さまなくてはいけない。もっとも 05 は一千零零五でなくて一千零五でよろしい。零によって単 位が御破算になるからだ。このことは中国語の教科書の初歩のところにかならず出ている。 一を表出するかしないかの点、また零を日常使うか使わないかの点で、日中の間にこれだけの 隔りがある。零のよみ方にしてからが、日本ではまだ確定していないことは前回に書いた。ひと っ遠山啓さんあたりに奮起してもらわなくてはならない。 むかし岩波新書で『零の発見』という本が出ていた。著者はたしか吉田洋一さんだった。零と いう観念と表記法を発見したのはインド人で、それがアラビアに伝わってアラビア数学となり、 サラセン科学となり、のちのヨーロッパ文明の源流となった、という説たったと思う。それほど 大切な零を、われわれはおろそかにしているのではないだろうか。 辛亥革命の前、清朝の末、日本では明治の末年、中国の革命家たちが日本でいくつかの雑誌を 出していた。かれらは清朝の支配を認めなかったので、当然、清朝の年号を使うことを拒否した。 そして独自の紀元を考えた。その案はいくつかあった。革命派の最有力の雑誌『民報』では、中 国開国紀元というのを採用している。たぶん、これは、維新派が孔子紀元を採用したことへの対 抗たったのかもしれない。『民報』の奧付けを見るとこの紀元が大きく出ていて、それにならべ て、ただし一段さけて、西暦と日本の年号と清朝の年号とが掲げてある。たとえば創刊号では 200
とおっしやる。疑いたくても、疑いようがないではないか。 そういう「影なき影」なら、きっと「干渉」をやらかす神秘な力をもっているにちがいない。 これは、吉田さんがそう思ったというのではない。吉田さんは、われわれ同様、善良な ( つまり 無智な ) 国民なのかもしれない。これはどちらともいえない。どちらとも決めなくていい。ただ、 幽霊説は根拠があるんだ、ということがわかってもらえればいい。 中国へゆく日本人の旅行者に、窓口になる日本人が、シナといってはいけないと注意を与える。 これも考えてみれはおかしなことたが、当事者にしてみれば、やむをえない苦肉の策なのかもし れぬ。ただ、その理由の説明が、もし大岡さんの受け取ったとおりだとすると、非常にまずいの ではないか。 中国人が「シナ」に嫌悪感をもつようになったのは、一九一〇年代からであって、それが普及 説したのは、一九二〇年代である。つまり、中国のナシナリズムの勃興と、日本帝国主義の進出 との切点でこの問題はおこっているのだ。中華人民共和国なり中国共産党なりは、この問題とは 霊 幽まったく何の関係もない。むしろ国民党時代のほうが、ずっと敏感たった。 一日本の政府も、新聞も、国民も、この中国ナシ「ナリズムの要求を無視した。「シナ . を押し 通そうとした。つまり日本が「干渉癖 . を発揮したのた。
しかし、中国より上だとはいえない。そのわけは、中国語たと一十といえるが、日本語では一十 といえない。つまり、少くとも十に関しては、単位観念が中国ほど明確ではないからだ。 日本語で一の使用が固定するのは万からた。一万といい、万とはいわない。千は一をつけても つけなくてもよい。百はまれに一がつく。しかし十には絶対に一がっかない。 中国語たと、万、千、百は絶対に一をつけなくていけない。十も、正確にいうときは一をつけ る。というよりも、単独にいうときは絶対に一をつける。十一から十九までと、十個というよう な複合語のときに一を省いてよいのだ。 中国から学んで、まだ学び足りないのは、この単位の観念である。 中国の九九では、二五一十だが、日本の九九では、二五十 ( ときには二五の十 ) である。この ことは前に書いた。 度 もっとよい証拠がある。中国の言語習慣では、一つ単位をいえは、次に来る単位は省略するこ 明 のとが可能である。たとえば一百一は 110 であって 1 日ではない。百という単位をあげれば、その下 単の単位は当然に十だからだ。同様に、一千一はニ 00 であって】 0 日ではない。 十日本語だと百五は】 05 だが、中国語では一百五は】である。むろん、一百五十といってもよい 9 が、その十は省略してもよいのた。もし 105 をいうときは一百五でなく一百零五と零を中間には
