1950 ~ 52 年を起点こする各市場の伸び イギリス生活費 イギリス株価 アメリカ株価 現代書籍 イギリス・ガラス器ー 古い巨匠の絵画一 イギリス銀器一 古書籍 印象派 現代絵画 古い巨匠の版画 にロ国ロ 3 4 5 6 7 8 9 日 世界の三大美術市場は、ロンドン、ニ = ーヨーク、そし て。ハリである。これらの市場において、いったいどのくら いの美術作品が年間に扱われるか。 ク ニュ 1 ヨークの。ハ 1 ネット競売会社は、一九五 九年に一〇〇〇万ドル以上を売上げ、六〇年には九二四万 ドルを売上げている。 ロンドンのサザビ 1 の五九年度の売上げは五七五万六七 四二ポンド ( 一六一二万ドル ) で、同じくクリスティ 1 ズは 二七八万三四九〇ポンド ( 七八〇万ドル ) で、両方を合わせ ると、約二四〇〇万ドルに達する。六〇年度は、前者が一 九二五万四〇〇〇ドル、後者が一〇三六万ドルで、合計は 展 約三〇〇〇万ドルとなる。 発 リのオ 1 クション場では、およそ一六〇〇万ドルが年の 市 間に売上げられる。 後 戦 これら三大市場を中心に、全世界のオークション場の売 上げ全部を合わせると、五五〇〇万ドルにも達するだろう、 《一九六〇年における美術市場の規模〉
ドあった利益が、六四年には、一五〇ポンドにまで減少したとのことである。 1 ズの総売上 より具体的に見ると、七月三十一日で終わったこの年の前期におけるクリスティ ーセントの落ち込み げは三三七三万ポンドで、前年の四三一二万一〇〇〇ポンドに対して二三パ であり、サザビーは七五一一万九〇〇〇ポンドで一六・八パ 1 セントの落ち込みである。 これを内容的に見ると、コレクターにとって力的であった絵画群が、いすれも売上げを落 としている。ロンドンのサザビーでは、古典大家の作品が一四三一万七〇〇〇ポンドから七八八 1 ズでは、七七五万一〇〇〇ポンドから六四〇万四〇〇 万三〇〇〇ポンドへとなり、クリスティ 〇ポンドへ下がっている。印象派および二十世紀の大家はどうかと見ると、ロンドンのサザビー ーズでは五四五万八〇 では、九五七万ポンドから六六三万九〇〇〇ポンドに下がり、クリスティ 〇〇ポンドから二八〇万ポンドへと下がっている。 それでは比較的新しく美術市場に進出し、価格も低廉な現代美術の領域を見てみると、ここに も経済不況の影響がはっきりと表れている。 七一年以来、この種の美術を専門的に扱っているジャン・クロード・ビノシ、によると、新し い美術のコレクターは二〇〇万人いて、運営一回のセ 1 ルで最低八〇万フランを売上げることが できるという。よく売れる作品は六〇〇〇フランから一万フランである。 しかし、四月のセ 1 ルでは四〇パ 1 セントが売れ残り、売上けは六九万七〇〇〇フランだった。 当然のことながら赤字であった。一例を挙げると、以前には三万フランから四万フランした五七 204
ンの分よりも一九六〇万ドル少ないが、それでも前年度より三三〇万ドルの増収だという。クリ スティ 1 ・ スは、一九七〇万ポンドである。 一方、パリの売上げはどうかと見ると、およそ三億フランで、換算すると、サザビーのロンド ン分よりも少ないが、それでも、前年度から見て、二五パ 1 セントの増加を示している。 一九七二年度のサザビ 1 の総売上げは、七一七〇万ポンドで、前年度から比較すると六七・四 パーセントの伸びである。クリスティ 1 ・ スは三三八〇万ポンドで、やはり、前年度の一九七〇万 ポンドに対して、七三・七パーセントという高い増収を示している。 サザビーの場合、取扱件数は全部で八九三で、そのうちニュ ーヨ 1 クが扱ったのは二八三件と いう割合である。