展示 - みる会図書館


検索対象: 博物館概論
195件見つかりました。

1. 博物館概論

の分野では , 専任研究員と外来研究員などを含めて , 500 人をこえる研 究者がさまざまなプロジェクトに従事しており , 世界的に高い評価を受 ける研究を行っている。それらの調査研究の成果はつねに展示やワーク ショップなどをとおして一般公開が図られている。 常設展示では , 恐竜 , 鳥類 , 氷河期の哺乳類 , 北米の哺乳類 , 爬虫類 , 両生類 , 海洋生態システム , 昆虫 , 鉱物 , 宝石 , 天文 , アフリカの諸民 族文化 , アジアの諸民族文化 , 太平洋の諸民族文化 , 北米の諸民族文化 , 南米の諸民族文化など , 多岐にわたるテーマ別に展示が展開されている。 この博物館における展示手法は , 自然史博物館で一般的な分類展示を基 本としているが , 新しい展示手法も取り入れている。とくに , 昆虫の展 示については , 1993 年に実施された展示刷新によって , 新たに「昆虫 動物園 (lnsect zoo) 」と名づけられた展示場がオープンしており , 数多 くの生きた昆虫が生態展示されている。この昆虫動物園は , 殺虫衛生会 社を創業して成功した実業家からの寄付金によって設置されたもので , ユニークな生態展示の試みと評価できる。たとえば , 蜜蜂の場合には , 昆虫動物園でガラス張りで女王蜂を中心にした蜂の巣づくりを見学でき るが , 蜜蜂は建物の外に飛び出せる構造になっているので , 博物館周辺 の花の蜜を吸った後に , ふたたび博物館内の蜂の巣に戻ることができる。 また , 南米の熱帯林の一部が再現されており , 蟻や蜘蛛などの生態が観 察できるようになっている。 国立自然史博物館では , 常設展示のほか , 特別展が大小さまざまに開 催されている。人類学研究部の北方民族研究部門は , アイヌ民族の文化 についての特別展を企画していたが , その開催準備のために北海道の博 物館に勤務しているアイヌ文化の専門家を特別研究員として一定期間ワ シントンに招聘して , 共同作業を進めていた。その専門家はアイヌ人で あり , 展示される側の文化を担う専門家を参画させることによって , 48

2. 博物館概論

本的性格にもとづいて運営がなされている。①美術文化の将来を切り拓 く視点の確保 , ②中部圏の美術文化の発信力向上への貢献 , ③国際的な 美術文化の交流の場 , ④日常生活と美術文化がコミュニケートする場の 形成 , ⑤県民の参加による積極的な活動の展開 , ⑥複合機能を活かした 柔軟な活動の展開 , などである。 収集・保存では , 20 世紀の優れた作品 , 現代を刻印するのにふさわ しい作品などを中心に収集を行うとともに , すでに G ・クリムト , p ・ クレー , p ・ピカソ , p ・デルヴォー , M ・エルンスト , A ・マティスな どの作品を所蔵している。 所蔵品展示では , 年に 4 ~ 6 回の展示替えが行われているが , 20 世 紀の美術動向 , 音や光を伴う作品 , 近現代日本画 , 20 世紀版画・素描 などのテーマ設定のもとで作品展示が行われている。企画展示としては , 20 世紀美術を系統的に紹介する国際展や世界の現代美術を紹介する国 際展などが実施されている。 そのほか , 教育普及の面では , 子どもを対象にした鑑賞教育 , 年 1 回 の移動美術館の開催 , 講演会やシンポジウムの開催 , 博物館実習の受け 入れなどが行われている。 パリのポンピドゥー・センターは , 年間に 800 万人ほどの利用者があ るといわれているが , 愛知芸術文化センターにはそれほどの利用者がい ないのが残念である。建物の規模は立派であるが , 活動内容が十分では ないことと , 市民や県民の側に芸術文化に対する欲求の高まりが見られ ない点も問題である。 4 . 自然をテーマにした美術館 21 世紀を迎えた最初の年である 2001 ( 平成 13 ) 年に群馬県立館林美 84

