今までの経験を踏まえた上で , ヒマラヤの他の地域で文化保全事業をてが けるのなら , コア施設設立などのエコミュージアム関連のしくみを先につく ろうとするよりも , 郷土誌編纂だけの単発の事業として始めるほうがよいで あろう。郷土誌編纂が進行した時点で , 地域住民から要望があれば , ェコミュー ジアム形成に関してアドバイスを行ったり , 実際に現在連営しているムスタ ン・エコミュージアムを参考事例として紹介することができる。 こうした郷土誌編纂とその後に続くエコミュージアム設立のための比較的 長い準備期間の後で , ヒマラヤ地域において住民主体のエコミュージアムの しくみをつくっていきたいと考えている。 より長期的には , ヒマラヤでの経験を踏まえつつ , 他の発展途上国に対応 できるようなエコミュージアムあるいは , 類似の住民が積極的に企画連営に 参画できるような文化施設 , 地域社会情報システム設立のための手法を研究・ 確立していきたい。 ( 詳しい背景 , 活動内容 , 方法論については , ヒマラヤ保全協会 ( Tel. 03 ー 5350 ー 8458 ) 発 行の『第三世界の地域開発とエコミュージアムーネパール山村での実践から一』を ご参照下さい ) 126
ムスタン・エコミュージアム (Mustang Ecomuseum) 1 . ヒマラヤ保全協会 ( 1 ) 組織構成・活動主体 飯田 泰也 ( ヒマラヤ保全協会 ) ヒマラヤ保全協会は , 1974 年に設立された国際協力 NGO ヒマラヤ技術協 力会を前身として 1986 年に設立された。ヒマラヤ技術協力会は , ネパール王 国のミャグディ郡のシーカ村周辺を拠点とし , 環境共生型の地域開発の協力 活動を行ってきた。調査・計画立案の時点から住民の主体的な参画に基づい て , 自然環境と共存した地域活性化を目指してきた。この地域で行った具体 的な活動は , 現地の住民のニーズをとらえて適正技術の導入を計り , 塩化ビ ール製とプラスチック製の給水用のバイプの敷設や森林資源を連搬するた めの傾斜を利用したロープラインの敷設などの活動である。 ( 2 ) 契機・経緯と設立の主旨 1980 年代後半以来 , 国際協力の現場で , 従来の経済発展を主たる指標にし た開発協力のあり方に対する問題点がクローズアップされている。地球規模 の環境破壊問題に対応して , 環境共生型の開発や持続可能な開発などのオル タナテイプな開発に関する概念と手法が提示されてきた。 一方 , 文化人類学者などによって以前から指摘されていたことだが , 開発 にともなって生じる伝統的なコミュニティの構造的変化と生活スタイル・価 値観の変化によって地域の環境が直接間接に破壊されていくことが明白になっ てきた。環境と開発の問題が理解されていくのにともない , 遅ればせながら 開発関係者の間で伝統文化の存続を視野にいれた開発手法に関心が高まって きた。 地域に根ざした住民の生活は , その上地固有の生態系に依存せざるを得な いため , 伝統的な生活様式の中には , 資源利用と配分 , 廃棄物の処理などに 114
写真 5 まちづくりの新しい拠点総合情報センター 。 0 いンわ弘輒 写真 6 地元の「百姓踊り」が披露された グローカル・シンポジウム アム研究会の会長である新井重三氏との対談を設定させていただいたが , 両 氏が大いに意気投合され , 対談が大成功裏に終わったことはいうまでもない。 その成果は , 同協会の 30 年にわたるヒマラヤの山村への住民参画型のムラづ くりにおいて , ヒマラヤ版のエコミュージアムの展開へと活かされているの である。 また , 東和町国際交流協会では , 1992 年 ( 平成 4 年 ) から「アジア経由お らほからイーハトープへ」というテーマで , 農村型の国際交流・国際協力を ィーハトープ・エコミュージアム構想の夢とロマン 261