ロンドンでは四八〇件を扱い、四〇五〇万ポンドを売上げている。ロスアンジ エルスの店は小さいが、それでも二七二〇万ポンド売上げ、前年度の一七二〇万ポンドを超えて クリスティ 1 ズの場合は三九七件のオ 1 クションをおこない、前年度より七一件増えている。 メルポルンと沈 この会社はジュネーヴ、ローマ、ドウッセルドルフ、モントリオール、シドニ 1 、 浮 いった離れたところにオークション場を持っているが、それらの支店の総売上げが五八〇〇万ポ 9 作 ンドで、前年度の一七〇万ポンドをはるかに超えている。ジュネーヴだけで七五万四二〇〇ポン 術 美 ドの収入である。 クリスティー。 ロンドンにはサザビー スと並んで、フィリップスという小さいオークション会
最も新しい数字としては、次のものがある。 クリスティ 1 ズは一九七三年秋のシーズンの売上げを発表したが、それによると、今期は一六 五三万一三六七ポンドで、昨年の一〇八九万八四七五ポンドをかなり上回っている。その理由は 取扱物件数が増えたことで、今期はロンドンで一五〇件、海外で二六件であり、昨年の一一五件、 一二件をそれぞれ上回っている。 一方、サザビーの売上げも前年の二四七四万五〇〇〇ポンドに対して、三六二七万五〇〇〇ポ ンドと大幅の伸びを見せている。 全世界の美術市場は、このところ異常な活気を呈しており、おそらく一九七三年度は未曽有の 取引高を示したと確実に考えられる。 どこの市場も第一級品は品不足であり、その代わりとして凡庸な作品がかなりの高値で売買さ れている現状である。それもそうだろう、一九六〇年度の世界の全オ 1 クション場の総売上げが 約五五〇〇万ドルだったのに対して、一九七二年度のサザビ 1 一社だけの総売上げが七一七〇万 ポンド ( 約一億七〇〇〇万ドル ) にも達しているのである。 社があるが、ここでも、前年度の五九五万二〇〇〇ポンドから七二五万九〇〇〇ポンドの伸びが 見られ、一三〇万ポンドの増収を示している。 《一級品は品不足〉
前者は、十二年五月におこなわれて、五二〇点で総額一四〇万円を売上げ、大正初年に八〇〇 〇余円だった雪舟の「真山水」が一四万五九〇〇円、若冲の「雪中花鳥」が七万六九〇〇円で落 札されて、注目をあび、後者は、六月におこなわれて、百数十点で、二四〇余万円を売上げ、一 点一万円以上の物品が多いことでは、空前であった。二〇万円台のもの一点、一〇万円台のもの 二点、五万円以上のもの一〇点、一万円以上のものが三一点という豪華さであり、これこそが、 好況へ向かう指標とおもわれた矢先に、突如、関東大震災が発生して、一切が潰減する。おもい がけない好運に感謝した右の酒井家では、罹災者救済にと三〇万円の寄付をしている。 多数の名品所蔵家が罹災し、美術倶楽部も全焼し、以後、翌十三年十月まで、東京では、入札 会が中止されたことは、言うまでもない。 東京美術倶楽部は、まもなく、芝区愛宕下町四丁目四番地の服部金太郎邸跡である現在の場所 に移転し、川部利吉を二代目社長に選出して、再建に着手し、意外に早く、一年後には、売立て を再開した。 だが、その後しばらくは、大入札はなく、十三年後半期には、一万円以上の出品物のあった売 いくらか動き出し、十一月の物持では 立ては、二つしかなかった。十四年に入ると、さすがに、 全国で十指中にかそえられる井上侯家人札でようやく、息を吹きかえす。一万円以上の物品が六 六点もあって、総額は二四五万円に達し、第一次大戦後としても、最高の売上げを示した。この 好成績を喜んだ侯は、自分の手取分一九六万円のなかから一〇〇万円を寄付して、育英事業の財 116
