1 一一口 出したという。 三分の一メートルを一尺とする、つまり中国の市尺とおなじ発案が日本にもあった、というの は愉快である。それが採用されなかったのは、たぶん、日本では伝統尺の統一がはるかに進んで いて、三分の一メートルでは開きが大きすきたせいだろう。 伊能忠敬の折衷尺というのを、いま調べているひまはないが、たぶん伝統尺のなかのいちはん 権威あるものたろう。中国でこれに当るものは、清朝の造営尺である。 日本はその後、明治十八 ( 一八八五 ) 年にメートル条約に加入し、メートル原器とキログラム 原器の交付を受けた。そしてそれにもとづいて基礎数値を決定し、前記の度量衡法の制定を見た。 さらにその後も、法制的に幾変還があったらしい。明治の末には、ヤード・ポンド法を加えて 法定単位が三本建になった。大正十 ( 一九二一 ) 年の法改正によって、メートル法たけが公認の 足 補法定単位になり、他の単位は、一定の猶予期間をおいて廃止されることになった。猶予は何回も と 正延期された。また、昭和の反動期には、国粋主義者の抵抗があった。戦後になり、昭和二十六 ( 一九五一 ) 年に、度量衡法に代って計量法が制定され、翌年施行、メートル法の強制に踏み切 + った。実施期間は昭和三十四年一月一日、その準備のために前年「計量単位の統一に伴う関係法 律の整備に関する法律」という長い名の法律もできた。 159
う名称、つまり度量衡を度と衡だけで代表させるやり方は、中国にこそふさわしい。 もう一度くり返すと、中国でいちはん頻度の高い度量衡の単位は、尺と斤である。その尺の十 分の一が寸で、これは日本とおなじである。だが斤の下の単位は両で、十六両が一斤である。っ まり日本の十匁に当るわけだが、この単位は日本では使わない。そして日本の匁に当るものは、 中国では銭である。 度の長いもの、つまり距離に関しては里という単位が使われる。しかし日本のように、町とい う下級単位はない。もっとも里の長さが、日本よりはるかに短い。また面積の単位も、おなじく 畝ほとんど一本である。町も段もない。その代り畝の広さは日本の六倍くらいある。 容量でいちばん多く使われる単位は、担 ( または石 ) だろう。大量に穀物を量るときに使われ るので、さしずめ日本の俵に当るかもしれない。 もっとも担は、容量と同時に重量の単位でもあ る。そして私は、今もってこの両者の関係がよくわからない。度量衡の図式は本に書いてあるが、 そうでない実際の使われ方がわからないのである。農村の生活を体験しなかったせいだろう。 度量衡の単位の名称や使われ方は、時代によってずいぶん変遷がある。また、地域差もある。 しかし民国になってからは全国あらましこんなものだろう。 それがメートル法にリンクされた、というのは、日本とは事情が逆で、名称は元のままなので 138
方が逆で、日本は奈良時代の昔から時計と同じ方向にまわし、削る時も同じ方向。中国は逆方 向にまわす。カンナにしても、日本では引くが、向うでは押して削る。ヨーロッパでも、アメ リカでも中国と同じで、日本たけがなんでも逆た。中国が国際的で、日本が特殊的なことがこ の他にも沢山ある。」 これは非常に大事なことだと思う。私のいうのはカのはたらき方のことだ。ロクロのことは、 はじめて知って、ロクロもそうだったか、いかにも、と感銘した次第たが、一般に中国人が押す 力で、日本人が引く力だということは、カンナやノコギリの使い方によって前から知っていた。 たぶん包丁もそうだろう。日本では引いて切るし、中国では押し気味に切る。サシミ包丁は中国 にはない。同様に、日本刀が日本独特の武器かっ工芸品たということも、日本人のカのはたらき 方の特異性と関係があるたろう。 ここで私として、自慢話を一席ぶつチャンスが到来した。私の発見にかかる新学説と思ってほ 中国の車は、畜力で引くものを除いてほとんどすべて、押す車である。中国語でいわゆる小車、 バネのない一輪車は、農村であまねく人および物資を運搬するのに使われているが、これは都市 で水売りの使う一輪車と同様、人が押す。実見の範囲だけでなしに、写真などで見ても、ごく少 182
