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検索対象: 中国を知るために 第一集
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1. 中国を知るために 第一集

つながるという予想がうまれた。誰だってお金はきらいでない。お金の話ならきき耳を立てるだ ろう。金銭問題を「中国を知るために」の圧巻に仕立てることによ 0 て、あわよくは雑誌『中国』 も売れゆきを増すかもしれない。売れゆきを増さぬまでも、いささか人気を挽回できるかもしれ ない。そんなはかない望みを抱いた。もっとも、圧巻に仕立てられるかどうかは、芸によるので あって、その芸に自信があるわけではないが。 ただし、金銭をあっかうとなると、いささか準備がいる。ほかのこととちがって、思いっきだ けで書くわけにはいかない。多少とも文献調査なり、または専門家の助言を求める必要があって、 手間がかかる。たぶん金銭問題は、数回または十数回の連載になるだろう。無手勝流は危険だ。 で、まだ決断に至らない。 もう一つの行き方は、衣食住行に添って話題を展開する至極ィージーな、あまり準備のいらぬ やり方である。これなら無手勝流の応用範囲がかなり広い。 どちらとも決めかねているうちに、執筆の期限がきてしまった。 私はちかごろ、どういうわけか、気がめいってならない。大げさに言うと、天地がひっくり返 る幻想があって、立ちくらみするみたいなのである。たぶん肉体の条件からくるので、異状は私 のほうにあり、実際に天地がひっくり返るわけではなかろう。そう理性が説得してくれるけれど

2. 中国を知るために 第一集

のは、理由としてまったく不十分なように私は思うのだが、どうだろう。 前回に吉田夏彦氏のことを書いた。吉田さんは哲学者で、分析哲学が専門たそうだ。このこと は友人から教えられたので、補っておく。 吉田さんのいう「隣国人の不当な日本語干渉癖」の裏側の事情が、この大岡さんの紀行であき らかになると思う。つまり、そう吉田さんに思い込ませているものが「隣国人」ではなくて、同 国人だということだ。吉田さんは、「隣国人の不当な日本語干渉」を事実で証明するか、もしそ れができなければ ( 私はできないと思うのだが ) 「隣国人」を「日本人」に書きかえたほうがよ いと私は思う。哲学者は、物と名の関係について、もっと厳密であってほしい。 香港までがふだん着の「シナ」その先がよそいきの「中国、というのでは、大岡さんならずと いくらかでも神経のある人間は、シ = カルになるほかあるまい。とい「て、「中国」をふだ 場ん着にするのは、非常に困難た。 の ん インテリは言語の二重生活に慣れているが、民衆にそれを期待するわけにはいかない。そして さ 岡それは正しい。 大 では、どうしたらよいか。 十

3. 中国を知るために 第一集

ことになる。残念たがそういうことになる。 それでは日本人はダメなのか。そうは思いたくないし、そう思わない立証の材料はある。先人 には中川忠英や井上陳政がいるからだ。けれどもこの数十年、一つとして推称できる概説書があ らわれないのをいかんせんやた。 加藤的方法から学ぶべきものは、一つは見識、一つは遠近法たろうと思う。この二つは、私を ふくめて中国の専門家にとかく欠けやすいのではないかと思う。加藤さんには加藤さん流の見識 があって、その全部に私は賛成ではないが、ともかく見識つまり文明観をもって世界を解釈しょ うとする態度は、もって範とすべきだ。遠近法にいたっては独壇場である。 加藤論文は西側の世界をあっかっているが、それを通して彷彿として中国の重みがあらわれて いる。西まわりが東まわりに一致する一つの例になる。かれはこの文の最初に、「子貢問政」か ら「民不信不立ーまでの有名な『論語』の一節を引用しているが、これも加藤趣味だけでは片づ けられない暗示的な意味をもっている。こういう『論語』の活用法を、われわれはどう考えたら いいのだろう。 エピソードのつもりが、一回分になった。コト バの話は次回おくりとしよう。

