〇四九四ー六六ー〇四〇四 豊島園昆虫館 休館日月曜日・祝日の翌日・年一回の薫蒸期間・ 290
さて、日本における昆虫採集の入門書としては、明治十五年 ( 一八八三年 ) の曲直瀬愛『採蟲指南』がはじめてのものであるというが、昭和初年の、昆虫 採集の「前期昭和黄金時代 ( 小西正泰氏の命名による ) 」に、加藤正世の『趣 味の昆蟲採集』 ( 一九三〇年 ) が現われた。この書物はまさに一世を風靡し、 その影響力にははかり知れないものがある。 しかし、それ以後、昆虫の採集と標本製作法を述べた成書は、数えるほどし か出版されていない。わずかに、内田老鶴舗発行の京浜昆虫同好会編『新らし い昆虫採集』が目立つくらいである。 一方で、最近の工業技術、材料の進歩はめざましく、接着剤ひとっとってみ ても、今の木工用ポンドと、昔のニカワ、アラビアゴム、タラカントゴムとで ーで売っている は、取扱いの容易さ、接着効果などに雲泥の差がある。スー スノコつきのタッパーウェアなど、昆虫標本製作のためにわざわざ開発された のではないかと思われるようなものもある。 そうしてまた、西洋伝来の昆虫採集、標本製作法は日本において独自の発展 をとげている。そうして『月刊むし』『やどりが』などには、郡司芳明氏、藤 田宏氏らが、ときどき、その技術を伝授する記事を書いておられ、蝶の軟化展 翅の方法なども、おいおいに普及してきてはいる。それらを集大成し、一冊に まとめた、しかもハンディな新らしい「趣味の昆虫採集」が、今必要とされて まなせ
というような話であったけれど、そのモデルになったのがエピオルニスであっ たといわれている。中世の末期にはすでにマダガスカルにアラビア人の基地が あったというから、この巨鳥の噂が伝えられて『アラビアン・ナイト』の中に 取り入れられたのであろう。実際にこの鳥が人間に狩り尽くされたのはたかだ か二百年ばかり前のことに過ぎない その後、昭和四十年には東京農大の探検隊がこの島にいって、その成果を示 す展覧会があった。私は展覧会、展示会のたぐいが大好きで、特に探検隊の蒐 集品、採集品が並べてあるのを見ると、すぐ感激して自分もそんな国に行きた くなる。 その農大の探検隊に、昆虫学者の梅谷献二博士も参加していて、後にその見 聞を書いているけれど、たとえば猫そっくりの声でニャーニヤ 1 鳴く、妙な形 の蝿がいて、子供が長いムチで樹上のその蝉を叩き落し、生でむしやむしや食 うという。大草原で白布を張り蛍光灯をつけて夜間採集をすれば、コガネムシ の大襲来となり、あたり一面まっ黒にコガネムシで埋め尽された。白布の上に 手で「マダガスカル」と大きく字を書いてみても、その字が十秒とは原形をと どめす、再びまたまっ黒に覆い尽されたというのである。 二億年あまり前に形成されたというこの島は、アフリカのすぐ傍にありなが ら動植物相はむしろアジア的な要素が濃く、昆虫は独特の発達をとげていて、
楽しい昆虫採集 1991 ODaisaburo ()kumoto Asao Ok ada 著者との申し合わせにより検印廃止 1991 年 9 月 5 日 1996 年 9 月 5 日 第 1 刷発行 第 4 刷発行 著者 装丁者 発行者 発行所 奥本大三郎 岡田朝雄 吉冨浩 加瀬昌男 株式会社草思社 〒 150 東京都渋谷区神宮前 4 ー 26 ー 26 電話営業 03 ( 3470 ) 6565 編集 03 ( 3470 ) 6566 振替 00170 ー 9 ー 23552 印刷株式会社精興社 製本大口製本印刷株式会社 Printed in Japan ISBN 4 ー 7942 ー 0427 ー 2
テレビ局の人から電話がかかってきた。会ってみると「マダガスカルに行き ませんか , と一一一口一つ。 マダガスカルには子供のときから憧れていた。ただ「行きたしと思へど、マ ダガスカルはあまりに遠し」で、今までその機会がなかった。 日本の一・六倍の面積をもっこの世界第四位の大島の名を知ったのは、小学 四年か五年の頃のことである。鳥類学者内田清之助の『卵のひみつ』という本 の中に、絶滅鳥エピオルニスの、世界最大の卵のことが書いてあった。鶏の卵 の百八十個分もあるという巨大なたまごを産むエピオルニスという鳥は、駝鳥 を頑丈にしたような飛べない鳥で、頭までの高さがメートルもあったという。 シンドバッドの冒険の中にロックという巨大な鳥が出てきて、たしかこの鳥 の脚にシンドバッドは、自分の身体を縛りつけてダイヤモンドの谷間に降りる 昆虫採集の実践記 マダガスカル採集旅行