ある。一尺は三分の一メートル、一里は半キロ、つまり五百メートル、一斤は二分の一キログラ ムに統一されたのだ。 大変化にはちがいない。ある意味では日本以上の大変化だ。しかし、別の意味では日本ほどの 大変化ではない。 私がそれを知らなかったのは落度である。しかし新島さんにも、私の疑問に十分答えるだけの 知識はないようだった。 中国でメートル法が併用され出したのは、そう古いことではない。最初はメートルも音訳だっ た。たしか密達とか米突とか書いていた。むろん、租界にはヤード・ポンド法も通用していて、 その一部は中国人の間にも滲透していた。そしてャード・ポンド法の音訳もあった。この事情は し日本と変らない。 メートル法が国際単位系に採用されたのが、いつだったかは忘れたが、日本とおなじように中 衡国でも、度量衡の体系が二本立てになった。たぶん国民政府の時代たろう。しかし実用にはなら 度なかった。この事情も日本に似ている。 十しかし、その後がちがう。日本では、音訳のままの強制実施で、メートル法一本に統一する方 9 向をとった。旧来のものは廃止する方針だ。この改革は、今ではかなり滲透した。なにしろ政府
これを読んたときは耳が痛かった。この文章は一九五一一年の作で、これが陶さんの絶筆である。 十三年後のいま読み返してみても、この文は古くなっていない。陶さんの死は、われわれにも損 失だった。 中国人で日本文の書ける人は、何人もいるが、陶さんほどの名手は、ちょっと少いのではない か。文章を書くためにはます思想がなくてはならぬが、思想たけではうまい文章は書けない。あ る程度の生活感情の共有が必要である。それなしには日本人の感性に訴えてこない。 日本の近代文学史には、台湾出身の作家が何人か登録されている。ちょうど朝鮮人の作家が登 録されているように。けれども、大ざっぱにいうと、かれらは思想なり生活感情なりが、日本に 同化されすきているきらいがある。中国人であることから遠ざかることによって日本文の巧みさ を購った気味がある。それがない、という点で陶晶孫さんには稀少価値があった。 日本に陶さんのような人がいるか。つまり、中国の文壇に登録されるだけのカ倆をそなえた中 国文の書き手がいるか。まず、ひとりもいないといっていいだろう。これはある意味で当然であ る。読む人口さえ、ヨーロッパ語にくらべて圧倒的に少いのだから。 中国人には日本文の書ける人がいるが、日本人には、中国文の書ける人がいない、ということ は、「中国を知るために」考えに入れておいていい前提の一つである。 132
十六流れた「支那」論争 う言葉は中国人を非常に侮べっしたものである。事実日本語を知らない中国人は支那という名 詞を知らないのである。また中国の書物の中にそのような名詞を載せたものは絶対にないとは つきりいえるのである。これは日本の書物以外にみられない名詞である。 現在日本の首相である吉田茂氏が議会でしはしはかかる言葉をろうしているということは由 々しき問題である。 アジアの幸福、ひいては日本の幸福を希う吾人は中国と互に手を握って行かなけれはならな い。それには日本が手近な親善の障害を取除いて行かなけれはならないと考えるものである。 ( 経済貿易新聞社主 ) 113
陶さんは、「今朝」や「三越」が残っていることに托して「日本精神ーも同様ではないか、とい う不安を、おだやかに諷したのだ。私がドキリとしたのは、私にもその疑念があったからである。 古いものはなくなっていない。形を変えたに過きない。その証拠が最近また一つ発見された。 日本軍隊の名物たったリンチは、大学の運動部に見事に温存されていたではないか。 「支那ーが「中国」になったからといって安心ならないのは、推して知るべきだ。ひょっとす ると「暴支チョーヨー」さえ、もう一度出てこないではない。 陶晶孫さんを引きあいに出したついでに、陶さんの発言をもう一つ引用しておこう。「むかし 日本にあったものは、今もみなある」というのは、陶さんの名言であるが、別の文章で陶さんは 「むかし中国にあったものは、今日本にはみなある」とも書いている。 