4. 中国を知るために 第一集

うと大げさすきるかもしれないが、まあ雑誌とよんでおこう。うまくいけば将来独立の雑誌にす るかもしれないからだ。今はまだ雑誌の卵で、その卵がかえるかどうかは不確定なのだが。 何となく、そう決まったのである。案を練りに練った、というわけじゃない。案はいろいろあ ったが、決定へのプロセスは何となくとしか言いようがない。たぶん普通社社長八重樫さんのリ ードがうまかったのが大いに作用しているだろう。そして私が「中国を知るために」という題名 で連載を書くということも、それに付随して何となく決まった。アレョアレョと思っているうち に、もう絶対に逃れられぬ場所に立っていた。 弁解じみて受け取られるかもしれないが、また事実弁解の気味がないではないが、これが正直 のところである。そして私は、人事はすべてそうしたものだと思っている。時の勢いには勝てな ちい。勢いは乗ずべきものであって、避くべきものではない。万全の用意を待ったのでは飛躍はで きない。 成 の 阿が刑場へ引かれるとき、かれは、人間に生まれたからは時には首をちょん切られることだ 国ってあるわい、と思って自分をなぐさめる。その前に、ロ供書に署名させられたときも、かれは 字が書けぬからマルを書くわけだが、やはり人間と生まれたからはマルを書かされることだって ある、と自分をなぐさめる。この弱者のあきらめの哲学が、私はどうも自分の性に合っているよ

5. 中国を知るために 第一集

関係で、物が基本であるにせよ、名にも存在理由があるのだということを忘れてはなるまい。 「 = タ」が「新平民」に変り「水平社」に変り「特殊部落」に変り「未解放部落」に変「たが、 部落差別の実態は変らなかった。これは事実である。この事実を認めた上で、しかし、名称の変 遷の裏には無限の苦闘と無限の涙があることを認めねばなるまい。 私は、谷川さんの主張と、同和教育の立場から谷川さんの発言をとがめた人 ( たしか東上高志 さんだった ) の主張とが、立場が逆になるのが望ましいと思う。解放運動は物に固執し、外にい る人間は名に固執するのがよい。つまり、双方に惻隠の情があったほうがよい。 いっか、日本の訪中代表団が、中国の指導者と会見した。そしてこう語った。あなたがたは、 過去を忘れようと言う。その好意はありがたいが、われわれは、自分の国が中国を侵略した過去 を忘れることができない。これに対して、相手 ( たしか廖承志さんだった ) は、日本代表の手を 握って「それで会話が完結する」と言ったそうだ。 私はこの会話が「中国を知るため」の出発点だと思う。もしそれが礼儀でないならば。 つまり惻隠の情だ。相手の身になって考えるということだ。そして谷川さんと東上さんのやり とりには、それが欠けていたと思う。 アメリカがヴ = トナムでやっていることにも、この隠の情が見えない。たぶんアメリカは、

6. 中国を知るために 第一集

く話が田中慶太郎氏まで来たのなら、そのまま延長したほうがよくはないのか。 いま、書きながら気の迷いが生じている。 「中国を知るために」の連載をはじめるとき、読み切り連載のスタイルをどうしようかと思案 して、小島政一一郎氏の「食いしん坊」に範を取るべく決めたことは前に書いた。範を取るといっ ても、私には小島さんほどの文才はないから、似もっかぬものになるだろうが、とも書いた。 まだ連載百回どころか十回にもならぬのに、すでに息切れがはじまっている。範を取るも取ら ぬもあったもんじゃない。 思うに、小島流の文体には、俳諧の妙味があるらしい。即いて離れ、離れてまた即くところが、 じつに俳諧的た。そして私には、俳諧の心得がない。これが失敗の原因かもしれない。 俳諧の心得はないが、俳諧の世界は心情的に理解できそうな気がする。というよりも、われわ れの文体は、どうもがいても、俳諧のリズムとテンボから脱却できぬように思う。 この文体が日本人の認識構造を規定しているのではないか。あるいは、認識構造が逆に文体を 生み出すのではないか。 そしてこの認識構造なり文体なりが、中国人のそれと、まったく相反するのではないか。その ため日本人は、中国を理解することができぬのではないか。