本書は、奥本大三郎氏が中心となって作られるはすであったが、氏が『ファ ープル昆虫記』の仕事で忙しくなってしまったため、ほんの手伝いということ で加わった私が、第二章と第三章を担当しなければならなくなった。アマチュ アである上に、この趣味の世界に復帰してからやっと十年にしかならぬ新米の 私が、昆虫全般の採集法や標本作製法について述べるなどということは誠に 謀なことで、多くの先輩・友人からのご教示・ご協力と、参考文献がなければ 到底書くことはできなかった。左に名を記した方々には特にお世話になった。 心から感謝の意を表する。もしも私の担当した箇所に多とするところがあれば、 それはすべて先輩・友人のお陰であり、不備なところはひとえに私の責任であ る。幸いにしてその機会が与えられるならば、不備なところは少しずつ改めて いきたい。最後に御苦労をかけた編集製作担当の赤岩州五氏、お世話になった 木谷東男氏に心から謝意を表する。 一九九一年七月 岡田朝雄 298
序 昆虫採集のまず第一の目的は、標本を得ることである。 そのためには、捕虫網などを使って虫を捕まえ、胸を押したり、毒ビンに人 れたりして殺し、針を刺して乾燥させなければならない。 さらにその標本に採集地と採集の日付等を記したラベルを付け、種名を調べ て分類し、標本箱に入れて保存する。 大ざっぱに言ってこれだけのことであるけれど、その間に無限のノウ・ハウ が存する。実際に、右に述べた基本中の基本ともいうべきことでも、やはり人 に教えられなければなかなか思いっかないことであって、たとえば蝶を手で掴 み、あるいは帽子で押さえて、さて、どうして殺したらよいか、初めて昆虫採 集を思いたった人は思案するに違いない。 すく 網そのものは、食べるために魚やエビを掬ったり、鳥を捕ったりする道具と して古くから存在したから、蜻蛉や蝉を小型化した網で捕ることは、いわばそ の応用として、子供たちがやってきた。だから、慶応二年 ( 一八六六年 ) に、 奥本大三郎
それはさておき、昆虫標本作りの基本は、形を整えて乾かすことであって、 専門家のしていることも小中学生のすることも同じといえば同じである。普通 の虫はアルコール漬けにしたり特殊な薬品を使ったりしなくても乾かせば、そ れで百年でも二百年でも保存できる。 蝶、蛾ならば胸を押したり、毒ビンに入れたり、アルコールを注射したりし て殺したものに針を刺し、展翅板という、真中に溝のある二枚の板にハリッケ にして乾燥させる。 甲虫ならば肢の形をお行義よく整える。左右対称になるようこころがけるの は蝶の場合も甲虫の場合も同じである。 つまり昆虫は外骨格といって、身体の中に背骨などがないかわりに、外側が 固くなっているから、乾燥させればそれで形は保つことができるわけである。 厄介なのはその外骨格が比較的やわらかい昆虫の場合で、バッタやトンポな どは死ぬと変色してしまう。ことにトンボの眼玉は、あの美しい青や緑が茶色 くなってがっかりさせられる。だから昆虫図鑑の中には、トンポやバッタを、 採集したらすぐに撮影して、それこそ生きているような色彩を保存したものが 出版されている。 しかし最近では、インスタント・コーヒーではないけれどフリ 1 ズ・ドライ
しかし、書けない。ちょうどその二年ほど前から取りかかっていた八巻本の 『ファープル昆虫記』のほうがますます忙しくなってきたのである。これは二 人の絵描きさんのほかに、合計七人ほどの編集者、校正者の方々と一つのチ 1 ムになっていて、動き出したら、途中で止めることができない。私一人が病気 をしたりしたら大迷惑をかける、というぐらいのもので、どうにもほかのもの を書くことができなくなってしまったのである。 それでかねて昵懇の、岡田朝雄さんに泣きついた。岡田さんのほうも、学部 長補佐だか何だかで、大学の仕事が非常に忙しかったはずであるけれど、それ こそ、莞爾として微笑んで、引き受けて下さった。私とまったく同じアイデア を、前々から抱いておられたからであろうと思われる。 というわけで、本書の主要な部分を作るにあたって、私はまったく何の役に も立っていない。時々、お酒を飲みながら岡田さんの原稿を見せていただいて、 勝手な感想を述べたたけである。時には深夜に、友人まで連れて岡田邸に上が り込み、朝まで虫を見ながら飲んだりした。本当にもう、感謝したらいいのか、 詫びたらいいのかよく解らないところである。 平成三年七月 奥本大三郎 297