かかっても二年かかってもいい。いや、十年かかったってかまわない。 「支那、とよぶべし、という主張にも理由はいろいろある。吉田さんのように、日本に「中国 という地方名があるから、というのも理由の一つである。もっともこれは、諸理由のなかでは薄 弱なほうである。薄弱ではあっても無視することはできない。こういう理由で「中国」を拒否す る意見は、新聞の読者投稿欄たけでも何回も出た。 もっとも吉田説は、その理由に「隣国人の不当な日本語干渉癖」という新解釈をほどこしたと ころに、六四年モードが出ているのかもしれない。 「支那」論者のあげている理由は、日本の地方名との混同は迷惑だという消極的なものだけで なしに、もっと積極的なものもある。それについては後で紹介する。しかし、最大の理由は「何 となく , たろうと思う。無理由の理由、いわば慣行であって、されはこそ有力である。もし「中 国」論がこの慣行にとり組むことをいつまでも怠っていると、かならす「支那」論の新型が後か 国 中ら後からあらわれるだろう。 と 那むかしは ( というのは、戦前は ) 「中国。とか「中華」とか称するのは、世界の中心をもって 任ずる尊大な国号であるからけしからん、という中国人側から見ての「不当な干渉」に類するい 九 さましい言論を見かけたものだが、これはさすがに戦後は影をひそめた。影をひそめはしたが、
それほど構成的配慮があったわけではない。たとえば、結局は流産したが、提案された項目はほ かにもあった。「公約をかかげない」また「なかまことばを使わない」など。前者は、「とりきめ」 2 をつくることに矛盾するという理由で、後者は、「なかなことば」自体が「なかまことばだ」と いう理由で、没になった。第二項の表現が途中で変更されたことは、前に書いた。 すべて集団の「とりきめ」というものは、なるべく必要最少限にとどめたほうがよい。また、 無理につくらずに、自然発生にまかせたほうがよい。こういう考え方では、われわれはほば一致 している。そしてそれについては、組織というものの苦しい経験がものをいっていると見ていい。 否定形の選択は、その窮余の策と見られぬこともない。中国の会は、吹けば飛ぶようなちつばけ な存在だが、この先例を開いたことで、世に記憶されるかもしれない。どんなに人目をしのぶと りきめを結んだところで、小田切ほどの慧眼をくらますことができぬとあれば、中国の会はいっ そ大っぴらに組織づくりの範をもって任ずべきかもしれない。 小田切は中国の会の「とりきめ」を、外部の立場から、一般化した形で論じている。あるいは、 いわゆる「政治と文学」論議のほうへ引きつけて論じている。それはそれでよい。だから私も、
記一本になったか、少くともグラム表記が主になったことは私にも記憶がある。新聞記事にも、 旧単位名の代りにメートル法の単位名が書かれ、そのため滑稽なこと、たとえば概数で表示すべ きところを機械的換算によって端数までを表示するような不手きわがあらわれたのが、やはりそ のころのことである。それがいつだったかは、年鑑類をひっくり返してみればわかるだろう。そ れにもとづいて縮刷版に当たれば、たぶん解説記事にお目にかかれるたろう。いや、そんなこと をしないでも、もの知りの友人にたずねたら、もっと簡単にわかるだろう。しかし私は、それを しなかった。 しなかった理由の一つは、断るまでもなく、私のものぐさからであるが、もう一つの理由は、 あわよくば玉をもう少し引きたいからだ。大鯛を二、三枚釣りあけたいからだ。 今では身のまわりから尺貫法がほとんど姿を消してしまった。買物をしても、新聞を見ても、 子どもの教科書をのぞいても、すべてメートルでありグラムでありリットルでありアールである。 を私などは身長五尺四寸、体重十六貫、晩酌二合がピタリだが、もう子どもたちにはこれは通用し 十身のまわりはそうだが、身のまわりを一歩越えて、メートル法がどこまで実際に滲透したかと 1 いう問題になると、もう私の知識は完全にプランクになる。いわんや将来の見透しなど、これは