三十一数の表記 底してョコ書き、ヨコ組みを採用した中国が文字はあくまで文字あっかいしているのと、好対照 である。 このことを、どう考えたらいいのか。文字の記号化が進歩の方向なら、日本のほうが進んでい るというべきだろうか。しかし私は、この説には賛成できない。私個人は、もっとヨコ書きを推 進したい念願をもっているのだが、そのためには活字を変えるといった技術的な問題、また日本 文字の字体を変える技術以上の問題を解決しなければならぬし、それよりまず、文字感覚に反省 を加える必要があるように思う。 209
にうまい。いや、うまいというより、よい日本語であり、よい日本文である。ひょっとすると、 われわれ翻訳業者の日本文よりうまいかもしれない。 私は週刊誌をあまり読まない ( 月刊誌だってそうた ) が、その理由の一つは、文章がたまらな いからだ。内容と文体が釣り合っていないのが目ざわりだからだ。たまに均斉のとれた文にぶつ かるとハッとする。私の感受性がにぶって、時世の推移に追いつけなくなったせいかもしれない。 そういう私にとって『人民中国』は、安心のいく雑誌である。これは半分は冗談たが、将来、 日本語の古典的文体を学ぶためには北京に留学する日がくるかもしれない。 『人民中国』の編集スタッフが、どういう構成になっているかは知らぬが、これは大変なこと だと思う。かりに日本で、中国語のおなじような雑誌を出すとしたら、どういうことになるか。 華文雑誌なり、あるいは雑誌の華文欄なり、それは過去にもあったし、いまでも少しはある。し かし、その文章たるや、私の語学力をもってしては大きな口はきけないにしても、惨憺たるもの だった。の海外放送の程度などもきいてみたいものだ。 党なり国家なりへの忠誠だけで、あれたけのスタッフをそろえることができるとは思えない。 そこにあるものは何か。私には答えられない。 では、おまえは『人民中国』に一から十まで満足か、ときかれたとしたら、私は否と答える。 134
れを捨ててメートル法に移行することができないのは、言語や習慣やプライドの抵抗だけでなく て、別の困難があるためではないか。 こうしてみると、伝統の単位名を保存して、その実質を、近似値によってメートル法にリンク させる中国の改革のやり方は、度量衡の近代化がおくれたという条件が、逆に有利に作用したこ とになるわけだが、それなら、同一条件のあるところではすべて中国流の改革が可能になるか、 また、その条件のないところではそれが不可能かというと、そう簡単には言い切れないように思 う。度量衡は一つの指標ではあるが、それ以上ではない。 かりにインドを例にとってみる。独立後のインドの最大の悩みは、国家的統一の欠如だろう。 続そのインドには、人種、言語、宗教はもとより、制度から鉄道のゲージに至るまで、統一の実質 なはおろかそのシンポルになるものもないということた。ネルーが中国を訪間して憂鬱になったと いうのも、経済成長カたけでなくて統一カに驚いたのではないか。そのインドが、中国の範にな 量らえるだろうか。 度 今度は日本を例にとってみる。日本は早くにメートル法の採用に踏み切った。しかし実現はお 十くれた。そして完全な実現は、まだまだ非常に遠い将来のことだろう。その日本で、二つの体系 の中間項を採用する中国流の改革はできないものなのか。度量衡の近代化が早かった、という条 145
おとらず面倒である。 このヒトリ、フタリが、将来、話しことばからなくなる時期が来るだろうか。永久に、とはい えぬまでも、千年単位では来ないように思う。なぜなら、ヒトリ、フタリは、数を示すばかりで なく、別の表象作用があり、その両者が結合しているからだ。だとすると、日本語の二重性は、 半永久的に消えないことになる。 中国語では、文語は一人、二人、三人、ロ語は一個人、両個人、三個人である。そしてどちら も、二様のよみ方をしない。中国語は、原則として、一字一音である ( 日本語では漢字は、原則 として音と訓の一字二音である ) 。中国語をまったく知らぬ人のために注釈を加えると、現代語 では複合語の場合、基数には二の代りに両を使う。ただし、序数は両でなくて二である。両個、 第二のごとし。両はほかに、両千、両万のときにも使う。両百も可能である。しかし両十は使わ 余談にわたるが、武士をからかってリャンコというのは、両個の唐音だろう。江戸時代にはよ ほど中国の俗語と唐音が普及していたものと見える。これは今では死語になった。 十個という助数詞が日本語と中国語で共通なのは、基数の月の場合である。一カ月、二カ月とか行 ぞえる。中国では一個月、両個月だ。日本だと、別にヒトッキ、フタッキの系列があって、これ