7. 中国を知るために 第一集

という意味なのだ。別の説明をすれば、政治を政治主義的にあっかわないことによって、文化を 政治主義的にあっかわしめない、という意味である。 もう一つ拡張解釈をほどこすと、「なんとか反対」と叫ぶことが、そのまま政治的行為である と思い込むこと、つまり、代行行為をただちに政治行為と錯覚することから、自分を解放しよう という提案でもある。もう一歩進めると、デモは一つの表現ではあるが、この肉体による表現形 式さえも、そのまま政治ではない、という考え方をあらわしている。 「政治に口を出さない」というのが、雑誌「中国」が政治問題をあっかわない、という意味に とられたら困る。われわれは、少くとも私は、雑誌「中国」で大いに政治を論じようと思ってい る。その論じる保障のための「政治に口を出さない」なのだ。代行行為を政治から切りはなして、 はじめて政治を論ずる自由がうまれる。 中ソ論争をあっかうと、ただちにソ連派か中国派かを勘ぐられ、また、中国の核開発を問題に するかしないかでレッテルがはられるような雰囲気、ここには言論の自由がない。きみの反対す る自由を保障しよう、という呼びかけが「政治に口を出さない」という垣なのだ。 むかしの中国では、どの茶館にも「莫談国事」という掲示があった。「国事を談ずるなかれ」 というのは、秩序形成者の側からすれば言論の制限だが、茶館のほうからすれば、この掲示があ

8. 中国を知るために 第一集

回数を記すと、亀井三回、武田二回、白土十五回目たそうた。 「中日外交関係が正式に恢復していない現在、われわれは日本作家代表という資格で、中国側 の招待の形で、入国を許されるのである。私の持っ旅券には漠然と『一時訪問のため』と記され ている。飛行場その他で書かされる書類の『旅行目的』の欄には、『その他』の欄に印をつける ことになっている。」 こんなことが書いてある。なるほど、そうなのか、と読みながら私が思う。大岡さんにとって、 ものめすらしかったんだな ( 私にだってものめすらしいが ) このことは大切だぞ、と思う。 「中日外交関係。と書いて「日中」と書かないところも、たぶん、下心があってではなくて、 大岡さんがこの道のシロウトであることから来ているのだろう。これも以下にあっかう問題に関 係があるので、触れておく。 しんせん 場さて、この場面は「深別」である。深別という地名は、もう十分に有名たから、注を要しない んだろう。 さ 岡 「広州行の列車は一時すきでないと来ない。ここで昼食する時間を取ってあるのである。出さ 大 れた中国料理はみな私にはうまかった。」 十 肝腎なのは、このあとの叙述である。一気によまないと、大岡さんの筆づかいがわからない。

9. 中国を知るために 第一集

数観念の単純度とならんで、単位観念の明確度も、中国がすぐれているように思う。 英語では十から二十の間が混乱していること、フランス語はもっと二十進法のなごりが強くて、 九十九までそれがつづいていることは前に書いた。単位の観念がはっきりしてくるのは百からで ある。そして千が区切りになる。 日本人の数観念は、中国の影響で形成されたのだから、ヨーロッパ語に見るような混乱は日本 語にはない。となえ方の点で中国語ほど単純化していないだけであって、単位の点でいえば、す でに十から秩序整然と進行する。もっとも、われわれの場合は万が区切りになるので、大きな数 をあっかう場合、表記のとき三ケタで切るか四ケタで切るかの問題が生じて、その優劣がしよっ ちゅう争われる。これは派生的な問題なので、ここではあっかわないことにする。 十進法が徹底していて、単位の観念が明確なのは、われわれの長所である。西洋よりは上た。 三 + 単位の明確度 198

10. 中国を知るために 第一集

ここで日本の新聞が「中国」をどうあっかっているかを、簡単に概括しておいたほうが便利た ろう。 新聞はいま、記事ではほとんど絶対に「支那」を使わない。記事だけでなく寄稿でも「支那」 を避けるようにしているのではないかと思う。 いっそうなったかというと、だいたいは敗戦を境にしている。四六年ころの紙面を見ると、そ れまでの「支那」が全部「中国」になっている。 日本の新聞は、世論形成力が強いばかりでなく、国語への影響力も強く、なかんずく造語力が 強い。いま私の使った「世論」も新聞の造語の一つだ。 戦後の国語改革では、新聞の役割りが大きかった。国語審議会という機関が決めたことになっ ているが、普及にあずかってカのあったのは新聞である。 + ニ支那から中共へ