んの本意にもとるかもしれないが、それは勘弁してもらうより仕方がない。なにしろここは論壇 時評ではないのたから。 「隣国人の不当な日本語干渉癖」云々というのは、中野さんが感じたように、「妙なところに 肩を張って意気ごんでいる」印象はたしかに掩うべくもないが、それはそれなりに理由のあるこ とだ、と私は思う。きっと吉田さんは、ほかのことでも「中国 , 呼称者に腹を立てているのでは ないか。ひょっとしたら「坊主憎けりや」のたぐいではないかと私は想像する。 吉田さんが、自分では「支那」と書いて、その下にカッコをつけて「隣国人」云々と註をつけ たということ、このことを、おろそかにあっかうべきでないと私は考える。吉田さんの論旨を、 まちがっていると私は思うのたが、そのまちがいを正すのは、容易ならぬ事業である。近代史の 全部の重みがかかっている、と最初に書いたように。 吉田さんの考えは、吉田さんたけのものではない。吉田さんほど肩を張らないまでも、そう言 いたい人は、たくさんいるたろう。 「中国」といわずに「支那」と呼ぶべきた、という主張は、潜在的なものをふくめると、非常 に広く、かっ深く、日本人の間にしみ渡っている。そしてそれは、理由のあることたと私は思う。 いま、性急に是非をきめるのでなく、じっくり腰をおとして、この問題を考えてみたい。一年
ニイチテンサクノゴ、中国では二一天 ( または添 ) 作一、これは、割り算のときは掛け算より 時間がかかるから、それだけテンポがゆっくりしていてちょうどかもしれない。しかし掛け算の 九九が、いつまでも中国の直訳でいなくてはならぬ理由はあるまい。ソロバンを改良したように、 九九も改良してよいのではないか。 = ニンガシ、ニサンガロクの代りに、ニニシ、ニサンロクで よい。語調がととのわないような気がするのは、感覚が慣れないからで、慣れれば平気になるだ ろう。 イギリスでは、九九が 12 x 12 まであるということだ。なにしろ、度量衡はかりでなく通貨ま でが十二進法だから、それを覚えていないと日常の生活が不便にちがいない。それにくらべると、 ン 日本の子どもは幸福だ。いや、中国の子どもはもっと幸福だというべきたろう。その話は次回に ソまわす。 と 九 九 八 十 191
十二支那から中共へ ほか、日本人の他称である支那を自称に採用することも辞さなかった。これが後にしだいに中国 に統一されたことは、最初にのべた。 一九一〇年代、第一次世界大戦のころから、中国人は日本人のいう支那という他称を厭悪する ようになった。そしてこの厭悪は、年を追ってますます広がり、ますます深まった。この変化の 理由は、一方において中国のナショナリズムの高揚、他方において日本帝国主義の侵略の加重と いう歴史背景によって説明できるだろう。そしてこの国民心理は、中華民国の時代から中華人民 共和国の時代へそのまま引きつがれている。ほかの国のシナ系統の他称にはそういう反応を示さ ないのに、日本語の支那に限って過敏ともいえる反応を示すということに、われわれとして考え ねばならぬ問題があるといえよう。
雑誌『世界』に発表した。やはり私も自分の雑誌は重んじていない証拠になるたろうか。 そもそもの出発がそうであったせいかもしれないが、寄稿というと、とかく随筆または体験談 になりがちだ。これはこれなりに理由のあることかもしれない。私は、日本人は、中国について 言い分がたくさんあるにちがいないと思う。しかし、発表する手段はまだ開発されていない。わ れわれ当事者は、その開発を志さねはならぬのだろう。中庸は「とりきめ」暫定案の排斥すると ころなのだ。編集者の立ち場からすれは、もっと幅広い、時には偏狭でもよいから個性ある意見 の発掘を試みるべきだろう。 理想をいうと、この雑誌は、自由な意見の交流を主たる内容とし、そのほかに読みものと、重 要な歴史文献の掲載で誌面構成をおこなうのがよい。カ足りぬために、理想は一挙に実現できな いが、今後もその方向に努力するつもりである。 さて、次回からは、また支那ー中国ー中共という連鎖をときほごす饒舌をつづけることにしょ う。ともかく、われわれはどんなことがあっても、悲壮感にだけは陥りたくない。会員および読 者諸賢の声援を期待します。