ているのたともいえる。 どんなに漢文化が根づよく、また、禍になっているかを、以下に実例で示してみようと思う。 その前に、結論を先に出しておく。私は日中両国の親善には賛成たが、その根拠を「同文同種」 におくことには反対なのた。同文でもないし同種でもないという事実認識に立っことが大切たと 思う。同文同種観は、歴史的には意味があったことは認めるが、その意味はせいぜい明治の中ご ろでおわっている。それ以後は一路ダラクの歩みだった。 同文説を打ちくたくために、日本人の言語意識を変えなくてはならない。漢字を使うことをた だちに排斥はしないが、漢字「本字」観は止めなくてはならない。このごろ小学校で漢字を教え るのに、木ヘンの下の棒をはねるとかはねないとか大問題みたいに言っている。これなども「漢 字」本字観の末期の姿なのだ。いまの漢字やカナの字体は、極言すれは明治政府が人為的につく り、新聞がひろめたものであって、権威などありやしない。それを後生大事にかっきまわる学校 同教育というものは、これも極言だが、ドレイ養成所と異らない。 日本の文字が日本の文字として独立すること、それによって日本人の思想が独立すること、こ 同 れが日中関係の改善にとって一つの前提でなけれはならない。そうでなければ対等の友交関係は 樹立されない。朝鮮は文字の点ではそれを成しとげた。日本は朝鮮よりもおくれている。
ここで日本の新聞が「中国」をどうあっかっているかを、簡単に概括しておいたほうが便利た ろう。 新聞はいま、記事ではほとんど絶対に「支那」を使わない。記事だけでなく寄稿でも「支那」 を避けるようにしているのではないかと思う。 いっそうなったかというと、だいたいは敗戦を境にしている。四六年ころの紙面を見ると、そ れまでの「支那」が全部「中国」になっている。 日本の新聞は、世論形成力が強いばかりでなく、国語への影響力も強く、なかんずく造語力が 強い。いま私の使った「世論」も新聞の造語の一つだ。 戦後の国語改革では、新聞の役割りが大きかった。国語審議会という機関が決めたことになっ ているが、普及にあずかってカのあったのは新聞である。 + ニ支那から中共へ
中華民国、一九四九年に生まれた中華人民共和国など、国名に冠する用法が主であって、中国ほ ど網羅的には使われない。中国人、中国語、中国史など、合成語の多くは中国に結びついている 9 中国を中華民国の略称と解するのは、順序を逆転している。中国に成立した第一次の共和国が 中華民国なのである。中華民国の略称は民国であって、中国ではない。同様に、第二次の共和国 が中華人民共和国であって、これが今日の中国の国家名称である。この中華人民共和国のことを、 近ごろ日本で中共と略称する風潮があるが、これはある政治的意図をもってはじめられたもので ) 中国には通用しないし、誤解を招くおそれもある。中共とはもともと中国共産党の略称であるこ とは日中に共通である。それを借りて国の略称にするのは穏当ではない。なぜなら、中国共産党 は最大の政党ではあるが、唯一の政党ではなく、制度からいっても実質からいっても中国共産党 へと中華人民共和国とは一致しないからである。 中国の名称が、自称と他称で異なる例は世界にまれではない。したがって日本人が中国のことを ら か何とよばうと、原理的にはかまわぬわけだ。たた日本の場合は、歴史的に関係が深く、文字を中 支国から輸入し、今でも多くの文字が共通という事情と、最近数十年中国のナショナリズムが日本 二の帝国主義を最大の敵とした事情とが相まって、文字の使用について国民感情のうえに敏感な反 応があるので、誤解を招きやすい造語は避けるべきだろう。