3. 博物館概論

んに研究されるようになった。王立熱帯研究所が研究対象としてきた熱 帯地域は「南の世界」であり , また「第三世界」でもあるので , 博物館 における展示の面でも , グローバル・トレンド ( 世界の大潮流 ) の変化 に応じて大幅な改革を断行する必要に迫られた。その結果 , 1976 年に 展示の大幅な改革を実施するために , 3 年間にわたって博物館を全面閉 鎖して準備が整えられることになった。 1979 年に再開された熱帯博物館は , まったく新しい展示手法が取り 入れられており , 世界中の民族博物館の注目を浴びることになった。従 来の熱帯博物館では , 世界の他の民族博物館と同様に , 諸民族の「過去 の遺物」もしくは「死んだモノ」が民族文化を代表する資料として静態 的に展示がなされていた。ところが , 現実には「南の世界」もしくは「第 三世界」に属する諸民族を取り巻く , 社会的・文化的・経済的・政治的・ 生態的状況は劇的に変化しており , そのような諸民族の動態を展示に取 り入れる工夫がなされていた。また , マルチメディアを活用して , でき るだけ五感をとおして民族文化が理解できるような仕掛けもなされてい た。現代アフリカのマーケット , ジャワ島の農村 , フィリピンのマニラ における交通渋滞をみてから , アフリカのサバンナにおける雷雨やアラ ブ世界の街の喧騒を実感し , 南アメリカのジュークポックスの民族音楽 を楽しんだ後に , 熱帯降雨林に住む人たちの厳しい生活の話に耳を傾け る , などの展示が展開されている。また , 1979 年からは新たに「子ど も博物館」が附属施設として併設され , そのユニークな博物館活動が世 界的に注目されている ( 附属の「子ども博物館」については , 第 13 章 の「生涯教育と博物館」を参照 ) 。 このように , 熱帯地域の諸民族の大きな変化に対応して , 1970 年代 末に展示の刷新を行った熱帯博物館は現在 , 21 世紀を視野に入れてふ たたび常設展示の刷新を行いつつある。熱帯地域の諸民族も , 情報化時 122

4. 博物館概論

ープンした芸術メディア・テクノロジー・センター (ZKM) は , 芸術 と科学技術の融合をめざす複合施設 ( メディア・ミュージアム , 現代美 術博物館 , 映像メディア研究所 , 音楽・音響学研究所などを含む ) であ り , 世界各国から芸術家や研究者が訪れることによって , 新しい文化創 造の拠点として重要な役割を果たしつつある。 日本でも , NTT インターコミュニケーションセンターやいくつかの 美術館などでマルチメディアを駆使した文化創造が行われている ( 注 2 ) 。 NTT は日本の電話 100 年を記念して , 1997 ( 平成 9 ) 年に「 NTT イン ターコミュニケーションセンター」 ( 略称 : ICC) というミュージアム を設立した。このセンターの目的は , 「コミュニケーション」というテ ーマを軸にして , 科学技術と芸術文化の対話を促進し , 豊かな未来社会 を構築していくことにある。 センターの常設展小室では , 三次元ヴァーチャル・リアリティ・シス テムや無響室など , 従来の博物館にはない環境を用いた体感型の装置を はじめ , 国内外の作家によるメディアアートやテクノロジーアートの作 品が常設展示されている。テーマ展示では , 「アート・アンド・サイエ ンス・クロノロジー」と題して , 20 世紀におけるアートとサイエンス の交流の歴史が , その当時の作品や図版によって展示されている。企画 展示室では , ジャンルを越えた多彩なプログラムが展開されており , イ べントやパフォーマンスやコンサートなどが行われている。 ワークショップ・スペースには , コンピュータや映像・音響関連のス タジオ施設を備えた実験スペースがあり , アーティストによるワーク ショップや子どもたちを対象にした教育プログラムが展開されている。 そのほか , 20 世紀におけるアートとサイエンスの歴史やビデオ・アー ト作品や実験的映像作品などが上映されるシアター , VOD ( ビデオ・ オン・デマンド ) システムなどを用いてセンターのオリジナル・データ 注 2 マルチメディア時代における美術館については , 下記を参昭 美術館メディア研究会 ( 編 ) 「美術館革命』大日本印刷 , 1997 244