写真 9 写真 10 こは第ま差一一第一刄 を加角行 伝統的なお寺の様式 2 階の「宗教と文化」の展示室 以上 , この項写真提供・ヒマラヤ保全協会 五ヶ年計画を立案中 住民代表で結成された運営委員会で次期 設立のためのプロセスを研究・開発していきたい。 ヒマラヤの地域でも将来のエコミュージアム形成を視野に入れた郷上誌編纂 た , 現在ムスタン・エコミュージアムの活動範囲には含まれていない , 他の のムクチナート地域以外でも郷土誌作成の事業を行っていく予定である。ま 今後も継続してムスタン・エコミュージアム事業の一環としてムスタン郡 事業を展開していきたい。 ムスタン・エコミュ ジアム 125
めの , 触媒として機能するにはどのような活動が可能なのか , またどのよう なポジションに位置すればよいのか。外来の知識と技術を導入することだけ では成果があがらない文化保全や環境保全関連の国際協力事業を行う組織と してのアイデンティティをどう規定すればよいのか。この問題は新たな国際 協力活動手法の開発と並行して考えていかなければならない。 このようなことを考えている時期に , ェコミュージアムに出会った。 1992 年のことである。日本で紹介され工コミュージアムに関する解説を読んでい くうちに , 住民が主体となってエコミュージアムのシステムを形成し運営し ていくという考え方に関心をもった。ヒマラヤの伝統文化が急速に変容して いる地域において , 工コミュージアムのしくみを導入することで , 調和のと れた開発と文化保全事業に応用することが可能になるのではないか。こうし てエコミュージアムのしくみをヒマラヤのムスタン地域に導人・活用するこ とが決まり , ムスタン・エコミュージアムの事業が始また ロー ) 0 われわれがたてた事業計画をもとに 1992 年からヒマラヤ保全協会と国際ロー タリー第 2 , 650 地区の合同事業としてムスタン地域で地域開発センター スタン・エコミュージアム事業を開始した。 1994 年から 97 年までは世界宗教 者平和会議日本委員会等からの支援も受けていた。 2 . ムスタン地域の特性 ヒマラヤ山脈は , インドプレートとアジアプレートの衝突によって形成さ れた。ムスタン地域には , ヒマラヤ山脈を南北に縦断するカリガンダキ川が 流れ , 渓谷沿いの断崖に造山連動による褶曲が露出している。特定の地域で は , アンモナイトなどの化石が産出する。 この渓谷に沿って先史時代から , チベット高原とインド平原を結ぶ交易路 が発達してきた。この交易路を通じて古来幾多の民族が流れ込み , 先住民と あるいは近隣の諸民族 , 諸部族との抗争を繰り返してきた。今でも , 中世に 建てられた要塞遺跡が各地に残っている。そのため , この地域は , おもにチ べット系諸民族の移住による度重なる移民の波のため , 地域ごとにモザイク 116
もに考え , ある。 新たなしくみを形成していくのがエコミュージアム事業の目的で 3 . 工コミュージアムの内容 ( 1 ) コア施設 118 しょになったものである。 ターの案内機能を備えた地域紹介のための博物館と地域文化センターがいっ るところはない。従って現段階におけるコア施設は , 一般的なビジターセン しか準備しておらず , そのコア施設も展示内容の一部は従来の博物館と変わ 以上のように , 現段階でエコミュージアムと名づけてはいるが , コア施設 集した一般向けのビデオライプラリーなどがある。 論文などを保管した図書資料室とヒマラヤ各地の生活文化に関する映像を収 このほかコア施設には , ムスタン地域やヒマラヤ地域全般に関する書籍や の事業から発展した形で , 伝統医療の諸活動に対する支援協力を行う。 医療の医師で形成される連合会を準備中である。今後は , ェコミュージアム ムスタン郡に在住する伝統医療の医師たちと何度か会合を持ち , 現在 , 伝統 心に , ムスタン地域に継承されている伝統医学を次世代に継承するために こうした拠点としてのコア施設に常勤する伝統医学クリニックの医師を中 品作物としての可能性を探っている。 で採れる薬草を移植した薬草園がある。薬草園で薬草栽培の実験を行い , 商 医学で使用される薬草の展示室がある。またコア施設の外にはムスタン地域 ト医学を学んだ伝統医療の医者が勤務している。クリニックに併設した伝統 ト伝統医学のクリニックを開設した。このクリニックには地元出身のチベッ 同時に , 生きた伝統文化の紹介ということで , 地域で伝承されているチベッ 全般の情報センター ビジネスセンターの役割をもつ。 にまつわる民芸品などを展示した中核の展示室。この展示室がムスタン地域 施設の構成は , ムスタン地域で出土する化石 , 考古学資料 , ムスタン地域 ターをまず最初に設立した ( 1994 年開館 ) 。 ヒマラヤ保全協会は , ェコミュージアムのコア施設にあたる地域開発セン