するのを知って、二度びつくりした。 朝日が「中共」をやめたのは賢明である。ただし、それをやめた理由が、前に紹介した読売の 言い分のようなものだとすると、十分であるとはいえない。「中国ーはあくまで文化共同体の総 称として使うのでないといけない。 そしてここに、問題の眼目がある、と私としては思わずにいられない。 つまり、人間の集団についてイメージをつくる場合に、国のイメージを先行させるか、それと も人間の集団Ⅱ民族のイメージを先行させるか、ということだ。日本人は前者の型、中国人は後 者の型であって、その溝は容易には埋められないし、したがって、相互理解も容易には成り立た ない、というのが、ここでの私の一つの仮説である。 したがってまた、実践目標としては、日本人の国家観の固さを内側からくだいていくのでない と、中国認識の前提が準備されないことになる。中国人のいう「中国」と日本人のいう「中国」 とは内容がちがうのだ。これは中国人のいう「日本」と日本人のいう「日本ーとの内容がちがう のとパラレルな関係にある。 もう少し説明を加えると、中国人にとって国家とは、選ぶべきものである。選んだ経験がある し、将来も選びうるという考え方が習性化している。しかし日本人にとっては、国家はほとんど 102
のは、理由としてまったく不十分なように私は思うのだが、どうだろう。 前回に吉田夏彦氏のことを書いた。吉田さんは哲学者で、分析哲学が専門たそうだ。このこと は友人から教えられたので、補っておく。 吉田さんのいう「隣国人の不当な日本語干渉癖」の裏側の事情が、この大岡さんの紀行であき らかになると思う。つまり、そう吉田さんに思い込ませているものが「隣国人」ではなくて、同 国人だということだ。吉田さんは、「隣国人の不当な日本語干渉」を事実で証明するか、もしそ れができなければ ( 私はできないと思うのだが ) 「隣国人」を「日本人」に書きかえたほうがよ いと私は思う。哲学者は、物と名の関係について、もっと厳密であってほしい。 香港までがふだん着の「シナ」その先がよそいきの「中国、というのでは、大岡さんならずと いくらかでも神経のある人間は、シ = カルになるほかあるまい。とい「て、「中国」をふだ 場ん着にするのは、非常に困難た。 の ん インテリは言語の二重生活に慣れているが、民衆にそれを期待するわけにはいかない。そして さ 岡それは正しい。 大 では、どうしたらよいか。 十
とおっしやる。疑いたくても、疑いようがないではないか。 そういう「影なき影」なら、きっと「干渉」をやらかす神秘な力をもっているにちがいない。 これは、吉田さんがそう思ったというのではない。吉田さんは、われわれ同様、善良な ( つまり 無智な ) 国民なのかもしれない。これはどちらともいえない。どちらとも決めなくていい。ただ、 幽霊説は根拠があるんだ、ということがわかってもらえればいい。 中国へゆく日本人の旅行者に、窓口になる日本人が、シナといってはいけないと注意を与える。 これも考えてみれはおかしなことたが、当事者にしてみれば、やむをえない苦肉の策なのかもし れぬ。ただ、その理由の説明が、もし大岡さんの受け取ったとおりだとすると、非常にまずいの ではないか。 中国人が「シナ」に嫌悪感をもつようになったのは、一九一〇年代からであって、それが普及 説したのは、一九二〇年代である。つまり、中国のナシナリズムの勃興と、日本帝国主義の進出 との切点でこの問題はおこっているのだ。中華人民共和国なり中国共産党なりは、この問題とは 霊 幽まったく何の関係もない。むしろ国民党時代のほうが、ずっと敏感たった。 一日本の政府も、新聞も、国民も、この中国ナシ「ナリズムの要求を無視した。「シナ . を押し 通そうとした。つまり日本が「干渉癖 . を発揮したのた。