5. 博物館概論

り , 東京大学建築学教授である安藤忠雄氏の設計によって , 周囲の文化 遺産や自然と調和するように配慮がなされている。 常設展示は , 「近っ飛鳥と国際交流」「古代国家の源流」「現代科学と 文化遺産」という , 3 つのゾーンに分かれて展開されている。「近っ飛 鳥と国際交流」ゾーンでは , 倭の五王と渡来文化 , 聖徳太子の時代 , 仏 教文化の開花 , 文字の時代 , 古墳の終わりと墓などのテーマにもとづい て , 中国大陸や朝鮮半島との交流のあり方 , 渡来文化の果たした役割な どが , さまざまな出土品を中心にして展示されている。「古代国家の源 流」ゾーンでは , 竪穴式石室の世界 , 埴輪の世界 , 王と民衆 , 古墳造営 のムラ , 横穴式石室の世界 , 大古墳の造営などのテーマにもとづいて , 古代国家の形成過程が明らかにされている。とくに , 仁徳陵古墳につい ては , 直径 10 m という大きな模型 ( 縮尺 150 分の 1 ) が展示されてお り , 興味深いものである。 「現代科学と文化遺産」ゾーンでは , 修羅の保存 , 現代科学と考古学 などのテーマにもとづいて , さまざまな科学技術が文化財の保存や文化 財の調査・分析に応用されている事例が展示されている。とくに , 1978 ( 昭和 53 ) 年に大阪府藤井寺市の三ッ塚古墳から出土した修羅 ( 重量物 の運搬に用いたソリ ) とテコ棒が , 最先端の保存科学の方法で , 14 年 の歳月をかけて保存処理されたうえで展示されている。この修羅の発掘 から , 保存処理を経て , この博物館で展示されるまでのプロセスについ ては映像記録を展示場で見ることができる。 6 . 近代の歴史の博物館 北海道 100 年を記念して設置された北海道開拓記念館は , 北海道立の 総合歴史博物館で , 1971 ( 昭和 46 ) 年に開館している。北海道開拓の 0 6 歴史の博物館

6. 博物館概論

た。メキシコ革命はまた , インデイへニスモ ( 先住民の復権運動 ) への きっかけを与えた点でも評価されている。メキシコでは , 農地改革運動 のシンポル的存在であったサバタを中心にして共同体の復権運動が展開 された。さらに , 先住民の文化は長らく , 劣ったもの , 野蛮なものとみ なされてきたが , インデイへニスモが展開されるなかで , メキシコの文 化にはスペインと先住民 ( インディオ ) の 2 つの要素が等しく混じり合っ ていることが従来以上に明確に意識されるようになった。その結果 , 先 住民の先史文化が価値のあること , それが現代の文化と無縁でないこと が認められるようになり , 先住民の文化の研究がさかんに行われるよう になった。 1939 年に勃発した第二次世界大戦は , メキシコに経済的繁栄をもた らした。メキシコは連合国への物資供給国の役割を果たすことになり , 戦時経済プームを享受した。その間に , 工業化が進展するとともに , 1946 年に諸政党の再編によって制度的革命党が結成され , 一党独裁体制のも とで安定政治が継続された。 1940 年代から 60 年代にかけて , 高度経済 成長が実現され , 1968 年にはメキシコ・オリンピックが開催された。 高度経済成長が実現される一方で , 独占的資本主義の隆盛化の結果と して , 貧富の格差の拡大 , 労働運動の激化 , 先住民共同体の崩壊 , 反政 府ゲリラ活動の出現などの事態が生じた。そのような状況のなかで , 1964 年に国立人類学博物館が創設された。この博物館は , 1825 年に設立さ れた国立博物館を継承するもので , メキシコシティのチャベルテペック に新たに巨大な博物館が建設された。 国立人類学博物館では , 先スペイン期文化の展示と , 先住民族の文化 の展示が行われている。先スペイン期文化展示では , アメリカ大陸にお ける人類の起源に続いて , メキシコ中央高原で展開された諸文化 ( 先古 典期の文化 , テオテイワカン文化 , トルテカ文化 , アステカ文化 ) , オ 119 7 民族の博物館

