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検索対象: キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか
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1. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

る理由もうなづける。 摩訶不思議な説明 そのほかのところでは、わたしがすでにネオ・ダーウイニストの 間にもあると文句をつけた、ア・フラカダ・フラと呪文を唱える方法が まかり通っている。たとえば創世記 1 ノⅡについては次のように論 じられている。そこは、神が地上に青草と種子をつける草と実をな らす果樹が生ずるよう命じた部分である。 ここで重要なことが一つある。植物がうまく育ち続けるため には、土や水や光や栄養素などがなければならない。その時す でに、現在とはいささか異なる形式によってではあるが、水と 光が得られていた。土や栄養素も存在していたに違いない。現 在そうであるように、土が植物の生長を支えられるようになる までには、長い準備期間が必要である。しかし土壌は、植物の 生長に必要なすべての栄養素とともに瞬時にして創造されたに進 違いない。何世紀もかけて風化や堆積などによって徐々にでき慥 あがってきたのではないだろう。すなわち、まだ新しかった時 からすでに古さを備えていたのだ。世界が始まった時、すでにⅡ

2. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

一九八一年には、レーガン大統領がその選挙運動中に創造論者の訴訟に対して慎重に賛意を表明した のが引き金となって、生物の教科書論争での創造論者側の勝利の歩調が急速に速まった。一九二五年の モンキー スコー。フス「猿」裁判でクラレンス・ダローが創造論者による訴えを打破したことによって、学校で創 造説を教えるための策動はとうに断たれたと考えていた科学者たちも、今再び自分たちが防御の側に立 たされていることに気づき始めた。 サウスダコタとカリフォルニアで法廷闘争が繰り広げられ、さらに他でも同じような動きがあった。 ーソン夫人の訴訟に 保守的な南部諸州の中でもアーカソサス州は、州を相手どった高校の生物教師工パ 対する一九六八年の最高裁の判決が下されるまで、進化を教えることを法律で禁じていた最後の州だっ た。それが再び新しい法案を成立させてしまった。今後、州立学校では、進化に関してダーウイン流の 説明と科学的創造論者の説明の両方を・ハランスよく教えることが要求されることになったのだ。 信仰の自由に関する最高裁の判決は、創造についての聖書の記述は宗教としてではなくダーウイニズ ムと同じ土台で扱われるべき科学であるとみなせば、うまく裏をかくことができるのである。もちろん このことは、アリス・ケホーなど、はからずも科学の名に値しないとみられるものと対決せざるをえな い立場に立たされた人々を、ひどくいらだたせる原因となっている。 ・ネルキンは、次のように異議を唱えている。 マサチューセッツ工科大学のドロシー 創造説は科学の名にはまったく値しないものである。科学理論は、膨大なデータに基づいて仮説 を一つ一つ検証していく過程でできるものである。一方、創造説の理論は、六日間の創造という大 152

3. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

パネル囲いかにしてすべて箱舟におさまったか 箱舟についての分析を進めるさい、創造論者は必然的に、創世記 6 ノで次のようには つきりと示されている大きさからとりかかることになる。「箱舟の長さは三〇〇キュビッ ト尺 ( 約一四〇メートル ) 、幅は五〇キュビット尺 ( 約一一三メートル ) 、そして高さは三〇 キュビット尺 ( 約一四メートル ) 。」これからすると箱舟は約二万四千トン級のかなりの安 定性をほこる四角い船ということになるが、これは現代の標準からいっても相当な大きさ である。現代イギリス海軍の軽航空母艦インヴィンシ・フルに匹敵し、アメリカの大航空母 繿のおよそ半分の大きさである。 次なる疑問は、はたしてどのくらい多くの動物種を舟に詰め込まねばならなかったかで ある。現在地球上に生息している一〇〇万から一五〇万種のうちの何割かだけをのり込ま せればよかったはずだと、創造論者は言う。当然ながら魚などはそのまま海の中を泳ぎま そら わっていればよかったからである。ノアは、「人間と家畜、それに爬虫類と天飛ぶ鳥など、 地上」にすむ種類だけをのり込ませたのだ。 この主張に基づきある進化論者が、次のような推定を『ネイチャー』誌に寄せた。「と なると箱舟には、二万五千種の鳥を収容した鳥小屋と、二万五千種の両生類、六千種の爬 虫類、一万五千種の哺乳類を収容した動物のおりがあったことになるが、そうすると一種 につき一つがいの動物がその一年分の食糧とともに占めることのできた空間は、一立方メ ートル以下だったはずだ。」⑩ 聖書の記述によると箱舟の大ぎさは , アメリカの大型航空母艦ティルビ ツツ ( 全長約 333 メートル ) の 3 分の 1 以上はあったことになる。 158

4. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

もし学校当局が、創造説と生物学的進化論との対立する主張を中立の立場で生徒たちに誠実に教えよ うとするのなら、聖書以外の創造神話も生徒たちに紹介すべきである。その中には、聖書の説明に好都 合なものもあろうし、都合の悪いものもあるだろう。たとえば、洪水伝説は世界の非常に多くの地域 ( けっして全地域ではない ) に残っており、ノアの物語ときわめてよく一致する。したがってこれなど は創造論者の信念をある程度支持するものとなる。しかし、人類の起源についての謎は、聖書とはまっ たく違ったふうに扱われていることが多い。オーストラリア原住民 ( アポリジニ ) は、独自の生命力を 持っている岩や石と合体した動物が自分たちの先祖だと信じている。アメリカインディアンも、生命と スビリ・ツト グレート 創造をつかさどる絶対的力を秘め、万物に浸透している基本的統一体「偉大なる聖霊」を認めていた。 だが同時に、かれらのそれは、人間が助力を求める対象となる身近な存在でもあった。また、人間はす でに動物や植物がすんでいた世界の泥から造られたと信ずる民族もいた。あるいはまた、創造などとい りんね うものは存在せず、誕生と死を繰り返す永遠の生命の輪廻だけが存在し、われわれのこの世界はそうし という教えもある。 た実体のほんの一断面にすぎない、 創造論者は、ネオ・ダーウイニズムを攻撃しそれを否定することによって、それに取ってかわる唯一 の説であるとする創造説の正当性を強調し、急速にその勢いを増した。だが、それで進化そのものが否 定されたわけでないことは明らかである。はからずもネオ・ダーウィ = ズムの不備が露呈したにすぎな いのである。逆説的ではあるが、創造論者の運動が今後果たしうる最大の貢献は、進化論を今一度洗い慥 直してその細部を検討し、改善の努力に拍車をかけることだ、と、結論できるのではなかろうか。 ハターソンは、一九七八年に進化についての最新の本を出版 大英自然史博物館の古生物学者コリン・ 163

5. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

めぐるあたりからである。わたしの考えでは、それはきわめて巧妙な戦略である。かれらの運動は、以 0 下のような論理に基づいて行われてきたーーー・・・・進化が起こったか、あるいは神による創造が行われたか のどちらかだ。あなたがたは、前者は証明不能でそれに対する説明はあやしいことを認めている。われ われも聖書に記されている創造の話を信ずるか否かはその人次第であること、また多くの人々はその話 の一部がおかしいと考えるかもしれないことを認める。それでは二つの説明を並べ、どちらの方が観察 事実によりよく合致するかを見てみよう。もしその二つが互いに対立する説であるならば、科学的な予 測を立ててどちらの説がそれを実証するかを調べることもできよう。 きわめて単純化してはあるが、この二つの説を。ハネルのように対置させてみた。見てのとおり創造 論者の楽勝である。ギッシュたち創造論者は、合衆国のいろいろな大学で進化にかかわるあらゆる分野 の科学者を相手にして活発な論争を展開してきた。そうした中でかれらは、「生物の進化や人間の由来 についての説明として、進化の理論と並んで創造説を公立学校で教えることは科学的証拠からみて正当 なことである」という単純明解な提案に対する圧倒的な支持を得てきた。 では、創造論者の論理のどこが巧妙なのだろうか。もっともらしくはあっても信じられないのはなぜ なのだろうか。 地球の古さ まず第一に、あたかもコインの裏表のように、ー 和造と進化を生物の起源を説明するたった二つの方法 として対峙させることは、まったくの誤りである。進化についての現在の説明は、科学的に不満足であ

6. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

5 章 「世界はさまざまなもので満ちている。それゆえわれらは皆、王に劣らず幸いであるはずだ。」神 の創造物を研究する最大の喜びの一つは、それによって驚きの念と感謝の気持ちが深められるこ とである。信じがたいほどの複雑さと驚くべき共生の妙を実現させつつ、ばくだいな数のみごと な動物たちを空中、地上、海中に配することは、全知全能の創造者でなければできるものではな い。にもかかわらず、これらの現象に通じている知性豊かな科学者たちが、それらは偶然に生じ る突然変異になりゆきまかせの自然の行為が働いてできたものとしている事実は、人間の本性に 関する最大の謎の一つである。この奇妙な事態に対する唯一の説明は、使徒のおことばの中に見 いだされる。科学者たちは、「 : : : 妄想にふけるようになった。みずからを知者と称しながらも おろかになり、 : 神を認めようとはしなかった。」 ( ローマ人への手紙より ) サンディエゴの創造調査研究所所長、ヘソリー・ ・モリスが研究 所発行の月刊誌『アクツ・アンド・ファクッ』一九七八年一一月号 に書いた文章より 創造対進化 132

7. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

体の器官 化石の記録 創造された各種類は突然移行的な種類がすべての分主要な分類群は突然出現し 出現したのであって、各類群を結びつけており、分ており、移行生物はほとん ど見つかっていない。 種類の間には初めからは類群の間に大きな溝はな つきりとした境界があっ た。高次の分類群の間を 埋めるような移行的な種 類は存在しない。 あし、腕、翼などは創造自然淘汰を通じて、諸器官中途半ばな器官というもの は見つかっていない。自然対 された瞬間から完璧だっ は適応の度合いを増しつつ 造 徐々に進化した。 淘汰は不適なものを排除は創 するが、新しい形質を生み 出すことはない。 こ 0 ( 創造説に適合 ) 。化石の記 録は、複雑さが増してきた ことを示している ( 進化論 に適合 ) 。 143