〈最近の市場》 以上の記述によって、一九六〇年代の終わりまでの美術市場の動勢が、全般的に把握されたと おもえるが、それ以後今日に至る状況は、どのようになっているだろうか。 手短かに言えば、美術価格は依然として高騰をつづけ、とどまるところを知らないかに見える。 一つには、世界的なインフレ傾向がこうした現象をもたらしたと言えるが、最近の国際的な通 貨の不安定から人々が換物化の傾向に走り、美術価格をいっそう高める結果になったことは否め と , もカヨーロツ。、、 , アメリカの美術市場は、いま猛烈に過熱している。 ここ数年の美術価格の変化を統計化した数字はまだ発表されていないが、リチャ 1 ド・ラッシ の試算によると、一九七〇年から七三年までに、各種の作品は次のように値上がりしていると オランダ絵画三倍、十九世紀イギリス絵画三倍、アメリカ絵画二・五倍、ドイツ表現派二倍、 フランス現代絵画二倍、印象派一・五倍。 このことは、主要なオ 1 クション場の売上げの増大からも、大局的につかめる。 一九七一年度のサザビーの売上げは四三二九万六〇〇〇ポンドで、これには同社が経営してい るニュ 1 ョ 1 クのパ 1 ク・ ・ ( 1 ネットその他の分もふくまれている。このうちロンドンの分は二 四〇〇万ポンドである。ニュ 1 ョ 1 クの分は、正確には四二九〇万ドルで、ドルで言うとロンド
だ開拓する余地が広大にあるという絶大の自信を見せていた。 . し / . し 日本の美術界はどうなっているのだろう、と日本通の外国人専門家は大きく首をか しげる。 ^ 国際性欠如の特異な日本の価格体系〉 永年、低い水準を低迷していた日本の美術市場が、めざましい経済成長にめぐまれて急激な発 展をみせ、異常とも言えるプーム現象を引きおこしているのは以上見た通りであるが・ーーひるが えって全世界的に見れば、美術市場の発展はひとり日本だけのものではなく、プ 1 ムという言葉 を使うならば、世界中が近年、・フ 1 ムの状態にあった。 ヨーク どこのオ 1 クションでも新高値が続出する最近であり、美 ロンドン、。ハリ、ニュ 術作品の高騰はとどまるところを知らない。 例のニクソン・ショックによって、一時、沈滞していたニ = 】ヨークの場合を見ると、一国の 経済は依然として深刻な輸入赤字に悩みながらも、美術投資の面では漸次、生気がよみがえり、 1 ネットの七一年度の売上げは、四二九〇一 七一年十二月以来の回復がいちじるしく、。ハ 1 万ドルに達している。前年より三三〇万ドルの増加である。 ーヨークがこうであるから、世界最大の美術市場を誇るロンドンの上昇はめざましく、サ ザビ 1 の総売上げ四三二九万六〇〇〇ポンドのうち、三分の一がロンドンによって占められて 177 美術プムと日本
も触手を伸ばし、この頃になると、同社の売上げの三分の一をアメリカとの関係で占めるほどに 発展したからである。 ハ 1 ーら个ッ , 「 の売上げを見ると、一九五九年に一〇〇〇万ドルあ 0 たそれが、六〇年に は九二四万ドルにと下降し、以後もそうした傾向を示し始めた。 サザビーは、かねがね = 、 1 ョ 1 ク進出を真剣に考えていたのだが、。 ( ーク・ バーネットにお ける ( ィアムの死と経営の悪化に目をつけ、新しい会社を作るよりは、それを買収する計画を立 て、その交渉に乗り出した。それがついに実を結んだわけである。 ハ 1 ー、ス・ツ , の株主の中には、イギリス資本の進出に反対する人も少なくはなか 0 たが、 同社の経営者は、これ以上の竸争の激化はかえ 0 て不利な結果をもたらすと判断して、買収に 応じた。 買収されたとはい「ても、首脳陣はそのまま残り、会長にウイルソンが就任したのが唯一の変 . 一 化であった。依然として。 ( ーク : ( ーネットとして活動し、その後、目だ 0 た業績をあげている。