7. 博物館概論

これを組織的に陳列して 『大辞林』では , 「歴史・芸術・民俗・産業・自然科学などに関する 公衆に展覧する施設」 ( 岩波書店 , 1991 年 ) 。 遺物その他の学術的資料をひろく蒐集保管し , 12 れた。それは , 1890 ( 明治 23 ) 年に制定された教育勅語に代わって , なった。まずはじめに , 1947 ( 昭和 22 ) 年に「教育基本法」が公布さ その実現には紆余曲折があり , 太平洋戦争後にようやく実現の運びと 博物館に関する法律については , 明治時代に制定の動きがあったが , 2 . 博物館法および関係法規 一般的に定義をして論を進めていきたい。 展示・教育を実施するとともに , 調査・研究を行う機関」というように 本書では , まずはじめに , 博物館とは「各種の資料を収集・保管し , 究」という , 3 つの内在的機能を有する機関ということができる。 つまり , 博物館は , 各種資料の「収集・保管」「展示・教育」「調査・研 料に関する調査研究をすることを目的とする機関」と定義されている。 リエーション等に資するために必要な事業を行い , あわせてこれらの資 て教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し , その教養 , 調査研究 , リク 業 , 自然科学等に関する資料を収集し , 保管 ( 育成を含む ) し , 展示し つまり , 博物館法の第 2 条では「博物館とは , 歴史 , 芸術 , 民俗 , 産 る博物館の定義に類似している。 な定義は , おおむね 1951 ( 昭和 26 ) 年に公布された「博物館法」によ 展示・研究するための施設もしくは機関」ということになる。このよう これらの辞書的定義によると , 博物館とは「各種の資料を収集・保存・ の調査・研究をする機関」 ( 三省堂 , 1995 年 ) 。 資料を集め , 整理・展示して一般の利用に供し , あわせてこれらの資料

8. 博物館概論

れている。このような活動は住民参加が基本であり , 150 人のボランティ アと 20 人の非常勤職員を含む約 40 人の専任職員によって支えられてい る。また , このエコミュージアムの活動資金の 43 % は入場料収入や物 販収入などによって賄われているが , そのほかに 11 % が文化省 , 23 % が地方圏 , 17 % が県 , 2 % が町 , 4 % がその他などから , それぞれ資 金援助がなされている。 このエコミュージアムは数多くのサテライトで構成されている。それ らのサテライトのうちで主要なものをあげると , つぎのようなものがあ る。トレロンにあるガラス工場の博物館 ( ガラス工芸の実演 , 製品・機 械類の展示 ) , サン・デ・ノールにある牧草地の家 ( 牧畜業や牧草地管 理の歴史についての展示 ) , ワレールにある石造りの博物館 ( かっての 司祭館における特産石材展示 ) , ヴィニュイにある「発見の小径」 ( 牧草 地帯の動植物相および農家や町並みの観察 ) , リシーにある宗教文化財 の博物館 , フ、ルリにある木の博物館 ( 木工の実演 , 木工業の歴史や有 用木の説明展示 ) , サル・ポテリーにある水車小屋 ( 水力による粉引き の展示 ) など , 多数のサテライトが分散している。 ・トレロン・エコミュゼは , 1989 年に地域観光の振興に貢献 フルミ したことが認められ , フランス観光省から大賞が授与されている。また , 1990 年には , ヨーロッパ博物館大賞が授与されており , その活動の優 秀さが広くヨーロッパで認められるにいたっている。 6 . 都市型のエコミュージアム ェコミュージアムは基本的に農村地域で展開されているものがほとん こでは大都市におけるエコミュージアムの事例を紹介し どであるが , ておきたい。それは , カナダのモントリオール市内にあるフィエル・モ 189 エコミュージアム