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まった。ミルウォーキーにあるマーケット大学の考古学者アリス・・ケホーは、アメリカ人類学会の 一九七八年大会で次のような報告を行なっている。 大部分のアメリカ人同様わたしも、進化論と聖書の創造説との対立は、一九二五年テネシ 1 州で ファンダメンタリズム 開かれたスコー。フス裁判でブライアンの根本主義をクラレンス・ダロ 1 が論破したことで結着が ついたと思っていました。そんなわけで、四年前にこの問題に関する論争に加わるよう頼まれた時 には、先祖返り的出来事としか思えないその依頼にしぶしぶ応じたのです。ところがどうでしよう。 一一月のある金曜の晩に開かれたその討論会の会場には、会場となった高校の体育館の収容定員を 上まわる千人以上もの聴衆が詰めかけていたのです。それまでわたしは、それほどの聴衆を前にし たことはありませんでした。創造説は死んでなどいません。それどころか今日のアメリカでもっと も急速な高まりをみせている運動の一つなのです。③ こうした傾向は、ヨーロッパでも同じであった。イギリスでは、進化論排斥運動の会員が、この二〇 年で四倍になり、およそ二五万部もの『進化ーー虚偽の科学』という本が印刷された。第二次大戦この かた、かなりの数の科学者がその会員となり、その中には動物学者ダグラス・デューオのように有名な 人もいた。 アメリカ合衆国の根本主義 しかし、創造論者の連動の高まりがもっとも大きかったのは、なんといっても合衆国である。進化論 ファンダメンタリズム に反対する根本主義が復活した年は、一九六三年と定めることができる。この年に、アメリカ科学同 135 創造対進化

9. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

に書いたものなのだろうが、恐童の赤ん坊の話とよく似た空想的な考え方がかいま見られる ) 。六日目 。いかにしてアダムはたった一日ですべての動物に名前をつ の出来事が一つの問題であるとかれは言う けることができたのか。 ニーセンの答によると、アダムはすべての動物に名前をつけなければいけなかったわけではない。創 そら 世記にでてくる動物、すなわち家畜と天の鳥と野の獣だけにつければよかったのだという。「明らかに これで地上の動物のほとんどが除外される。昆虫、ネズミ、トカゲ、魚は、その地位を申し出る必要が なかったのである。」 「アダムはきわめて高い知能を持っていたに相違ない。なぜならアダムは、罪を犯して堕落する前の その頭脳を一〇〇 % 完全に使うことができたからであり、おそらく知脳指数は千五百かそれ以上だった ろう。そのうえアダムは、ことばを学ぶ必要がなかった。神によって創造された瞬間に、脳の中に組み 込まれてしまっていたからである。アダムは、完全に機能する一人の人間として創造されたのである。 したがってアダムにとって、かれより先に地上にもたらされた動物に名前をつけることなど、実に容易 なことだったのである。」回 進 進化の対立説 対 道理の欠如、裁判をめぐるわずらわしさとその費用、学校教育〈の教義の再登場などは、どれも創造慥 説の勢力の高まりがもたらしたマイナス面に数えあげられよう。一方、教科書の中で進化教育の再評価 がなされたことは、ささやかではあるが。フラスとみなすのが公平と思われる。以下、カリフォルニア州 161

10. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ったり筋の通らないものであるかもしれない。しかし、だからといって進化が起こらなかったというこ この問題にかかわるあらゆる自然科学の分野からの証拠が、地球とそれが属する宇宙の歴 とではない。 史は非常に古いこと、またなぜこれほど多くの異なる種類の生物がいるのかは進化で説明できることを 示している。地球の古さは放射性同位元素を使 0 た年代測定法によ「て確証されている。地層が形成さ れた様子は地質学が教えてくれる。異なった時代に異なった種類の生物がいたことや、それらがある時 代に絶滅したことは、古生物学によって明らかにされている。各種生物が互いに何らかの同類関係にあ り、変化する可能性を備えていることは、遣伝学が示している。 これらの研究を辛抱強く行う研究者らは、直接進化を証明することはない。しかしそうしたさまざま な事実の集積によって、進化という現象は動かしがたいものとなっている。またダーウィ = ズムがいろ いろな点で不完全であることがわかり、ネオ・ダ 1 ウィ = ズムに取 0 てかわられ、それも順次改良され ていくという行き方は、科学の方法としては建設的なものと言える。科学者というものは、頑固に自分 の説を押し通し、却下されてもなおそれにすがりつき、まるでほかの立場では言うべきことを知らない かのように自説を提出しようと画策することさえある。しかし歴史が教えるように、事実の集積ととも に不適切な考えは結局捨て去られるものである。 創造論者の前提 よそうではない。変更不能の説明 ( 聖書に記されていること ) を信じこみ、他の可能性をいっ 創造説。 さい認めずすべての事実をそのわく内に押し込むことは、明らかに科学的態度とは言えない。神が万物 141 創造対進化