サ それにしても、一九五七年以来のサザビーの発展のなんとめざましいことであるか。ロンドンズ のしにせのクリスティー、、 スに打ち勝ち、ニュー ヨークのライヴァレ・こっこ。、 バ 1 ネットを テ ス 傘下に収め、文字通り世界最大のオ 1 クション・、 ノウスとしての地位を占めたのである。 ク その勝利の要因は、さきに述べたワイイ、 、ノ 1 カー・セールとコ 1 レドンユミッ ・セ 1 ルの相 次ぐ成功にあったと言えるが、さらにその後、サマーセッ ・モームのコレクションを扱い、ビ
いる。なぜ今もなお、ロンドンに世界中の美術作品が集まるのかは不思議だが、要するに、ここ ではすべてのものがもっとも高価に売れるという歴史的事実をぬきにしては、その要因は考えら れない。 たとえば、印象派の本拠であるパリでは、その種の作品がどんどん海を越えて行ってしまうの で、そこでいいものを見つけ出すのは容易ではないと言う。移動がらくなデッサン類になると、 六〇パ 1 セントが。ハリ方面からもたらされて、パリにおけるよりもずっと高価に売買され、しか もそのうちの三分の二が、ふたたびパリ方面へ戻ると言うことである。 しかし、その。ハリでも美術売買は盛んであり、オテル・ドルオーをはじめとする全オークショ ンの総売上げは、七二年前期は三〇〇万フランに達し、その前半期より二五パーセントの伸びを 示している。サザビ 1 の。ハリ支店は六七年九月に設けられ、これまでに一五〇〇万ポンドの収入 があり、七二年一年だけで二〇〇万ポンド以上の売上げがあったと報告されている。そして、扱 った作品の半分が印象派と現代の巨匠のものだった。 これら三大市場以外というと、西ドイツの繁栄が注目されているが、サザビーの発表によると、 この国の中心であるミュンヘンの場合を見ても、期待されたような伸びは今のところ見られず、 六九年九月にそこに設けた同社の支店も、どうにか経営が維持されている程度だと言う。具体的 には、この支店を通してロンドンへ出た各種の美術作品は、七〇年七月から七一年までで、わず かに二〇〇万ポンドにとどまり、またドイツ人がもつばら蒐集し、そして外国人の。ハイヤーが目 178
《アメリカに限らぬ世界的な現象〉 現代美術の市場価値は、かってなく高まっている。もっとも、そう言う前に、今日の美術市場 そのものが、未曽有の規模にまで拡大した事実に注目しなければならないだろう。 ニュ 1 ョ】クの場合で見ると、一九七三年の一年間に、そこにある画廊で扱った美術作品の総 0 、 額は、一億五〇〇万ドルに達し、前年度より三〇〇万ドルの伸びを見せている。サザビー ク・パ 1 ネットの取扱高が一億六八〇〇万ドルで、やはり前年度より六七パ 1 セントの伸びを示 している。合わせると、三億一八〇〇万ドルの大市場となる。 このような状況のなかで、新記録が続々と出るのは、不思議ではない。ワシントンのナショナ ル・ギャラリ 1 は。ヒカソのキュ 1 ビスム作品に一〇〇万ドルを支払い、オ 1 ストラリアの美術館 は、ポロックの「プル ・ポールス」に二〇〇万ドルを支払っている。 一九七三年三月十四 ~ 五日、サザビー バ 1 ネットでおこなわれた一九二〇年から五 〇年にかけてのアメリカ絵画のオークションでは、主催者側の予想を一〇〇万ドルも上回る三七 〇万ドルの売上げがあり、〒ディス・ 1 トの二十世紀美術のセ 1 ルでは予想を二〇〇万ド ルも上回る四五〇万ドルの売上げがあった。ついで、十月十八日に同所でおこなわれたロく アン、ス 1 ラ 1 ジュ、タンギ 1 、カルダ 1 フランシス、ガッチ、ゴットリ 1 ブ、一ア・ク 1 ニン グ、ポロック、ロスコ、リオペル、スティル、トビー。 186