9. 博物館概論

改修され , 1996 年にオープンした。 このコア・ミュージアムでは , 協同体の事務局が置かれるとともに 展示も行われている。展示のテーマは「労働者住区の栄光と悲劇」で , サントル・スッド地区における産業の歴史と都市労働者のライフスタイ ルの変遷が取り上げられている。残念ながら , 標本資料が少ないために 写真を中心にした展示が行われている。また , サントル・スッド地区と 類似の歴史をもっスペインのバルセロナ市のサンツ地区との比較研究も 行われており , その成果が展示されていた。さらに , フィエル・モンド・ 工コミュゼのテリトリーには , 21 の工場や会社がサテライトとして想 定されているが , 2002 年の時点ではまだ機能していなかった。農村地 域のエコミュージアムと比べると , 都市部では地域住民の参画が十分で はないために運営面での苦労が多い。その一方で , 年間に 1 万 2000 人 をこえる入館者があり , モントリオール市における文化観光のルートに 加えられるなど集客面での有利さがある。いずれにしても , 今後はサテ ライトの充実化を図るなど , 活動面での多様性を企画・運営していくこ とが課題になっているが , 都市部での貴重なエコミュージアムの事例と して今後の発展が期待されている。 7 . 日本のエコミュージアム い ) 概況 工コミュージアムは近年 , 日本においても地域振興のための新たな方 策として , その理念と方法が注目され , 各地で 70 をこえる構想が展開 されている。日本において , 工コミュージアムの概念の導入と研究が本 格化し始めるのは , 1980 年代後半のことであった。さらに , 全国の市 町村自治体のなかで , 工コミュージアムへの本格的取り組みが開始され 191 エコミュージアム

10. 博物館概論

コミュージアム運動は , ヨーロッパを中心にして広がっていき , 今日で は世界中でさまざまな展開が図られている。 同じく 1960 年代の米国では , 「原爆の父」と呼ばれたロバート・オッ ペンハイマーの弟である物理学者フランク・オッペンハイマーを中心に して , 1969 年にサンフランシスコで「エクスプロラトリアム」が設立 された。これは , 従来の博物館にはないハンズ・オンの工夫と仕掛けに 満ちた参加・体験型の科学探究館もしくはサイエンスセンターとして注 目を浴びた。展示装置に直接触れることのできる「ハンズ・オン」とい う手法は , 1925 年にドイツ博物館 ( ミュンヘン ) で初めて導入された ものといわれており , 工業工ンジンの運転装置の展示が源流とみなされ ている。しかし , 全館的にハンズ・オン展示やインターラクテイプ ( 双 方向的 ) 展示を取り入れた工クスプロラトリアムは革命的インパクトを もたらした。そこで発明・提案された各種の工夫や仕掛けは , 世界中の 科学博物館に多大のインパクトを与え , 日本でもそれらを模倣して各地 で青少年科学館や子ども科学館が創られるきっかけになった。工クスプ ロラトリアムでは , 独自に開発した展示装置の作り方を「レシピ ( 料理 法 ) 」と名づけて , それらを掲載した『クックプック ( 料理本 ) 』を何冊 も出版している。 1970 ~ 80 年代には , 世界各地の博物館で , グローバルな課題になり つつあった環境問題や民族問題をテーマにした取り組みが見られるよう になるとともに , 開発途上国における博物館の新設も相次いでいる。 フランスでは , 1977 年にジョルジュ・ポンピドウー芸術・文化国立 センター (centre National d'Art et de culture Georges Pompidou) カゞオー プンした。このセンターは現代美術の愛好家であったポンピドゥー大統 領の発案で創設された総合芸術センターで , 従来のエリートが占有する 芸術や文化の枠を破り , 社会のすべての人々に開かれた場の創造が意図 40