住民と合同してテリトリー内部の遺産について調査し , 記録・保全してい くための準備として , 郷土誌づくりを 95 年から開始した。 当初は , ムスタン郡全体をテリトリーとして想定していたが , 全域で活動するのは , 資金・マンパワーとも不足しているので , ト地域に限って調査と同時に郷土誌作成活動を行っている。 ムクチナー ムスタン群 122 産の記録活動の一環として積極的にビデオを取り人れることにした。 デオ映像での記録が重要であることに気がつき , ェコミュージアムの文化遺 生活習慣と伝統文化の諸行事を記録するために活字による記録以外にもビ にもっていくように心がけている。 のかを再認識した上で保存の方法を考えていくしくみが形成されていく方向 遺産に関して単なる受動的な記述のみならず , 実際にどのような価値がある このような郷上誌作成の過程で , 地域に関することがらや地域に分散する 執筆・編集にかかわる人々も増えてきた。 プを取った。取材・編集活動が展開していく上で徐々に住民の関心も高まり 郷土誌を作成する過程で最初にヒマラヤ保全協会のスタッフがイニシアチ 観光関連の雑誌や書籍 , 学会誌の中に限られてきた。 めの取材はなされてきたが , かれらが発表する場は地域住民とは関係のない 一方で , 文化人類学の調査やジャーナリストによる観光ガイドの紹介のた 誌を執筆・編集していこうという発想は生まれにくい。 で文盲の人が多いためである。こうした状況では , 住民自らが率先して郷土 ないためと , 僧侶などをのぞくと近代的な学校教育を受けていない人々の中 るが , 記述された記録に接する機会は少ない。理由の 1 つは , 文献資料が少 ヒマラヤに住む住民の多くは , 自らの地域に関するロ承の伝説をもってい の歴史や地域内に分散する各寺院の由来を調べ , 記述する作業を行った。 と , 合同でムクチナートに関する郷土誌を作成している。この過程で各村々 のとれた発展に関心のある人々を選び出し , ヒマラヤ保全協会のスタッフら ムクチナート地域に住む住民の中から , 伝統文化の継承保存と地域の調和
関するそれぞれの地域に固有の文化的制約が織り込まれている。近代化が進 行していく過程で , その土地の生態系や伝統文化とは無関係に発達してきた 工業社会 , 都市社会の文化と価値観が伝統的なコミュニティに無分別に導人 されることによって , 再生不能なレベルまで地域環境の破壊が促進されてし まう傾向がある。 近年 , 自然生態系や , その持続可能・再生可能な範囲での有効な利用法に 関する先住民の知識体系をどのように保存・継承そして , 開発計画に取り組 めばよいのかについて開発関係者の間で活発な論議がなされている。 ヒマラヤ保全協会では , こうした昨今の開発のパラダイムの変化に対して , ヒマラヤ地域における伝統文化の継承と , 環境と調和のとれた開発のアプロー チを模索してきた。 同時にヒマラヤ技術協力会の時代からの主要なテーマであった , 地域計画 を行う過程での地域住民の主体的な参画についても , 従来の国際協力のアプ ローチにかわる方法論を考えてきた。地域住民と国際協力 NGO がお互いに どのような立場で調査 , 計画の立案 , 事業体制形成 , 運営などにかかわって いけばよいのかについて他の国際協力機関が行ったきたことと , 私たちが行っ てきたことを見直し , KJ 法などを用いて住民との協力関係に関する手法を 研究開発しようとしてきた。 国際協力を行う NGO としての立場をどのように位置づければよいのかに ついても考えていく必要がある。