「中国が半植民地状態にあったとき、自分の港には外国の軍艦がいた。自分の町の郊外には外 名国の兵隊が隠されていた。外国人の店や家に勤めれば月給が多かった。官吏は腐敗し、街にはキ の 文ャパレーがさかえ、高級自動車が走り、検事は社用族を捉えても捉えてもいくらでも出て来た。 日即ち、昔中国にあったものは今日本にはみなある。中国人は、この状態に甘んじることは決して 九独立国に到る道でないことを知っている。だからこそ、日本人に同情するのである。」 ( 「落第した 1 十 秀才・日本」 )
すぐに忘れてしまうが。 最近もこんなことがあった。 中国の会の仲間たちと、あることで話していた。話がたまたま、中国の度量衡のことになった。 新島淳良さんが、中国の今の度量衡はメートル法にリンクされているが、日本の中国語辞典の多 くにはその説明がない、とい 0 た。そうかな、と私に疑念がうかんだ。そして考えてみると私は、 もう長いこと自分がこの問題に無関心でいたことに気がついた。 中国には伝統の度量衡がある。日本でいうと尺貫法た。もっとも中国では、貫という単位は重 量では使わない。それに代るものは斤だ。斤はじつによく使う。だから尺貫法でなくて尺斤法と でもよぶべきたろうが、そういう名称があるかどうか知らない。たぶん、ないだろう。 斤はじつによく使う、と書いたのは意味がある。日本たと斤ではかるのは葉茶と砂糖ぐらいた し よが、中国ではすべての目方が斤であらわされる、というのが一つ。もう一つは、日本ならマス目 衡で量られるものが中国では目方で量られる、という理由からである。酒でも醤油でも穀物でも、 度ほとんどマス目を使わない。 十酒一升、米一升、ということが中国にはない。ところが日本では、升は日常の頻度の高い単位 である。だから尺貫法という名称は、ほんとうは尺貫升法というべきかもしれない。尺貫法とい 137
が音頭をとり、学校教育と、新聞による社会教育の両面から推進するのだから、その強制力たる や並々でない。 この改革が最終的に成功するかどうかは、私には疑わしい。強制力はそなわっているし、日本 人は権力に従順だから、かなりの程度は滲透するたろう。けれども、それが最終的な成功を保証 するとは思えない。かえって、混乱を固定するたけにおわるのではないかと危惧される。 私の直感の根拠は、文化の創造の根源に関することなので、ここでは説明をはぶく。上からの 統制によって人民の生活を規正することは、最終的には失敗を招く、ということなのだ。 中国でのやり方は、日本とちがう。比喩をつかえば、日本のは足を靴に合わせるやり方であり、 中国のは靴を足に合わせるやり方である。日本の改革は、急進的たが可逆的、中国の改革は、漸 進的だが不可逆である。 これは、どちらがいい、どちらが悪いという価値判断ではない。どちらも一長一短ある。単な る事実判断だ。 国民政府の時代に、度量衡を二本立てにしたことは前に書いた。このときメートル法の単位名 を、類似の伝統名の上に「公」をつけて表示した。それ以前にあった音訳や、粁といった合成字 ( これは日本でも使った ) はやめた。メートルは公尺、キロメートルは公里、キログラムは公斤
九九のとなえ方は、中国と日本がほばおなじで、西洋はまだるい。一方、ソロバンの改良は、 日本が中国より先に出ている。あわせて、計算能力では日本人が世界一ではないか、と前回に書 、こ 0 もう一つ、徹底した十進法の採用ということが、日中の共通の強みであることも書いた。これ は前に度量衡のところでも触れておいたが 次は、数観念およびその表現方法の単純度の問題と、単位観念の明確度の問題である。この点 になると、日中の比較では、日本のほうに分がわるい。 われわれは言語の二重生活を強いられている。これもすでに何べんか書いたことである。日本 文化の成立事情からして、これは不可避であって、半永久的なものである。とすれば、その長所 と短所を認識して、なるべく長所を生かし、短所を矯めるべく地道な改革を進めていくのが賢明 ニ + 尢数の単純度 192