地域計画の事業主体として自己を規定すれ ばよいのか , それとも地域住民が主体でわれわれ外国の NGO は , 開発事業 の角虫媒として働けばいいのか。伝統文化の保全や地域固有の自然環境の保全 は , インフラストラクチャーの整備や技術移転と異なり , 外部の協力団体が 事業主体となって永続的に事業を行っていくことは不可能だ。地域に住む住 民が事業主体とならなければならない。中央政府の行政範囲の拡大にともな う開発事業が行われる近代以前は , 地域に住む住民自らの手で自然生態系と 資源の有効利用が適切に行われてきたわけである。伝統的な生活スタイルが それを可能にした。従って , 住民自らが有しているポテンシャルをどのよう に再活性化すればよいのかについて , 創意工夫をこらす必要がある。そのた ムスタン・エコミュージアム 115
( 2 ) サテライト , アンテナとしての遺産群 ムスタン地域には , 以下に示すような遺産の候補がある。 ・プランデーエ場。トウクチェ村 , マルファ村。 ・国立温帯果樹試験場の果樹園。マルファ村。 ③産業遺産 ・河口慧海が滞在した旧家。トウクチェ村 , マルファ村。 ・ボン教寺院。ルプラ村。 ・チベット仏教各宗派の仏教寺院。ムスタン群全域。 ・中世に建築された要塞遺跡。上部ムスタン地域。 上部ムスタンに散在する洞窟住居遺跡。上部ムスタン地域。 ②文化遺産 ・高地の野性動物の生育地域。ムスタン群全域。 域 , ダモダル・クンダ地域。 ・アンモナイトを中心とした化石が露出している地域。ムクチナート地 ダキ渓谷沿いの崖の露出部。 ・地質学的価値のあるヒマラヤ造山連動をしめす地層の断面。カリガン ①自然遺産として 120 トレイルの整備もまだ充実していない。 また , コア施設外部に散在する遺産の整備と遺産を結ぶディスカバリー・ うやく形成されたばかりである。 を運営している状態が続き , 住民が直接運営に携わる仕組みが 96 年 11 月によ ムスタン・エコミュージアムの場合 , ヒマラヤ保全協会が単独でコア施設 らない。 にある遣産を , 住民自らが , 研究し保全する体制を確立していかなければな 工コミュージアムを実現するためには , テリトリーとして決定された地域 4 . 現状での到達点 行中である。 遺産に関する調査 , 解説作成と表示 , 遺産保存のためのしくみづくりは進
重し , それらを理解しあい , 認めあい , 融合させていくことでこそ , 人生の 舞台となる共通のステージづくりという地域づくりが実現するものであると 考えたいからである。そのときにこそ , ィーハトープ即ちィーハトープ・エ コミュージアムが , 多くの人々に実感できるようになっていると考えられる。 その段階により近づいたところで , 地域の在り様をエコミュージアムという 文脈・切り口で整理して示すということで , 何ら差し支えがないのではない だろうか。 ( 3 ) ィーハトープ・エコミュージアムの現在までの経緯 これまでに述べてきた観点から , ィーハトープ・エコミュージアムについ ては , その実績とよべるものは , 次のとおり調査研究活動とそれらを基本に した啓発活動が中心になっている。 〈 1991 年・平成 3 年〉 空山川総研がエコミュージアムと出会う。 く 1992 年・平成 4 年〉 ・空山川総研の研究成果の発表会で , 「東和町のまちづくりとエコミュー ジアム」を町民に向けて発表。 ・エコミュージアムをテーマにした全国的な学習会への参加を開始。 ・山形県朝日町でのエコミュージアム国際シンポジウムで「東和町のま ちづくりとエコミュージアム」を発表。 新井重三氏による「これからのマチづくりとエコミュージアム」講演。 ・財環境文化研究所主催のエコミュージアム研究会に参加。 空山川総研が月例のエコミュージアム・ゼミナールを開始。 ・川喜田二郎氏による「 21 世紀のマチづくりと KJ 法」講演。 東和町国際交流協会のグローカル・プロジェクトがはじまる。 ・ヒマラヤ保全協会の西北ネノヾ ール 2 カ所でのエコミュージアム構想に 参画。 ・「東和町体験メニュー調査」を町より受託。 〈 1993 年・平成 5 年〉 ・砌環境文化研究所主催のエコミュージアム研究会を東和町にて開催。同 258